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瘴気から生まれた魔物の軍事利用についての研究

「よし。ここか」


 結界を構築してから六日目。一行は遺跡の入り口の前に集っていた。

 この五日間、一行は結界の中に収めた森を散策し、遺跡の位置を確認していた。同時に、遭遇した魔物の排除もしていた。

 これで遺跡の調査中に魔物が襲ってくる可能性は減ったであろう。

 準備を整えた一行はゆっくりと遺跡の中に足を踏み入れていく。


 遺跡の中に入ってしばらくすると、通路の両脇にいくつもの部屋が並び始めた。

 グートが慎重な手つきで一つの扉に触れる。罠の類は無いようだが、鍵がかかって開かない。

 床には埃が積もり、ツタが建物内に侵食し始めているが、相変わらず壁には傷一つ入っていない。

 扉の鍵も朽ちない素材で出来ているようで、新品同然の光沢を保っていた。

 グートがピッキングを試みたが、不自然な程に手ごたえがなかった。専用の鍵以外では開かないように細工がされているようだ。


「これは無理だね。一通りこの建物の中を見ていくかい?」

「そうですね。ここが何の施設か分からない事には、話が進みません」


 鍵がかかっている部屋もあれば、開いている部屋もある。

 しかし、鍵がかかった部屋が大多数であった。

 数少ない鍵がかかっていない部屋は、空き部屋や応接間といった雰囲気だった。建物と違って朽ちてしまった机や棚の中を漁ってみるも、この建物が何かを特定するような手掛かりは見つからない。


「……先に別の場所を調べますか? 先ほど、階段がありました」

「確かに。これ以上この部屋を探っても意味がないかもしれないね」


 一行は建物全体の把握を優先した。

 鍵が開いている部屋も、詳しく中を調べるのは後回しだ。

 従魔に乗ったセリが地図を作り、グートが扉の鍵を確認し、シズルと弥那、シアとノルイの四人が周囲の警戒を続ける。

 魔物の気配はない。

 けれど、奇襲に備えて警戒を解く事は無かった。

 一階を調べ終えれば二階、三階……と探索範囲を広げていく。

 そして、一行は半日かけて建物を一周した。その間、一度も魔物には遭遇していない。


 建物は全部で四階層に分かれているようだった。

 一行は建物内を一通り回ると、入り口付近に戻ってきて地図を眺めた。


「結局、ここは何の施設だったんでしょう」

「入れた部屋には特徴的な物は何も無かったからねー。どこかに鍵が置いてなかったか調べ直すしかないんじゃない?」

「この数の部屋を探すなら、手分けをするべきなんですけど……」


 鍵がかかっている部屋に比べると少ないが、鍵が開いている部屋はいくつかあった。

 魔物がいない事が確認できた以上、手分けをして調査するべきであるが……。

 僅かな時間で姿を消したアーロインの事を考えると、戦力を分けるのには抵抗があった。


 結局、一行は纏まって行動する事にする。鍵の開いている部屋を一部屋ずつ確かめていく。

 しかし、やはりというべきか、この施設が何かを特定する手掛かりは見つからない。


 調べられる部屋を全て確認するも、分かったことは何もなかった。


「うー……。シズくん、シズくん抱っこしてください」

「恥ずかしいだろ。子供じゃないんだから。大体、俺よりも体力があるのに何を言ってるんだ……」

「うー……」


 弥那は涙目でシズルに両腕を突き出した。そのままじっとシズルを見つめている。

 シズルにはもう逃げ道は無かった。

 膝裏に手を回して弥那を抱き上げる。弥那は嬉しそうにシズルの首に手を回した。

 シズルが弥那を抱き上げるのを、一行は生暖かい目で見つめていた。


「いきなり何なんだ……」

「だってだって、ここまで何もないと心が疲れちゃいました。シズくんにぎゅってしてもらって気力を回復したいんです」


 上機嫌にニコニコと笑う弥那に対して、シズルは顏を赤くしながらため息を吐いた。

 恥ずかしがってはいるが、シズルは弥那を離そうとはしなかった。

 グートが腕を組んでしみじみと呟いた。


「確かに、そろそろ休憩した方がいいかもしれないね。何もなくても疲れて来ている。……いや、何もなさ過ぎて気が緩んできている。鍵の開いていた部屋で少し休んだ方がいいかもしれない」

