潜伏
動機以外の答え合わせです。
血肉を啜る咀嚼音と、けたたましい鳴き声。それらの声が、この場所の支配者が誰なのかを明確に主張していた。
しかし、とうの昔に人間の手を離れてしまった死体安置所に、五つの足音が近づいていた。その場所の支配者――死喰い鳥たちは一斉に侵入者たちを見つめた。
大抵の生き物はそれだけで逃げ出すような眼光と威圧感だった。
しかし、五人の侵入者は死喰い鳥の視線を無視して足を進めている。
普段なら、侵入者を追い払うために一斉に襲い掛かる場面だろう。しかし、死喰い鳥たちはその場から離れた
五人の中に一人、生き物たちの天敵――魔物が混ざっていたからだ。死喰い鳥たちはそれを敏感に感じ取っていた。
死喰い鳥が去った広間には、多くの柩と無残に食い荒らされた遺体が残されていた。
人間たちはそれを無表情で見つめている。その光景を恐れて顔色を変えたのは、皮肉にも死喰い鳥たちが警戒している人外の少女だけであった。
「……俺たち探索者が全員纏まっている時点で分かっていると思うが、あんたの企みは失敗に終わったぞ。姿を現したらどうだ?」
死喰い鳥たちが遠巻きに見つめる広間の中に少年の声が響き渡った。
待つ事数十秒。何も起こる気配はない。
少年は静かにため息を吐くと、隣に佇む少女に目を向けた。少女は頷くと、手のひらに魔力を集中させる。大規模な攻撃魔法の準備を始めたのだ。
そして――
「……それを使う必要はない。全く、忌々しい蛮族どもめ。同胞の亡骸を薙ぎ払おうとは、何を考えているのだ」
遺体の中から、一人の少女がゆっくりと立ち上がるのを、五人は見た。
彼女の衣服は死喰い鳥に食い荒らされた過程でボロボロになっている。衣服の下の肌から覗く傷口からはおびただしい量の血が流れており、内臓までも覗いている。生きているのが不思議なあり様だった。しかし、ボロボロのフードの下には、生命力に溢れた鋭い眼光が灯っている。
彼女が五人を忌々しく思っているのはすぐに見て取れた。
誰かが息を飲んだ音がした。当然だ。回復魔法を用意してあるとはいえ、身を隠すために自ら死喰い鳥に喰われ、遺体の中に紛れ込むなど、よっぽどの覚悟と狂気が無ければ不可能だろう。
しかし、対峙するシズルは軽く肩を竦めて苦笑した。
「蛮族っていうのは否定できないな。俺たちは、あんたの想定以上に醜い争いを繰り広げていたんだろう? 違うか?」
「……」
フードの少女は何も言わなかった。しかし、シズルはその沈黙こそが肯定だと受け取った。
シズルは一つ頷き、続きを語ろうとしたところで甲高い声が響いた。
「シズくん! なんであの女と分かり合っているように話しているんですか! 不愉快です! それに、あなたもいつまでそんなボロボロの服を着ているんですか! ボロボロです! いろいろと見えてます! シズくんを誘惑するつもりですか!? 早く服を着てください! 代わりに弥那が脱ぎます!」
「おいやめろ! 俺は弥那が露出狂になるところなんか見たくない!」
ふんぬっと乙女らしくない声を上げながら着物を脱ごうとする弥那を止めようと、シズルは叫んだ。それをフードの少女は呆れた顔で眺めていた。
「気の抜ける連中だ」
「お恥ずかしい限りだ……。だが、これから話し合いをするのに、ピリピリしていても仕方がないだろう?」
「僕たちまでそのくくりに入れられたくないんだけどね……」
シズルはグートのボヤキを無視した。
フードの少女は不快そうに眉を上げてシズルを睨み付けた。しかし、シズルにはそれが虚勢にしか見えなかった。
シズルは自信満々に微笑んだ。弥那がジト目になって腕に抱き着くが、今はそれを気にしている時ではなかった。たとえ、肩が外れそうな力で抱きしめられていてもだ。
「話し合いだと? 私と貴様らに和解の芽は無い。今すぐにこの塔を去れ」
「いや、この塔で起こった事件の概要を考えれば、話し合いで解決できると俺は考えている。そもそも、話し合いをするつもりが無いなら、あんたの居場所が分かった時点で、警告なしの攻撃をしているさ」
そのシズルの指摘に、フードの少女はくすくすと笑い、そして不愉快そうに吐き捨てた。
「貴様がいきなり攻撃を仕掛けなかったのは、保身のためだろうが。万が一にでも私が死ねば、貴様は貴様の潔白を証明できない。貴様は、私という犯人がいるという証明ができなくなる」
「……確かにそれもあるが、和解の余地があると踏んだからという理由も本当だ。現に今、話し合いができている。出会い頭に殺し合いにならなかった以上、歩み寄りはできると思っているんだが?」
「……ちっ、詳しく話せ。そう考えた経緯を。納得したら話し合いに応じてやる」
