傷口の語る犯人
シアがセリの遺体を調べている間、シズルと弥那、ノルイの三人は部屋の外で周囲の警戒をしていた。
通路には何かが引きずられたような血痕が残っており、部屋の中まで続いている。一行は、何者かによってセリはこの部屋に引きずられてきたと判断した。
しかし、一行以外の人の足跡は見つけられなかった。代わりに魔物の足跡で血痕が踏み荒らされている。
「……」
弥那は不安そうに周囲を警戒し、ノルイは退屈そうに魔剣を弄っている。シズルは弥那に不安を与えないように、平静を装っていた。
シズルがチラリと部屋を覗くと、シアとセリの遺体を調べていた。グートは周囲に犯人の痕跡が残っていないかを調べている。
シズルにできるのは周囲を警戒する事だけだった。じくじくとした不安に苛まれて落ち着かない。
しばらくして、シアが手袋を外しながら部屋から出てきた。顔色が悪く、疲労を隠しきれていなかった。
「……遺体は間違いなくセリさん本人です。魔法で偽装された痕跡はありません」
「そうか……」
分かっていた事だが、シアがはっきりと断言した事で弥那は目を伏せた。グートも一緒に確認しているため、間違いがある可能性は低かった。
「体中を”何か”で貫かれています。心臓や肺が貫かれているので、これが死因と見ていいでしょう。魔物のものとみられる噛み跡もありますが、そこまで深い傷ではありません。それ以外は床を引きずられた時に擦り傷を負った程度です。……弥那さん。気になる事があるので地図を貸してくれませんか?」
今回は特におかしい点が無い事件だ。
セリの遺体が置かれていた部屋の扉は開いていた。密室ではない。
犯行を妨げる障害は、視界を閉ざしていた瘴気だけだ。
視界の確保が可能で、足音を消す術を身に付けている人物ならば、セリを攫う事が可能だ。
絶対に不可能ではない。
セリが消える前は扉に鍵が掛かっていたのか。シアが地図を求めたのは、その点を確認したかったからだとシズルは考えた。
だから、シアが弥那に近づいた事に何の疑問も持たなかった。
シアが弥那を地面に組み伏せるまでは。
「――――……っ⁉」
シズルは咄嗟に影から鎖を伸ばし、シアを弥那から引き剥がそうとした。しかし、鎖はシアの肩に突き刺さる直前で制止した。
いつの間にかシズルの死角に潜んでいたグートが、シズルの首に剣を突き付けていたからだ。
弥那の手を離れた地図が宙を舞う。
「どういうつもりだ……ッ⁉」
「ごめんなさい、シズル。これからする話を弥那さんが聞いたら襲ってくるかもしれません。だから、先手を打たせて貰いました」
「んー! んー! 弥那に触らないでください! 弥那に触っていいのはシズくんだけです! シズくんだけなんです!」
弥那の膂力は人間の枠に収まらない。しかし、シアは涼しい顔で弥那を組み伏せていた。人体の構造を熟知していないと出来ない芸当だ。
「体の構造は把握しています。わたしに押し倒されて逃げられるとは思わないでください」
「た、助けてくださいシズくん! 弥那の貞操がっ、弥那の貞操のピンチです!」
「今はそんな事をするつもりはないですよ……」
弥那は顔を青くしたり赤くしたりと表情をころころ変えて怯えていた。本気で拘束を振りほどこうとするが、その全てを完全に抑え込まれてしまう。
シズルは弥那の妄言を聞き流して、シア以外のメンバーに目を向けた。
剣を突き付けているグートは真剣な表情だ。セリの遺体を調べた時に、シアと打ち合わせしていたのは明白だった。
一方、ノルイは楽しそうにニヤニヤと笑って事態の推移を見守っている。シズルたちを助けるつもりはなさそうだ。
「こんな脅しのような真似をして、何を話するつもりだ?」
シズルは怒りを押し殺した声でシアを睨み付けた。
シアは不本意そうに口を尖らせる。彼女にとってもできれば避けたかった状態のようだった。
「当然、セリさん殺しの犯人捜しの話ですよ。問題は全身に刻まれた傷跡です。彼女の傷はぐちゃぐちゃに抉られていました。凶器は鋭い杭ではなく、表面がかなり荒いモノみたいですね」
「……それがどうかしたのか?」
シズルの背中に、ぞくりと嫌な予感が走った。
