猫系騎士とメロン令嬢の幸福
いつもは斜めに流すダークブラウンの前髪を全て後ろに撫で付け、銀の刺繍が施された上質な黒い軍服の襟をしっかりと首元までボタンを閉じる。
特別な日にしか纏わない膝下まであるロングマントを肩から羽織り、レグホルン王国の印璽が施された金のブローチで留めた。
そうして鏡の前にたったシオンの凛とした立ち姿は立派な騎士の姿だった。
「いよいよだなシオン、緊張してるな?私もそうだった」
「エヴァルドも同じか。そうだな、ガラになく少し緊張している……俺だけじゃないんだな」
何度も変なところは無いかと鏡でチェックするシオンの姿にエヴァルドは半年前の自分の挙式を思い出していた。
余裕の気分で準備していたが、待機部屋に1人残された途端に随分とそわそわしてしまったことが懐かしい。だからシオンも同じではないかと心配してこっそり様子を見に来てみたが、予想は当たっていた。
「エヴァルドは今幸せか?」
「幸せだ。いつも愛する人が隣にいるのは心が満たされる」
リーディアを脳裏に浮かべているだろうエヴァルドの表情は穏やかだった。
学園でエヴァルドがシオンに剣の師事を申し込んできた時、エヴァルドは悲しみと苦しみの全てを背負い、敵を排除するために生きているかのようだった。
でも心折れることなく、努力を重ね前を向いていく姿には素直に尊敬し、先輩後輩の関係から親友へと変わっていった。
だからフローラがエヴァルドに想いを寄せていると知ったとき、嫉妬以上に納得した。この親友は良い男だから惚れるのも仕方ないと……まぁ諦めはしなかったが。
そのエヴァルドに愛する人が現れ、愛され、幸せになっていることを心の中で神に感謝した。
「そうか、順調なら良かった」
「でも喧嘩だけは気を付けろ。早く解決しないと食事が不味くなる……」
急に真面目な顔で訴えるエヴァルドにシオンは吹き出した。
「ふっ、あはははは。相当リーディアさんとやりあったな?見たかったなぁ、くくく。忠告ありがとう義弟さん」
「あぁ、どういたしまして。義兄上」
「さぁ、そろそろ花嫁を迎えにいくか」
「私はリーディアの迎えに」
今は親友から義兄弟へと関係を変えた二人は拳をとんと軽く重ね、頷き合うと部屋の外へと向かった。
※
「フローラ……本当に……本当に部屋からもう出るのか?もっとギリギリにでも」
「お父様、きっとシオン様はもう外で待たれているわ」
「シオン君なら……フローラのためならいくらでも待ってくれるはずだ。だから」
「お父様ったら……前と全くぶれませんわね。他のお客様もたくさんいるのよ?」
フローラの控え室ではリーディアの時と同様に往生際の悪いガラナス侯爵が足掻いていた。
リーディアの時は待ちきれなくなったエヴァルドが部屋へと突入し、リーディアを抱えて連れ去っていかなければならないほどの抵抗を見せた。
フローラはこの光景の既視感にため息をつきそうだ。でも、もうシオンを待たせることなどしたくない。彼はフローラをもう十分に待ってくれたのだから。
恩を翳さず、きちんとフローラが恋するまで待っていてくれた彼……2度も惚れさせた自分の王子様。フローラは意を決して立ち上がった。
「リーディア、お母様、お願い」
フローラに名前を呼ばれると、リーディアはガラナス侯爵の右腕に、侯爵夫人は左腕にぴったりと己の腕を絡めてホールドした。
「二人とも……!?」
「お義父様、外へ行きましょう?お義姉様を一緒に見送るのです」
「あなた?まさか愛する家族の腕を振りほどいてまで、フローラを止めるような愚行なんてしないわよね?」
どこか凄みのある笑みに挟まれたガラナス侯爵は涙を飲むしかない。
新婦控え室の扉が開かれると先に待っていた長身の男二人の姿が見える。すぐにフローラが現れたことに気付いたが、シオンは目を見開いたまま微動だにしない。隣ではエヴァルドがくすくすと笑っている。
「シオン様、お待たせいたしましたわ。エヴァルド様も」
「いや、私たちも今来たばかりなんだ。な?シオン」
「あぁ……」
シオンの相槌が弱々しい。
フローラのトップにまとめられた金糸の髪は光が反射して目映く、純潔を表すように薄く施された顔は出会った頃の面影を残している。
真っ白なドレスは背中を大胆に見せているのに、首や肩に胸元はレースで覆われて上品さと色気を兼ね備えていた。
シオンは完全にフローラに見惚れていた。
フローラはフローラでいつもと雰囲気の違うシオンにドキドキして直視できずにいた。
「シオン」
「あ、いや、言葉も出ない……花嫁ではなく、女神かと思った。フローラ……本当に綺麗だ」
エヴァルドに背中を叩かれ、ようやくシオンが口を開く。嬉しいフローラの頬は紅を乗せたように染まった。
「ありがとうございます。シオン様も素敵です……」
「ありがとう……」
テレる二人の間にまた沈黙が流れ、家族の視線が生温くて堪らないフローラはばっと顔を上げてシオンを指差す。
「シオン様!いつものように軽口を叩いてください。恥ずかしくて堪らないわ!」
「いやいやいや、無茶振りしないでよ。照れすぎるフローラも可愛いけど、今の俺には無理無理。本当にフローラは……くくく」
シオンがたまらず笑い出すと、家族みんなも笑い出す。少し拗ねてしまったフローラも気付いたらクスクスと笑っていて緊張が溶けていた。
「さぁ新郎新婦以外は聖堂に入りましょう。ほら、義父上も行きますよ。格好いい父親の姿を見せないと」
「あぁ、そうだな」
エヴァルドの言葉でガラナス侯爵は気持ちを切り替え、背筋を伸ばす。
「ほら、リーディアも行こう。義母上も」
「はい!お義姉様、お義兄様。先にお待ちしてますわ」
「シオン様、フローラを宜しくね。フローラ、シオン様に委ねるのよ」
エヴァルドに先導されてリーディア、ガラナス侯爵夫人も聖堂へ向かう。
家族の姿が聖堂の中へと消えるとシオンの腕にフローラは寄り添った。言葉を交わすことなく横目で見つめあい、その時を穏やかに待つ。
大きな扉が開かれると二人は、パイプオルガンの音を楽しみながら、一歩ずつ踏みしめるように聖堂の中央を進んでいった。
半分ほど進んだところでシオンが左を見るとメルビス伯爵家の両親と兄たちの家族が顔を緩ませ、ルーファス王子や近衛の仲間たちはにやけそうな顔を必死で我慢している。いや、もう我慢しきれていない。
フローラから見える右にはガラナス侯爵家の皆に、学園時代からの友達が涙ぐんで小さく手を振っていた。マドモワゼル先生もちゃっかり参加している。
参列者はみな笑顔で、この結婚を祝福していた。
シオンとフローラは神父の前に立ち、神に祈りを捧げ、誓いの言葉を交わす。それだけの短い儀式ではあるけれど、まるで時間そのものが輝いているようだった。
「誓いの証明を」
神父の言葉にシオンとフローラ向かい合い見つめ合った。
「フローラ、愛している」
「えぇ、わたくしも愛してるわ」
シオンが肩を引き寄せ、フローラの瞳が閉じられると唇が重なった。ふたりが結ばれた瞬間、聖堂は拍手で溢れ花弁が舞い、祝福の鐘が鳴り響いた。
番外編を読んで頂き誠にありがとうございます!
また完結とさせていただきます。