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悪徳伯爵の失墜


夜会が終わった後のカペル伯爵は荒れていた。煙の濃い葉巻を吹かし、かかとを鳴らして貧乏揺すりし続け、夜会を思い出しては舌打ちをする。夫人はいかにも煙を嫌そうにハンカチで口を押さえ、扇子を何度も開いては閉じるのを繰り返している。


帰りの馬車の中にはカペル伯爵と夫人の二人きりで、息子のレックスは勝手に先に屋敷に帰っていた。



「カーリン、レックスの良縁は見つけたのか?」

「何を仰ってるの?シーウェル公爵を敵にまわしたから全滅よ。はぁ……」


「役に立たんな。お前の仕事だろう」

「貴方は令嬢の理想を上げすぎて却下ばかり!あなたの求める持参金を用意できそうな令嬢だなんてもう余ってないわよ……」


「私のせいだというのか!お前だって家柄は譲れないと、私が出した候補の資産家を勝手に破談にしていただろうが!私の面目は丸潰れだ」

「当たり前じゃない!大富豪と言えど平民や成金貴族なんて嫁にとったらお茶会で馬鹿にされるのはわたくしなのよ!わたくしに甘んじろと?」



カペル伯爵は葉巻を床に叩きつけ踏みつけ、夫人は扇子で椅子を殴り付けながら苛立ちを隠すことなく馬車の中で大声で罵り合う。

誰にも見られていない密室だからと猫を被ることなく言い合うが、御者にはハッキリと聞こえるほどで、見栄だけで増やされた暇をもて余す使用人たちの話のネタになるとはまだ気付いていない。そうやってどんな話も最後は誰に筒抜けになっているのかも知らずに。



「旦那様、奥様、到着いたしました」

「ふんっ、今夜はここまでだ」

「えぇ、先に失礼するわ」



馬車が止まったのにも気付かず叫び合う夫婦を御者が手慣れたように遮り、到着を知らせる。夫人はカペル伯爵のエスコートも待たずに御者の手を借りて馬車を降り、さっさと先に屋敷の部屋へと消えていった。


夫人と玄関ですれ違うように出てきて、主人を迎えた執事がちらっと見ると、馬車の床に葉巻が捨て潰されているのが目に入る。葉巻によって馬車の床は焦げ目がつき、伯爵の靴裏も焦げてはいなくとも不要に汚れているだろう。折れた扇子の欠片も無惨なものだった。

床の張り替え費用も新しい革靴も扇子も一流品を求められ、それを処理する執事は予算が尽きているのに、更にかかる余計な出費と手間に頭を痛めるが、顔には出さないように務めを果たす。



「おかえりなさいませ旦那様」

「留守中変わりはないか?レックスは?」



「特にございません。レックス様は旦那様の執務室で溜まっていた書類整理をしております。そして、“父上は気にせずお休み下さい”と伝言とご友人から頂いたワインを渡すよう頼まれております。ファシオス産の新物でした」

「ほぅ、さすが我が息子は違うな。ちょうど良い、今夜は飲まずにはおられん……欲しくても手に入らないファシオス産の新物をくれる友人がいたとは……用意しておけ」

「かしこまりました」



会場の空気に耐えきれず先に帰宅したと思っていたら 、きちんと自分の信頼を取り戻すように仕事をする気遣いのできる息子の行動に感心する。

学園に通うようになって、寮から全く屋敷に帰らず態度にも壁を感じていた息子が心配だったが、思春期特有のものだったと安堵する。しかし夜会での苛立ちは別で、カペル伯爵はひとりレックスの用意した数本のワインを潰れるまで飲み明かした。






それから1週間がたった頃、カペル伯爵夫妻には大量の手紙が届いていた。



カペル伯爵には銀行からの融資減額の通告、共同事業を行っていた貴族からの事業撤退の願い入れ。その他についても話したいという面会の申し込みが連日届いているが、期限を伸ばすためにカペル伯爵は今は無視をしていた。



「ここで融資も減り、事業を撤退したら他の借金が……武器の返品費用すらまだ終わってないというのに……なのにこのタイミングでシーウェルから宝石の返却命令だと?くそぉ!」



自業自得だというのに八つ当たりでいつものように怒りをぶつけて机を殴るが、収まるどころか衝撃で手紙が崩れて怒りは増すばかり。崩れたのは夫人に宛てられた数多くのお茶会の招待状だった。


「おい!カーリンはどうした?こんなにも招待状を放置して……お茶会に行くのがあやつの仕事だろう」

「旦那様、奥様は昨日のお茶会から気分が優れないようで引きこもっておられます」



普段であれば招待状の多さは人気の高さと影響力の強さの象徴だったが、今の夫人にとってお茶会は公開処刑場への誘いに等しい。先日その公開処刑を味わった夫人は部屋で現実逃避をしていた。



「カーリンを引きずり出せ!話がある」


執事は静かに礼をして執務室から出ていく。カペル伯爵は足を揺らし、葉巻を吹かして心を落ち着けようと試みるが解決策が思い浮かばず、焦りで頭は沸騰したように熱くなっていく。



すると気分が優れないと聞いていた割には、気合いの入った化粧を施し、たくさんのアクセサリーを身に付けた夫人が入室する。


「座れ」



夫人を座らせ、ブローチの返還について説明する。見下しているリーディアには似合わないし、彼女が身に付けるより有効的な使い道があると軽い気持ちで借りたブローチだったが、問題があまりにも大きくなっており夫人の声は震える。


