旅の理由
アーロインとセリが探索の結果を纏めている間、一行は寝床の掃除を始めた。自分たちの使う部屋は自分で掃除するという事で、男性と女性とで別れた。
男性陣が泊る予定の部屋を開けると、やはりというべきか、数百年かけて積もりに積もった埃は凄まじい量になっていた。
部屋を開けた瞬間に、大量の埃が舞い上がる。
「本当に埃だらけだな……」
「最近は慣れて掃除も上手くなったと自負しているよ。不本意な事にね」
グートは肩を竦めて言った。移動より研究というアーロインの性質のせいで、何度も拠点を変えるハメになったようだった。
「シズルはシアみたいな魔法は使えないのかい? いつも風で大体の埃を払ってくれるんだけどね」
「無理だな。俺は普通の魔法は使えないんだ」
「残念だ。掃除が楽になると思ったんだけど」
ないものねだりをしても始まらないと、三人は家具を隅に退けていった。建物は傷一つ無いとは言っても、家具は順当に劣化していた。既に壊れている物や、軽く触れるだけで壊れる物もあった。
ほとんどの家具を別の部屋に運び出して寝床になるだけの面積を確保する。その作業を終えた所で、シアと弥那が三人に合流した。
「おや、そっちの部屋はもう終わったのかい?」
「はい。弥那さんがとっても力持ちで助かりました」
「シズくん、シズくん! 褒めてください! 弥那はとっても頑張りました! 頭をなでなでしてくれると明日からの弥那のやる気が青天井です!」
ふんすっと着物の袖をまくって力こぶを作る弥那。その腕は折れてしまいそうなほど華奢で、とても力がありそうになかった。しかし、彼女が素手で魔物を殴り殺していたのを全員が目撃している。
シアが犬のように撫でられている弥那を見つめながら首を横に傾げた。
「ずっと気になっていたんですが、弥那さんの体に巻き付いているのはシズルの鎖ですよね? 弥那さんの膂力を補助しているんでしょうか? しかし、シズルの一族の鎖にそんな力は無かった気がしますが……」
「逆だな。全力で戦うと弥那の体に負担がかかるから、鎖で力を封じているんだ」
シズルは顏をしかめた。シアはじっとシズルを見つめている。
「封印術ですか……」
「はい! そうです、そうなんです! 弥那はこの鎖が大好きですっ!シズくんに守ってもらっている実感が湧いてくるんです……! あとはシズくんの性癖に答えられるのも嬉しいです……っ!」
「いかがわしい理由で縛ってる訳じゃないからなっ⁉」
黄色い声を上げて顔を隠す弥那に、シズルは青い顔で詰め寄った。一方で、不意打ち気味にシズルに詰め寄られた弥那は顔を真っ赤にしてぽやっとした目をしていた。
「し、シズくん……。皆さんの前でだなんて大胆です……。でも! でもでも! 弥那は、シズくんの願いなら受け入れますよ……?」
「違うからな! 手は出さないからな!」
自身の潔白を訴えようと一行に目を向けると、ノルイとグートは生暖かい目で二人を見つめていた。シズルの言い分を信じていないのは手に取るように分かった。
「夫婦の営みに口を出すのも野暮だと思うけれどね。もう少し、分別を身に付けた方がいいと僕は思うよ」
「二人とも、外でヤッて捕まらないようにしてね?」
「あまりの信頼の無さにびっくりだよ!」
誤解を解こうと言葉を重ねるが、二人の視線は生暖かいままだ。シズルは否定するが、その度に弥那の斜め上の発言が飛び出して、火に油を注ぐだけだ。
そんなやり取りの中、シズルは何か物足りなさを感じた。この手の話題で真っ先にちょっかいを出してくる義姉が黙りこくっていたのだ。
シアに視線を向けると、何やら真剣に考えているのが分かった。いつもと何かが違うとシズルは感じたが――
「義弟の性癖にお姉ちゃんドン引きです……」
「妄想が激しい時の弥那の言葉を真に受けないでくれ。舞い上がってるだけだ」
結局はいつも通りの言葉が返って来た。
もっとひどい性癖の奴が何を言っているんだと口にしかけて無理矢理口をつぐんだ。シアがとてもいい笑顔で微笑んだからだ。シズルの背中に悪寒が走った。
「休憩はこのくらいにして、私もお掃除手伝いますよ」
