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眼鏡公爵の情け

長めですがお付き合い下さい。


エヴァルドの目の前には、生きていたら自分の親と変わらぬ年のカペル伯爵の頭があった。気持ちのまま願いを拒否して私情で消すことなど簡単だが、アッサリ消すつもりは無かった。



「カペル伯爵、条件を飲めば延長を考えましょう。没落は避けたいだろう?」



その希望のように聞こえる言葉にカペル伯爵は頭をあげ、条件の内容の続きを求めるように恐る恐るエヴァルドの目を見る。



「条件は私の提案する助言を拒否せず実行すること。それを息子のレックス殿に任せ、彼が爵位を継げる4ヶ月後の18歳を迎えたその月に全家督を譲ること。今から経営の決定権もレックス殿にあり、あなたはレックス殿に従うこと。以上です」

「全てをレックスに任せろと……私ではなく」



「えぇ、私はカペル伯爵を全く信用していない。まだ息子の方が扱いやすいというだけだ」

「……分かった、約束しましょう。我が家が助かるのであれば……お願い致します」



(首の皮が繋がった……レックスは私が大切に育てた息子だ。指示に従うふりをしてレックスを誘導すれば私の思い通り。まだカペル伯爵家の再起は可能だ……私の名誉も権威も金も取り戻せる)



カペル伯爵はエヴァルドの冷たい視線を一身に受けながら、今だけだと自分に言い聞かせ悔しさを飲み込み、もう一度深く頭を下げた。

すると応接室の扉が開かれ、学園の制服をまとった男子生徒がひとり入ってきた。



「父上、本当になんてことを……シーウェル公爵が仰っていた通り、僕には都合の良いことだけを吹き込んでいたのですね。シーウェル公爵、この度は父が大変申し訳ないことを。改めて僕からも深くお詫び申し上げます」



「レックス……何故お前がここに。お前が何でそんなことを」



いつも他人を見下し威張るような態度の父親が頭を下げる姿には動揺したが、それ以上の謝罪を伝えるためにレックスは床に膝と手をついて頭を下げた。

カペル伯爵は思わぬ登場人物レックスとその土下座に動揺する。


「そんなこと?父上は自分の所業の罪深さを自覚なさってないのですか?立場をお分かりですか?本来は僕ではなく父上が床に頭をつけるべき事態なんです!自分の家族のみならず多くの人を巻き込み、迷惑をかけ、負債を増やし、また巻き込む……最低だ」

「レ、レックス……」


「シーウェル公爵、父はもう駄目です。早速ですが僕にすべきことをお教えください」

「レックス!」


幼さが抜けない顔を歪ませレックスは父親を糾弾し、名前を呼ぶ声を無視してエヴァルドに頭を下げ続けた。



「レックス殿、もういい。隣の席で話そう」

「はい!」



エヴァルドはソファを離れ窓際のテーブルに準備するよう指示すると、レックスは大量の資料を載せ、すぐに話し合いが始まった。

カペル伯爵は聞き漏らさないよう耳を傾け、ガラナス侯爵は楽しそうにお茶を飲む。


「すごい負債だな……1件1件は少ないが合計してしまうと……」

「はい、もう父は管理しきれてません。一番はシーウェル公爵の宝石代が圧倒的で、次に武器の返品代について早急に手を打たなければなりません」


「別荘、土地、家具、宝石の類の価値一覧は作ってきたか?」

「これです。王都の土地と屋敷、南地方の領地は王家から与えられたものなので売れませんが、他は売れます」



カペル伯爵はやり取りを聞き逃せず、立ち上がる。



「待て!レックス勝手に何を!我が家の情報を漏らすなど」

「父上は黙ってて!必要だからですよ。あなたが思っている以上に我が家は終わってるんです。このまま自滅して没落するのは見えてるんです」

「そういうことだ。既に決定権はレックス殿にある。カペル伯爵は口を挟むな。消されたいのか?」



二人にピシャリと拒否され、カペル伯爵は弱々しくまたソファに腰を沈める。目の前では先ほどまでお茶を飲んでいたガラナス侯爵が、知らない間にワインを楽しんでいた。



「カペル伯爵も飲むかい?シーウェルの港にしか輸入されないワインだから、滅多に飲めないよ?」



隣に控えていたデューイが、カペル伯爵の前で新しいグラスにワインを注いでいく。そのラベルには見覚えがあった。



「ファシオス産の新物……」

「よくご存知で」

「あのワインはそうだったのか……夜会の日、既に息子は……」


大切にしてきたと思っていた息子に向けられたかった眼差しが、エヴァルドに向けられている。感じていた壁は厚くなり、心の距離は広がり、レックスを唯一の希望として耐えていた心を折るのには十分だった。


