勝利条件
「……」
施設を抜け出したシズルは森の中に潜み、グートたち一行の目を逃れていた。
一人になってからは魔物を以前以上に避けている。戦力が下がった事に加え、グートたちに見つかるような騒ぎを起こすべきではなかった。
しかし、その全てを避けられる訳ではない。
シズルは近くを通りかかった魔物を死角から鎖で貫いた。
口を鎖で塞いで声を封じ、他の魔物を呼び寄せない事に細心の注意を払っていた。同時に、グートたちに自分の居場所を隠す意味もある。
魔物が鎖から逃れようと暴れると、周囲に血が飛び散った。しかし、抵抗むなしく、やがて動きを止めた。
しばらくその場で待つと、魔物は瘴気となって霧散していく。
シズルは魔物の体のあった場所を凝視した。
魔物は瘴気になって消えるため、痕跡が残らない。しかし、直前に口にしただろう物を落とす事がある。ノルイの短剣が飲み込まれた時、倒した魔物の腹から、ノルイの魔剣が出てきたのをシズルは確認している。
森の中にふさわしくない物が落ちていれば、そこで魔物が倒されたと感付かれてしまう危険性があった。
「……何か落とした」
シズルは周囲を確認しつつ、魔物が落とした物を拾った。シズルの手には傷一つないリンゴが握られていた。
「食べられるかな……」
魔物はリンゴを噛まずに飲み込んだようだ。まじまじと観察してみるが、腹の中で溶けた様子もない。
付着していた体液は瘴気になって消えたため、毒性もないはずである。
魔物の腹から出てくるのを見ていなければ、即座にかぶりつきたくなるリンゴであった。
シズルは悩まし気に眉を顰めてうんうんと唸っていたが、覚悟を決めると、勢いよく齧りついた。
森の幸を採集すると、人のいた痕跡が残ってしまう。魔物の落とし物は今のシズルにとっては貴重なものなのだ。
口の中に、瑞々しい果汁が飛び散った。水分と糖分が疲れた体に染みわたる。
結局、一口食べてからは、魔物の体内から出てきた事も忘れて、一心不乱に貪り食った。
口の周りの果汁を指で拭い、シズルはほっと一息ついた。
今更ながらに、本当に毒が無かったか気になったが、体調に変化は現れない。
「瘴気の毒なら、大丈夫だろ……。解毒薬はまだ残っているし……」
シズルはそうやって自分を納得させて、僅かに残った不安を遠ざけた。
これからの方針で頭を満たして、果実についてはもう考えないようにした。
シズルの目標は弥那の体を治す事だ。
そのために必要不可欠なのは、弥那の救出である。
弥那さえ無事ならば、塔で手掛かりを見つけて弥那の体を治せるかもしれない。
「でも、それは難しい……」
アーロインとセリを殺した犯人は、塔の秘密を探られたくないらしい。犯人は確実に邪魔をしてくるだろう。さらに、シズルの事を犯人だと思い込んでいるグートたち一行も敵に回る。
犯人とグートたち一行から逃亡しつつ、調査を進めていく自信はシズルにはなかった。
「自分の無実を証明するしかない……」
シズルが調査を進めるためには、グートたち一行と再び合流するか、彼らを排除する必要がある。しかし、戦力差が開いており、弥那という人質を取られている現状、彼らを力ずくで排除するのは現実的ではない。
ならば、自分が犯人ではないと証明し、グートたち一行と合流する。それが、シズルにとってメリットが大きい方針だった。
シズルは森の中を移動しながら、事件について考えた。
誰が、どうやって、なぜ事件を起こしたのか。
事件を起こした理由は『塔の秘密を探られたくないため』だと予想はついた。しかし、万が一、別の動機だったとしてもシズルは構わなかった。
邪魔者を排除し、塔の秘密を暴く。そして、弥那の体を治療する。犯人がいくら邪魔をしようとも、犯人にどんな動機があろうとも、その方針は変わらない。
ゆえに、シズルが考えるべきは、『誰が、どうやって』事件を起こしたのか? という二点だ。
シズルが無実を証明するためには、この二点をグートたち一行に突き付ける必要がある。
