地味令嬢の暴走
「改めて、お仕事お疲れ様です。さすがルド様、打ち合わせもなしに話を合わせてくださり助かりましたわ。本当にタイミングも絶妙で」
「いや、大したことではない。偶然だ」
リーディアは屋敷の主人を迎えるように、先ほどの馴れ馴れしさがない淑女らしい礼で疲れを労る。エヴァルドはさも当然に返すが、実は先ほどまで羞恥で転がりそうになっていた事を知るのはデューイだけ。
実は偶然、護衛対象の第二王子の予定が変更になり早く帰城したため、仕事が早く終わったのだ。同僚が翌日は休みだし、実家から送られてきたワインを開けようと誘ってきたが、個人で雇っている影から連絡がありお裾分けをもらい帰宅。帰宅を待っていた執事デューイに簡単に状況の説明を受け、別室にて応接室の会話を盗聴していたのだ。
ちょうど令嬢たちのハッピーエピソードが尽きて、エヴァルドにとってのバッドエピソードが始まったばかりで精神が激しく削られていた。
(やーめーろー!恥ずかしいことばかり思い出させやがって!しかも令嬢たちめ……あることないことまで話すとは名誉毀損だ。利益もないし、高飛車でホラ吹き……だからあいつらとの婚約は嫌なのだ。………………しかし、ここでもリーディアは違うのだな)
令嬢がバッドエピソードを暴露するなか、リーディアだけはエヴァルドのマイナスになる話をしなかったのだ。
紅茶に入れるレモンは2枚で酸っぱめが密かに好みだとか、願掛けなのか必ず右足から靴を脱ぐだとか、精神的に害が無くてよく観察しないと気付かない事があげられていく。
しかもこれらはエヴァルドから伝えたことはなく、リーディアが自分で発見したことだった。
(彼女は私のことをよく見ていてくれているのだな)
エヴァルドは自分でも気付かないうちに、口許を緩ませていた。
しかし盗聴してるとリーディアの話が夜の方向に持っていかれ、エヴァルドは焦って動き出す。わずかに開かれた応接室の扉の隙間から寝室の話が出て来て、更にエヴァルドは焦った。
(なんだそれは!リーディアは寝室の何を見たんだ!?)
別にやましいものは無いつもりでも自覚がないからこそ焦るのが人間の心理で、エヴァルドは迷わず戦場へ突入を果たしたのだ。
「とりあえず今回もディアのお陰で助かった。同僚にワインをもらったのは事実だから、食後にでも私室で一緒に飲まないか?(今日のこと詳しく教えろ。寝室で何を見た)」
「まぁ喜んで!私も実は美味しいお酒を取り寄せていたのです。それも飲みましょう(酔わせて新たな一面を観察してやる)」
二人の思惑は別方向にあったが夕食をとった後、エヴァルドの寝室でワインを開ける。新物のワインで甘酸っぱい香りが広がり、若いブドウゆえの渋味もあるが飲み口は非常に軽いワインだった。エヴァルドはくいっと一杯目を飲み干し、リーディアもいつもよりグラスが進む。
「まぁ、飲みやすいわ」
「それは良かった。それよりも今回の作戦は前から考えていたのか?あまりにも私のことを知っているようだが……使用人にでも聞いたのか?」
「まさか、自分の目で見たことですわ。気持ち悪かったら申し訳ありません。でも作戦の為だったのです!」
(やりすぎたかしら……まだ観察したりないから解消されたくないんだけど……)
出会って数ヵ月しかたっていない女が、自分の事を知りすぎている。つまりそれだけ調べている行動は変態行為と見なされても反論できないと、今さら思い至りリーディアは後悔していた。
今回の敵撃退にたまたま使えそうだっただけで、目標達成まで別の目的で観察してたとは口が裂けても言えない。
「気持ち悪くなどない。むしろ……」
(私は嬉しかった。それが作戦のためとは知っていたつもりだったが、実際に口にされるとなんだか…………)
「……むしろ?」
「いや、何でもない!それより寝室には何があると言おうとしたんだ?」
エヴァルドは急に浮上してきた謎の気持ちを誤魔化すように、ワインをもう一杯飲み干して矢継ぎ早に質問を変える。
「えっと……熊のぬいぐるみが置いてあると」
「───っ!ゴホッ」
「大丈夫ですか?ごめんなさい。違いましたか?」
「いや、よくあれが熊だと分かったな」
エヴァルドの寝室にはガラス張りの大きなサイドボードがあり、色々な雑貨が並べられていた。リーディアは異国のコレクションかと思い観察していたが、泥団子をくっつけたような人形(?)が気になって考えた末、熊と判断していた。
「それは……実は私の手作りなんだ」
「……!!?」
「小さい頃、両親に作ってプレゼントしてな。ただの黒い塊になってしまったのに二人はそれを可愛い熊と言って宝物にしてくれた」
「……大切な遺品なんですね」
「あぁ、本当に大切な物なんだ」
エヴァルドは優しかった亡き両親の姿を思い出して、ソファからヌイグルミを眺める。その瞳はいつもの冷たさを帯びた色ではなく、大切な人を慈しむ色だった。
(なんて尊い……エヴァルド様、貴方様はなんて尊いお方なの?すごく感動的なエピソードだけど、これは駄目ね。こんな大切なお話は小説には使ってはいけないわ)
リーディアは思わずエヴァルドの心情に移入して、鼻の奥がつんとしてきてしまうがワインを口にして気持ちを切り替える。エヴァルドを見つめ直すとその姿はずいぶんとリラックスしており、契約した当初の冷たさはなく、少し無防備にも見える。
(本当にエヴァルド様は逸材だわ。無防備になると少し顔立ちも幼げに見えるのね……………………ひっ!?)