その間にも話は進んでいく。


「武器商人はもう武器を全てを引き取ったのか?」

「いえ、返品代が全額揃ってから引き取りということになってます」


多くの資料を読み流しながら、必要な紙を渡しながらアドバイスをしていく。


「全部返品するな。頭金はどうせ戻ってこない。支払った頭金の分の武器は手元に残せ。ちなみに今の護送費用の相場はこれくらいだ。頭金以外の残った武器の運送には、ガラナス侯爵から受け取った金額で十分に賄える。無駄な支払いは増やすな」

「なるほど。しかし残った武器の管理や維持に費用がかかり続けますが…………あ、担保の宝石を武器と交換してもらえば」


エヴァルドが正解と言うように頷くと、レックスの表情はパァッと明るくなる。


「だが価値になりにくい量産型の武器の全てを担保として引き取ってもらうのは難しい。両替商にとっても負担になるから、引き取ってくれても値段は下がり、宝石を取り戻すためには足りない。何で補えば良いか分かるか?」

「時間がたっても市場価値が安定していてすぐに用意できるもの、最終的に手放しても痛くないもの……母上の宝石と調度品……かき集めれば足りるはずです」



そうして他の借金の返済方法や事業の撤退手段をエヴァルドは一時間ほどで簡単に教え込んだ。レックスは学園に入り勉強や友人を通して、初めてカペル家の状況の悪さを知り、建て直すために必死に勉強していた事もあって覚えは悪くない。


ちなみにリーディアの婚約が偽装であることすら彼は知らされていなかった。だからこそレックスは素直に従い、密かに義兄になると憧れていたエヴァルドの信用を取り戻したかった。


「私がとりあえず助言できるのはここまでだ。あとは自力で何とかしてくれ」

「ありがとうございます」


レックスはエヴァルドに深く頭を下げたあと、ガラナス侯爵に向き直る。



「ガラナス侯爵、リーディア姉様の時のお金はいずれ返しますのでお待ちいただけないでしょうか」

「いらないよ。もう君は自分の心配だけをしたら良い。まだ全てが解決したわけでないだろう?」


「ですが、これは父が」

「払うと決めたのは私だ。エヴァルド君からの立て替え申し入れも断ったんだ。いらないよ」


「しかし」

「くどいよ……あれは手切れ金なんだよ。他人から見れば、返金を受けとることはカペル家を許すことになる。それは出来ない」

「シーウェル家もだ。今回の建て直しは君の手柄にして構わない。だが、私との関わりは今後は必要最低限の手紙のやり取りのみで、表での関係は絶たせてもらう。そしてリーディアにも近づくな」

「───っ」


エヴァルドとガラナス侯爵の突き放された言葉に、レックスは悔しげに拳を握り、最後に絞り出すようにはいと答えた。


レックスはリーディアの実家での長年の冷遇は知っていたはずだというのに、エヴァルドの事ばかり気にしていて、実姉リーディアへの謝罪どころか近況を聞く素振りもない。この程度の頑張りではエヴァルドもガラナス侯爵も仲良くする気は起きなかった。



エヴァルドは、口をつけていないワイングラスを見続けるカペル伯爵に向く。エヴァルドの顔は無表情に近いものの冷たさは消えていた。



「カペル伯爵、貴方と夜会で顔を合わせることはあっても話すことはほとんど無いだろう。私たちに何か聞きたいことがあれば今聞く。答えられるかは別だが」

「…………では、今回の件はシーウェル公爵の発案なのでしょうか。ガラナス侯爵の発案なのでしょうか」


「全てエヴァルド君のだよ。私は話に乗っただけだ」


エヴァルドは代わりに答えてくれたガラナス侯爵に同意するように軽く目を伏せて頷くだけ。


「シーウェル公爵、無礼を働いたカペル家を簡単に潰すことも出来たはずです。追い込んだのに、何故あえて助けるような真似を……」

「公爵という最高位を賜っている義務を果たしただけだ」

「義務?」


そんな義務のがあるのかと初めて聞いたカペル伯爵は、久々にグラスから目線をあげた。


「貴族は王家から命じられ国民の上に立っている人間だ。国民の模範であり、理想であり、平和へ導く、秩序的存在でなければならない。公爵はそんな貴族の見本であるべきと私は考えている」


