読み合い
「……ようやく撒けたようだね」
生き物の気配が薄い森の中。
魔物の群れから逃れるために息を潜めていた六人は、追手がいない事を確認して少し肩の力を抜いた。
念のためにしばらく様子を伺っていると、少しずつ森に、生き物の気配が戻ってくる。
魔物を恐れて逃げ出していた動物たちが戻ってきたのだ。
「結局、何だったんだよさっきの。いきなり湧いて出るとか、卑怯じゃん」
ノルイは悪態と共に、軽く地面を蹴った。
答える者はいなかった。しかし、答えを導き出せる者はいた。
その人物は肩を落として落ち込んでいた。
「せっかく調査が進むと思ったのに……」
「その様子だと、よっぽど重要な事が書かれていたのかい?」
「ええ……。あの資料を持ち出せれば、何百年分の技術が進んだ事か……。あの施設は瘴気の研究施設ですよ。たぶん」
「研究施設?」
彼女が正体不明の建築物の正体について言及したため、ノルイが反応した。
セリは暗い顔のままで頷いた。
「あの部屋の資料には結構な量の実験メモが混じっていました。だから、あそこは研究施設です。研究施設の外にメモを持ち出す機会なんてそうないですしね。軍事利用する技術なら特に」
シズルはあの部屋に閉じ込められた時の状況を思い出した。
資料を所持する者をあの部屋の障壁は通さなかった。あの障壁は資料を外に持ち出されないようにするためのものだと推測できる。
魔物に侵入者を襲わせるほどだ。あの部屋の資料はよっぽど重要な物だったに違いない。
シズルが情報を整理していると、セリがグートに向き直った。
「それでこれからどうしましょう」
「……早いうちにさっきの施設に戻った方がいいだろうね」
セリの問いにグートが答えた。彼は口元に手を当てて考えを纏めている。
「資料室の鍵を開けて僕たちを殺そうとした犯人を押さえられるかもしれない」
グートの言葉に、彼以外のメンバーが息を飲んだ。
「それはどういう……?」
「鍵を開けられる人物なら、資料の持ち出しに伴って魔物が押し寄せてくると知っていた可能性が高い。それを知りながら、資料室の鍵を開けておいたのなら――――鍵を開けた人物は僕たちを殺す気だったと言っていい。資料室を罠にしたという事は、僕たちが瘴気の研究資料を探している事を知っている人物が犯人だろう。ここまではいいかい?」
一行は頷いた。反論は出ない。
「僕たちは常に一緒に行動してきた。つまり、僕たちの中に鍵を開けた人物がいるとは考えにくい。次に、僕たちが瘴気に関する資料を探している事を知る方法だけど、こっちはいくつかあると思う。僕たちの会話を盗聴していたのかもしれないし、前回塔に派遣されたメンバーから聞き出したのかもしれない」
「この塔には、侵入者を殺してでも研究資料を守ろうとする人物が潜んでいると、そういう事でしょうか……?」
シアの疑問にグートは頷いた。
「考えてみれば当然だろうね。塔の周囲には瘴気が満ちていて、簡単には出入りできない。そんな不便な場所に研究施設を作ったんだ。よっぽど研究内容を外に漏らしたくないんだろうね。アーロインさんを殺したのも口封じのためだろう。さて、話は変わるけどさっきの襲撃には違和感があった」
「違和感ですか?」
特に何も感じなかった弥那が首を捻った。
他のメンバーもグートの言う違和感の正体か分からなかった。グートは生徒に教えを授ける教師のように、自分が感じた違和感を語った。
「僕たちはもうすぐ死ぬところだった。でも、僕たちは司令塔の魔物を殺して連携を崩して脱出した。おかしいじゃないか。……なぜ犯人は次の司令塔を生み出さなかった?」
考えられる可能性は二つ。とグートは指を立てた。
「一つ目は、犯人は僕たちを見張っていたが、司令塔を呼び出すことが出来なかった可能性だ。司令塔を生み出すのに時間がかかる場合などだね。でも、もし犯人が僕たちを見張っていたのなら、魔物を撤退させる理由が無い。司令塔を生み出せはしななくとも、犯人は魔物を操れるはずなんだ。セリが操れるんだもの。犯人が魔物を操れない訳が無い。だから、この可能性は低いはずだよ」
「犯人を撒いた可能性は?」
「無くは無いけど、次に襲撃されるまでに犯人を見つけるのが困難になるから止めて欲しいね。犯人も僕たちを見つけ難いだろうから条件は五分五分だろうけど」
二つ目。こっちの可能性が重要だとグートは言った。
「もう一つは、鍵を開けた犯人が僕たちの事を”見張っていなかった”可能性だ。もしそうなら、司令塔が倒されても対応は出来ない」
「見張っていなかった……? そんな事があり得るのか?」