何故ならば、シズルにも犯行が可能な状況でセリの事件が起きてしまったからだ。
犯人のトリックを暴き、傷口の謎を解き明かしても、犯人がそのトリックを使ったという物的証拠が出て来なければ、シズルは容疑者のままだ。
『誰が』だけではいけない。『どうやって』だけでもいけない。どちらか片方ではいけない。二つ揃っていなければ説得力を持たせられない。
「いや、犯人を捕らえるだけでいいのか……?」
そこまで考えて、シズルは自分の思考に疑問を挟んだ。
犯人扱いから、容疑者扱いになるだけでも、十分に動きやすくなる。
そもそも、犯人のトリックを暴ける保証はない。犯人が全く未知の魔法を使っていたならば、暴きようもないからだ。
トリックは犯人を捕らえた後に聞き出せばいい。それこそ、どんな事をしてでもだ。
「……空き地か」
考え事をしながら歩いていると、木々が少なくなっている空き地が現れた。
そこからは太陽が眩しく輝く空が良く見えた。相変わらず、塔の内部にいるとは思えない光景だった。
遺跡の調査のために張った結界が空を覆っている。それが、シズルを逃がさないための檻にも見えた。
「……行くか」
日向ぼっこをしたい欲求もあったが、目立つ場所にいては魔物や、グートたちに見つかる可能性が高くなる。
あまり長居するべきではない。
再び森の中に戻ろうとして――――シズルは眉を顰めた。
地面には僅かな足跡。踏まれて倒れた草。追跡を誤魔化すため、痕跡を極力残さないように動いたつもりだったが、完全には消しきれていない。
しかし、こんなにも多くの場所を踏んだだろうか?
ぞくりと、背筋に嫌な悪寒が走った。
咄嗟に振り向き、短剣を抜こうとした。しかし、腕に痺れが走り、短剣が地面に落ちる。腕を強打されたのだ。
さらに、間髪おかずに背中を蹴り飛ばされて、シズルは地面に転がった。
歯を食いしばって、咄嗟に影から鎖を伸ばしたが、即座に弾かれてあらぬ方向に吹き飛んだ。
「ぐっ……⁉」
「魔法以外も使うなんて、危ないじゃないかシズル」
「危なげなく避けといてよく言う……ッ!」
仰向けに倒れたシズルの前には、剣の切っ先を喉元に突き付けるグートの姿があった。
不意打ちに適した影がないか周りに視線を向けたが、何もない。
シズルとグートが今いる場所は森の中にできた空き地だった。鎖の奇襲に使えるような影はない。あまりにもグートに都合が良すぎている。
グートが、狙ってシズルをここまで蹴り飛ばしたのは明白であった。
「あー! ズルいズルい! グートだけ戦っちゃってさ。ボクもやりたかったのにー!」
「出てくるなと言っただろう、ノルイ……」
グートは頭が痛そうにため息を吐いた。
天真爛漫な笑みを浮かべたノルイが森から軽やかに飛び出した。そして、流れるように自然な動きで、短剣をシズルの肩に突き刺した。
「いッ……⁉」
「あははっ、いい声で鳴くね、シズル」
ノルイが短剣を捻る度に、神経が傷つき、シズルの体が痛みに跳ねた。暴れようとするシズルの腹を蹴りつけて、ノルイは愉快そうに嗤う。
「……殺さないでくれよ」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。多少やり過ぎても、施設に連れて行けば、シアが何とかしてくれるでしょ? だから、だいじょーぶ!」
「…………」
悪趣味なノルイに対してグートが苦言を呈したが、ノルイは無邪気に笑うだけだ。
グートはやはり頭痛を感じているようだった。しかし、ノルイの凶行を止める気は無いようだ。
「ねぇねぇ、どうやってアーロインを殺したの? どうして二人を殺したの? ねぇ、教えてよ、シズル」
「……ッ! 知るか……ッ! 俺はどちらも殺していないッ!」
ノルイは顏に飛び散った返り血を指で拭い、舐めとって笑った。と同時に、シズルの右手の人差し指を関節と逆方向に動かした。
「――――ッ⁉」
骨が砕ける痛みでシズルの目の前がスパークする。
