眼鏡公爵の役得
エヴァルドはリーディアが体調不良だとは分かりつつ、不謹慎にもこの状況が嬉しくて堪らなかった。
夕方、屋敷に帰りすぐにリーディアの部屋を訪ねると、ちょうど目を覚ましてナーシャが水を飲まそうとコップに水を用意しているところだった。するとナーシャが名案だとばかりに、コップをエヴァルドに渡す。
「リーディア様は寝ぼけてます。チャンスです」
「良いのか?」
「はい、そっとですよ?」
リーディアの目はとろんとしていて焦点が合っておらず、エヴァルドが目の前に座っても気付いていない。
声をかけて水を差し出すと、小さな唇を動かして一生懸命に飲みはじめる。次にミルク粥をスプーンに乗せて口元に運ぶとパクパクと食べ「もっと」と甘えるように催促してくるリーディアの姿に、エヴァルドは内心悶絶していた。
(可愛い……過ぎる!まるで雛の餌付けだな。叔父や勘違い令嬢の撃退方法といい、ディアは本当に私の予想を超えてくる。突然賊と遭遇しても冷静でいられるのに、ディアの前ではうまくいかない。私もまだ未熟だな)
ミルク粥を食べさせ終え、エヴァルドはナプキンでリーディアの口元についたミルクを拭きながら自分を戒める。
「さぁ、まだ眠そうだ。横になると良い」
リーディアはまだボーッとしていて、もう少し寝かせようと肩を押して頭をクッションに沈めて離れようとするが、エヴァルドは裾を掴まれてしまって動けない。
「ディア?」
「もう……終わり?」
(こんな良い夢なんてもう2度と見れないかも。まだ、まだ、私に勘違いさせて……誰かに大切にされてるってまだ思わせて……行かないで……)
リーディアは無意識に心地良かった優しさが恋しくて、離したくなくてエヴァルドの裾を強く握りしめる。
「……うぅ」
「…………ディア!?」
リーディアの瞳からポロポロと大粒の涙が落ちはじめ、エヴァルドは慌ててタオルで受け止める。
(大切にされること、愛されることを諦めたのに……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい)
「……ぐずっ。誰か私を愛して……」
「……ディア、私が愛してる。大丈夫だ」
(大丈夫?本当に?…………ごめんなさい。夢の中だけにするから、今だけだから、この温もりに甘えさせて……ずっと本当は前から)
「…………私、寂しいの」
「そうだったのか。今は私が側にいる」
「うん……側に……」
「ディア……」
リーディアは更に温もりを求めようと、側にいる存在へと手を伸ばして腕の中に収めると、抱き締め返される。
(あぁ、落ち着く。包み込まれて、温かくて、心地良い声……それにサラサラの髪なんて本当にエヴァルド様みたい………………ん?)
「エヴァルド…………さ、ま?」
「気付いたか?」
「…………えっと、え?」
リーディアは夢にしてはリアルすぎる温もりと声に違和感を持ち、意識が浮上する。重い瞼をパッチリ開けると、エヴァルドの澄んだ青い瞳と視線がぶつかり心臓が強く鼓動する。しかもリーディアは寝ながらエヴァルドを引き寄せるように抱きついており、理解が追い付かない。
「えっと……その……」
「おはよう、ディア」
エヴァルドの瞳は愛しい人が起きた喜びで、蕩けるような眼差しで見つめており、まだ微熱の残るリーディアには刺激が強すぎた。
「き」
「き?」
「きゃぁぁあぁああ!」
部屋には黄色の叫び声が響き渡った。
「侵入者かぁ!?」
「リーディア様はご無事か!?」
「敵は逃がすなー!」
リーディアの叫び声を聞いて、前回と同じく武装した使用人たちが部屋へと流れ込んでくる。使用人たちの目の前には涙目で熱っぽくベッドに横たわるリーディア、それに覆い被さるように見えるエヴァルド、隣部屋の続き扉から覗き見するナーシャの3人。
「エ……エヴァルド様!病人に何やってるんですか!」
「婚約者だからって手を出しても良いわけじゃないんですよ!」
「好きだからって、今は我慢してくださいよ!?」
「止めるべきナーシャが隣室に移り黙認してるということは、さてはエヴァルド様に買収されたな!いくら包まれた!」
「エヴァルド様を拘束せよ!待てっ!くそぉ……リーディア様を人質に取られてる!」
