地味令嬢の望み
「はぁ…………」
夜空に昇る月がちょうど真上にきた頃、私室でリーディアは昼間の公開演習を思い出して、感嘆のため息を漏らす。もうこれで何回目かわからない。
演習の後半には7対7の勝ち抜き戦が行われた。一対一で戦い負けたら交代で、休憩を挟まないので勝つほど次戦が辛くなる。通常は弱いものが1番手、強いものが最後の大将を努めるのだが、エヴァルドが1番手に自ら名乗りをあげフィールドに立った。
最初、軍人たちはぶっちゃけエヴァルドを馬鹿にしていた。1番手で、眼鏡で、自分たちより細身で近衛も随分と質が落ちたな……と。軍人チームにはリーディアをナンパしたジルが1番手を務め、明らかに私怨と侮蔑が混ざった態度だった。
しかし始まってみればエヴァルドの強さは圧倒的だった。ジルの剣は受けずに3振り分を躱すと、一気に間合いを詰め喉元に剣先を当てて勝利。2番手にも3番手にも勝利を納め、4番手相手に善戦するが連戦の疲労があって惜しくも敗退。
そのあとシオンも3連勝し、最後にキースが大将を倒して終了。王都の騎士の出番はなく近衛だけで軍の選抜に圧勝してしまった。
ルーファス王子が「私の護衛を務めているんだ。弱いわけないだろう。1番手が弱いという先入観は戦場では命取りになる」と近くにいる人たちには聞こえるように言った。近衛に油断をつかれた軍人は、騎士を完全に従うべき相手だと認めざるを得なかった。
(あの後の近衛たちはさすがですわね。圧勝したのに驕ることなく、感情を出さない顔で仕事に徹する姿……特にエヴァルド様は4連戦したのに疲れも見せない立ち姿……凛々しかったわ)
エヴァルドと同じく4連戦したシオンの事など忘れていた。
「はぁ………………」
リーディアは今日の事を日記帳に書き記そうと広げてはいたが全く進んでいない。既にもうペン先のインクは乾いてしまい、書いたつもりでも紙が白いままであることにすら気付いていなかった。
(おはだけも悪くないけど、魅力的であればむしろ乱れぬピシッとした着こなしの方が……エヴァルド様だからこそかしら?それとエヴァルド様はスピードタイプなのね……剣筋が見えなかったわ。汗ばんだ額も色っぽくて……って!私あまり他の人のこと見てなかった!?折角のモデル大量展示会だったのにぃぃぃなんて事を!エヴァルド様が魅力宝庫なところが悪い!)
リーディアは己の失態に気付くが、全てエヴァルドのせいにして主人不在の部屋の扉を睨む。演習後に騎士と軍人の交流を深めるための懇親会があるようで、エヴァルドは王城に泊まりの可能性があると伝えていた。
(この感動をお伝えしたかったのに……まだ興奮して体が熱いから話して発散したかったのに)
リーディアは立ち上がり、続き扉の表面を撫でる。鍵はかかっておらず、これはお互いの信頼の証しでもあった。むしろ最近は気になることがあれば、いつでも訪問してかまわないとまで言われるほどエヴァルドが心を開いているとリーディアは感じていた。
リーディアは少しの躊躇いのあと扉を開いて誰もいない部屋へと入り、いつも雑談する定位置であるソファに腰かける。
(エヴァルド様は本当に凄いお方だわ。こんな私がここに座って言葉を交わすことなど本来ならあり得ないし奇跡のような事。私は見向きもされない錆びた家の三女で、容姿も体型も学力も性格も何もかも秀でていない……本当に夢のようだわ…………まだ興奮してるのかしら………体が熱い………)
リーディアの意識は次第にゆっくり沈んでいった。
※
エヴァルドが帰宅したのは深夜過ぎてからだった。門番に労いの言葉をかけ、屋敷の玄関に入ると主人の帰りを待っていたナーシャが迎える。
「エヴァルド様、お疲れ様でございます」
「ナーシャも深夜まで悪いな。ほらお土産だ」
「ありがとうございます!お土産のためならばいくらでも待てます。荷物お持ちします」
「あぁ、助かる。城でも浴びてきたし、シャワーは明日の朝にするかな……ディアに変わりはないか」
エヴァルドは荷物を半分ナーシャに渡して、話しながら寝室へと歩きだす。エヴァルドは試合後、リーディアが活気の熱に当てられたように、ボーッとして帰っていったので心配していた。
「顔を赤くしながら、とても興奮した様子で今日の感想を話していました。馬車の中でも屋敷に帰ってきてからもエヴァルド様のことばかりでしたよ……ふふ」
「そうか。誘って良かった」
「ですがやはり疲れたのでしょう。夕方には少しため息も多く、ボーッとした様子でした」
「では明日の朝はゆっくり寝かせてやれ。朝食は私ひとりで良いから、執務室に頼む」
