55話 タガタメ
「話をするだけだったのに、こんなところに走りだすんだから追いかけるのに苦労したのよ?」
あたしはドレスアーマーの手を借りず立ち上がる。
同じ<敵対者>という話だったが、あの膂力は普通の人間ではありえない。
この女の言うことはよくわからない事が多いし、あの方というのもどんな人物なのか分からない。
信用するには情報が少なすぎた。
「あたしには師匠がいるし。だから誰かから与えられる<力>なんていらないし。せっかくだけど、あたしの事はほっといてほしいし」
「この不平等な世界を終わらせる<力>なのよ? 光栄なんだと思うわ?」
相変わらずこちらの話は聞いていない様子だ。
「世界は不平等だけど、自分の努力で変えられるんだし。師匠が教えてくれたんだし」
できない事ができるようになって。
少しずつ明日がよくなっていく。
今のあたしにはそれが感じられるし、望む未来に繋がっているんだって、信じていられる。
だけど、ドレスアーマーの女は哀しそうな表情で、首を横に振った。
「変えられないの。変えられないのよ? あの男もいつかはあなたを捨てるわ。時が経てばわかるのよ? 大人になればわかるのよ? 夢や希望は、あなたを絶望させる毒になるの」
諭すような声色だった。
きっとこの女には、そう思わせるだけの何かがあったのだろう。
あるいは自分も、師匠に捨てられれば同じように思うのかもしれない。
だけど――。
「自分が歩んだ道を、あたしも同じ様に歩むだなんて、決めつけないでほしいし」
あたしは師匠を信じてる。
「若さなのよ。大丈夫、きっと私に感謝するから。連れて行くのよ?」
ドレスアーマーが手を延ばす。
あたしはそれを避けるように後ずさった。
腰を落とし、木の棒を構える。
「あたしは行かないし……!」
足場は悪い。
思い切り踏み込むと足が滑るかもしれない。
でも、あたしにできる事はひとつだけ。
師匠に習った通りに、まっすぐ突くだけ!
「えやっ!」
踏み込みの力が身体を巡り、棒の先へと螺旋を描く。
あたしにできる最高の突きが、ドレスアーマーの腹部にある、鎧のつなぎ目の革部分に突き刺さる。
手応えはあった。
ゴブリンなら確実に倒せる威力だ。
「<力>の素晴らしさを、教えてあげるのよ?」
「うっ――きゃっ!」
全力で放った突きは、間違いなくその威力の全てを伝えきったはずだ。
だが、ドレスアーマーは少しもダメージを受けた様子はなかった。
ゆっくりとした動きでお腹にあたっている棒を横にズラすと、次の瞬間にはあたしの目の前に手のひらが見えた。
顔を押されて吹き飛ばされる。
今まで感じた事のない速度で、水の上を何度も跳ねた。
遠くで師匠があたしの名前を呼んだのが聞こえた。
「大丈夫。殺したりしないのよ? ただ、努力では埋められない<力>の差を知ってもらうだけ」
ドレスアーマーの向こうで、空を駆けていた師匠がギガ・アナコンダの尻尾で吹き飛ばされていくのが見えた。
あたしを助けにこようとして、隙が出来てしまったのだ。
ダメだ。
このままでは師匠の邪魔になる。
「皮部分がダメなら、顔に当てればいいし……!」
「女の顔に攻撃するのは感心しないのよ? まあ当たっても痛くも痒くもないんだけど」
身体に直接あてても効かないらしい。
いくら木の棒といえ、そんな事あり得るだろうか?
あの滅茶苦茶な膂力をみれば、普通の人間ではないのは明らかだ。
ならやっぱりホントに効果がない……?
ええい、試してみないと分からないしっ!
「顔がダメならその半分出てるおっぱいだし!」
「大丈夫よ? まだまだ望みはあるのよ?」
そんな心配はしていないしっ!
あたしは真っ直ぐ走っていって、そのままの勢いで突きを放った。
ああ、自分でも分かる。
全然だめだ。
力が腕からしか伝えられていない。
狙いもぶれて、突きの途中でも力がどんどんとなくなっていく。
止まっていれば出来ることも、ちょっと動きながらやるだけでこんなにもできなくなる。
なんであたしには、こんなにも才能がないんだろう――。
「そんな顔しないのよ? すぐに<力>を授けて頂けるわ」
師匠に素人の動きだと言われていた、ドレスアーマーにすら躱されてしまった。
ドレスアーマーが軽く振った手が、あたしの横腹にそえられる。
それは攻撃と呼べるものではなかった。
ただ、軽く押しただけ。
目の前の女にとってはホントにそれだけの行為なんだろう。
それでもあたしは再度、水の上を激しく跳ねて飛ばされていった。
「――げほっ、おえっ。飲んだし……。絶対お腹壊すし……!」
体中が痛かった。
ただ転がされているだけとはいえ、それが水の上とはいえ。
叩きつけられる勢いが激しすぎて、水面は石のように固い。
立ち上がろうとして、膝から崩れ落ちる。
あれ、なんで。
足に力が入らない。
膝がぶるぶると震えて、木の棒をつっかえにしていないと横倒しになりそうだった。
「あんなに走り込みしたのに……!」
2週間の訓練では、やはり限界があった。
格上との戦闘が、こんなにも体力を消耗するなんて……。
ドレスアーマーが、水音をたててゆっくりとこちらに近づいて来る。
「あなたのその意志は立派なのよ? 運命に負けず、立ち向かう。生きる力と希望に燃える、眩しい太陽のよう」
力の入らない両足の代わりに、全力でつっかえ棒を地面に押し当てるようにして、手の力だけで何とか立ち上がる。
構えを……とらなきゃ……!