リーディアが見ていると、ヌイグルミから視線を移したエヴァルドと目が合う。しかも何故か少し睨まれており、驚いたリーディアの肩は少し跳ね上がってしまう。
「しかし、あまりにも寝室の話をするのはどうかと思う」
「申し訳ありません。エヴァルド様の名誉のためにも今回限りにいたします」
「いや、そうではなくて。貴女の名誉を心配しているのだ」
リーディアはエヴァルドが何を言いたいのか分からず、首を傾げると思わずエヴァルドはため息をつく。
「はぁ……私は貴女の貞淑に傷がつくかもしれぬと心配しているのだ。隣の部屋に住まわせておいてなんだが……」
「傷付くことで何か問題でも?」
「……は?」
婚約している貴族の、特に上位のものは正式に婚姻を結ぶまで肌を重ねる事は表向きご法度とされている。もし重ねた場合は責任をとって婚姻する事となるが、すぐに婚姻しない場合は事実はどうであろうと女性に悪い原因があるとされることが多い。更に婚約解消となれば社交界では娼婦の烙印を押されるに等しい。
令嬢たちが勘違いを起こして吹聴してリーディアが不利になるのでは、とエヴァルドは心配しているのだ。しかしリーディアにはどうでも良いことだった。
「わたくしはエヴァルド様より婚約解消がなされた後、そのまま市井で平民として生きていくつもりでしたから関係ありませんわ」
「貴族を抜けるのか……」
「はい。夜の噂がなくても公爵様より婚約解消されるようなしがない貴族の三女にはもはや居場所は残されません。婚約解消と言いつつも世間様は破棄とみなすでしょうし。そんな女は消えるのが一番ですよ」
(実際に解消されたら、市井のどこら辺に住めば良いかしら。出版社の近く?いいえ、美味しいパン屋の近くかしら。図書館の近郊も捨てがたいわ。なんだか楽しくなってきたわね)
「ふふふ」
リーディアはグラスを傾けながら、未来を想像して笑みが溢れる。
それを見たエヴァルドは頭を殴られたような衝撃で瞳を見開くしかなかった。生粋の貴族であり公爵の立場に誇りを持っていたため、市井へと下るのに笑っていられることが信じられなかった。リーディアの笑顔は開き直ったわけでも、皮肉を含んだものでもなく純粋に楽しむものだった。
(私の単なる都合で社交界に居場所がなくなるのに、私を憎む様子もなくリーディアは何故笑っていられるのだ。他の女性たちは最大限に着飾り 、あの場所に固執してるというのに)
それだけではない。落胆している己の気持ちにも気付き驚いていた。
(リーディアはこの公爵の婚約者という立場さえも居場所と思っていない。契約上そう思えとは言ったが、私たちの関係は良好であるし、不自由をさせているつもりもない。それでも私の側より市井の方が魅力的なのか……?継続したいとは思っていない?私はなぜこんなにもショックを受けている?)
「分からないってお顔をなさってますね。エヴァルド様は分からないままで良いんですよ~貴方は貴方のお立場がございますからぁ。ふふふ」
「ディア…………ん?」
「本当にルド様って~涼しい目元に銀縁の眼鏡はよく似合ってますしぃ、騎士なのに眼鏡っていうのも珍しくて素敵ですしぃ」
「おい、ディア?」
「クールかと思えば優しいしぃ~」
(これは酔っている?)
