猫系騎士の本性
まだ人が少ない早朝の出勤にも関わらずシオンは非常に気分が良かった。王城では珍しいシオンの時々溢れてしまう微笑みに、偶然目撃したメイドは目眩を起こしてその場で床と仲良くなる者複数。同性の視線すら奪って、新しい扉を開いた者すらいた。
昨日、フローラに会えたこともそうだし、反応が可愛すぎたことも手紙の内容もどれも嬉しすぎた。初めて手応えを感じたシオンは笑みが我慢できない。
手紙には贈り物ひとつひとつに感想が書かれており、きちんと喜んでいることが伝わってきた。しかも使われている便箋はシオンが先日プレゼントした物で、単なるうわべの感想ではなくきちんとフローラが愛用してくれていることが堪らなく嬉しい。
慣れない女性ばかりのお店に入り、勇気を出して買った甲斐があった。お店では「私と選びませんか?」と店員でもない女性に囲まれたり、「可愛い君に買ってあげよう」とゴツイ男にナンパされたり散々な目にあったがフローラのためならと色々我慢した。
そして気に入るか不安だったが、出会った少女の時と変わらない好みで良かったと胸を撫で下ろした。
(次は何を買おうかなぁ。可愛くて、他の候補者からの贈り物と被らないように……高価なものは飽きてるようだしなぁ。プレゼントと言ったら自分では買わないけど気になるものだよな……うーん)
シオンは腕を組んで考えながら歩いていく。
フローラはシオンが分からないと評したが、誰よりも分かりやすい男である。ほとんど無表情なのは本当に周囲に無関心なだけで、気に入った人間にはとことん甘い。大切な人を守るためには躊躇いなく敵は切るし、欲しいもののためには努力を一切怠らない。ただ、イタズラしたくなるという悪い癖があるだけ。
(でも昨日は少し強引すぎたかなぁ……ガラナス侯爵に見られてたっぽいしな。何かしら圧力かけられたり……いや、後悔はしない……可愛かった!それに尽きる。今日も仕事頑張ろう)
とひとりで納得して、ルーファス王子の部屋に着くまでに仕事モードに切り替えていく。そして深夜番の近衛と交替するときにはいつもの無表情の氷の人形が出来上がり、誰もシオンが浮かれているなど気付かなかった。
「シーオーンーくーん」
「────ガラナス侯爵!?」
午後からは自主練習のシフトになっていたシオンが訓練場で剣を磨いていると背後から異常に明るい声をかけられゾッとする。
振り向くと声の主であるガラナス侯爵は微笑んでいたが瞳はいかにもシオンが憎いと伝わる色をしている。そして不服そうな顔で1通の手紙を手渡された。
「その……これは?開けても良いですか?」
「………………」
本当は開けて欲しくないガラナス侯爵は黒いオーラを出してひたすら無言の圧力をかける。だがその程度の威嚇はシオンには効かず、彼はさっさと手紙を開いて中身にさっと目を通してしまった。シオンは顔をパァっと明るくする。
「フローラ嬢からお茶のお誘い……良いんですか?行きます!明日は休みなんですよ!」
「…………へぇ」
「あぁ、今日の贈り物を届ける時にカードに返事を入れなければですね」
「…………チッ」
ガラナス侯爵はシオンが仕事で欠席なら良いのにと願ったが、エヴァルド→リーディア→フローラの順で休日は伝達済みで無意味な神頼みとなり舌打ちした。
「お茶会には誰が参加するかご存じですか?」
「君だけだ」
「えっと……ガラナス侯爵家の誰も参加しないのですか?フローラ嬢と俺だけ?」
「くっ……仕方ないだろうエヴァルド君と予定があるし……」
「あぁ、カペル伯爵の件ですね。聞いてます」
「そうか……そして妻とリーディアは急に出掛けると言い出すし明日は誰もいない……いいかな?くれぐれも、健全で、適切な、距離を、心掛けるように。先日のは……駄目だよ……分かるね?どんなに嬉しいことが起きても、フローラに隙があっても、ね?………………ね?」
本気の血走った目をしたガラナス侯爵の今までに感じたこともない殺気を帯びた気迫に、シオンはニッコリと返事をした。
「善処します。………………たぶん」
最後の小さな呟きはガラナス侯爵には聞こえなかった。
※
日差しが穏やかで、時折優しく吹く風が心地よく、庭でのお茶会にはピッタリの晴れの日だというのに、テーブルの二人はひたすら無言だった。
余裕の微笑みを貼り付け紅茶を口にするフローラをシオンが上機嫌で見つめるだけの時間がすでに10分。
話があって招いたのはフローラ側で、この国のマナーとしてはホストが話題を出すまで基本的に客は待つのみ。でもシオンはフローラの姿をじっくり見れる時間が長くなるだけで全く苦にならない。
「メルビス様は……」
「はい」
「何故、わたくしに興味を?」
「俺の一目惚れです」
フローラは自分で聞いておきながら「はい?」と言いたげな顔になる。この自分より美人の男が一目惚れなど簡単には信じられない。
「その仰っている意味がわたくしには……」
「まぁ正しくは出会って1時間ほど後に惚れました。フローラ嬢は昔も今も可愛いですよ」
恋するフィルターがかかっているシオンはフローラに生まれた疑問が分からない。フローラの方がずっと魅力的な容姿をしていると思い込んでいる。
フローラは赤くなりそうな顔を扇子半分で隠し、まだ信じてはいけないと耐える。
「ちなみに……どれくらい昔ですの?」
「約10年も前のことです」
「そんなに前に……思い出とはどんな?」
「この先は有料です」
先が気になって仕方ないフローラだったが、どうしてもフローラから思い出して欲しいシオンに待ったをかけられる。