「でも自分の事しか見えていない。私たちが<力>を手に入れて、スキルをこの世界から消す事ができれば、救われる人がいるのよ?」
そう――――なのかもしれない。
つい耳を貸してしまったドレスアーマーの言葉に、そう思ってしまった。
あたしも師匠に会う前までは、スキルなんてモノがなければ、皆が平等に暮らせる世界になるんだと思っていた。
世の中にいる<敵対者>はあたしだけじゃない。
あたしは師匠に出会い、救われた。
でもそうじゃない<敵対者>は?
きっと今でも、ちょっと前のあたしと同じような気持ちでいるはずだ。
自分だけ救われればいいの?
ホントにそれが、正しいことなの?
「あたし……は、でも。いま、楽しくて……!」
心が迷いながらも、身体はなんとか構えを取ってくれた。
これが最後だ。
これでダメならもう――。
「何年も苦しんで、ほんの少しだけ辛さを忘れてる時間があっただけなのよ? その一瞬はずっとは続かない。その時、あなたは<力>を得ていなければ後悔するのよ? あの時、たくさんの人を救えるかもしれない<力>を得るチャンスに、どうして手を延ばさなかったのか――って」
ドレスアーマーが間合いに入った。
狙うなら喉元だ。
最後のチャンスなのだ。
わかっている。
わかっている――のに、手が動かない……!
ドレスアーマーの言葉が、そのままあたしの心の迷いだったからだ。
あたしに誰かを救える機会があるとして、あたしは自分の為にそれを棒に振ってもいいのだろうか。
あたしは毎日が苦しかった。
でも師匠を拾ってから、そんな日が少しずつなくなって。
冒険者ギルドであたしの為に暴れてくれた時。
師匠と呼ばせてくれた時。
出来の悪いあたしに、少しずつ出来る事を増やしていってくれた時。
あたしは、とても幸せだった。
ひとりで、あたしだけ、幸せだった。
目の前にいるこのドレスアーマーの姿に、真っ黒なあたしの姿がダブってみえる。
これはきっと、過去のあたしだ。
幸せになれなくて、幸せになったあたしに置いていかれてしまった過去のあたし。
そのあたしの陰が、棒を構えるあたしの腕に掴みかかる。
あたしは怖くて、ピクリともそれを動かせなかった。
――自分だけずるいじゃない。
そんな風に、あたしが囁いた声がした。
「大丈夫なのよ? 今は少し眠るだけ。共にいきましょう?」
気が付けば、拳を振りかぶるドレスアーマーが目の前に立っていた。
もう手に持った木の棒では、対処できない。
そもそも、避けられるようなタイミングではない。
けど、それをみて。
ほんの少しだけ、もう迷わなくてもいいと安堵する自分がいて。
そして――。
「――――ッ!!」
巨大な衝撃波のようなものが、ドレスアーマーを弾き飛ばした。
ドレスアーマーは勢いよく飛ばされていったが、直撃ではなかったようだ。
衝撃波とは別の方向にふき飛んでいた。
ドレスアーマーを弾き飛ばしたその衝撃波は、その後もまっすぐ飛んで行った
水面が大きく抉りながら吹き飛んでいくその様から、おそらく風の弾のようなものだと思われる。
だがその速度は速くはない。
まるで見えない大岩がごろごろと転がっているかのようだ。
そして奥に生えていた、あたしと同じぐらいの胴回りはある木々をへし折って止まった。
この風の弾が飛んできた方向にいるのはもちろん――。
「だから、ウチの弟子を怪しい宗教に勧誘するなって言ってるだろうがッ!」
「師匠ぅ……!」
ボロボロになって、肩で息をしながらこちらに手を延ばしている、あたしの昆布師匠だった。
あたしは湧き上ってくる涙をこらえる事ができなかった。
師匠はすごいし。
悩みとか、戸惑いとか、そんなの全然ないんだし。
言葉だけじゃなくて、表情や、行動や、全てであたしに語りかけてくれる。
やりたいようにやれって。
お前の冒険譚だって。
いつだってあたしをこんなにも救ってくれる。
幸せな気持ちにしてくれる。
師匠が――。
そんな師匠が――。
――――頭から、ギガ・アナコンダに丸呑みにされた。