「今回の行動は見本の為だと……」


「えぇ。歴史ある伯爵家が潰れ、悪事を働く貴族が長く存在していたと広く知れ渡れば平民の貴族に対する不満や妬みは膨らみ、いずれ貴族の指示に従わないものが増えれば国政に悪影響を与えかねない。公爵は国に報いるためにも、そういった混乱を防ぐべく道を誤った貴族に犯した過ちを突き付け、自覚させ、正していくべきだ……手の施しようが無ければ容赦なく消すが」



エヴァルドは一気に話したため渇いた喉を潤すために紅茶を一口飲み、一息つく。カペル伯爵の顔色は未だに悪いものの、向けてくる眼差しにはもう侮りや憎悪は感じられない。



「もう良いだろうか?」

「はい、ご迷惑おかけしました」


「デューイ、カペル伯爵家の皆様をお送りしろ」

「かしこまりました」


カペル伯爵は深々と頭を下げてから応接室を先に退室し、レックスは父親の背を睨むように後に続いた。家族としてはもう破綻は時間の問題で、夫人はメイドたちによって既に馬車に運ばれていた。



「カペル伯爵家は耐えられるかな?借金はまだ残っていて返済への道のりは長く、信用は底辺でプライドは高いのに伯爵夫妻は社交界で嘲笑われる。親のあらゆる負債が辛くなってレックス君は爵位を返上して没落コースへ逃げたくても、公爵への義理を無下にも出来ない。貴族義務だなんて誤魔化して……くくく、エヴァルド君、君も随分と性格が悪い」


「さぁ、なんのことでしょうか?」


「全てはリーディアのためだろうに……いやぁ娘は愛されてるなぁ」


からかうようなガラナス侯爵の言葉に、エヴァルドは肯定も否定もせず紅茶を味わう。


本当は手を下さなくても没落は時間の問題だった。そのまま放置したとしても、もともと領地でも信頼の下がっていた伯爵家が潰れても平民は当然と受け止め、代わりに優秀な貴族が着任した折に環境が改善されれば不満などすぐに消える。



だが社交界でのリーディアの立場は確実に悪くなる。多くの同情を集めガラナス籍になったとはいえ、長く育ったのはカペル家。普通は見逃される小さな不手際さえも、没落した血を引く娘だと後ろ指をさされ続ける。

それにここ数ヶ月、または年内に没落されてしまってはリーディアの不興を買えばお家が潰れるというマイナスイメージが生まれてしまう。その業を彼女に背負わせたくなかった。全てはリーディアが生きやすくするためだった。




「それにしても、どうですか?希望通り特等席で結末をご覧になった感想は」

「うん、面白かったよ。詰めの甘さはあるものの、君の予測通り過ぎて感心したよ。カペル(小者)には十分だ」


「私の叔父夫婦とカペル伯爵夫婦が似すぎなんです。他人の巻き込み方も、借金の作り方も、家族のあり方も……予測が簡単でした。今回のレックス殿への助言も、叔父が傾けた公爵家を私が建て直すときに使った手段の一部なんです」


「ちなみに今回彼らを追い詰めた宝石を渡したのも」

「ディアに仕掛けるよう頼んでおきました」


「もし彼らが借金をなんとかしてしまっていたら、何で追い詰める予定だったんだ」

「これですよ」


すると部屋の中にはエヴァルドが不在中にカペル伯爵夫妻がリーディアに金を無心した時の音声が流れる。そこにはカペル伯爵が戦争を望んでいる声とリーディアの悲痛な声が含まれていた。

おそらくカペル伯爵に武器商人を近づけさせたのも…………深入りするのは良くないと、ガラナス侯爵は察したように深いため息を漏らす。


「その音声と今回の大量の武器を証拠に逆賊の容疑を吹っ掛けるつもりだったんだね。リーディアを悲劇の娘に仕立てて一層同情を集めつつ……か」

「えぇ、実際には逆賊になるつもりはなかったから最終的には無罪放免になるでしょう。しかし事実上、社交界からは追放され衰退するしかないでしょうね」

「だろうね」



(温厚だった君の息子はすごい男になってるよ……やっと頼ってくれたかと思ったら、ほとんど自分で解決して、立派になったよ。ねぇ、何処かで見ているかい?来年には私の息子になるんだ……恐いなぁ)


