1、きっかけは。
「疲れた、眠い、刀なんかもう研ぎたくもない」
地を這うような。それこそ心底という言葉が良く似合う声音で青年が呟くのが、すれ違いざまに聞こえた。
ぼんやり、ただぼんやりと歩いていた山崎まつりの耳にも届くほどの、もう飽き飽きだという心の声がその念の篭もった疲労の濃さを物語っているようで。
「あの、大丈夫ですか?」
思わず声をかけてしまったのだ。
見たところただ疲労が溜まっているだけで体調が悪い訳では無い様子に少しだけまつりはほっと胸中息をつく。
普段なら声をかけないのだが、これも最近板についてきたアルバイトの成果だろうかと(接客のバイトである。お客様の様子に気を配るのは基本的なことだ)思いながら、乗りかかった船だと、覚悟を決めた。
「あ゛...あー、大丈夫、です」
一瞬。ほんの一瞬だけ、虚を突かれたような表情の男性はヒラヒラと手を振り。お気遣いすみませんね、とまつりの斜め後ろに位置していた路地を曲がり、去って行った。奥通りには趣深いお店もありそうだ。
「...不思議なお兄さん」
外聞的に見たら、見ず知らずの相手にいきなり声をかけたまつりの方が充分に不思議な人なのであるが、そうとしか言葉が出なかった。
これを大学の同級生の藤堂辺りが聴いていたらキャー!ってわざとっぽくいいながら隣の永倉辺りに逆ナンだね!?と悪ノリを求める図が簡単に想像がついた。
「お姉さん、落し物だよ」
はい。と通りすがりの小さな僕が渡してくれたのは今どき珍しくなった広告入りのマッチ。
「みづきどう、かな?」
刀剣観月堂と書かれたマッチに、まつりの頭には先程の青年が浮かぶ。刀がどうと言っていたし彼の店でなくともご縁はありそうだ。
幸い今日のシフトは先輩と休みを変わるために交代となったので時間もある。
「たまには、冒険も必要だよね」
くるりと、後ろに引き返し、まつりはマッチの裏側にある簡易地図を辿り観月堂を目指す。
歩き去って行った方角も一緒だ。もし違っても途中追いつくだろうし、なんならこれを理由にお店を覗いてもいい。ただの女子大生の自分が、刀なんて、興味はあれど敷居の高いお店にお伺いするチャンスなど滅多にないわけだし。
まつりはこの降って湧いたような非日常に足を嬉嬉として踏み入れることにした。
これが、1人にとっては全ての始まり。1人にとっては途中経過。1人にとっては。様々な何かが動き出した。




