死体安置所
「ここか……」
傷を負ったシズルが向かったのは、生前のセリが注意を促した死体安置所であった。
耳を突く気味の悪い鳴き声が薄暗い森に響く。死喰い鳥の鳴き声だ。
死喰い鳥という動物が巣食う場所に入って無事では済まない。言い換えれば、わざわざ人を探しにこの場所を訪れる者はいないという事である。
シズルは死体安置所に侵入する前に、怪我を治療する事にする。
しかし、それはすぐに頓挫した。
「……血が止まらない」
普段よりも止血の効果が薄いように感じた。ノルイの短剣には血が止まりにくくなる効果があるようだった。
「……時間が少ないな」
出来るだけの止血を済ませ、指に支えを当てて固定した。
続いて死喰い鳥を避けるための準備を整える。
弥那の瘴気を服に染み込ませて鳥よけとした。念のために解毒剤を口にしておいた。
出血と骨折、毒による体力の消耗と悪い条件ばかりが揃っている。
シズルは、この場所に真犯人がいる事を祈って死体安置所に足を踏み入れた。
動物の独特の臭いが、この先が人間の領域ではない事を伝えてくる。
しかし、それでもシズルは先に足を踏み入れた。
奥に進むにつれて、真っ黒な体躯の鳥が通路に現れる。シズルはできるだけ目を合わせないようにし、誤って蹴りつけないように注意しながら先に進む。
通路には廃墟らしく植物が侵入してきている。注意深く地面を確認しても、建物に亀裂は見られない。動物の糞尿を糧に成長しているようだ。
さらに奥に進むにつれて、死喰い鳥の数が増えてくる。死喰い鳥はシズルに視線を向けるが、襲ってはこない。
獲物を横取りしようとしたり、危害を加えたりしないと襲ってこない死喰い鳥ではあるが、縄張りを侵されれば襲ってくる。ここまで侵入してまだ襲ってこないのは服の瘴気のおかげだろう。
シズルは、死喰い鳥を刺激しないように注意しながら先へと進む。
「……ここは」
冥府への入り口を彷彿とさせる暗い通路を抜けると、大きな広間に辿り着いた。
そこには多数の柩が安置されており、そのうちいくつかの周りには多数の死喰い鳥が集まっていた。
黒い嘴は真っ赤に染まり、今まさに獲物を捕食しているのが見て取れた。
シズルは死喰い鳥が群がっていない柩に近づいた。遺体の顔の位置であろう場所に取り付けられた窓を開けると、身だしなみを整えられた人間が納められている事が確認できた。
「……」
シズルはその人間に違和感を覚えた。
衣服の特徴が古風であり、柩の中身は大昔の住人であると分かる。しかし、腐敗は見られず、今にも目が覚めて動き出しそうだ。
この遺体が犯人である可能性を考えて柩を開けようとしたが、ピクリとも動かない。顔付近の窓には透明な素材が取り付けられていて、そこから中を調べる事もできない。
鍵らしきモノが無いか調べるが、それらしきモノは見つからなかった。
しかし、鍵を開けずとも、胸元に動きが無い事は見て取れ、呼吸が止まっていると確認できた。この柩の中身は生者ではありえない。
一度柩を開けるのを諦め、隣の柩に向かう。
隣の柩にも大昔の人間の遺体が納められていた。やはり、遺体に腐敗は見られない。
シズルは、柩に遺体の腐敗を抑える魔法が掛かっていると判断した。
「でも、何でここに死喰い鳥が住みついているんだ……?」
確かにここには遺体がある。しかし、おそらくは魔法による鍵が掛かっているため、死喰い鳥には柩を開ける事はできないはずである。
初めから柩が開いていたのならば、死肉はすぐに無くなってしまうはずだ。長期に渡って死喰い鳥が住みついている理由はないはずだった。
「……」
嫌な予感がしたシズルは、刺激しないようにゆっくりと死喰い鳥の群れに近づいた。
死喰い鳥に威嚇の声を上げられるたびに動きを止め、慎重に行動する。
そして、死喰い鳥の貪っている獲物を確認したシズルは息を飲んだ。
死喰い鳥が貪っていたのは人間だった。
しかし、ボロボロになった衣服は大昔のデザインではなく、現代のものだ。具体的に言えば、現代の軍服であった。
つまり、死喰い鳥に食われているのは、塔の調査に派遣された軍人である可能性が高い。
死喰い鳥は、遺体の腹を裂き、肋骨の隙間に嘴を突っ込んでは臓器を引きずり出し、取り合いをしていた。その諍いの中、別の死喰い鳥がまた別の臓器を引きずり出して別の宴を始めるのだ。
これだけでは、ただの自然界の食事風景である。不自然なのは、遺体の状態であった。
塔の調査に軍人が派遣されたのは、何か月も前のことである。このペースで食べ続ければ、既に骨だけになっているはずだ。
注意深く遺体を観察していると、死喰い鳥は、遺体から心臓を抜き出した。そして、しばらくして、もう一つの心臓を同じ遺体から抜き出していた。
「これは……」
シズルは呼吸を止める準備をすると、瘴気の結晶を取り出して破壊した。
溢れ出した瘴気を嫌った死喰い鳥は柩から離れていく。それを確認して、シズルは折れた指を柩に入れた。しばらく待ってから支えを外すと、動かなかった指が動くようになっていた。
何度か動かして具合を確かめる。さらに柩に近づくと、肩の刺し傷の痛みもすぐに引いていく。
随分動きやすくなったシズルは、柩の状態を確かめた。柩には鍵や接合の後はなく、柩を封じているのは、やはり魔法によるものだと考えられた。
シズルはゆっくりと瘴気を抜けて広間の壁側に腰かけた。念のために肩の傷口を確かめるが、後も残らずに消えていた。
活動可能な制限時間が伸びた事に安堵し、シズルはほっと息を吐いた。
そして、ここで得られた情報を整理する。
