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選択肢の放棄

「頭が痛い……」


 死体安置所(モルグ)で一夜を明かしたシズルは、目元を擦りながら起き上がり、頭を振って眠気を払った。

 シズルの顔には深いクマと隠しきれない疲労の後が刻まれ、十分な休息が取れなかった事が見て取れた。

 犯人やグートたち一行を警戒するために深い眠りにつく事ができず、周りには死喰い鳥がいる。常に警戒を強いられる環境が精神を削り、鳥避けの瘴気が体力を奪い去る。


「今日はどうするべきか……」


 シズルは、頭を抑えて首を捻った。

 犯人の潜んでいそうな場所にはもう心当たりがない。第二階層をしらみつぶしに探すくらいしか、シズルには思いつかなかった。

 魔物や死喰い鳥へ注意を払い、グートたちに注意を払いながら犯人を捜索する。その全てを一人でやらなければならないのがシズルの辛い所だった。

 そして、時間もあまり残されてはいない。シズルたちが調査のために張った結界が解かれてしまえば犯人は逃走し、もう見つける事は叶わないだろう。そうなれば、自分の無罪を晴らす機会は二度と訪れないだろう。


「そうか。結界か……」


 犯人の心理としては、一刻も早く犯行現場から離れたいだろう。つまり、犯人が潜伏するならば、結界内部の端にするのではないか。

 物的な証拠はないが、なかなかに理にかなった推測だとシズルは思った。裏をかいて結界の中央付近に居座られているとどうしようもないが、しらみつぶしに探すのは不可能なのは事実だ。少しでも方針が欲しかった。


「弥那……」


 ここにはいない少女を想ってシズルは息を吐く。しかし、今は彼女の無事を信じるしかない。シズルは頭を振って弥那の事を一度頭から追い出した。

 シズルはもう一度、死体安置所を捜索して生きた人間がいない事を確かめた。死体安置所も結界の端にあるためだ。そして、やはり誰もいない事を確かめると、死体安置所を後にした。




 ――

 ――――


「それじゃあ、行こうか」

「行ってらっしゃい。わたしはここで調べ物をしていますので」


 グートは、そわそわとしたシアの上の空な言葉に苦笑した。

 シアは瘴気についての研究資料を読むことに気を取られていて、シズルの捜索にはあまり関心はないらしい。

 そう判断したグートは、ぐったりとした弥那に一つ目を向けてから真面目な表情でシアに向き直った。


「瘴気について調べるのは必要な事だけどね。十分に注意してほしい。シズルが弥那を奪い返しに来る可能性もあるからね」

「大丈夫ですよ。わたしは本気で警戒していますから」


 シアは蠱惑的に笑うと、動かない弥那にチラリと目をやった。

 シアはもう弥那を人質にする事をためらわないだろうと感じたグートは、短剣を弄んでいたノルイに目を向けた。


「準備はできているかい?」

「うん。うん。いつでもおっけーだよ。むしろちょっと退屈していたくらい」


 ノルイは快活に笑って短剣をくるくると回した。その笑いは、虫を弄ぶ子供のようだとグートは思った。

 次は殺しても仕方がないという心構えでシズルに挑むと決めているグートだが、ノルイが積極的にシズルを殺そうとしないか若干不安に思った。

 しかし、ノルイを捜索から外す事はできない。結界が解けてしまえばシズルを捕らえる機会が失われてしまう。時間との勝負だ。

 そんな状況で、理不尽ともいえる勘の良さを発揮するノルイを捜索から外すのは非合理的だろう。勘に頼るのが合理的だとは言えないかもしれないが。


 グートとノルイは、死体安置所に向けて移動を開始した。

 その動きは迅速だった。こうしている間にもシズルが死体安置所から離れてしまう可能性があったからだ。

 だからこそ、二人は気付かなかった。ぐったりとしていた弥那の指が、ピクリと動いたことに。




 ――

 ――――


 シズルは死体安置所を後にし、警戒しながら森の中を歩いていた。

 犯人に繋がる手掛かりは無いか、グートたちがいた痕跡は無いか、魔物はいないか。シズルは、気の休まらない探索を強いられていた。

 そして、結界の端にある居住区らしき場所に辿り着いた。


「ここに潜んでいる可能性はあるか……?」


 森の中に潜伏するよりも、居住区に潜伏した方が体は休まる。しかし、発見されやすくなるデメリットもある気がする。つまり、居るか居ないかは分からない。

 しかし、シズルにはこの居住区を探索する必要があった。


「調査隊がいた跡でも残っているといいんだが……」


 シズルたちの前に塔を訪れた調査隊は、塔のいたる所に点在する居住区を拠点にしていた可能性が高い。そして、彼らを退けた犯人の痕跡が残っているかもしれない。あわよくば、食料になりそうな物が残っていないかと考えるシズルであった。


