眼鏡公爵の仕事場
エヴァルドは王城の食堂で仲間たちと昼食を食べていた。近衛たちは普段は無表情に王子の側に仕え、危険が及べば容赦なく敵を切り殺す精鋭で周りから恐れられている。
しかし任務時間外では彼らも普通の人間で、雑談に花を咲かせ、今の話題はエヴァルドの事だった。
「しかし、エヴァルドも落ち着いたなぁ。俺はてっきりフワフワ系を選ぶと思ったんだが」
「フワフワ系かぁ。婚約者の名前ってリーディアさんでしたっけ?男前のエヴァルドさんが選ぶってことはめっちゃ美人なんですか?俺見たこと無いんすけど」
「お前は夜会で見たこと無いのか~なんか、うん、記憶に残りにくい女の子だ」
「シオンさん、どういうことですか?ねーエヴァルドさん!」
同僚のシオンが地味女をオブラートに包んで説明するが後輩には伝わらず、エヴァルド本人に切り込む。エヴァルドはどう説明したら良いのか困り少し思案する。
まわりには地味でもエヴァルドにとってはリーディアが可愛く見えており、着飾らない素顔は魅力だった。戦闘メイクをした彼女もまた別の魅力があり、それを説明するのもなんだか気が進まない。
「慎ましい控えめな性格で、それが表れたような容姿だ。それ以上はなんとも」
「どんな容姿ですかぁ、気になるっす」
「機会があればな」
「じゃあこれに誘えよ」
後輩キースの悩む姿にエヴァルドが苦笑していると、背後から一回り体格の良い男が紙をペラペラさせながら声をかける。
「ダラス隊長、会議終わったんですね」
「あぁ、俺も見たことねぇからな。連れてこい。さっき例の日程が決まったし、ちょうど良いだろ?」
エヴァルドはダラス隊長から紙を受けとると、分かりましたと即答した。
※
今リーディアは簡素な木製ベンチに座りオペラグラスを握り締め、気分が高まっていた。まわりにはリーディアと同じようにベンチに座って、真剣にある光景を目に焼き付けようとする女性が多数。中には憧れの眼差しで目を輝かせる少年たちがいる。
彼らの視線の先には鎧や軍服に身を包む、屈強な男たちがズラリ。
(あぁぁあぁ素晴らしいわ!もう何なの?ここは楽園なの?あぁ、あの二人距離が近すぎではなくって?あらら、あちらは肩を組んでどういう関係なの?公開演習…………最高!)
リーディアの鼻息は荒くなる一方である。
実は数日前にエヴァルドに公開演習の見学に誘われていたのだ。普段から軍部による公開演習が行われているが、王城や王都の要所を守る騎士が合流するのは稀。
現在、国境の情勢が不安定であり国民に不安が広がりつつあった。これは騎士団と軍部の結束力を見せ国民を安心させるだけではなく、偵察しているであろう敵国に実力を見せつける目的があった。
そして騎士は男であれば誰もが憧れる職業。その中でも一切訓練が公開されない王族の近衛達が参加するなど異例で、見目麗しい男が多く、女性たちが殺到していた。
見学エリアは3ヶ所あり、平民席、貴族席、軍の家族や婚約者用の招待席があったのだが、リーディアはあえて平民を選んだ。他にも同じ狙いの令嬢たちが平民に紛れ込んでおり、囁き合う。リーディアも戦闘メイクで潜伏中だ。
「今日はおはだけあるかしら?」
「天気が良いから期待できるはずよ」
「あぁ、早く休憩時間にならないかしら」
(完全に同意だわ。上半身だけとはいえ男性の裸体など見たことないわ。エヴァルド様なんて鎖骨だけで色気が大変なのにそれ以上だなんて……!でもネタのためよ!やらしい気持ちなどないのよリーディア!)
演習場所から更衣室は遠く、移動が面倒な軍人たちは汗をかくといつもその場で上着を着替えることが多い。その鍛え上げられた肉体は強さの象徴で、あえて見せつけるために上着を脱ぎ捨てることを『おはだけ』という。それを騎士にも期待しているのだ。
リーディアもおはだけを見に来たひとり。ナーシャは演習場の近くの馬車の中に留守番させてまで会場に乗り込んだリーディアの気合いは尋常ではなく、渋るナーシャを振り切ってエヴァルドを説得し、単独行動の権利をもぎ取っていた。
伯爵家では自分に侍女はおらず、公爵家で使用人に構われ続けられていることに慣れず、人目が気になるリーディアは「たまにひとりの時間が欲しいんですの」「演習場は軍人やエヴァルド様たち騎士団がいるでしょう?ひとりでも安全だわ」とゴリ押ししたのだ。
(ナーシャは悪くないんだけど、今日だけは本気で、集中して、抜け目無く見学したいのよ……って騎士が出てきたわ!)