「ああ、頼む」
しっかりとシズルに釘を刺した後、シアはグートに話しかけた。
指先に小さなつむじ風を起こして埃を集め、外に吹き飛ばした。ちまちまと掃き掃除をするよりも圧倒的な効率だった。
「相変わらず器用だな。羨ましい」
「普通の魔法が使えない代わりに、シズルは鎖が使えるじゃないですか。わたしは鎖が使えませんでした」
「戦いにしか使えない魔法より、日常で使える魔法があった方が良かったよ。家事が楽そうだ」
「ふふっ、シアはいい奥さんになりそうだなんて照れますね」
「言ってない!」
シアが頬を抑えてテレテレとしていると、骨を砕かれそうな握力でシズルは肩を掴まれた。嫌な予感がしてゆっくりと振り向くと、どろどろとした目の弥那が、幽鬼のようにふらふらと詰め寄ってくる。
「あの、弥那……?」
「義姉……、つまり合法……、いい奥さん……、やっぱり、シズくんとシアさんはそういう仲なんですか……?」
「んな訳あるかッ⁉」
「なら何で弥那に、弥那に手を出してくれないんですかっ!」
「……っ、それは……」
シズルはいつもの軽口で答えられずに、答えられずに口ごもった。
みるみるうちに弥那の目に涙が溜まっていく。けれども、シズルは弥那から目を背けたままだった。
弥那は唇を噛んで駆けだした。
「お、おい!」
「ばーか! ばーか! シズくんのばーか! おたんこなす! 短小!」
「今どこを見て言ったっ⁉」
そのまま弥那は廊下を走り去っていく。シアは一瞬シズルに批難がましい目を向けた後、焦った様子で弥那を追いかけていった。
シズルは追いかける気力が湧かず、その場にへたり込んだ。
「……追わなくていいのかい?」
「……シアに任せておけば誤解は解ける」
「それでもだよ」
「……」
シズルはそのまま黙り込み、グートはやるせなさそうに頭を掻いた。ノルイは居心地悪そうに手を組んでいる。
夕食時、シズルと弥那は一言も言葉を交わさなかった。
――
――――
グートとノルイ、シズルの三人は部屋の床に寝袋を敷いて一夜を明かそうとしていた。しかし、シズルはなかなか眠れず、ぼんやりと虚空を眺めていた。
塔の中に昼夜がある謎について考えたり、『殺気を向けられれば気が付く』と言って見張りも決めずに眠ったグートにちょっかいを出したくなったりしながら、ぼんやりとしていた。
すると、ガサゴソと毛布に潜り込んでくる気配があった。
「何やってるんだ、ノルイ……」
「あっ、バレちゃった?」
ぺろりと舌を出して笑うノルイに、シズルは一瞬どきりとしてしまった。
ノルイは少年とも少女ともとれる中性的な容姿なため、女性的な仕草をされると少女に見える。しかも、やたらといい匂いがする。シズルは顏が赤くなる前に思考を強引に断ち切った。
「シズル。何で弥那の疑問に答えてあげなかったの?」
「それは……」
言葉を紡ぎかけて、慌てて口を閉じる。ノルイは咎めるような視線でシズルを射抜いた。
シズルは寝返りを打ってノルイの視線から逃げ出した。
「……言わなくても、俺が弥那の事を好きだって向こうも分かってるだろ」
「それでも、言葉にして欲しいんだよ。たぶんだけど」
「……」
シズルはしばらく黙り込んだがぽつり、ぽつりと口を開いた。
「……。弥那はさ、性格がちょっと……、アレだろ?」
「同意するのは失礼な気がするけど、そうだね」
ノルイは苦笑いを浮かべている。
「昔はもっと落ち着いた性格だったんだ。恥ずかしがり屋で、お淑やかで、からかうと可愛い反応をして、笑った顔は可愛くて、困った顔も可愛くて――」
「惚気を続けるならボクは寝るよ?」
ノルイは砂糖でも吐きそうな顔で言った。しかし、違和感もあった。シズルの語る弥那の性格は今とは違いすぎた。
シズルは昔の弥那の性格を思い出して、胸が痛くなった。
「国に瘴気が満ちて起こった異変は、魔物の発生だけじゃない。瘴気が一部の人間に影響を及ぼしたんだ。弥那もその一人だ」
「……」
ノルイは思わず息を飲んだ。そんな話は聞いたことが無かったからだ。