フードの少女の苦々しそうな催促に、シズルは頷いて話し始めた。この事件の真相を。
――
――――
「セリさんの遺体が見つかった時、皆が俺を疑いはじめた。セリさんの遺体には、俺の鎖の魔法で付けられたとしか思えない傷跡が残っていたんだから当然の事だと思う。でも、その考えは間違いだとすぐに分かったよ。何故なら、俺はセリさんを殺していないからだ」
状況証拠は明確にシズルが犯人だと示していた。しかし、シズルは自分が犯人ではないと知っている。シズルだけが、自分が犯人ではないという確信をもって犯人を捜すことが出来たのだ。
「鎖の魔法を使えるのは俺の一族だけだ。その上で、俺たち一族の事を良く知るシアが、傷口を鎖の魔法によるものだと断言した。しかも、魔法で傷口の形を偽装した痕跡はなく、シアだけじゃなく、グートさんまでもが偽装の痕跡がないと言っている。……俺以外に鎖の魔法を使える人間がこの塔の中にいる可能性はごくわずかだ。じゃあ、犯人はどうやってセリさんの遺体を鎖の魔法で攻撃したように偽装したのか?」
シズルが色々考えた結果、結局、何もいい案が思い浮かばなかった。実際の鎖を使って殺す? シズルの鎖と同じ大きさの物を都合よく持っているのだろうか? それとも本当にシズルの一族が塔を訪れていた? もしくは未知の魔法?
可能性はゼロではない。しかし、それらの手段が使われたと示す形跡はない。合理的な説明ができない。よって、シズルを犯人だと思っているグートたちを止める手段にはなり得なかった。
「いろいろ仮説はあったが、物的証拠は何も無いからな。証拠もなく確率も低い仮説を採用するのは、最後の最後でいい。じゃあ、手持ちの情報だけで納得のいく説明をしようとすると――俺がやったとしか考えられない」
シズルの意見を聞いたフードの少女は険しい顔つきでシズルを睨んでいた。
シズルは苦笑する。グートたちに説明した時も、困惑されたからだ。
「しかし、それだとおかしなことになる。俺は自分がセリさんを鎖で刺した覚えは無いからな。じゃあ、なぜセリさんは鎖に貫かれて死んでいたのか? それは、セリさんは魔物の腹の中にいたからだ」
「……」
フードの少女は黙りこくっている。その表情からは、シズルの推理を受け入れているのか、それとも間違っていると思っているのかは読めなかった。しかし、シズルは自分の推理が当たっていると信じて話すしかない。
「魔物は死ねば瘴気に戻る。その時、腹の中の物はその場に残る。つまり、俺は腹の中にいたセリさんごと魔物を鎖で貫いてしまった。だから、セリさんの体には鎖による傷が大量に残っていたんだ」
「その推測は成り立たない。貴様らは魔物の死体が瘴気に戻るのを何度も見ているのだろう? 瘴気に戻る前にその場を離れる事もあるだろうが、セリとやらの死体を喰った魔物が瘴気に戻る前に限ってその場を離れる。そんな都合のいい事が起こるものか?」
「起こるさ。倒した後、その場を離れなければならない魔物が一体だけいた。毒蛙だ」
魔物化した弥那に匹敵する強さを誇った毒蛙は、絶命する時に大量の瘴気を吹き出した。その後、施設は高濃度の瘴気に覆われて視界を塞がれている。つまり、シズルたちには毒蛙の腹の中を確認する術は無かったのだ。
「毒蛙が仕留められた後、魔物を操ってセリの遺体を回収すればいい。しかし、それだとおかしなことになる。その時、俺たちと一緒に行動していた”セリさん”はいったい誰だったんだろうな? それは、魔法で顔を変えたあんただよ」
「……」
フードの少女は黙りこくっている。しかし、それが真相を語っているようでもあった。
シズルは一息つくように深呼吸した。
「では、いつセリさんと入れ替わったのか? アーロインさんが殺されてからは、全員の警戒心は強くなっていたと思う。そんな中でセリさんを攫って入れ替わるのは難しいはずだ。それに、姿は魔法で変えられるが、言動まで真似するのは難しいと思う。つまり、あんたは初めから、セリと名乗って俺たちの中に紛れ込んでいたんだ」
フードの少女は、鋭い犬歯を覗かせて嗜虐的な笑みを浮かべた。
「それはどうだろうな? 初対面の私がセリとやらを演じられるとは思えんが?」
「いや、完璧にセリさんを演じなくてもよかったんだ。グートとノルイにシア、そしてアーロインとあんたはこの塔を集合場所にしたと聞いた。全員で塔に来なかったのは、瘴気に対処できるか試験も兼ねていたらしい。つまり、塔に辿り着くまでは、仕事を依頼する際に一度会った程度か、そもそも面識がなかった可能性までありうる。それならば、多少、ボロを出しても問題はない」