「たぶん、尾行が得意じゃないんだろう。僕たちを直接襲ってこない事を考えると、犯人は少数で動いている。もしかしたら単独犯かもしれない。そんな状態で僕たちに見つかるリスクを考えると、近くにいたくないと思っても不思議じゃない。もしくは、魔物を制御しきれなくて、巻き添えを恐れたのかもしれない」
一行はグートの考察を必死に飲み込もうとしている。
話についていけなくなった弥那は、シズルにくっついて話を聞いているフリだけしていた。
グートは頭から湯気を出しそうになっている弥那を見て苦笑した。
「まぁ、見張っていなかった理由はそこまで重要じゃないんだ。もしも自分が魔獣をけしかけて誰かを殺そうとしたとしよう。自分の目の届かない場所で魔獣がターゲットを襲ったら、どうする? はい。弥那」
「え? あっ、えっと……。もしも、もしもの話ですよ? もしも弥那が犯人なら――――本当に獲物を仕留められたか確かめようとします」
一行は息を飲んだ。グートの仮説が正しければ、犯人は獲物を仕留めたか確認するために現場に顔を出すはずだ。
犯人は今、先ほどの研究施設にいる可能性が高い。
「アーロインさんを襲った犯人と今回の襲撃が同一人物によるものなら、普通に捕まえるのは難しいと思う。密室から脱出できる力を持っている訳だからね。待ち伏せができる今、押さえておいた方がいいと僕は考える」
アーロインのいた区画は偶然にも密室になっていた。唯一の出入り口だった隠し通路も使用した痕跡は無かった。
敵が密室を破る未知の力を持っているのならば、まともに戦うのは危険である。不意打ちで倒すのが利口だ。
グートの案に賛成した一行は、警戒しながら瘴気の研究施設に向かう。
入口に辿り着いた時、無尽蔵に生み出されていた魔物が一匹残らず消えていた。
永続的に魔物を生み出す事は出来ないのだろう。
一行は警戒しながら先に進む。
しかし、あまりにも建物の中が静かすぎてシズルは逆に不安になってきた。
「……流石に何もなさすぎないか? 泥棒が入ってすぐに警戒を解くものか?」
「たぶん、今はこの施設を使っている人がいないからだと思います」
顔に疲れを滲ませたセリがシズルの疑問に答えた。
足として使っていた従魔を失った上、犯人が現れる前に資料室に戻らなければならない。
ここまでの強行軍は、確実にセリの体力を奪っていた。
「どうして人がいないと魔物の生成が止まるんだ?」
シズルは疲れた様子のセリに肩を貸しながら問いかけた。
「えっと、ありがとうございます……。魔物が生まれるためには大量の瘴気が必要です。人工的に生み出す時も同じでしょう。魔物を生み出す魔法は、いつまでも起動させておけるものじゃありません。一定の時間が経つと機能が止まるように設定されているんじゃないでしょうか。時間内に侵入者を撃退できなかった場合、施設内の研究者が魔物の生成時間を延ばすんだと思います」
「なる程な」
シズルが頷いていると、セリに貸している肩とは逆から袖を引っ張られた。
振り向くと、弥那がやたらといい笑顔で二人を見つめていた。
「シズくん、シズくん。弥那も泥棒に入られた気分です。いえ、この場合は逃げられたというべきでしょうか?」
「……あのな。これは疲れたセリに肩を貸しているだけだからな? 浮気じゃないからな?」
説明しても弥那は納得してくれない。
次第に弥那の笑顔が崩れ、目元に涙が溜まってきた。シズルの心はチクチクとダメージを受けた。
「ひどいです! ひどいですよシズくん! 弥那も疲れているのに他の女を優先するなんて……。うぅ……」
「弥那はまだ普通に動けるだろ……?」
「そうですけど! そうですけどっ!」
「あ、あの……、私は一人で歩きますよ……?」
涙目の弥那に遠慮したのかセリはシズルから距離を取った。
一行はいったん歩みを止めて、シズルの代わりにノルイがセリに肩を貸した。
探索を再開しても、弥那はシズルの服の袖を摘まんだままだった。
道中で弥那が不満を漏らした以外には問題は起こらなかった。一行は襲撃を受けることなく資料室に辿り着いた。
疲れた様子のセリを休ませ、見張り以外のメンバーも休憩を取る。
始めに見張りに就いたのはグートだった。
その他のメンバーも休みながらも聞き耳は立てている。
シズルにくっついて離れない弥那でさえ、完全には気を抜いていない。
それは犯人がいつ現れても反撃できる姿勢だと言える。同時に、疲労を完全に抜く事が出来ない姿勢でもあった。
太陽が沈み始めるまで待っても誰も現れない。その間、一行の精神は少しずつ削られていく。
犯人は現れないのではないか。一行の誰もがそう思い始めた頃、ようやく変化が訪れた。