「今の弥那は理性が壊れた状態らしい。昔は恥ずかしくて口にできなかった事や、常識的に考えて黙るべき事も簡単に口にしてしまう。……そりゃあ、弥那から好きだって言われた時は嬉しかったさ。片思いじゃなかったんだって、舞い上がったさ。でも、違うだろ。そんな風に心の内を暴いていい訳が無いじゃないか……。好きだって気持ちは、俺か弥那が勇気を出して口にしなきゃいけなかった。まともな判断が出来ない今の弥那の言葉を受け入れて手を出すなんて、弥那に対する裏切りだ……」
「……」
シズルは堰を切ったように話し始めた。ノルイは黙って彼の話を聞いていた。そして、最後に一言「そっか」と呟いた。
ノルイは聞きたい事は聞けたと言いたげに、いそいそと自分の寝床に戻っていった。ノルイは一瞬、チラリとシズルに視線を向けた。
「シズルを責める気は無くなっちゃったけど……。弥那は傷ついていると思うよ?」
ノルイの言葉がシズルの胸にぐさりと刺さった。言い返す気力もなかった。
「どうしろって言うんだよ……」
罪悪感がぐるぐると頭の中を駆け巡る。
シズルはぼんやりと窓の外を眺めた。窓からは明るい月が見えていた。やはり、この塔はおかしかった。
「絶対、元に戻してやるからな……」
シズルは弥那の故郷で誓った事をもう一度口にする。
今夜は眠れそうになかった。
――
――――
「うぅ……。何でシズくんにあんな事を……。短小って言った事を気にしていたらどうしましょう」
シズルとノルイが話しをしている頃、弥那は毛布に包まって、シズルと喧嘩した事を後悔していた。もしも大きさがコンプレックスだったら、本当にひどい事を言ったと思った。
「弥那さん、少しお姉ちゃんとお話しませんか?」
「……」
弥那は若干の敵意を乗せてシアを見つめた。
シアはそんな視線を軽く受け流し、いつの間にか弥那の包まる毛布の中に侵入していた。弥那は話しかけられるまですぐ近くにいる事に気が付かなかった。
「お布団に忍び込むのは得意ですので」
しれっと言って弥那の毛布を抱き枕代わりにするシア。弥那はじっとりとした目でシアを見つめていた。
「何の用ですか。負け犬の弥那を笑いに来たんですか?」
「弥那さんは勘違いをしています。わたしは決してシズルには手を出していません。わたしがシズルの両親の所へ弟子入りした時、シズルはまだおねしょも治っていない子供でした。流石のわたしも恋愛対象には見られませんよ」
実際にはばっちり守備範囲ではあったが、堂々と嘘を吐いた。幸運な事に、弥那は彼女の嘘を見破れなかった。
「でもシズくんがどう思っているかは分からないじゃないですか」
「分かりますよ。シズルがわたしを恋愛対象に見る事はありません。絶対に」
シアはきっぱりと言い切った。多くの男性を見てきた経験からくる確信だった。
「……」
「……シズルの気持ちはともかくとして、わたしと関係を持ったことが無いのは確かですね」
人の気持ちが分かるはずがない。弥那がそう思っているような目をしていたので、シアは事実のみを淡々と伝えた。
自分好みに育てて、後で食べようと考えていた事は言わなかった。
弥那はじっとシアの目を見つめていた。そして、ゆっくりと息を吐いた。
「それでも……、弥那はシアに嫉妬してしまいます……。弥那は小さい頃のシズくんを見た事がありませんから」
「わたしも、大きくなったシズルが何をしていたのか知りません。おあいこですね。さらに言うのなら、浮気をするような人間にシズルを育てた覚えはありません」
思い出すのは男遊びに失敗して修羅場になった時の記憶だ。修羅場に巻き込まれてひどい目にあったシズルは、浮気の怖さを十分に知っているのである。
シアがくすくすと笑うが、弥那は胡散臭げにシアを見つめていた。
シアだけが楽しそうな会話は調査結果を纏め終えたセリがやって来るまで続いた。
時刻は既に丑三つ時を過ぎている。流石に眠くなってきた弥那は、毛布に包まって目を瞑った。
弥那は最後まで不機嫌そうではあったが、いつの間にか不安は和らいでいた。少しでも愚痴を吐き出したからかもしれない。
彼女の寝顔は、少し安堵しているようにも見えた。シアは優しく彼女を抱きしめて、彼女を守るように眠りについた。