シアが致命的な推論を導き出してしまったという確信があった。
シアは自分に突き付けられている鎖の先――刃になっている部分にぺろりと舌を這わせ、さらには鎖の部分までを唾液で汚していく。
「シズルの鎖、すごくゴツゴツしていますね? これを人体に通してから勢いよく引き抜けば――――あんな風に肉が抉れると思いませんか?」
「…………」
シアはチラリとセリに視線を向けて言った。
彼女はシズルの鎖をじっと観察して何度か頷いている。付き合いが長いシズルには、彼女が何かを確信したのが分かった。
「……この鎖の太さ。やっぱり、セリさんを貫いた凶器とほとんど同じですね」
「遠回しだな。もうハッキリ言ったらどうだ?」
シアは口元を隠して黙り込む。代わりにグートが話を引き継いだ。
「それも正論だね。言いにくい事を遠回しに言っても結果は変わらないからね。――僕とシアは、君がセリさんを殺した犯人だと疑っている」
「そんな! シズくんはっ、シズくんはそんな事をする人じゃありません!」
弥那はグートの宣言を聞いてさらに激しく暴れようとした。自分の体を痛めてしまうような動きだ。しかし、やはりその拘束は解けない。
シズルはじっとシアを見つめていた。一見、冷静なようでいて、彼の口の中は緊張でカラカラに乾いていた。
シズルは自分が犯人ではないと知っている。しかし、自分が犯人でない証拠も提示できない。
自分が犯人ではないと証明するために頭を回転させるが、何も思いつかない。
冷たい汗がシズルの額を伝った。
「この鎖の魔法はシズルの一族にしか使えない魔法だったはずです。そして、シズルの数少ない親戚がこんな辺鄙な場所にいて、セリさんを襲った。そう考えるよりも、シズルが襲ったと考える方が自然でしょう」
「……似たような武器や魔法があるのかもしれない」
「お姉ちゃんもそう思いたいところですが……。死人が出ている以上、一番疑わしい人物を野放しには出来ません。確認が取れるまで弥那さんを人質に取らせてもらいます。……嘘をついたら、分かりますね?」
「……」
弥那の骨がぎしぎしと嫌な音を立てた。
シズルとシアは本気の戦意を瞳に宿して睨み合っている。
そこに組み伏せられていた弥那の横やりが入った。
「んー! んー! 何を見つめ合っているんですか! シズくん! シズくん! 弥那だけを見てください! もうちょっと下を! もうちょっとだけ下を見てください!」
「「……」」
シズルは恥ずかしさで顏を覆い、シアはじっとりとした目で弥那を見つめた。
二人の間にあった戦意が綺麗さっぱり霧散する。
少し冷静になったシアは、一度ため息をついて、シズルに視線を戻した。
「今更な話ですが、シズルたちは誰からこの塔の情報を得ましたか? 一般に流れている噂だけでは、弥那さんの異変の原因が瘴気だと気付けません。誰に吹き込まれました?」
「……それが今の状況と何の関係がある?」
「いいから答えてください」
シアは有無を言わせぬ口調で続きを促した。弥那を押さえる腕に再び力が入る。
シズルは苦々しく歯噛みして正直に答えた。下手に嘘をつくとシアは本当に弥那の腕を折るだろう。
「ウィロウというくたびれた男だ。その男に教えてもらった」
「……。そうですか……。最悪の答えです」
「なに……?」
シアがため息とともに目を伏せ、シズルは眉を顰めた。
シアの代わりにグートが説明を引き継いだ。
「一言に『軍』と言っても一枚岩ではなくてね。アーロインさんとセリさんの上司はウィロウという男を警戒していたみたいだ。つまり、政敵だよ。……情けない事に、今さっきセリさんの荷物を漁って出てきたメモを見るまでは、僕たちも知らなかったんだけどね。クライアントとの情報共有は重要だって身に染みたよ。つまり、僕たちは、君がウィロウに依頼されて二人を暗殺したと考えている」
シアは当たり前の事実を告げるように淡々と言った。
シズルは足元がガラガラと崩れていくような感覚に襲われた。そして、嵌められたという想いがふつふつと湧いてくる。
ウィロウが二人の上司と敵対関係にあるなんて、あまりにも都合が良すぎる話だった。
「そ、そんな! シズくんはそんな事をする人じゃありません! 言いがかりです!」