「そうだね。少なくとも僕は、ここに来るまでセリさんとアーロインさんと面識はなかったね」
グートの捕捉に、ノルイとシアも頷いた。
それを確認して、シズルは話を先に進めた。
「犯人がセリさんに化けていたんだとしたら、アーロインさんが痕跡を残さずに部屋から消えた方法にも見当はついた。彼は魔物だったんだ。あんたが生み出して、操っていた魔物だよ。資料を取りに部屋に戻った後、瘴気に戻して消滅させたんだ。多少は痕跡が残ったみたいだがな」
部屋の入り口が濡れていたのは、消えるときにアーロインが飲んでいた水がぶちまけられたからだ。部屋に埃が溜まったままだったのは、魔物の寝床の掃除は必要ないとフードの少女が考えたからだ。
シズルは安堵したように一つ息を吐いて、話を切り替えた。
「……生きた人間が死体安置所にいると弥那が言った時は耳を疑ったよ。ここの柩に納められていたのは間違いなく遺体だったはずだ。だったら、その人物は、死喰い鳥に喰われている遺体に紛れている。回復魔法があるとはいえ、よくもまぁこんな事ができたものだ。そして、遺体に回復魔法といえば、シアがアーロインの遺体がおかしいと言っていたのを思い出したんだ。アーロインの遺体には犯人と争った跡がなかった。だから、殺してから、死因を誤魔化すために回復魔法をかけたんじゃないのかと疑っていたんだ。それを思い出して、事前に用意した死体を使っている事に思い至った」
「つまり! シズくんが答えに辿り着けたのは、弥那の情報のおかげです! 愛の力です! 愛の!」
「いえ。シズルが答えに辿り着けたのは、お姉ちゃんの考察があったからだと思います」
「そんな事ないです! 弥那の、弥那とシズくんの愛の結晶なんです!」
弥那はぐるると唸りながらシズルの腕に抱き着き、シアを威嚇し始めた。シアは挑発するようにシズルの腕を取ってニヤニヤと笑っている。
シズルは、二人をそっと振り払って話を続けた。
「話を纏めるとしよう。あんたは前回の調査隊を退けた。その時の戦いの様子は分からない。だが、彼らはよほど嫌われたようだな。欠損を棺の回復魔法で治され続けて、ずっと死喰い鳥の餌にされ続けているんだからな。……さて、あんたは次の調査隊が来ることを何らかの手段で知った。逃げ延びた調査隊に監視を付けたのかもしれないし、軍の中にスパイがいるのかもしれない。そして、あんたは次の襲撃を退けるための策を用意した。それが、アーロインさんとセリさんの遺体を使った今回の事件だ」
「……」
「あんたはアーロインにそっくりな魔物を生み出し、自分の顔を魔法でセリの物に変えた。遺体から魔法の気配がするのはおかしいが、生きた人間から魔法の気配がするのは何もおかしくないから大丈夫だと踏んだんだろう。現に、あんたはずっと魔物を使役する魔法を隠れ蓑に使っていた」
遺体に偽装が無いか。魔法陣が使われた痕跡が無いか。事件の調査のたびにシアが調べていた。その際、自分の体から魔法の気配がしてもおかしくないように、魔物を使役する魔法を使用していた。
「さて、あんたは塔を訪れたシアたちと合流した。そして、あんたが期を待っている間に俺たちが一緒になった。その後、密室から魔物のアーロインを消滅させ、事前に用意していた本物のアーロインの遺体を発見させた。……アーロインの遺体は、おそらく遺体発見の前日の夜にここから運び出したんだろう。あの日、あんたとアーロインは調査結果を纏めるために部屋に籠っていたし、以前から、集中すると梃子でも動かなくなるとグートたちに刷り込んでいたみたいだからな」
これならば、アーロインの遺体に抵抗した跡が無いのも頷ける。初めから彼は生きてはいなかったのだから。
「次に、第二階層での事件だ。施設内を探索していた時、俺たちは鍵を探していたが、鍵を探すことには意味がなかったんだと思う。ここにある柩を調べればわかるが、鍵をかける魔法があるみたいだ。おそらく、あの施設には物理的な鍵は掛かっていなかったんだろう。代わりに、魔法の鍵で施錠しておいた。術者のあんたなら鍵なしで扉を開ける事もできたんだろう」
資料室に入った結果、シズルと弥那は死にかけている。それは、彼女の仕掛けた罠の一つだった。シズルが障壁の解除条件を見つけられなかった場合、あそこで二人は脱落していた。
「後はさっきの推理通りだな。毒蛙の腹に本物のセリさんの遺体を隠しておき、俺たちに討伐させる。討伐される直前、毒蛙は大量の瘴気を放出して目くらましを作り出した。後は瘴気の中を移動している際に抜け出して、傷ついたセリさんの遺体を回収し、警告文を用意してから死体安置所に撤退したんだ。これが今回の事件の全貌だ」




