間話 転げ落ちた肉の人
私の名前はイエスロ。
王都で長年冒険者として活動し、C級としてそこそこ活躍していたと自負している。
しかしつい最近、冒険者を引退した。
単純に年のせいだ。
もう若い頃のようには体が動いてくれなくなったのだ。
幸い、老後を過ごすのに十分なお金は貯まった。
これからはゆっくりと世界を見て回り、第二の人生をどう生きるかを考えていこうと思う。
「旦那、あれがマイラ島ですよ」
船乗りの一人が遠くに見える島影を指さして言った。
マイラ島はアルメキア王国の東の端にある小さな島だ。
しかし帝国との貿易拠点となってもいる街で、辺境の割には栄えているという。
あの島でしばらく滞在し、それから東大陸に渡ろう。
東大陸には世界一の大国である帝国と、ドワーフの国、そしてエルフの国がある。
私は王国の他には、王都の西側にあるホビットの国にしか行った事がないので、他の国へ旅するのが今から楽しみだ。
----
「辺境といっても、案外栄えているものだな」
船を下りて、予想よりもずっと賑やかだった市を見て私はそう口にした。
港にはバザールと呼ばれる露天が並び、帝国と王国の品々が所狭しと並べられている。
さすが貿易の拠点だけあって、帝国品の品ぞろえは王都以上だった。
「さすがに魔装具はないか……。あれは王国には入ってこないからな」
魔装具というのはミスリルを使った武具の事だ。
ミスリルは世界で唯一帝国で採掘される。
ミスリル自体は鉄に比べて特別に強い素材ではないが、他の金属にはない唯一の特徴がある。
それがスキルの再現だ。
魔法陣と呼ばれる、特殊な模様をミスリルで描く事で、一度切りという制限があるものの、一定の魔法効果を生み出すことができる。
その仕組みは帝国の秘中の秘。
もちろん魔法陣とミスリルさえ手元にあれば再現できるのだがろうが、帝国は素材のままのミスリルを絶対に輸出しないし、魔法陣は武具の内部に埋め込まれるように描かれている。
後からその模様を確認しようと武具を破壊しても、そもそも素材に溶け込んでしまっている為にその全容を解明することは出来ないのだという。
そうして出来た魔道具や魔装具は、技術漏えいの心配がない事を国が厳重に確認した上で、一部が外国に高値で輸出される。
しかし、過去の軋轢があるため、王国にだけは決して売られないのだ。
その為、王国内で魔装具を見かけるのは非常にまれだった。
ミスリルを使った魔装具は冒険者憧れの装備だ。
引退した私でさえも、機会があるのなら一度は手にしてみたいと思うほどには。
「まずは冒険者ギルドだな」
長年の癖なのか、町へ着いたらまずは冒険者ギルドに立ち寄らないと落ち着かない。
まあ王都の知り合いからの頼まれ事もある。
情報を得るためにも、私は都市マイラの冒険者ギルドへ向かった。
----
やって来たのは西区にある冒険者ギルドだ。
というのも北区冒険者ギルドで、西区孤児院の院長に手紙を届けたいと言ったところ、ここを紹介されたからだ。
「灰色孤児院への行き方ですね。そこに地図がありますから、どうぞ持って行ってください」
灰色孤児院というのは、私が探している西区孤児院の事らしい。
スラム街と平民街の間に立つ孤児院の為、そのように呼ばれているのだとか。
「地図? なんでわざわざそんな物が用意されている?」
「訪ねて来る人が多いからですよ。いちいち説明するのも面倒なので」
眼鏡をかけた受付の男性はニコニコと答えた。
孤児院を訪ねるものがそんなに多いのか?
訝しげに思いながらも、とにかく私は渡された地図を頼りにその孤児院に向かう事にした。
----
「――おっと」
西区の大通りを抜けて、孤児院に続く小道に入って少ししたところで、何者かが私に斬りかかってきた。
斬撃を避けて距離を取る。
物陰から出てきたのは、棒きれを構える10歳前後の少年と少女だった。
スラムはまだ少し先のはずだが、物取りだろうか?