「いいえ。シズルは殺しますよ。お姉ちゃんには分かります。弥那さんの体を元に戻すと持ちかけられれば、シズルは確実にヤります」
セリを手にかけてはいないシズルにとってはあまり嬉しくない評価だった。
そもそもウィロウには、弥那の体を治す手がかりが塔にあるかもしれないと告げられただけである。アーロインやセリの殺害など、依頼されていない。
しかし、状況はこの上なく悪かった。
セリの体に残った傷跡はシズルの鎖の物と酷似している。さらに、鎖の魔法を使える人物は限られている。
それに加えて、シアやグートの視点からはシズルに動機があるように見えている。
状況証拠に説得力を与えるには十分だった。
「違う! 俺はやっていない! 大体、俺は瘴気の中では自由に動けないんだ! セリを連れ去ってから皆に追いつく事なんてできない! アーロインの事だってそうだ! 俺に密室を破る手段なんてない!」
「確かにそうですね。でもそれは、これから話してもらえば分かる事です。どんな事をしてでも話してもらいますよ? 安心してください。後遺症が残るような下手は打ちませんから」
「……ッ! シアは本気です! シズくん! 逃げて!」
「くそッ!」
弥那の悲痛な叫びを聞いた瞬間、シズルは話し合いが不可能であると確信してしまった。
反射的に弥那の言葉に従い、逃亡を選択しようとシズルの体が動いた。
シズルの初手は、影から鎖を伸ばしてグートを自分から引き離す事だった。
グートは飛びのいてシズルから距離を取る。しかし、ただでは離れてくれない。
グートは去り際に一閃し、シズルはグートの剣を腕で受けてしまう。
金属と金属がぶつかる甲高い音がいた。シズルは腕を覆うように鎖を展開し、鎧代わりにしたのだ。
シズルは受けた勢いのまま部屋を脱出し、逃走しようと背を向けた。
しかし、楽しそうに傍観しているだけだったノルイが参戦し、シズルの逃走を妨害する。
「逃がさないよ!」
「ぐっ……!」
ノルイの魔剣から斬撃が飛ばされ、シズルの体に赤い筋を刻んだ。
咄嗟に体を捻って致命傷は避けた。しかし無傷とはいかない。傷を負った腕や足から血が噴き出した。
「あはっ!」
「そのニヤケ面を止めろ!」
シズルは通路全体に鎖を張り巡らせて通路を封鎖した。
人が通れる隙間は無くなったが、ノルイは心底楽しそうに魔剣を振るい続けていた。
鎖の合間を縫って一部の斬撃がシズルに届き、鮮血が床に散る。
しかしそれだけだ。シズルの動きを封じることも、魔法を解除する事もできない。
シズルは通路の曲がり角に飛び込んで、ノルイの斬撃から身を隠した。
ノルイはシズルの鎖を破壊しようと剣を振るったが、壊せる気配はなかった。
弥那の膂力を封じ込められるほどに強固な鎖である。生半可な攻撃では破壊できない。
シズルはノルイの悪あがきを感じながら背嚢を漁った。中から布を取り出し、止血する。
しかし、シズルの魔力には限りがあった。いつまでも通路を封鎖してはおけない。すぐにこの場を離れなければいけない。
シズルは弥那がいるだろう方向に目を向けて歯噛みした。
咄嗟に飛び出してしまったが、シズルが離れた事で危害を加えられていないか不安になった。今すぐにでも戻らないといけないと思ってしまう。
「いや……。弥那は危害を加えられないはずだ……」
弥那の理性が壊れている事はノルイに話してある。弥那が隠し事を出来ないと分かれば、拷問まがいの方法で尋問されはしない。
そして、シズルに対する人質になる以上、弥那が殺される事もない。
万が一、一行の中にアーロインやセリを手にかけた犯人がいたとしても、シズルが斃されるまで動かない可能性が高い。シズルの逃亡中に新たな被害者が出れば、シズルの潔白が証明されてしまうからだ。
「……くそッ!」
シズルは自分にそう言い聞かせてよろよろとその場から離れた。
もしも、弥那の理性が壊れているとノルイが一行に伝えなかったら? ノルイが真犯人であった場合にそれは起こりうる。
もしも、真犯人が今の一行を殺せると判断したなら? シズルと弥那が無力化されている今、一行の戦力は削られている。犯人が真っ向勝負に出てくる可能性も十分にあった。