 いくつかの民家にお邪魔して痕跡を探すが、それらしきモノは見つからない。しかし――


「足跡……?」


 最近のモノと思われる足跡が、埃っぽい床に残っていた。

 それに気が付いた瞬間、シズルは体を強張らせて、懐から瘴気の結晶を取り出そうとした。しかし、それを咎める声が響いた。


「同じ手がそう何度も効くと思われているのなら、騎士としては少々心外だね」


 物陰からの一閃。

 シズルは反射的に鎖を展開して体に巻き付けた。鎖の上から斬撃を食らい、瘴気の結晶を地面に落としてしまう。その瞬間、瘴気が爆発的に広がった。

 鎖で守ったとはいえ、完全には防ぎきれない。ざっくりと割かれた腕からは血がどくどくと流れ出し、瘴気が傷口に染みる。続いて、視界を失ったところに蹴りを貰って、住居の外に叩き出された。


「ぐ、グートぉ……!」


 腹部を押さえて蹲るシズルの前に、瘴気の中から悠々と現れるグート。

 シズルは、グートを睨み付けながらよろよろと立ち上がった。この広い結界の中で、どうしてこう何度も追手に遭遇するのか。本命(犯人)には遭遇できないというのに。

 シズルはこの理不尽に舌打ちしたくなった。けれども、悪態を付いたところで目の前の現実は変わらない。


「戦う前に一つ言っておくよ。今回は手加減しない。大人しく捕まってくれないかい?」

「戦う前にお話とは随分と余裕だな……っ!」

「いやいや、余裕が無いからこそ、こうして話し合いで終わらせたいんだけどね」

「はっ! 身に覚えのない罪について自白しろと? 無抵抗でやられるのはごめんだ!」


 シズルが足を地面に叩きつけると、それに呼応するように鎖がグートを襲う。

 グートはそれを切り払いながらシズルに突撃した。グートに接近されたくないシズルは、さらに鎖を足して迎撃する。

 しかし、その程度ではグートは止まらない。

 シズルは仕方なく、腕に巻いた鎖を鞭のように叩きつける。空間を占める鎖の密度が増したことで、グートは鎖を躱しきれなくなった。剣の腹で鎖を防いで後ろに飛んだ。


「んー。やっぱり、つらいね。何がつらいって、近づけば近づくほどに鎖が増えるのが本当につらい」

「それはそうだ! 弱点を突かれないようにするのは当たり前の事だろう!?」

「それもそうだね。……そして、弱点を突くのも当たり前の事だよ。相手よりも強いなら、奇策よりも正攻法だ有効だ。魔法使いには近接戦を挑もうか」

「ほざけ!」


 再び突撃を開始するグートに対して、シズルは鎖を放って攻撃した。

 グートは鎖を剣で払って対処する。そして、弾かれた鎖が別の鎖(・・・)を巻き込んだ。


「なぁっ……っ!?」


 絡まった鎖のうち一本を消去してすぐに立て直す。しかし、グートの姿は既にそこになかった。

 グートの姿を見失ったシズルは手当たり次第に周囲を攻撃したが、手ごたえはない。


「攻撃の密度が増したね。確かに場所が分からない相手を攻撃する手段としては有効だろう。でも、攻撃を避ける事ができる相手には悪手だよ。身を隠す場所を増やすだけでしかないからね」