「……足音が聞こえる。人の足音じゃない」
グートの言葉に一行は表情を硬くした。
しばらくするとグート以外にも近づいてくる足音を聞き取れるようになった。
大きな獣の足音だ。
犯人の足音ではないと判断し、戦わずにやり過ごすことにする。
一行は資料室の物陰で息を潜めた。
獣の足音は、ゆっくりと、確実に近づいてくる。
足音の主が部屋に近づくと、それが動くたびに地面が揺れるのが分かった。敵はかなりの巨体だと、嫌でも分からされた。
「…………ッ⁉」
物陰に隠れていた一行は思わず息を飲んだ。
部屋の入り口から顔を出したのはカエルに似た魔物だった。しかし、大きさが普通の魔物とはまるで違う。通路全てを覆い尽くさんばかりの大きさだ。
魔物が呼吸をする度に粘液と瘴気が口から溢れ出している。
魔物は部屋に頭をねじ込むと、ブヨブヨとした体をくねらせて身動ぎした。ぐるぐると目玉を回して部屋の中を確認する。
シズルは弥那を力強く抱きしめた。顔を赤くした弥那は目を回して意識を失った。
グートやノルイ、シアやセリも物陰で息を潜めている。
魔物の足元から瘴気がじわじわと部屋に広がっていく。保持している高濃度の瘴気が体から溢れ出しているのだ。
瘴気の毒気に耐えながら魔物が去るのを待っていると、魔物は誰もいないと判断したのか、ゆっくりと部屋から離れていった。
魔物が去ると、床に残った魔物の体液が蒸発して、瘴気に変わった。
足音が聞こえなくなったところで、一行は安堵のため息を吐いた。
「な、なんだったんでしょう……」
「うーん。あれはヤバいね。戦いたくない。近づくだけで死にかねない毒気だよ」
ノルイが嫌そうな顔で言った。
グートは深刻な顔で何やら考え込んでいた。そして、ため息交じりに呟いた。
「……こっちの動きが犯人に読まれていたんだ」
「どういう事ですか……?」
呟いた弥那にグートは視線を向けた。
他のメンバーも続きを促すように彼に視線を向けている。グートは一つ頷いて自分の予想を語り始めた。
「犯人は、あの魔物を生み出すのに相当なリソースを使ったはずだ。僕たちが待ち伏せしているのを知っていていないと出来ない芸当だよ。セリさん、あっているかい?」
「……断定できません。ですが、少なくとも今の技術であんな魔物を生み出すのは不可能です。どれだけの量の瘴気が必要か予想も出来ません……。私には、あんなものをぽんぽん作り出せるとはとても思えません」
セリは恐ろしそうに自分の体を抱きしめている。
グートはそんなセリをじっと見つめて頷いた。
「こちらの待ち伏せは予想されていた――――いや、知られていたんだろうけど、監視はしていないね。監視をしていたのなら、僕たちの居場所が分かったはずだ。見逃す理由は無い」
「それはいいんだけどさ。これからどうする? あんなのがうろついていたんじゃ、おちおち調べ物も出来ないよ」
グートの予想に対して、ノルイが地面を弄りながらボヤいた。身を隠しながら行動するのが面倒だと言いたげな表情だ。
グートは宥めるようにニコリと笑った。
「放置する気はないさ。まずはあの魔物を狩ろうと思う」
「えっ、本気か?」
シズルは上ずった声を漏らした。シズルにはあの魔物とまともに戦えると思えなかった。
しかし、グートは本気で言っているようだった。
「敵はあの魔物を生み出すために消耗したはずだ。逆に言えば、力が戻ればまた似たような魔物を作り出せるはずだ。今のうちに潰しておかないと、近々あのレベルの魔物が束になって襲ってくるだろうね。そうなったら対処できる自信がないな」
「ま、待ってください……。私はもう撤退した方がいいと考えています。収穫はありました。一度国に戻れば人員を増やしてもらえるかもしれません……」
セリが不安そうに意見を出した。
アーロインが殺された時とは状況が大きく変わった。軍の欲する資料の場所を特定した上、今の装備では持ち出しが出来ないと分かっている。現状の情報を持ち帰れば、資料を回収するための準備も出来るし、あの魔物を討伐する人員も出して貰えるだろう。
セリが撤退を提案した時点で、シズルはパーティを抜ける事を考え始めた。一行が撤退するにしても、シズルと弥那には撤退するという選択肢はなかった。
しかし、グートはセリの提案を一蹴した。
「今戻っても対策する時間を与えるだけだと思いますね。それに、帰りにあの魔物に襲われるでしょう。……さらに言えば、今が一番あの魔物を狩るのに適した条件が揃っていますよ?」
グートは不敵に笑うと、弥那に視線を向けた。
グートの視線の意味を理解できなかった弥那は不思議そうに首を傾げていた。




