メロン令嬢のお仕置き
「フローラ嬢、俺少し拗ねても良いですか?」
シオンは腕の力を抜いてフローラと体を離す。フローラがきちんと思い出を大切にしていて、両思いなのは嬉しいが……ひっかかることが多い。
「旅人が俺だって思い出すの遅くありませんか?」
「うっ……だってわたくしはずっと旅人様はエヴァルド様だと」
視線を泳がせたあと、申し訳なさそうなフローラの告白にシオンは首をかしげる。
「は?何でエヴァルドに繋がるんです?もしかして……あいつを好きだったのは」
「えっと、そうですの……彼が貴方だと思い込んでいて……」
「いや、なんで思い込むんですか?俺はきちんと一度迎えに行ったのに……確かに色は似てるけど容姿は全く違うでしょう」
「そうなんですけど。そもそもわたくしはメルビス様が来たことを知りませんわ……誰からもそんな話は……」
二人の話は明らかにすれ違ってきた。シオンが旅人として迎えに来てくれていたなら、フローラは喜んでその胸の中へ飛び込んでいくはずなのにと二人は原因を探る。
「「まさか」」
二人の声が重なった。冷静になるとすぐにすれ違いの犯人が誰かなど容易に想像できた。
「俺はフローラ嬢を密かに屋敷に送り届けた1ヶ月後に説得した父を伴ってガラナス侯爵に婚約を持ちかけました。家出したフローラを助けたのは俺です、フローラ嬢に言えば分かるので検討してくださいと」
「それで?」
フローラは前のめりで続きを促す。
「ですが、フローラの夫は次期当主に相応しい令息ではなくてはならない。俺はまだその域に達していないので証明してから出直してこいと……」
「まぁ……」
シオンは当時の記憶を掘り起こしていると一瞬ハッとしたような顔のあと、すぐ眉間にシワを寄せ指で揉み始めた。
きちんとフローラ嬢に伝えて検討して欲しいとお願いはしたが、ガラナス侯爵は約束を明言してくれた記憶がない。確かに少女の幼心に付け入られ、惚れた腫れたでいい加減な男を次期侯爵にするわけにはいかない。話を微妙に変えられて躱されたんだろうなと思い当たる。
そのときシオンは証明してみせると決意し、フローラが成人を迎えたとき頷けば結婚を認めて欲しいとお願いするので限界だった。自分は恩人だという切り札を持っていることを忘れさすほどに、当時からガラナス侯爵の交渉の腕は巧みだったと認めざるえない。
「それで終わりなら良かったが、ガラナス侯爵は更に条件を上乗せしてきた。ガラナス侯爵が俺を認めるまで、俺からフローラ嬢には近づかない事。フローラ嬢から接触があっても話題に出さないと……」
思い出してシオンは苦虫を潰したように不機嫌な顔になる。シオンの話を聞くがやはりフローラは記憶にない。
「酷い。でも、やはり知りませんわ……だから私はシーウェル公爵家を訪問した時、刺繍入りのタオルが庭で干されているのを見て……てっきり旅人様はエヴァルド様だと」
「それガラナス侯爵に確認した?旅人はエヴァルドではなく俺だって教えてくれたりは……」
フローラは首を横に振る。
「しませんでしたわ。お父様はたまたま落とし物を拾ったのではないかと。それか偶然同じタオルか……でも、その刺繍は私が縫ったもの!同じものは無いと訴えたら、旅人ならもうこの国から出てるだろうから諦めろと言われましたわ…………」
それを聞いてシオンは額に手を当て天を仰いで肩を揺らす。
フローラはひきつりそうな口元に手を添えた。
「……はははは!流石、やってくれたな腹黒長官」
「ふふふ、本当ですわ。困ったお父様だわ」
完全にガラナス侯爵に振り回されていた二人はもう笑うしかない。
ガラナス侯爵が変なところで娘命の力を発揮しなければシオンがこんなに我慢することなく、フローラも勘違いして暴走することなかった。何よりエヴァルドという無関係者が巻き込まれることは無かったはずだ。フローラは体の奥底からふつふつと沸き上がる怒りを感じていた。
「さぁ、どうしてくれましょうか。お父様にお仕置きをしなくてはね?メルビス様」
フローラはとびっきり妖艶な笑みを浮かべる。次期侯爵の座が大切なのは分かる。自分には恋に盲目なところがあり、心配してくれているのも分かる。だけどこの故意に起こされたすれ違いの10年は長すぎた。フローラの人生の半分を父親に騙された気分なのだ。
(説教を前提としてお父様にはなにをすれば効果的かしら?メルビス様が私の隣にいるだけでもダメージは与えられるけど足りないわ。そう、もっと親密さを見せつければ良いのだわ)
「メルビス様……いえ、シオン様とお呼びしても?」
「もちろん喜んで、フローラ」
「良かったわ。早速ですがシオン様、お願いがあるの」
「はい」
可愛いフローラに大人っぽくお願いされて、シオンに断る選択肢などない。素直に頷くが……
「今夜お泊まりになって」
「は?」
「明日は昼番でしょ?ずっとわたくしの隣にいて欲しいの」
フローラの真意が分からず固まる。フローラはもちろん大丈夫よね?と言わんばかりの積極な態度にシオンの心臓の鼓動は速くなる。
(ガラナス侯爵の復讐のために色々すっ飛ばそうと言うのか?キスで精一杯のお姫様が!?何の試練だ?落ち着け…………真っ直ぐすぎるところがあるのは知っているが駄目だ。年上の俺がしっかりしなければ)