「かしこまりました」
そうして部屋に着き中に入るとリーディアがソファで寝ており、予想もしてなかったエヴァルドの心臓は飛び跳ねそうになる。
「リーディア様……もしかしてエヴァルド様をお待ちに?」
「まさか、ディアが……?」
エヴァルドがそっと近づき顔を見ると、化粧をしていない素顔はどこか火照っており少し汗ばんだ肌が色っぽく見える。体勢が悪いのか少し苦しそうに寝息をたてているが、エヴァルドが帰ってきたことには全く気付きそうもない。
「ディア………………熱?」
エヴァルドは思わず愛おしい人の頬に手を滑らすが、手のひらから伝わるリーディアの顔の熱さに気付く。すぐにナーシャも確認するが顔だけではなく首元も熱く、エヴァルドの勘違いではないらしい。
「風邪の症状は無いと思ってましたが、見過ごしていたようです。申し訳ございません」
「いや、疲れかもしれない。まずはベッドに寝かせた方が良さそうだな。扉を開けてくれ。朝になったら医者を呼ぼう……それまでディアを頼めるか?」
「はい、もちろんでございます」
エヴァルドはリーディアが起きないようにそっと抱き上げる。その体は思っていた以上に軽く、壊れてしまいそうで慎重に運び寝かせる。
「エヴァルド様、私は看病セットをすぐに持ってきますので、数分だけ見ててください」
「分かった」
(大胆で強い所を見てきたから、ただの可憐な女性だということを失念していた。情けない……。住み慣れた実家を出て、誰にも相談できない契約生活。無理をさせてしまっていたのだろうか……だからここから出たくて市井や解消の話をしたのか?)
エヴァルドの心は罪悪感によってチクリと痛む。もし契約解除をして市井に見送り、諦めずアタックして後でリーディアの心を掴んだとしよう。しかし一度公爵に婚約破棄されればリーディアは伯爵家から勘当され平民になり、再婚約など身分的に認められなくなってしまう。エヴァルドから配慮をお願いしても、見栄で生きているカペル伯爵は新たな理由をつけて追い出すような人間だ。
無理に再婚約したとしても、社交界でのリーディアの立場の厳しさは想像に容易い。リーディアと結婚するためには婚約破棄などありえない。
(私はなんて我が儘なのだろうか……リーディアの事を思いつつ、自分の気持ちを後回しにできない。どうか見捨てないでくれ)
「ディア……すまない。愛してるんだ」
エヴァルドは懇願するように、眠りについているリーディアに囁いた。
「お待たせしました!あとはお任せください。エヴァルド様まで体調をくずされては、リーディア様も治りません。どうかお休みください」
「ありがとうナーシャ。おやすみ」
エヴァルドは名残惜しそうにしながら自分の寝室に戻ると、ベッドに倒れ込むように眠りについた。
※
(──愛しているんだ…………本当に?聞き間違いよ、勘違いしたら辛いだけ……誰も私なんかを愛したりしない…………でも本当は、ずっと誰かに)
「───?」
リーディアが目を開けると、今では見慣れた天井が視界に広がる。「なんだ、やはり夢か」と起きようとするが、体がうまく動かせずまた枕に頭が落ちる。するとナーシャに背中を支えて起され、水を飲ませてもらった。
「リーディア様!目覚められたのですね?良かった……」
「ナーシャ、私……」
「お医者様によりますと疲れで熱が出ているようです。おやすみすれば治るとのことですのでご安心ください」
「そんな、わたくしなんかのために……こんな私に……申し訳ないことを……ナーシャにも……」
「いいえ、私たちが好きでやっていることです」
(エヴァルド様が気づかれたように、本当にリーディア様は自己評価が低い……?熱のせいで弱気になってるだけだと思いたいけど……)
ナーシャは心がチクリと痛む。この屋敷で1番側にいる自分が気付いてあげられなかったことが悔しいのだ。背中にクッションを積み、リーディアを支え栄養のあるものをすすめようとワゴンを近付ける。
「さぁ何か食べましょう。ミルク粥に果物もなんでもあり……」
「………………すぅ」
クッションに包まれ気持ちよくなったのかリーディアはまた寝てしまっていた。リーディアの顔はまだ赤く、まだ熱は長引きそうだとナーシャは看病へ気合いを入れ直した。
※
(あぁ、熱い。健康が取り柄なのに……こんな私でも慕ってくれている人がいるかもと思った罰ね。昔から誰にも見向きもされない私が……こんな私が……)
リーディアはカペル伯爵家の姉がふたりと弟ひとりの四人姉弟の3番目として育てられた。リーディアは初めから伯爵家からでは不要な娘として扱われていた。女児がふたり続き、次こそは跡継ぎの男児が欲しいと切望されているなかの女児だった。