そこをなんとか!とフローラに上目遣いで見られドキッとしてしまうが、シオンは耐えた。
「………………まだ言えません」
「………………仕方ありませんわね」
二人はじっと数秒見つめ合うとフローラが諦めたように、シオンの前に封筒を出す。シオンが贈った便箋ではないのが少し残念だったが、ガラナス侯爵家の印璽が施されており“まさか”と心が高鳴った。
「確認させて頂きます」
「どうぞ、ご覧になって?」
執事からナイフを受け取り開封すると、ガラナス侯爵から王女誕生祭のエスコートの許可と注意が書かれたものが入っていた。
王家主催のパーティーでのエスコートは他の夜会とは影響力が違う。ずっと父親であるガラナス侯爵や従兄弟をエスコートにつけていたフローラが、新しい令息を伴うということは婚約者の最有力候補であると公表するのに等しい。
「本当に良いんですか?」
「あら、メルビス様からお誘いになってくれたのでしょう?」
「それはそうなんですが、侯爵はなんと?」
思い出されるのは目が据わったガラナス侯爵の顔。フローラへの接近を許されたはずなのに、昨日の様子から相当恨まれていたはずで、にわかに信じられなかった。
「元からわたくしにエスコートの選択権がありましたから、わたくしが自らメルビス様を選びましたのよ」
「フローラ嬢が俺を……」
シオンはパッと便箋で顔を覆い隠してしまう。
「メルビス様、何をなさって……」
「すみません。見ないでください」
ガラナス侯爵が書いた便箋にまでキスをするのかとフローラは呆れた目で見るが違った。顔は隠せてもシオンのほんのり赤く染まった耳が見えており、それだけで彼が歓喜していることが伝わる。
「そんなに嬉しいのですか?」
「……はい。恥ずかしながら」
ようやく届いた……フローラに恋してからずっと耐えて、鍛えて、待って、ようやく手が届くところまで来たことが嬉しくないはずはなかった。しかもライバルの中でもシオンは一番身分が低く、仕事柄パーティーに参加できないためフローラに接触できる機会は誰よりも少ない。
「メルビス様でも恥ずかしいという気持ちをもっていたのですね、ふふふ」
「俺も一応人間ですから」
ずっと振り回されていたが、ようやく自分が優位に立てたと余裕が出てきたフローラは追求していく。
「まぁ、メルビス様も可愛いところがありますのね」
「………………可愛いのは貴女です」
「でもそのようでは困りますわよ?わたくしの隣に立ちたいのであれば、もっとしっかりしてもらわなければいけませんわ」
「………………えぇ」
「そう例えば授与式のエヴァルド様のよう…………!」
思わず言い過ぎた!とフローラは口を噤ぐが遅かった。何故シオンの前では冷静に令嬢らしく振る舞えないのかと後悔しながら、シオンをチラッと窺う。
「そうですね。あいつを越えられるように努力します」
「ぁ…………」
見たこともないほどに寂しく笑うシオンの表情にぐさりとフローラの心は痛み、顔を下げてしまう。あまりの自分の不器用さに悲しい。なんと詫びようとシオンの様子をもう一度見ると、彼は先程の憂いは全くなかった。
「ふ、くくく」
「──!?」
シオンは笑いを堪えていた。
フローラは思わずむっとしていまう。
「はは、失礼。フローラ嬢が凹んでる俺を気にかけてくれるだなんて、今はそれすら嬉しいです。だから貴女が反省することはありません。本当に剣だけではなくて、精神面も鍛えなければ駄目かなぁ。顔が緩んで仕方ない」
「メルビス様ったら!もうっ……期待してますわよ?」
シオンの気遣いに感謝しながら強気に返す。
「お任せくださいお嬢様」
「子供扱いなさらないでくれる?ふふ」
二人はどことなく漂っていた緊張感が無くなり笑いあった。そしてどこか懐かしさを感じるような空気に心が暖まる。
「そうでした、今日の贈り物を受け取って下さいますか?」
「えぇ、喜んで」
フローラはわくわくしながら相変わらず可愛いラッピングの箱を開けた。中には珍しく上品な手袋が入っていた。しかしよく見ると縁取りに艶のあるレースが施され、模様は星の形を煌めかせた可愛いデザインだった。フローラは早速手につけて眺める。
「可愛いわ。でも上品で……これなら夜会でも使えそう。気に入りましたわ」
「それは良かった」
シオンは嬉しそうに眺めるフローラの手をとり片膝を地面につけると、そのまま手の甲に唇を落とした。
「あ……!」
「これで心置き無く手に口付けができますね?」
あまりにも流れるようなキスに驚かされ、フローラは扇子で顔を隠すことも忘れて口をハクハクさせる。
「な、なんて……ことを……」
「エスコートの相手にファーストダンスを申し込む際のキスは定番の儀式ではありませんか」
「そ、そうですが」
「王女の誕生祭までに、たくさん練習しましょうね?」
シオンは前に髪にキスを落とした時に思い出したのだ。婚約者でない相手に手の甲にそのままキスするのは肌と肌の触れ合いとされご法度だが、手袋をすれば大丈夫な文化だった事を。
「本番まで駄目ですわ!」
「えぇ、残念。ではお互いにイメトレしましょう。今の光景を忘れないで下さいね」
「─────!!」
「ははは、本当にフローラ嬢は可愛いなぁ」
途中で形勢逆転と思われたフローラだったが、最終的には完敗だった。
その日の夜、エヴァルドとカペル伯爵の結末を見届けたガラナス侯爵はフローラからお茶会の感想を聞くのが怖くて、わざと酔いつぶれたのだった。