「はーい」

「わたしもそれで構いません」


 ノルイとシアがグートに続く。

 もちろんシズルと弥那、セリも賛成の声を上げた。

 一行はセリの描いた地図を頼りに、休めそうなスペースがあった部屋に向かうが――


「休めそうなのは、確かこの部屋でしたね」

「……? 違うよ。隣の部屋だよ。地図を読み間違えてる」


 セリが従魔から降りて扉に手を伸ばした。しかし、それをノルイが不思議そうに咎めた。

 確かに地図では一つ隣の部屋が目的地になっていた。

 疲労したセリが、地図を読み間違えた。ただそれだけのはずだった。

 しかし、ただの間違いでは済まなくなった。

 ぎぃっと扉が床と擦れる音がした。


 扉の鍵が解除されていた。


「…………」


 一行の間に緊張が走った。

 さほど調べた時には鍵は閉まっていた。そして、この建物内では誰も単独行動をしていない。

 では一体、誰が鍵を開けたのか(・・・・・・・・・)


 グートは剣に手をかけ、他のメンバーを見渡した。

 ノルイとシアは既に臨戦態勢に入っている。シズルは弥那を抱き寄せて、彼女を守るように魔法の準備を整えている。

 状況についていけていないセリだけが扉の前で固まっていた。

 グートはセリをそっと押しのけて扉の前に立つ。そして、呼吸を整えると、勢いよく扉を開け放った。


「――……? 誰もいない……?」


 部屋の中は無人であった。

 鍵を開けた何者かが部屋にいるという予想は裏切られてしまった。

 部屋が無人である事は確認できたが、念のために警戒を維持したまま部屋に入っていく。

 部屋の中には新品同然の棚が置かれており、その中には大量の紙束が詰め込まれていた。

 それ以外に目立った特徴は無い。


「ここは、資料室のようね……」


 セリが近くにあった棚から資料を抜き取り、パラパラと紙をめくっていく。

 大昔から保管されていたにしては不自然なほどに、痛みが少ない資料であった。

 この部屋の備品が一切朽ちていない事から、保護の魔法が掛かっていると予想ができた。


「何か分かるかい?」


 周囲を警戒しながら、グートがセリに訪ねた。

 初めは何となくページを捲っているだけだったが、今は食い入るように資料を凝視している。セリのページを捲る速度は次第に早くなっていった。


「すごい……。凄いですよこれ……! 瘴気についての研究資料です! 魔物の軍事利用の研究が、数百年分は進みそうです……! あぁ、だめっ! ここじゃ読み切れません! ひとまず必要最低限の資料だけでも持ち帰って技術部に回さないと……っ!」