「フローラ、あのさ」
「シオン様、外を見て!お父様たちが帰ってきたわ!今夜はみっちり尋問と説教よ!」
「はぁ」
「夜通しお父様に追求するからシオン様にも付き合ってもらうわ。隣に座っていたらもう嘘もつけないはずよ……だからお泊まりになって!」
気合い十分のフローラの姿にシオンの肩の力が抜ける。少し期待してしまったため残念半分、きちんとした貞操概念を持っていて安堵半分。出そうな溜め息を飲み込んでフローラに微笑み返した。
「分かった。朝まで付き合うよ」
そうしてシオンとフローラはエントランスでガラナス侯爵たちを出迎えた。
フローラは頭をそっとシオンの肩に預け、シオンはぎゅっとフローラの腰に手を回していた。その密着具合にガラナス侯爵は目を見開き、震える声で訴える。
「シオン君……離れなさい。何をしてるんだ」
「まぁ、仲良さそうで良いではありませんこと?」
侯爵夫人はうっとりと微笑んでおり、見捨てられたガラナス侯爵はもう一人の娘に縋る。
「リ、リーディア……」
「その距離感!通じあったのですね!なんてお似合いなの!美しい……っ」
リーディアは胸の前で手を組んで目を輝かせていた。出迎えた使用人も微笑ましくシオンとフローラを見ており、すでにどちらに勝敗があるかは歴然だった。
味方の得られないガラナス侯爵は直接フローラを説得しなければと向き直るが、見たこともない冷たい瞳をしていた。
「お父様、お話がございますの」
「嫌だ……私は聞きたくない」
手を耳に当て首を横に振り抵抗する姿は、本当に交渉が得意な外交のトップなのかと疑いたくなるほど情けない。まぁ夫人は仕事はできるのに家では情けないギャップが可愛くて惚れたのだが……フローラには関係ない。
「お父様ったら……お話が嫌なら、尋問にしましょうか?得意な方がここにはいるのよ」
「なっ」
フローラの隣に立つシオンがジャケットを揺らしジャラっと隠し持っている拘束具の音を鳴らすと、ニッコリと笑顔を向けた。ぞっとしたガラナス侯爵は一歩後退るが背後にいた夫人に肩を叩かれる。
「まぁ、わたくしも協力しましょうか?」
「お前まで……っ」
「リアル尋問シーン!見学してよろしいですか?」
「リーディアっ!」
全ての退路を断たれたガラナス侯爵は悔しげに投降し、応接室で当時を告白した。
「当時のシオン君はとっても美少女だったんだ。ビックリした……紫の瞳はパッチリで、睫毛が長くて、健康的な肌色に茶色の髪はふわふわで、本当に生きているのかと不思議に思うほど人形のような可憐さだった…………」
「本当にその姿を見れなかったのは悔しいわ。お父様恨みますわよ」
「うっ……後で釣書を見せる……」
「それが何故、隠蔽になりましたの?それだけ可愛いならお父様も好きでしょうに」
ガラナス侯爵がフローラの指摘に悔しそうに拳を握る。
「あぁ、シオン君が女の子なら養子にしたいほどだった。だが一番愛しているのはフローラなんだ!そんな可愛いもの大好きのフローラは絶対にシオン君が気に入り、それが恩人だと知ったら即婚約したいと言い出すことは必至。だから隠した…………シオン君がいくら可愛くても、フローラを奪われたくなかった!これは愛ゆえの行動だったんだ!仕方ない!」
自信満々に語るガラナス侯爵に、聞いている誰もが呆れている。お酒が入っていて、少々口走ってしまったレベルを超えていた。
「だから恐れた私はシオン君には無理そうな条件を突き付けた。可憐な彼が剣など振るえないと思って“最強になって実力を証明しろ”と言ってみたら……私が許可するまできちんと言い付けを守ってフローラに近寄らず、学生にも関わらずシオン君ったら最強集団ロイヤルナイトに勧誘されるほど腕を上げてさ…………エヴァルド君から聞いたよ。今やレグホルン国内なら一番も目指せるほど強いんだって?…………私の完敗だ。君の努力と才能を甘く見ていた」
言い切ったガラナス侯爵は深く座ったソファの背もたれに体を預け、力なく天を仰いだ。
まだ聞きたいことは山ほどあるフローラは身を乗り出そうとするが、シオンに手で制される。代わりにシオンが姿勢を正してガラナス侯爵に問いかける。
「認めてくださるんですね?」
「あぁ、言っただろう。君の勝ちだ」
シオンの真剣な眼差しにガラナス侯爵も姿勢を正して向き直る。シオンはすっと息を吸って頭を深く下げた。
「では改めて申し込みます。フローラを俺に下さい。あの頃から気持ちは変わりません。貴方が大切にしていた令嬢を必ず幸せにします。お願いします!」
フローラはまた心を打たれて涙を流す。その愛する娘の姿と、シオンの誠意に心打たれたのはガラナス侯爵も同じだった。
「こちらこそ。シオン・メルビス殿、フローラを末永くお願いします。そして、我がガラナス家の息子になってください」
「はい。ありがとうございます」
シオンとガラナス侯爵は両手で堅い握手を交わした。長いすれ違いに終止符が打たれ、部屋にいた夫人とリーディアも感動の涙を流し幸せな空気で包まれた。
だからガラナス侯爵は油断していた。
“好きな人と話せない苦悩を少し体験しなさい”と罰として最終的に二ヶ月もの間、フローラから無視されるとは微塵も予想していなかった。