ガラナス侯爵は夕飯前の空きっ腹におさめたワインがまわり、一段落して気が抜け、酔い始めていた。

ワインの入ったグラスを傾けながら、父親の面影を残すエヴァルドを見て亡き先代の公爵を思い出す。ガラナス侯爵とエヴァルドの父は幼馴染みで、同じく外交官として働く仲間で親友だった。


「話は変わるが、エヴァルド君の親友についてなんだが」

「私のですか?」




「いや……親友というか、ルーファス殿下の近衛って皆エヴァルド君のような殺気を出すのかい?ロイヤルを凌ぐ精鋭なのは知っているが、あまり関わりがなくてね」

「どうでしょうか?ただ殿下には目線だけで意識を刈り取れと言われたことはあります。シオン・メルビスは確実に私のレベルは超えてきますし、狙いは確実に仕留める男です」


「やっぱりシオン君は凄いのか……くそぉ」


エヴァルドが遠回しにシオンの事が聞きたいのだと分かり名前を出した瞬間、ずっと微笑みを保っていたガラナス侯爵の顔は絶望したように落ち込み始め項垂れる。

あ、これ面倒臭いタイプの酔っ払いだとエヴァルドは直感するが、逃げ場はなく、諦めて親友の評価を探ることにした。



「シオンが気になりますか?」

「あぁ、ちなみに君より強いシオン君ではなくて、先にエヴァルド君が副隊長に選ばれたのは何故だい?」


「私の方が先に殿下の盾になって切られたから、その褒美だと言われました」

「ルーファス殿下も適当だなぁ、もう…………君から見てシオン君の強さはこの国で何番目?あ、勝手にワイン下げるな。まだ飲む」


ぐだぐだになってきたのでワインを下げようとしたが止められ、エヴァルドは仕方なく追加をグラスに注ぐ。ガラナス侯爵が酔う姿をみせてくれるほど自分を信頼してくれている証だと思えば、介抱くらいするかと諦めがつく。



「本気の殺し合いであればシオンはトップ3に入りますね。勝つためには体術でも足でも鞘でも服でも何でも使うほど容赦がない人ですから……剣のみの試合形式になっても5番以内は確実でしょうね」

「はぁ、そんなに強いのか…………彼が何年も前に婚約を申し込んできた時なんかフローラよりも美少女のような顔で……頼りなさそうで“最強になったら考えてやる”って言ったら実行しやがって。しかもフローラ好みの美貌は保ったままで……むしろフローラより綺麗な顔でレグホルン最強とか反則だろう」



ガラナス侯爵はもう半泣きだ。デューイはワインをブドウジュースにすり替えて、エヴァルドがジュースをすすめる。

ガラナス侯爵はすり替えに気付かずジュースを一気に飲み干して、グラスをテーブルにトンっと勢いよく叩き置く。割れて怪我でもしたらどうしようとデューイの焦りが伝わるが、エヴァルドは放置して質問を続けた。



「シオンに何か問題でも?一応お認めになったと聞いていたのですが」

「あぁ、認めたさ!身分も良く、誠実で、優秀で、容姿端麗で素晴らしい青年だ…………でもシオン君の追撃が他の婚約者候補より群を抜いて攻撃的なんだ。剣も弓矢も大砲までって感じで、それでフローラはもう陥落寸前なんだ。いや、もう既に…………もっと猶予があると思ってたのに……お父さん寂しいんだ…………はぁ、フローラァ……シオン君が怖いよぉ……フローラァ……行かないでくれ」


怯えるように愚痴を溢す声は後半には弱々しくなり、最後はかすれ声でボソボソと名前を繰り返す。

挨拶をしたパーティーからまだ10日程しか経ってないのに、宣言通り1ヶ月で攻め落とす勢いの親友にエヴァルドは笑うしかなかった。



「何笑ってるんだい。由々しき事態なんだよ」

「すみません。シオンはいつも余裕な姿しか見せないので、その必死さがあまりにも予想外で、微笑ましくなりました。それにシオンが来るだけで、フローラは変わらず侯爵家に残るではありませんか」


「そうだけど……私よりシオン君を優先する日が近いなんて認めたくないのに。そうか、エヴァルド君もシオン君の陣営か……そうか、そうだよなぁ…………」

「ははは、すみません」



結局その晩ガラナス侯爵は応接室で寝てしまい、シーウェル公爵邸にお泊まりになった。次の日ガラナス侯爵夫人より静かなお叱りがあり、何故かエヴァルドも巻き込まれ一緒に謝罪したのだった。


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