柩には納められた人体を修復する機能がある。
この場所の役割を考えると、遺体を保存するための機能であるのは明確だ。それが今は死喰い鳥の餌を調達するために使われている。
この死体安置所の柩には二種類の人間が納められている。
大昔にこの場所に住んでいた人たちと、この塔を調査しにきた軍人たちだ。前者の柩は魔法で閉じられているが、後者の柩は開かれ、死喰い鳥に食われ続けている。
無限に餌が湧き出るこの場所で死喰い鳥が繁殖するのは当然の事だった。そして、この状況を作った人物がいる。軍人だけが餌となっているのがその証拠だ。
柩に人体を修復する機能が付いているという事は、この場所に住んでいた人達には、遺体を破損する事を忌避する文化が根付いていたと考えられる。つまり、調査隊の遺体を損壊させた犯人は、侵入者に対して怒りや恨みの念を募らせていると考えられる。
「だが、なぜ死喰い鳥を育てるような真似を?」
シズルは死体安置所の様子を見渡した。死喰い鳥が我が物顔で闊歩し、死者の安息を祈るには不向きな場所になってしまっている。
柩を暴かれなければそれでいいと考えたのか、あるいは死喰い鳥は文化的に歓迎する存在だったのか。
「……いや、待て。おかしい。魔法で鍵をかけることが出来るなら、死喰い鳥を使って守りを固める必要はないはずだ」
柩は建物と同じで破壊不能だ。鍵も魔法で封じられるなら、警戒する必要はないはずだ。
そこまで考えて、シズルは自分の勘違いに気が付いた。
「……前提が間違っているのか」
柩や建物が破壊不能だというのは、現代の人間だけが持つ認識で、この建物を作り出した大昔の人たちにとっては、破壊可能だという認識なのかもしれない。もしくは、鍵を開ける専用の道具があり、それを奪われる事を危惧したのかもしれない。
「流石に、仮定に仮定を重ねすぎた気がするな……」
はっきりと分かるのは、柩には魔法で鍵が掛けられている事。柩の鍵を開けられる存在がいる事。塔への侵入者の遺体と柩の回復魔法を使い、死喰い鳥にこの場所を守らせている事。おそらくその人物こそが今回の事件の犯人か、それに近しい人物だという事だ。
シズルはこの場所の考察を打ち切り、死体安置所に訪れた当初の目的を果たすことにした。大昔の人間が納められた柩を一つ一つ確認していく。
結界の中という密室で犯人が犯行に及んだ理由は、シズルに罪を擦り付ける算段があり、シズルが始末されるまで逃げおおせる自信があったからだとシズルは考えた。
死喰い鳥という忌み嫌われる生き物が住みついている死体安置所は、隠れるにはうってつけの場所だろう。
そして、木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中だ。
シズルは遺体の顔付近に取り付けられた窓を開けて、一つ一つ遺体の状態を確認していった。
顔付近の窓に取り付けられた透明な素材に阻まれて直接調べる事はできないが、観察する事はできる。
呼吸はしていないか。柩に最近開けた痕跡はないか。シズルは一つ一つの柩を丁寧に確認していった。そして――
「くそっ、ハズレか……ッ!」
魔法で閉じられている柩の中には生きている人間はいなかった。最近開かれた痕跡も見つからない。
シズルの調査は振り出しに戻ってしまった。
――
――――
「あーもう! 信じらんない! あの状態から逃げおおせるだなんて……!」
「そうは言うけどね。分断された時点で僕たちの負けだったと思うよ」
日が落ちた事でグートとノルイは施設へと戻り、シアと弥那と合流していた。
とはいえ、シアは一人で資料を整理しており、弥那はぐったりとして動きを見せないのだが。
ノルイはぶーぶーと子供のように文句を言いながら、床をごろごろと転がっていた。服や髪が乱れるのには無関心のようだ。
グートは、いつも賑やかな弥那が虚ろな目で動かない事を訝しんでいた。グートたちが不在の間に逃亡しようとしたことでシアに心を折られたとは聞いたが、それでもあまりの変わりようにうすら寒いモノを感じていた。
(あまりシアを怒らせない方が良さそうだね)
グートはどこか他人事のように考えながら、ぼんやりと部屋を眺めて休息に入っていた。しかし、地面を転がりまわっていたノルイが突拍子もなくグートの顔を覗き込んだ。
休息の邪魔をされたグートは少し眉を顰めた。
「……どうしたんだい?」
「えっとねー。シズルの居場所に心当たりがあるのかなーって思ってさ。何の手掛かりも無いのは心に来るっていうかー。やる気が出ないってやつ?」
ノルイは唇に指を当てながら首を傾げた。
グートは子供を宥めるようにノルイの問いに答えた。
「今日はこれだけ探して見つからなかったんだ。普通の場所にはいないだろうね。であれば、普通じゃない場所にいる可能性が高いと僕は思っている。シズルが知っている普通じゃない場所といえば、――死体安置所だけだね」
「あー、なるほどね?」
「明日の朝早くに出ようと思う。だから、早く寝ておいた方がいいよ。シアはまだ寝るつもりがないようだからね」
ノルイは緊張感の欠片もない、大きな欠伸をするとグートから飛びのいて自分の毛布に潜り込んだ。そして、すぐに寝息を立てて眠り始めた。
どんな状態でも体を休められるのは戦士の資質だとグートは思っている。
グートは、ノルイを頼もしく思いつつ眠りについた。
見張りを分担できるグートたちと、常に周囲を警戒しなければならないシズル。その戦力の差は、時間と共に、確実に開いていった。