 セリは浮かれたように部屋の資料を纏め始めた。

 必要最低限と言いながらも、一人で持ち運べない量になるまでそう時間はかからなかった。

 セリがてきぱきと動いている間、一行は周囲の警戒を続けていた。


 シズルは、弥那の耳を塞ぎながらセリの独り言を聞き流していた。

 軍部に依頼されて彼女の護衛をしている面々はともかく、偶然同行する事になっただけのシズルたちが聞いてはマズそうな独り言だった。

 軍の機密情報がセリの口から次々と溢れてくる。

 シアはそっとシズルに耳打ちした。


「ここでは何も聞かなかった事にしてください。お姉ちゃんたちも、秘密を漏らさないようにと誓約書を書かされましたから」

「分かってる……」


 シズルは面倒が増えたと、げんなりとした顔になった。

 しかし、研究者のセリが興奮のあまり守秘義務を忘れるほどの資料である。弥那の体を元に戻すために必要な情報もあるのではという期待もあった。


「弥那さん。資料をあの子に乗せるのを手伝ってくれませんか?」

「いいですよ」


 荷物を纏め終えたセリは、一行の中で一番力がある弥那に資料の運搬を頼んだ。

 セリに指を指された従魔は嫌そうな顔をしたように見えた。

 弥那は小さめの手記を着物の振りにしまい、大きめの書物は抱えて持ち上げる。

 何もしないのも居心地が悪かったシズルも荷物を運ぶことにした。

 セリの真似をして手帳類をポケットに詰め込み、書物を両手で抱え込む。

 しかし、部屋を出ようとした所で、弥那は抱えていた書物を床にぶちまけた。


「わぁっ⁉ うー……。痛い……」

「大丈夫か?」


 シズルは倒れた弥那に駆け寄って、本の下から引っ張り出そうとするが――


「――――ッ⁉」


 突然、部屋の中に瘴気が満ちてきた。

 シズルは咄嗟に口元を覆う。


「早く部屋から出るんだ! 廊下にも瘴気が……!」

「くそっ!」


 外から焦ったグートの叫びが聞こえる。

 シズルは弥那の手を引いて外に出ようとした。しかし、額に衝撃を受けてたたらを踏んだ。

 よくよく目を凝らしてみると、出口は透明な障壁によって閉じられていた。


「なんだこれ……! 出られない……!」


 シズルが障壁を叩いても、びくともしない。

 先ほど弥那が倒れたのもこの障壁が原因だった。不意打ち気味に壁にぶつかり、バランスを崩したのだ。


 こうしている間にも部屋には瘴気が満ちてくる。

 シズルの額から冷たい汗が流れ落ちた。


「し、シズくん、後ろ……!」

「なぁ……っ⁉」


 部屋に満ちた瘴気が集まり、次第に生き物の形を作っていく。

 一定濃度を超えた瘴気は受肉し、魔物として現実世界に顕現していく。


「弥那、障壁を破ってくれっ!」

「は、はいっ!」


 シズルは弥那を庇いながら魔物を迎撃する態勢に入った。

 魔物が顕現すると同時に鎖の魔法で打ち抜いていく。

 周囲の状況を把握する前に攻撃を受けたため、魔物たちはあっさりと死んでいく。

 しかし、倒しても倒しても魔物は湧いて出た。

 魔物に負ける事は無くても、満ちる瘴気によってシズルの身体は少しずつダメージを受けていく。

 いずれは限界が来てしまうだろう。もしくは、魔力切れで攻撃手段を失ってしまう。そうなれば、魔物に食われるか、瘴気に犯されて死ぬかの運命を辿るのは明白だった。


「ちょっ、これマズいって……!」


 ノルイの声が気になって一瞬だけ視線を背後に向けたシズルは、さらに状況が悪化した事を理解した。

 部屋の外、廊下にも瘴気が湧き出し、魔物が次々に顕現している。

 ノルイとグートは、セリを守りながら剣を振るっているが、手が足りていないようだった。


「だ、ダメです……ッ! 開きません!」


 弥那が障壁を全力で殴っているが、障壁には傷一つ付いていない。

 障壁の代わりに弥那の拳が砕けて、血が飛び散っている。


 シアも障壁を解除しようと術式の解析を試みていた。しかし、顔が真っ青だ。

 障壁は現代の魔法技術とかけ離れた術式で組まれており、解析が遅々として進まないのだ。

 シズルは焦った様子のグートと一瞬目が合った。

 彼の表情を確認してシズルは歯噛みしてしまう。


 グートたちは魔物の群れを捌き切れていない。

 このまま踏みとどまれば、いずれ物量に押しつぶされてしまう。