「僕の<雷斬の太刀>を躱すなんて――さすがだね、師匠」
「ええ。腕は衰えていないようで安心したわ――師匠」
「いや、誰だ君達は?」
私に弟子などいない。
ましてやマイラ島には今日初めて来たのだ。
もちろんこの子供達とも初めて会った筈だが……。
「なるほど――。今の僕達じゃ弟子に相応しくないって、そう言いたいんだね?」
「示しましょう。私達が師匠の弟子に足る力を持っていると……!」
「だから誰なんだ君達は!」
しかしその二人は全く私の話に聞く耳を持たず、手に持った棒を振り上げて襲い掛かってきた。
なんなんだ一体!
子供相手に剣を抜くわけにもいかず、私は袈裟懸けに斬りかかってきた少年の攻撃を半歩下がって避ける。
するとそこに合わせて、少女が私の残った軸足を狙った斬撃を放ってきた。
足を引いてそれを避けると、片足立ちになった瞬間を狙いすましたかのように、少年が喉元目掛けた突きを仕掛けてくる。
身体は小さいが、ちゃんと腰の入った鋭さのある突きだ。
とはいえ獲物は棒きれ。
私は棒先に手の甲を添えて、捻り込むようにして受け流した。
一拍遅れて少女が腹部めがけての突きを放ってきているが、そちらは逆の手で掴んで止める。
どうなっている、王都の駆け出し共よりよっぽど強いじゃないか。
もしかしてホビット族なのか?
「強いわ……! さすがね師匠」
「よく分からないが、物取りなら諦めろ。私は元C級冒険者だ。これ以上は反撃するぞ」
「稽古をつけてくれるって事だね? よーし、いくぞ<龍滅剣>!」
少年は仰々しい技名を叫びながら、上段から棒きれを振り下ろしてくる。
稽古稽古と、そこまで言うなら軽く捻ってやる。
泣きべそかいても知らん!
---
灰色孤児院と呼ばれるそこは、夕陽に照らされて茜色に染まっていた。
あの後、何度転がしても立ち上がって向かってくるあの二人の相手をしていたら、こんな時間になってしまった。
最後は近くにあった樽に突っ込んで、その上に重しを乗せて出てこれないようにしてやった。
そうでもしないと、体力の続く限り延々と襲い掛かってくるのが目に見えたからだ。
まあ帰り道で重しは取り除いてやろう。
孤児院では子供達が走り回って遊んでいた。
私は特別子供が好きというわけではないが、さっきのを見たあとで、こういう普通の子供を見るとなんだか安心するというか、微笑ましくなってくるな。
「ん?」
遊んでいる子供達に混じらず、水をいっぱいにした桶をヨタヨタと運んでいる少女が目についた。
シスターローブを着ているところを見るに、ここの孤児院の運営をしている教会の者なんだろうが、その見た目は、そこで遊んでいる子供達と変わらない。
その今にも水を零しそうな様子を見ていられなくなり、手を貸してやる事にした。
「手伝おう。どこに運べばいい?」
「ふえっ? あ、あの。お客様、ですか?」
少女は急に声をかけられ、驚いた様子でこちらを見上げていた。
緊張しているのか、潤んだ目をして、頬を赤らめながらオズオズと私が客であるのかを尋ねる。
幼くとも、きちんとした対応を取ろうとする誠意が伝わり、私はなんだか――。
「ああ。だが今はまずこの水桶を運んでしまおう。中か?」
「あっ、はい! あの、ありがとう……ございますっ」
少し戸惑った後に、にこっと笑う少女の顔はとても可愛らしかった。
警戒心の溶けたその笑顔を見ると、少し距離が縮まったように思え、嬉しく感じる。
戦いから離れて暮らすというのは、こういう事なのかもしれないな――。
----
「ふゅぅ〜、失敗しちゃいましたぁ」
「まったく、小さいんだから無理をするな。貸してみろ。いいか、これはな――――」
「ロッリ、お腹空いたよぅ……」
「なんだ、お腹空いているのか? こんなに食事があるのに――――なにっ、そうなのか。子供達の為に自分の分を――――構わないさ、それでいくらぐらい……えっ、そんなに?」
「えへへ。手、大きいね……?」
「お、私の手なんて剣を握ってばかりで――――え、そ、そうか? そんな風に言われたのは初めてで――――違うっ、これは涙なんかじゃ……!」