軍人が先に準備運動している演習場に選抜された近衛騎士達が現れる。女性たちが立ち上がり手を振りながら声援を送る姿に、人気の高さが分かる。そして、その声はさらに高まる。
(エヴァルド様だわ!って……えぇぇえ!ルーファス王子殿下まで来てるの!しかも軍服!なんでなんでなんで)
「「「ルーファス殿下ぁぁあ!」」」
第二王子ルーファスが現れることを知らなかったリーディアも驚きのあまり、平民たちと同じく立ち上がり一緒に叫んでいた。
「さすがルーファス殿下、凄まじい人気ですなぁ、はっはっはっ」
「私は王子だが軍と騎士をまとめる総帥を担ってるんだ。参加しても不思議でないだろうに。それよりダラスの家族は来てるのか?挨拶がしたい」
「招待席にいるので後程。それよりエヴァルドの婚約者は来てるのか?」
「来てるはずなのですが、見当たりません。会場が広いので平民席に紛れてるかもしれません」
たくさんの声援の中、ルーファス王子の後ろに控えるようにダラス隊長と副隊長のエヴァルドが並ぶ。無表情のまま雑談をしながら演習の開会宣言のため3人だけが中央へと進む。敵からみれば王子が出てくる本気度と、会話をするほど余裕に見える様子は脅威だろう。
「エヴァルド、見つけたら俺に紹介しろよ?お前さんの突拍子もない狸芝居に付き合い、尚且つ惚れさせる令嬢なんだろ?」
「私も興味がある。しっかり捕まえろよ?」
「えぇ、芝居終了になっても逃がす気はありません」
「お、若いっていいなぁー。って、よし、始めますか」
元々婚約解消予定だったため、さすがに上司には報告しようとルーファス王子とダラス隊長にはリーディアとの契約を密かに打ち明けていた。そして先日、本当に惚れてしまったことも話してから、二人はよく気にかけてくれていた。
ルーファス王子が開会宣言を行うとフィールド上で軍人と騎士達が一対一で向き合い、模擬剣を構え睨み合う。今日のメインは試合形式で、軍人も騎士も関係なくくじ引きで組み合わせを決めて戦うことになっていた。それが同時に複数箇所で行われている。
ルーファス王子は椅子に座り、エヴァルドとダラス隊長は変わらず後ろに控え、試合を見ながら雑談を続ける。
「おぅおぅ、お互いに恨みあってんなぁ」
「常に危険地帯を守る軍人と、国の要を守る騎士。お互いに誇りを持っている分、ライバル視し過ぎて結束力に欠けますね」
もし開戦となれば前線は軍人が、指揮は騎士がまとめる事になる。しかし前線で国を一番守っているのは己だと自負している軍人は、王都でぬるま湯に浸かってる騎士が気に入らない。騎士は剣術や武術だけではなく、あらゆる場面で対応できるように過去の戦いから戦術を研究しているため、ただ剣を振るう軍人を脳筋と思っていた。
そんなライバルに負けるわけにはいかないのだ。
「これで本当は理解が進めば良かったが難しいか。やはり力でねじ伏せるしかないのか…………」
顔には出さないものの、ルーファス王子はげんなりしていた。隣国が領土拡大のために国境が狙われているという情報がある。もしかしたら交渉の場が設けられることになれば、自分も戦地入りする可能性も高く、命を預けるにはこの連携の悪さは不安にさせられた。
試合は淡々と進められ、実力はやや王都の騎士が上回っている。乱戦に慣れている軍人と、常に一対一で訓練している騎士の慣れの差だ。だが、できれば上に立つ騎士が威厳を見せて圧勝して欲しいところなので、ルーファス王子としては目論み通りにはなかなか進んでいない。
そして休憩時間が迎えられ、軍人によるおはだけタイムが始まり、見学席からは黄色い声が聞こえ始める。軍人がキャーキャー言われているのが面白くなく、一部の王都の騎士もその場で着替え始めたことでピンクの悲鳴すら響いていた。
「はっはっは、人気取りは騎士が勝ちか!あとは後半の勝ち抜き戦で騎士が勝てば文句なしですなぁ殿下」
「あぁ、なんせ騎士のチームに私の近衛を入れるんだ。エヴァルド、シオン、キース、敗けは許さん。私から離れて良いから準備しろ」
「「承知しました」」
エヴァルドたちは敬礼すると、他の近衛にその場を任せて準備に取りかかる。後半は趣向を変えて軍人と騎士から特別に選抜された精鋭による勝ち抜き戦が行われ、本気の実力比べ。エヴァルドはその選抜のひとりに選ばれていた。
「あぁ、今日はあの子がジルの餌食かーあいつ手ぇ早いし」
「確かに平民にしては可愛い子だもんなぁ、よく見つけるよ。あの控えめで断れなさそうな感じ、ジルに狙われるわな」
「君たち、ジルとはどいつだ?」
同僚たちと模擬剣を取りに行く途中、ふとした会話がエヴァルドの耳に入り、胸騒ぎがして側にいた軍人に聞き出す。そして教えられた座席を見ると優顔のシャツをはだけさせた男が、ひとりの女性の肩に腕を回して口説いているように見える。
「シオン、キース、先に行ってくれ。私は平民席に行く」
「エヴァルド?」
そう同僚に言い残して、地面を蹴った。
※
(わぁぁぁあ!これが、おはだけ!緊迫した迫力ある試合も良かったけど、これはまた違う魅力が……!私はここから見るので精一杯だわ。なんて強そうな筋肉なの!?まるで彫刻!)