エヴァルドは普段の夜会でもお酒を飲んでもリーディアの酔う姿など見たことない。そんな彼女は瞳をとろんとさせて、エヴァルドを誉めながら令嬢らしからぬ笑みでニヤニヤと見つめている。慌ててワインの中身を確認するがまだ少し残っていて酔うはずがない。しかしもうひとつの瓶が開封されていることに彼は気が付いた。
実は両親の思い出を語るエヴァルドの姿に非常に萌えたリーディアは、彼の様子を肴にお酒が進んでいた。しかしグラスが空になってもワインのボトルはエヴァルドのすぐ側。声をかけてエヴァルドの素敵な表情が変わるのが惜しいと判断して、自分の持ち込んだお酒をひっそり開けたのが悪かった。元々はエヴァルドを酔い潰すための酒を、ワインのように飲み進めてしまった。
「このお酒……なかなかの度数ではないか。しかもこんなに」
「そうでしょぉ~だってエヴァルド様の酔った姿が気になってぇ、見たくて用意したんですものぉ。お喋りさんになるのかなぁ、可愛いのかなぁ、泣くのかなぁ~ふふふ」
「…………私のことが気になるのか?」
「その通りでーす。さすが頭が良いんですね~良い子、良い子♪」
「───!」
エヴァルドが酒瓶をリーディアから取り上げるために近づくと、酔ったリーディアに頭を子供のように撫でられ動けなくなってしまう。
(わぁルド様の髪って真っ直ぐでサラサラー!気持ちいいなぁー。あら?前髪の影に古傷があるわ~痛そう!騎士って本当に危険なのね。でも隠れる場所で良かったわ~あぁ本当に髪サラサラ気持ちいい~夢の中って何でも出来るから最高♪)
そんな事を思っていたリーディアは既に立てないほどに潰れていた。ようやく、撫で撫で攻撃から解放されたエヴァルドは冷静さを取り戻し、酒瓶を遠ざける。
「ナーシャ!」
「はい、多めのお水でございますね」
エヴァルドが呼ぶと、リーディアの寝室で扉を少し開けて常に待機していた侍女のナーシャが状況を察して動き出す。
「頼む。私はその間にディアを寝室に連れていく。ほら、支えるから立ってくれ」
「えぇーもっと話しましょうよ。あら?ナーシャじゃない」
「リーディア様、本日はもう寝室でお休みください。エヴァルド様の指示にお従い下さいね」
「ナーシャが言うなら了解でーす。いつも、良くしてくれるナーシャが好きよぉ。ふふふ、大好き」
「「──!!」」
(リーディア様、なんと可愛らしいの!?)
(リーディアにはこんな一面があったのか!?)
「わ、私はお水を持ってきます!」
「よ、よし。寝室に行くぞ!」
エヴァルドとナーシャは動揺を隠すように、それぞれ動き出す。もうリーディアの意識は半分夢の中で、エヴァルドに支えられているのを忘れて寝室に入ると条件反射で机に向かおうとした。
「リーディア、ベッドはこっちだ」
「日記書かなきゃ寝れませんー!書くのぉー!忘れないようにぃー!」
「あぁー分かった、分かった」
エヴァルドは半ば諦めモードでリーディアの我が儘に付き合う。リーディアは机にたどり着くがもう目は開けられず、引き出しを開けて日記帳を取り出し抱えたままベッドに向かい、そのままダイブしてスヤスヤと寝始めた。
「寝たか……はぁ、心臓に悪い」
エヴァルドは深いため息をして、リーディアがダイブした時に落とした日記帳を机に戻すために拾い上げようと手を伸ばす。彼は見るつもりはなかったが、落ちたはずみで開かれたページの文字が自然と目にはいる。
そこにはエヴァルドの事で埋められているページがあった。
(これは……私の事だよな?こんなにも…………いや、何を見ているんだ!)
エヴァルドはすぐに元にあった引き出しに急いで戻す。すると大きめのピッチャーに水を入れたナーシャが寝室に戻ってくる。
「お待たせしました。あとは私にお任せください」
「………………」
「エヴァルド様?」
「あぁ、頼む。おやすみ」
エヴァルドは心臓の音が外にも聞こえそうなほど強く鼓動しており、急いで寝室に戻る。激しい鼓動はお酒のせいにしようと残りわずかだったワインを飲み干すが、もう酔えそうもなかった。
注※この世界のお酒は16歳からOKですが、現実世界の飲酒は20歳になってからです。