エヴァルドがリーディアを襲っていると勘違いした使用人たちは、エヴァルド達を包囲し糾弾しはじめる。初めはお互いに政略結婚の義務として仲が良さそうだったふたりが、最近はエヴァルドの好意が一方的に強いことに使用人たちは気付いていた。
「待てお前たち!誤解だ!ナーシャも黙ってないで説明しろ!!」
焦ったエヴァルドが潔白を主張し、ナーシャがきちんと「寝ぼけたリーディア様が抱き枕とエヴァルド様を間違われたのです」と説明した。ついでリーディアには聞こえないよう「止めなかったのは、我慢しすぎてエヴァルド様が暴走しないためです」と付け加えた事で鎮火した。
「全くお前たちは……」
「ごめんなさい……私の……せいで……」
「ディアは何も悪くない。大丈夫だから、落ち着くんだ。…………お前ら」
「失礼しました~」
自分のせいでエヴァルドが疑われてしまったことが申し訳なくて、リーディアの瞳には再び涙が溜まりはじめる。エヴァルドは慌てて慰め、騒ぎ立てた使用人たちをひと睨みし退出しろと念を送る。親しい使用人に関しては悪びれた様子もなく、ニヤついた顔で退出したので「減給してやろうか」とエヴァルドは心の中で悪態をついた。
(近い近い近い近い近い!さっき顔同士が触れるかと思ったわ。あぁ、もうっ!心臓の音がうるさい。静かにして!……私は寝ぼけてなんて事を)
リーディアは恥ずかしさと申し訳無さで頭の中はパンク寸前だ。せっかく熱が下がったと思ったのにまた顔が熱くなるが、ここで気を失うわけにはいかないと気力を振り絞ってベッドの上で土下座する。
「エヴァルド様、本当に申し訳ありません……私の至らぬせいで」
「ディア、待つんだ。君は何も悪くない。むしろ私は君の新しい一面を知れて良かった。本当の一人称は“私”だったのだな」
「あっ」
リーディアは公爵の婚約者らしく、小説の高貴な令嬢を真似して“わたくし”と称していたが、パニックですっかり素の言葉遣いになっていた。たったそれだけの事のはずなのにエヴァルドの顔はすごく嬉しそうで、以前もっと知りたいと言われたことの本気度を知ったリーディアは更にクラクラと目眩がした。
(尊すぎるわ……なんなのこの人!天使なの?神なの?私のことを知って嬉しい人だなんて初めてよ。まるで告白されている気分だわ…………!!)
もうデレ顔キター!だとか、看病ネタキター!だとか言っている場合でなかった。全身の血液が全て顔に集中しているのではと錯覚するほど、リーディアの顔だけが真っ赤に熱くなって言葉が出てこない。
そんな反応が新鮮で、エヴァルドはまた新しい彼女が知れたと笑みは深まるばかり。でも病人をいつまでも起こしてばかりではいけない。
「ディア、顔が赤い。もう少し寝た方が良い……寝てるまで側にいようか?」
「い、いえ!ひ、ひちょ、ひとりで大丈夫です」
「そうか残念だ。また日課の雑談がしたい、早く治ってくれよ」
「はい。ありがとうございます」
エヴァルドは少し寂しそうに微笑みながら退出した。リーディアはエヴァルドを見送ると、重力に任せるようにクッションに頭を沈め、叫びだしたい気持ちを抑えこもうと深呼吸を繰り返す。
(落ち着くのよリーディア!ひぃひぃふー、ひぃひぃふー……これじゃないわ。すぅーはぁー……これだったわ。それより1日食べてないわりにはお腹がいっぱい。夢で食べたから満足したのかしら?ふふふ、美味しかったなぁ…………温かくて……ちょっぴり甘くて…………少し…………ちぃ…………)
「────すぅ」
「ふふふ、可愛らしい。おやすみなさいませ。リーディア様」
少し回復していたはずの体力を、抱き締め騒動で使い果たしたリーディアはうとうとしはじめ、ナーシャが冷たいタオルを額に乗せると、それは気持ち良さそうに寝息をたてはじめた。
※
エヴァルドは夕食後シャワーを浴び寝室のソファに腰掛け、今日は不在の話し相手を思い浮かべる。
いつも気丈な彼女が愛されたいと寂しいと懇願する姿に、自分は求められていると一時は喜んだものの、今は苦々しい気持ちが強くなっている。
「デューイ、例の件何か分かったか?」
「はい。やはりリーディア様はご実家では恵まれた境遇では無さそうです。デビュタントもさせてもらえず、家庭教師も侍女さえも途中で外されていたとか……」
デューイからレモン水を受け取り一考したが、違和感が拭えない。リーディアの普段の言葉遣いは令嬢らしく、マナーも最低限できているし、ダンスは下手でも夜会も初めてとは思えない堂々とした態度だった。