結局、弥那が害されるか害されないかは、賭けでしかない。
しかし、人質にされた弥那を救い出し、一行を無力化する事はシズルにはできそうになかった。
魔力の残量が心ともないシズルとは違い、グートとノルイはほぼ万全の状態だ。真っ向から戦えば、シズルに勝ち目はない。
弥那を危険に晒したまま何もできない。シズルは無力感に打ちのめされながら施設から去っていった。
――
――――
「ごめんなさい。人質を活かせませんでした」
静まり返っていた部屋の沈黙を、シアの自嘲するような声が破る。
グートは目を瞑ってしばらく思考した後、ため息交じりに呟いた。
「……仕方ないさ。後衛の君が前衛の弥那さんを抑えてくれただけで十分だよ。脅しは僕の役割だった」
グートは後悔するように息を吐いた。
シズルが抵抗した時、人質の弥那を利用してシズルの行動を縛る事もできた。しかし、グートもシアも咄嗟にその判断を下す事ができなかった。
結果的に、一行はシズルを取り逃がしてしまった。
「やっぱり、義弟に卑怯な手を使うのは心が痛むのかい?」
「いえ、そういう訳ではないのですが……」
シズルが抵抗した時、シアは弥那を人質にするのはいけないと直感した。なぜ、そう感じたのかを熟考し、論理的に話せるように考えを纏めると、口を開いた。
「…………。弥那さんの身体を治す対価として、アーロインさんやセリさんを殺すように依頼されたなら、シズルは確実にヤるでしょう。しかし、犯人がシズルだと分かる凶器を使ったのはおかしいです」
シアはセリの体を貫いた凶器はシズルの鎖だと確信していた。しかし、そんな分かりやすい凶器を使った理由が分からない。戦闘能力のないセリが相手ならば、鎖を使わずとも斃せたはずだ。
そのわずかな疑問がシアの手を鈍らせてしまった。
「違和感か……。僕も少し思うところがあってね」
グートは自嘲を含んだ笑みを浮かべた。
シアが首を傾けると、グートは血で書かれたメッセージに目を向けた。
「僕は、犯人は塔を調査されたくないから二人を殺したんだと思っている。でも、そうなら、このメッセージにはおかしな点がある」
「おかしな点ですか」
グートは淡々と頷いた。
「このメッセージには『警告』とあった。犯人は、僕たちを逃がしてくれる気があるって事じゃないか。でも、犯人はアーロインさんやセリさんを殺して塔の秘密を守った。そこまでして守るべきモノなら、侵入者を全員始末するのが普通じゃないかい?」
「……つまり?」
シアは表情を歪めて難しい顔をした。
「……分からない。何かがおかしいと思っただけだね。もしかしたら、犯人は甘い人間なのかもしれない」
グートはおどけるようにしてそう言った。しかし、シアには思うところがあったようだ
「……余計にシズルが犯人とは思えなくなりました。シズルなら、全員殺すと思います。追われる身になれば、弥那さんと一緒に暮らすのが難しくなりますから。自分を犯人だと疑う可能性のある人間は、人の目の届かないこの塔にいる間に、全て始末するに限りますから」
「……君はシズルに対する当たりが厳しくないかい? でも、そう考えてしまう程にシズルの弥那への執着は異常に見える。確かに、シズルが犯人なら、警告なんてせずに僕たちを皆殺しにしているだろうね。憂いなく弥那と一緒に暮らすために」
二人は、シズル本人が聞いたら全力で否定するだろう会話を繰り広げた。
しかし、ツッコミを入れる人間はいなかった。ツッコミを入れるべき弥那は、誇らしげな表情を浮かべていただけだった。
――
――――
グートとシアが互いの違和感を共有し終えた頃、ぶすっと頬を膨らませたノルイが部屋に戻ってきた。
手持ち無沙汰に魔剣を弄って不貞腐れていた。
「ごめん。逃がしちゃったよ。……これからどうする?」
グートとシアは互いに視線を交わして頷いた。二人の意見は既に一致していた。
「シズルを追う。生け捕りにして、どんなことをしてでも事情を聞きだす」
シズルが犯人という説には違和感がある。しかし、状況証拠はシズルが犯人だと明確に示していた。
いくら違和感があるとしても、放置しておく訳にはいかなかった。
グートの宣言を聞いたノルイは、愉快そうに嗤った。