おはだけが始まった瞬間、平民の女性たちは平民席の最前列でできるかぎり男性の肉体を見ようと、見学席の柵に殺到していた。さすがのリーディアでさえも勢いに飲まれて唖然として席に座ったままで、まわりはがら空き状態。
(前半でエヴァルド様の勇姿が見られないのは残念ね。出るのは後半だとは聞いているけれど、もし前半に出てたらエヴァルド様もおはだけに?……だめよリーディア!あの方のおはだけなんて、危険だわ!)
先週の夜の色気を思い出して、“はじめから色気のすごいエヴァルド様が脱いでしまったら、とんでもないことになる”とリーディアは静かに悶えていると隣に見知らぬ男性が座る。
「真っ赤な顔で可愛いね子猫ちゃん」
「はい?」
軍人のジルはずっと平民席を物色し、がら空きの席に残っていた戦闘メイクによって可愛い顔立ちになっているリーディアに狙いを定めた。ジルは子爵家の次男で、ある程度顔が良いことから、それを利用して女の子と一晩の恋を狙うゲスい常習犯だった。平民が多い軍人の中でも実力が確かで、まわりは下手に注意もできない状態だった。
「ねぇ君もここにいると言うことは興味があるんだろう?僕で良かったら触ってみる?ほら、腹筋とか自信あるんだ」
「い、いえ。見るだけで十分ですわ。どうか他の方に」
身を引こうとするリーディアに対して、ジルは内心舌打ちをする。
(ちっ、意外とガードが固いな。普通の子は恥じらいながら触れてくるのに。でも久々に垢抜けた可愛い子だから逃がすかよ)
(ななななななんなの!そんな姿で近づくなんて無理!私は男性に関しては見るのと読むのでお腹一杯よ!断ったのになんで離れないのよー。軽薄な男性は萌えないし、ネタにもなりませんわ!)
リーディアのタイプ(あくまでも小説)は硬派な一筋系(できればツンデレ属性)であり、ジルは真逆の人間だった。しかし完全にロックオンされたリーディアは拒否したのにも関わらず肩に腕が回され、固まってしまう。
「緊張してるの?ほら、大丈夫だから」
「…………っ」
(違うわ!気持ち悪いのよ!男性は見る専門だから触らないで!ここで騒いで軍の醜聞にする訳にもいかないし、どどどどどうしよう!こういう時に限って何も思い付かない……誰か助けて)
「…………ルド様」
「は?誰の名前?妬けるなぁ」
「私の名だが?彼女を譲ってもらおうか」
リーディアの口から自然と彼の名が溢れ、目を開けると冷えきった瞳のエヴァルドがジルの腕を掴んでいた。ジルはエヴァルドが近衛の副隊長だと気付き、すぐに手を引くが不満げな表情は隠さない。
「私の婚約者の相手をありがとう。どうやら平民席に迷い込んでいたから、見つけてくれて助かったよ」
「…………それは、どうも」
「さぁディア、招待席はこっちだ」
「はい。軍人様、失礼するわ」
エヴァルドがリーディアの腰に手を回し立たせ、エスコートしながら平民席を出る。先程までおはだけに騒いでいた女の子たちは、夢の殿方である近衛で、しかも容姿端麗な憧れの騎士に見惚れていた。
事実はどうあれ、会話を真に受ければジルが醜聞の原因になることが避けられ、近衛に協力した軍人として扱われる。結束力を高めたい今回の演習では無難な選択だった。
「エヴァルド様の機転に助けられました。私も、おそらく彼も」
「賢い君が言うのなら正解だったようだな。怖くなかったか?何もされてないか?」
途中で立ち止まり、エヴァルドはリーディアの両肩に手をおいて顔を覗きこむ。。エヴァルドの心底心配したような優しい瞳で見つめられ、冷めたはずのリーディアの顔がまた赤く染まる。
(あの軽薄男の時は気持ち悪かったのに、エヴァルド様だと全く違うわ。それにその眼差しは…………やっぱり私には刺激が強い!)
「エヴァルド様、私はもう大丈夫です。ひとりで行けますから、どうか試合の準備を」
「いや、もう模擬剣を受けとるだけだし、おそらく同僚が用意してる。ディアが心配だから席まで送らせてくれ」
「…………はい」
赤い顔を隠すように俯くリーディアはエスコートされるままに奥に残された空席に座る。招待席はメインの試合場所の目の前で平民席の最前列より近いため、騎士チームの作戦会議に合流したエヴァルドの事が先程よりよく見える。
(エヴァルド様がリーダーなのね。指示する姿も素敵……心臓がドキドキする。さすがインテリ眼鏡イケメン騎士で紳士で完璧すぎる…………そうよ、これは素晴らしいモデルを目の前にしてるから動悸が治まらないのよ……そうに決まってる)
近くでルーファス王子が寛いでいても、他の騎士がおはだけ状態でも、その騎士達が半裸で絡んでいても、今のリーディアには騎士服を首元までピッチリ着ているエヴァルドしか目に入らなくなっていた。