 ならばどうすればいいのか。

 この場から逃げればいいのだ。


 シズルと弥那を見捨てて撤退するのが賢い選択だ。


 グートはシズルと弥那を見捨てて撤退するか迷っている。

 その思考が視線を通じてシズルに伝わってきた。

 考える時間はもう残っていない。

 死を目の前にしてシズルの脳裏に走馬灯が走った。思い出されるのはこの部屋に入ってからの行動だ。

 資料を纏めて、手に持ち、それで――


 シズルは唇を噛んでその走馬灯を無理矢理に断ち切った。

 状況を打破する手段は部屋に入ってからの行動にあった。弥那とシズルだけがした行動がある。

 直感に従ってシズルは叫んだ。


「弥那! 着物に仕舞った資料を捨てるんだ! この障壁は資料を持ち出すのを防ぐものだ! 捨てれば出られる!」

「は、はいっ!」


 弥那はシズルの発言を疑う事なく、着物の袖から資料を取り出して地面に捨てた。

 シズルもポケットにしまった手記を放り捨てて出口に走る。

 いくら力を加えてもびくともしなかった障壁は、何の抵抗もなく二人を外に通した。

 二人が外に出た事を確認してグートは叫んだ。


「撤退する! 建物の入口へ!」

「とぉりゃ!」


 ノルイが魔剣の力を行使して、複数の魔物の首を刎ねた。

 けれども魔物は、死んだ味方の隙を埋めるように陣形を組みなおしていく。

 まるで、誰かが指揮を執っているように正確な動きだ。

 僅かに出来た隙も、次々と生まれる魔物が塞いでしまう。


「今までの魔物と、全然動きが違う……!」

「瘴気の研究を進めればここまで緻密に連携できるんですね! 大変参考になります……!」

「言ってる場合ですか⁉ こいつらに何か弱点は無いんですか!」


 シアの叫びで我に返ったセリは必死に周囲を見渡した。まるで何かを探しているかのように。

 そして、目的の物を探し出したようだ。

 セリは興奮気味に一体の魔物を指さしている。


「あれです! あの奥の魔物が司令塔の役割を果たしています! たぶん!」

「不安になる単語を付け加えないでくれるかいっ⁉」

「しょうがないじゃないですか! 私も資料の一部を流し読みしただけなんですから!」


 セリが指さした魔物は他の魔物に守られているように後方に陣取っている。

 シズルやシアの魔法は前衛に防がれ、ノルイの短剣も届かない。

 シズルは思わず舌打ちをしてしまう。

 今の一行の手持ちには奴まで攻撃を届ける手段は無かった。


「仕方ないですね……。あまりやりたくはないんですが……」


 セリはため息交じりに呟いた。

 一行が何をするつもりなのかと訝しんでいると、セリは護衛代わりに使っていた従魔をけしかけた。

 結果、セリを守る壁がいなくなる。


「そういうのは事前に一言お願いしたいのだがねっ!」


 無防備になったセリに飛び掛かってきた魔物を切り伏せながら、グートは苦言を呈した。

 セリがけしかけた従魔に対して、敵は攻撃を仕掛ける様子がない。

 どうやら、同族同士での争いを禁じられているようだ。

 しかし、セリの制御下に置かれている従魔には関係がない事である。

 敵の司令塔が命令を変更するまでのわずかな時間、セリの従魔による一方的な虐殺が行われた。

 ノルイはその隙を見逃すことは無かった。

 魔剣の斬撃が放たれ、敵の陣形が整う前に司令塔の役割を果たしていた魔物の首が飛ぶ。


「今度こそ撤退する! 入口へ!」


 グートの号令と同時に、シズルとシアの魔法が放たれる。

 風で魔物が吹き飛ばされ、立ち上がる前に足が鎖で貫かれた。

 魔物の群れは、司令塔の不在で立て直しに時間がかかっていた。一行はその間に、出口に向かって駆けだした。

 従魔という足を失ったセリは弥那の小脇に抱えられての移動だ。


「できればシズくんを抱きかかえたかったです!」

「言ってる場合ですかっ⁉ ちょっ、気を付けて! 齧られかけました!」


 一行は魔物の群れを振り切って走っていく。

 その間にも通路に満ちた瘴気からは次々と魔物が生まれ、一行を追い立てる。


 一行が全ての魔物を振り切ったのは、遺跡を抜けて森に逃げ込んでからの事だった。


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