シズルは何度も呼吸を繰り返しながら、痛みに耐えようと必死だった。
青い顔で脂汗を流しているシズルを、ノルイは嘲笑うように見下ろした。
「ねぇ、シズル。シアの所に戻るまで、あと十九回は遊べるよ? 早く質問に答えた方がいいと思うんだけどなぁ。まぁ、ボクとしては、耐えてくれた方が楽しめて嬉しいんだけど?」
「……シアと弥那を置いてきたのか」
「うん。弥那を押さえたまま移動するのは、シアでも難しそうだったから」
「馬鹿が! シアは弥那を押さえるのに手一杯だ! 犯人が二人を襲撃したらどうするつもりだ……ッ!」
もしも、シズルが犯人であるのならば、グートたちの行った戦力の分配は効果的だとシズルは思った。
弥那を人質に取られている以上、シズルはシアに手を出せない。防衛を気にしなくていいため、残りのメンバーはシズルの捜索だけに力を注げるのだ。
しかし、シズルはアーロイン殺しの犯人でも、セリ殺しの犯人でもない。
真犯人が、戦力の低下した弥那たちを襲撃する危険性があった。
しかし、シズル以外に犯人がいるなんて、グートたちには確信が持てないのだろう。
ノルイは心底楽しそうにクスクスと笑った。
「何言ってるの? 犯人がここにいるんだから、二人が襲われる訳ないじゃん」
「念のため、その可能性も少しは考えているけどね。万が一、君が犯人ではなく、真犯人がいた場合、弥那はシアと協力して戦うだろう。二人なら逃げだすくらいはできるだろうね」
「……」
シズルは淡々と言ったグートを睨み付けた。
確かにその通りかもしれないが、戦力が下がるのは事実だ。弥那が危険に晒される確率を上げた事に怒りを覚えた。
「で、聞きたい事は終わりかな? ボクたちが答えたんだから、シズルも何か答えてよね。そうしないと不公平だと思うんだ」
ノルイは子供が交渉の真似事をするように、軽いノリで問いかけた。
シズルは苦笑いするしかなかった。
「人を痛めつけておいてよく言う……。でも……、聞きたい事は聞き出せた」
ノルイが怪訝そうな顔をした瞬間、シズルは自身のポーチ内の、ある物を破壊した。
「……ッ⁉」
破壊したのは煙幕だった。シズルを中心にして、一気に黒煙が広がった。
「ノルイ! すぐに離れろ!」
「分かってるよ!」
ノルイはバックステップで距離を取ろうとしたが、煙に巻かれる方が早かった。
煙に巻かれたノルイの死角から、シズルの鎖が伸びてくる。ノルイはそれを勘だけで切り払った。
しかし、まるで手が足りなかった。
気が付けば、煙幕の影から伸びる鎖が、四方八方から次々にノルイに攻撃を仕掛けていった。
魔法を使うための影が無ければ、作り出せばいい。
シズルは影さえあれば攻撃が可能だ。つまり、煙幕の中にいるノルイはシズルにとって格好の獲物だった。
「……ッ! 舐めるなぁ!」
ノルイは血を吐きながら絶叫した。 魔剣の斬撃を飛ばして鎖の軌道を逸らしていく。
いつまで続くともしれない攻撃を、ノルイはその獣じみた勘で弾き続けた。
そして、ノルイの意識が朦朧としてきた頃、ゆっくりと煙幕が晴れていった。
そこには既にシズルの姿はなかった。
緊張の糸が切れたノルイは、その場に座り込んで天を見上げた。そして、激しく咳き込んだ。
咳きを押さえた手には、赤い血がべったりと付着していた。
ノルイは赤く染まった手をぼんやりと見つめて、少し笑った。
「大丈夫かい? さっきの煙幕は瘴気だったみたいだね」
「シズルは……?」
瘴気の外まで逃げ切れていたグートが、心配そうにノルイに話しかけた。しかし、ノルイはグートの問いかけを切り捨てた。
グートはため息を吐いて、首を横に振った。
「すまないね。追いかけようとしたけど、僕も瘴気の中に叩き込まれて見失ってしまったよ」
「……そう。でも、次は捕まえる」
ノルイは淡々と呟いて、シズルの血で赤く染まった自身の短剣を見つめた。
ノルイは焦っていなかった。
血に染まった短剣が、シズルはもう満足に動けない事をノルイに知らせていた。