「……ッ!」


 いつの間にか、グートがシズルのすぐ正面に現れた。

 シズルは剣の間合いに入られないように咄嗟に鎖を集中させるが――


「あぐっ……!」


 痛みを感じたのは背中だった。

 姿を見せないノルイが放った遠距離からの斬撃だ。


「何が近接戦を挑むだ。この嘘つきめ……!」

「はは! 僕にばかり気を取られている君が悪いと思うんだけどね!」


 痛みで完成度が下がった鎖の魔法を弾き、グートが笑いながら躍り出た。

 そしてついに剣の間合いにシズルが入った。


「はぁ!」

「ぐっ……!」


 ぞわりとシズルの背筋に冷たいものが走り、咄嗟に腕で体を庇った。

 そして、ざっくりと腕が切り裂かれて血が飛び散った。

 シズルはそこで状況の悪さにようやく気が付いた。もしもシズルが剣を防いでいなければ、体が真っ二つになっていただろう。


「マジかよ……ッ!」

「マジだよ」


 冷や汗を浮かべながら応戦するシズルに対して、グートは微笑みながら剣を振るった。剣筋は容赦なく首筋を狙って来ていた。

 手加減を無くした近接職に対して、魔法使いが真正面から近接戦を挑むのも馬鹿馬鹿しい。

 シズルは結晶を取り出そうとポーチに手を入れようとしたが、その前に腕に衝撃が走った。またしても、ノルイの遠距離からの斬撃だ。


「……ッ!」

「煙幕はもう使わせないよ」


 グートの無慈悲な一撃が振るわれる。

 シズルは奥歯を噛み締めると、口の中に仕込んでいた(・・・・・・・・・・)結晶を噛み砕いた。

 瘴気が爆発的な速度で広がり、グートの剣が空を切る。


「くっ……」


 前触れもなく視界を奪われたグートは瘴気の中で立ち尽くした。その間に、シズルは建物の外に飛び出した。

 そこへ狙いすましたようにノルイの斬撃が飛んでくる。シズルは広い通路を避けて、狭い路地に逃げ込んだ。


「はぁ、はぁ……」


 人の手が入っていない寂れた廃墟を、一人の少年――シズルが駆けていた。

 肩で息をし、腕からは血を流して、誰が見ても満身創痍の状態であろう。

 いつ倒れてもおかしくない傷であるが、シズルの目にはギラギラとした輝きが灯っていた。

 大通りに飛び出す前に一旦動きを止める。

 物陰に隠れて、周囲を警戒するようにギョロリと目を動かした。どんな小さな異常も見逃さないという覚悟を感じさせる動きだ。

 そして、安全を確認した所で、心臓が落ち着くのも待たずに飛び出した。


 瞬間、シズルの首に衝撃が走って吹っ飛んだ。


 シズルはゴロゴロと地面を転がり、咄嗟に受け身を取って身構える。

 視線の先には、先ほど不意打ちを決めた、青年――グートが立っていた


「うん? 凄いな。仕留めたと思ったが」

「あんたのやり口はもう何回も見たからな……っ!」

「それもそうだね。同じ手ばかりで進歩が無いのは、騎士として良くない事だ。うん」


 グートはにへらと笑った。獲物が安全を確信した瞬間の気の緩み。その一瞬の隙をついた不意打ちが彼の十八番である。

 それさえ知っていれば、攻撃のタイミングは読みやすい。あとは、魔法で急所を重点的に守ればいい。


「待って待って! まだ殺しちゃダメだって!」


 横から、慌てた様子の声が聞こえた。

 チラリと目を向けると、中性的な剣士――ノルイが駆けよってくる。手には短剣。それが血と魔力を吸う危険な魔剣だとシズルは知っている。


「ごめん、ごめん。生け捕りにするのは苦手でね」

「気を付けてよ、もうっ! 聞きたいことが山ほどあるんだから!」


 ぷりぷり怒るノルイと、罰が悪そうに頭を掻くグートを警戒しながらじりじりと後退する。けれども、二人はシズルを逃がすつもりはないようだ。

 ノルイが、猫のように嗜虐心溢れる目でシズルを見据えた。


「逃げちゃダメだよ。仲間殺しの裏切り者」

「……俺は誰も殺してない」


 シズルは犯行を否定する。

 けれども、二人が信じる事は無い。シズルを犯人だと信じているからだ。

 それも仕方ない事だ。被害者はシズルにしか使えない武器で殺されていたのだから。


「くそっ……」


 シズルは苦虫を嚙み潰したような顔で二人と対峙する。

 真犯人の目星は、まだつかない。逃げる算段もつかない。


 シズルは天を仰いで深々とため息を吐いた。


 シズルは、もう二人からは逃げられないと諦めた。

 単純な事だったのだ。

 二人が邪魔をするなら、先に二人を倒してしまえばいい。

 その後にゆっくりと、真犯人を探せばいいだけなのだから。


 シズルは戦う覚悟を決めた。


昨日は寝落ちしました。

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