弟が生まれると両親の愛情は全て弟に集中し、欠片ほどはあったはずの情さえも三姉妹に注がれることは無くなった。
しかし姉たちはまだ他者に愛される要素を持ち合わせていた。カペル伯爵は長女の整った容姿を売り込み、成人前にもかかわらず子爵家の跡取り息子に嫁がせた。次女は賢く、子供のいない男爵家に養女として出された。
どれも父親であるカペル伯爵が事業の援助を受けるために、売り飛ばしたような縁組みだった。しかし姉たちは伯爵家よりはマシだと喜び、「本当に私は運が良いわ、あなたと違って良いところがあって、私は望まれたんだもの」とリーディアを嘲笑いながら家を出ていった。
「そんな平凡な容姿じゃ妾としても売れんな」
「勉強もその程度か……家庭教師代も無駄だ」
「本当に邪魔な娘を産んでしまったわ」
「何もないお前を愛して、引き取る人間などいるわけないだろう。とんだ穀潰しが」
三女のリーディアには整った容姿も、優れた学力もなかった。事業が上手くいっていない八つ当たりもあるのだろう、不要な娘には勿体ないとそのうち侍女と家庭教師は外され、対外的には気弱な娘として部屋から出てこない隠された子供となった。それが当たり前で、だからこそリーディアには都合が良かった。
カペル家の娘だとバレなければ、侍女も護衛もいないので実は外出は自由だった。姉の化粧技術を真似して変装し、図書館へ通って自分なりに勉強したり、時々小説の世界で現実逃避するのが日課だった。
そしてある日、リーディアは一冊の本に出会う。いつも通り乙女小説で現実逃避しようとマドモワゼル先生の新作を選んだが、それは男性同士の恋愛が綴られた薔薇本だった。なぜ図書館にあるのかはおいておいて、薔薇本には乙女小説にでてくる憧れの王子のような男性が多数出演し、あまりにも非日常的な内容で現実逃避には最高の一冊だった。
(すごいわ。彼等の愛は身分も性別も超えてしまうのね!私は家族にさえも愛されないのに……彼等の魅力はすごいわ。なんて眩しいの)
リーディアは主人公になったつもりで続きを読み、愛される疑似体験に夢中になった。もっと読みたくなり探すが図書館にあるのは一冊のみで、リーディアには本を買うお金がない。
(それなら自分で好きな内容を書けば良いんだわ!紙とインクと時間はたっぷりある。図書館で書けば家にもバレないわよね?わぁ妄想が止まらないわ)
そして気紛れで投稿した作品が採用され、リーディアは初めてお金を手にいれた。
(私でも稼げる。両親に渡したら愛してくれる?いいえ、無理ね。伯爵家令嬢という肩書きは変わらない……見栄が命の両親には労働など許してもらえず、お金は取り上げられて終わり。そしてこんな私を愛し連れ出してくれる男性も友人もいない。愛されないのなら、せめて小説の中だけでも……)
リーディアは密かに貯めたお金で本を買い読み漁り隠し、ひたすら小説の執筆に没頭した。デビュタントもすること無く3年半が過ぎ、伯爵の新規事業が失敗し荒れていた時シーウェル公爵からの契約が持ち込まれた。伯爵は迷うこと無く、お金のためにリーディアを売り飛ばした。
(やっぱり私は誰にも愛されること無く売られるのね。でもお陰でこの家から出られるわ!チャンスをくれた公爵様のために、私の全身全霊をかけて駒になろうじゃないの)
リーディアは決意を固め、初めての伯爵家の外の世界に心踊らせ、エヴァルドと出会うことになった。
(そう、私は駒……エヴァルド様がお金で買った駒……なのに……たかが駒の私に優しくしてくれるの?お医者様まで呼んでくれるの?…………でもお陰で体が随分と楽になった気がするわね。もう座っていられるわ)
「ディア、水は飲めるか?」
(お水?うん、欲しいわ……)
「まだ欲しいか?」
(うん、まだ飲みたい……)
「何か食べられるか?温かいミルク粥があるぞ?」
(うん、食べたい。温かいのなんて贅沢ね、伯爵家ではいつも冷めてたわ……)
「ほら、口開けて」
(あむ……美味しい。もっと……)
「ディア……ほら、あーん」
(うん、美味しい……なんか至れり尽くせりね。しかも何故かエヴァルド様の声も聞こえるし、エヴァルド様が私の世話なんてするはずないのにね。幻覚?姿も見えてきたわ。ふふふ、なんて素敵な夢なのかしら…………)
リーディアはまるで雛のように口を開けて、次の一口を求め食べていく。
これが現実で、エヴァルドが本当に世話をしてくれていることにまだ半分夢の中のリーディアは気づかない。