「おじちゃんのマント、すごくあったかい……」
「くれてやるっ……! 夜はちゃんと暖かくして寝るんだぞっ――――え? 鎧? いやこれは……なんだって!? 大丈夫だ、この鎧を飾っておけばそんな奴は近寄ってこない。この鎧はな――――」
「はわわわ。おじちゃんの腰の剣、すごく大きいよぅ……」
「こ、腰の……? ああ! これ、これね! こいつは私の相棒でな――――それで――――という事があって――――え、いやしかし――――なっ! そんなにまで私を――――だがこいつは私の冒険者としての――――くっ、過去がなんだッ! 置いてく! この剣は置いていく!! 絶対置いていくからなっ!!」
----
そして夜、私は冒険者ギルドに戻ってきた。
受付には先程の眼鏡の男がいた。
「ああ先程の。灰色孤児院へはいけました?」
「ああ。新しい未来を見つけたよ」
「……そうですか。それで、どうしました?」
私は孤児院に寄付をした為に金がなくなった事を説明した。
そして王都に戻ったら返す事を前提に、ギルドから借金をして、帰りの路銀を受け取った。
本来ギルドはそこまでしてくれないが、C級冒険者としての実績と信頼で融通をしてくれたようだ。
都市マイラの依頼は低級のものしかないから、王都に戻って金策した方が効率的だ。
このメガネの受付はちゃんとその事を上司に説明して、貸付を取り付けてくれた。
いつか王都に来る事があったら、この借りは必ず返す。
そう伝えて私はギルドを後にした。
----
翌日、王都までの帰路に着く為、私は港に来ていた。
すると偶然――いや、運命的に――バザールで昨日の少女に出会った。
「あっ、昨日の――」
「お使いか? 感心だな」
何の店か覗こうとすると、視線を遮るようにして少女が私の正面に回ってきた。
「あっ! あ、あの。あのね……、探してたのっ」
「ん、私をか?」
「うん! 昨日のお礼にと思って……これを」
そう言って少女が後ろ手に持っていた何かを差し出した。
「ワイングラス?」
確かに私はワインが好きだが。
「あー……。な、なんか。おじちゃんっぽいかなって。酒場のマスターとか? そんな感じで……。へ、変かなぁ……?」
少女は潤んだ目で私を見上げてくる。
こ、これは――!
天啓だ……!
この清らかな瞳が、私の未来の姿を映し出したのだ……!
「変なものかっ! ちょうど王都に戻ったらバーを開こうと思っていたところだっ! 最高の贈り物だっ!」
「ほんとっ? うれしいよぅ……!」
受け取ったワイングラスを割らないように丁寧に梱包した後、私は天使に見送られ、ロマリオ行きの船に乗り込むため船乗り場へと向かった。
その時、ちらりと少女の後ろの露店に私の剣が置いてあったような気がしたが――ふ、私もまだ心の奥底では冒険者に未練があったのかもしれないな。幻を見てしまうとは。
だが私は天啓を得た。
これからは冒険者ではなく、王都でバーを開いて暮らしていくのだ――。
ありがとう私の天使。
最後に教えてくれたその名前、<ロッリ・ロッリ>。なんて素敵な名前なんだ。
私は、決して君を忘れないからな――!
----
私の名前はイエスロ。
王都でバー、<ノタッチ>を経営している。決して大きくはないが、知る人ぞ知る名店であると自負している。
この店には真実の愛に目覚めた、多くの同胞達が訪れる。
時に他人には受け入れられない我らの信ずる者を、心のままに語り、共有できる聖域であり続けるのが私の誇りだ。
「なあマスター、なんでいつもそのグラス磨いているんだ?」
黒髪の神の子が尋ねてきた。
思い返せばこの子はあの時の悪ガキだ。
すっかり重しをどけるのを忘れていて、死んでないか少し気になっていたんだが、元気そうで何よりだ。
胸のつかえが一つ取れたな。
私は神の子の問いに答えず、ただグラスを掲げた。
神の子はグラスに視線を上げた。
説明なんて野暮は不要だ。
こうすれば光石の明かりを反射して、このグラスはまるで宝石のように輝き出す。
そう。まるで、あの日の思い出のように――。