「本当なのか?リーディアは普通に振るまいができてるが」
「ですが、長年勤めている使用人の証言なので事実かと。どこで学んだかはリーディア様に確認するほかないでしょう。…………また両親は弟ばかり構っていたため彼女に愛情が注がれることはなく、同情してくれる使用人も友人もいなかったようです」
「そうか、分かった…………ずっとひとりで彼女は……」
エヴァルドは両親の愛情を知っていた。それは14歳までと短かったが思い出は心の支えであった。また側で助けてくれた使用人たちの存在は、公爵家と使用人をまるごと立派に守ろうとする原動力でもあった。リーディアにはそれが全くない事に、心が痛む。
(本来は受けられるはずの愛情が目の前で弟のみに注がれているのを黙って見てるのは、初めから知らないより辛いはず。どれだけ寂しい想いをしてきたのか……いや、もしかしたら今も愛が理解できないのかもしれない。優しくすればするほど、彼女は戸惑っているように見えた……)
「カペル伯爵め…………はぁ」
因縁の敵の名を呼ぶように忌々しくリーディアの父親の名前を吐く。今回の体調を崩した機会にリフレッシュさせようと実家への帰省を提案しようと思っていたが、言わなくて良かったとため息をつく。
「実はそのカペル伯爵より手紙が届いております。エヴァルド様宛と、リーディア様宛に……」
「ディアにも?」
デューイから自分宛の手紙を受けとる指がピクッと反応する。エヴァルド宛の手紙は先にデューイが検分したらしいのだがデューイの表情は重く、あまり気分の良い内容でないことを予感させられ自分宛の手紙に目を通したエヴァルドの眉間の溝は更に深まる。
「遠回しな金の催促か……リーディアが気に入ったのであれば、親であるカペル伯爵にもっと見返りがあって良いだろうとは、面の皮が随分と厚い」
「全くですね。自分は親としての義務も果たしてはいないでしょうに……彼女の努力は彼女に返されるべきです」
ふたりは最近の夜会には出ていないが、シーウェル公爵がカペル伯爵の娘を溺愛していると話題になっており、カペル伯爵は調子にのっていた。「娘は私が熱心に育てた。公爵に見初められるような親孝行な娘をだ」「私の後ろにはシーウェル公爵がついている」などリーディアとエヴァルドの名前を利用して己の自慢話を広めていた。まだ実害がでてないが、自分の叔父と似たタイプの人間なので時間の問題かもしれないとため息も深くなる。
「ディア宛の手紙は検分したのか?」
「いえ、プライベートには干渉しない……という契約内容に触れるか微妙でしたので」
「そうだったな。しかし内容は変わらんだろうな」
「はい、エヴァルド様に媚びろというものかと。あんなに純粋なリーディア様を利用するなど消し……おっと言い過ぎるところでした」
デューイは消しましょうか?という物騒な言葉をなんとか飲み込み、エヴァルドの判断を待つことにする。まだ婚約段階ではリーディアはまだカペル籍のため、伯爵を消してしまうとリーディアまで巻き込まれてしまう。消すのであれば、きちんと結婚してシーウェル籍にしてからだった。
「デューイ、手紙は明日私からディアに渡す」
「かしこまりました。では本日はここら辺で……おやすみなさいませ」
「あぁ、お疲れ様」
デューイが礼をして退室すると、エヴァルドは深いため息をまた漏らす。カペル伯爵が薄情な親だったからこそ影響を受けずリーディアは真っ直ぐに育ち、なおかつ自分に売り飛ばしてくれたお陰でこうやって一緒にいられる情況に、気分が複雑になっていた。だからといって伯爵を許せそうにもなく、闘志を燃やす。
(もし伯爵がリーディアを悪用しようとしたらその時は消さずにジワジワと苦渋を味わってもらおう……今度は私がディアを助ける番だ。彼女が望んでくれたなら、今まで彼女がもらえなかった分も愛情を注いであげよう。守ってみせる)
「よしっ」
一声だけ気合いを入れてソファから気分で重くなった腰を上げ、机に向かいペンをとる。まずはカペル伯爵に遠回しな宣戦布告の手紙を。これでもお金やリーディアを諦めないようならそれなりに迎え撃つことを記しておく。
そして伯爵宛とは別にリーディアと幸せになるために必要な手紙を数通したためた。