「そ、そんな、返還までの猶予は3日ですって?シーウェル公爵が王都に帰還後も婚約解消してから今日まで何も言ってこなかったのに……急に?」

「あぁ、シーウェル公爵は解消の時も何も触れてこなかったというのに何故だ……実はリーディアが今まで隠し黙っていて、今更打ち明けたというのか?くっ、とにかくエメラルドのブローチがあまりにも高額すぎる…………すぐに両替商から取り戻す現金が用意できない」



先週のパーティーでエヴァルドのリーディアへの溺愛ぶりは本物だと目の当たりにしてから、婚約解消は失敗だったと思っていた。エメラルドの件を放置せずに、リーディアとの結婚を許す代わりに返却は求めないことを交渉に出すべきだったと悔やむ。


そうすればエメラルドは返金放棄でそのまま両替商の物にして借金は消え、表向きだけでも公爵家とは親類で貴族が離れていくことはなかったと今になって気付いたのだ。エメラルドのブローチの件を放置した結果、リーディア(手札)を失った最悪のタイミングで返還要求が来てしまっていた。



「ガラナス侯爵の言葉に惑わされ失念していた」

「先日のお茶会では哀れな娘を保護したとガラナス侯爵の立場は一気に上昇していたわ。そして私は悪者扱い。貴方……ガラナス侯爵からお返事は来てませんの?」


「外交長官という立場ゆえ、多忙で時間が取れぬとだけだ……」

「まぁ……あちらから提案したのが原因で我が家は大変だというのに」


夫人は震える手を口に当て、カペル伯爵は唇を噛む。ガラナス侯爵の提案にその時は最良の手段だと乗ったが、結果は穴だらけ。何故こんなスカスカの提案を鵜呑みにし、信じ込んだのか自分でも分からなかった。

これは金に追い込まれカペル伯爵が冷静さを失っていた最善のタイミングで現れ、尚且つガラナス侯爵の話が巧みすぎたためだった。



「ガラナス侯爵に嵌められたのだろう。あのシーウェルの若造に貸しと繋がりを作るために、カペル家は利用されたのかもしれん」

「そんな…………あなた、シーウェル公爵に返還期限の延長をお願いしましょう?リーディアの婚約解消の件はああする他無かったと訴えて……ガラナス侯爵に騙されたと言って許してもらうのよ」



夫人は椅子から腰を落として床に跪いて、カペル伯爵に近づいてすがるように腕を揺らす。一度見下したシーウェルの若造(エヴァルド)相手に頭を下げるという屈辱にカペル伯爵は奥歯をガリッと食い縛り、頭を抱える。



「分かった。カーリンお前も一緒だ……歳を食っていようとリーディアと同じ色の髪と瞳を持った女の涙には弱いかもしれん……」

「なんて酷い言い方……でもそれで許されるのなら良いでしょう」



背に腹は変えられぬとカペル伯爵夫妻はプライドよりもお金を優先して、エヴァルドにエメラルドの返還の件についてという理由で面会の申し込みをした。





数日後、エヴァルドが指定した時間にカペル伯爵夫妻はシーウェル公爵家の屋敷を訪ねた。出迎えたのは歓迎も嫌悪も感じられない表情の執事デューイのみで、玄関で他の使用人の気配すら感じられない状況から、カペル伯爵夫妻は嫌でも自分たちに対する評価を感じていた。

今までの事を考えると、屋敷の玄関を跨げただけでも奇跡かもしれない。



「カペル伯爵、カーリン夫人、お待ちしておりました。前のお客様がまだいらっしゃいますが、カペル伯爵夫妻の訪問をお知らせしたところ挨拶をしたいそうなので、そのままお部屋にご案内させて頂きます」

「そうか、頼んだ」



静寂に包まれた廊下を進み応接室に近づくにつれ、聞き覚えのある楽しげな男の声が2つ聞こえてくる。その声だけでもカペル伯爵は自分の状況の悪さを実感せずにはいられなかった。


「エヴァルド様、カペル伯爵夫妻をお連れいたしました」

「シーウェル公爵、この度は訪問をご了承して頂き誠に感謝いたします」


まずは目的の人物に深々と挨拶する。無言で温度のない瞳を向けてくるエヴァルドが片手を挨拶がわりに軽くあげたのを確認したあと視線を移すと、対面に寛ぐように座り掴み所のない微笑みを向ける先客と目が合う。


「やぁカペル伯爵、夜会ぶりですなぁ。随分顔色が悪いようだが……大丈夫かい?」

「ガラナス侯爵……ご心配無用です。それよりお忙しいと聞いていたのですが?」


「いやぁ忙しいですよ?今もシーウェル領の港に届いた最新の輸入品について話していてね。あまりにも素晴らしい品だから、その国とのパイプが欲しくて相談していたんだ」

「そうでしたか……」



「お二人とも座ってください。デューイ、私たちにも新しいお茶を淹れ直してくれないか」


カペル伯爵が来訪したのにも関わらずガラナス侯爵は退出する様子もなく、エヴァルドは侯爵の分のお茶まで頼んでいる。


エヴァルドが立ち上がりガラナス侯爵の隣に座ると、先ほどまでエヴァルドが座っていた下座が空いた。



(公爵が下座で、侯爵が上座…………やはりガラナス侯爵がシーウェル公爵に恩を売ったということか……どうすれば)


すすめられるがまま座るが、ガラナス侯爵を悪者にしてエヴァルドの同情を誘おうとしたが、本人を目の前にして言えるはずもなく、計画が崩れカペル伯爵は話を切り出せない。



「貸していたブローチについて、私に話があると聞いたのだが?」

「それは───っ」


顔を伏せ考え黙りこんでいたカペル伯爵はエヴァルドから声をかけられ、何か言わなければと顔をあげるが声が出なかった。


以前のようにリーディアを奪われ憎しみを込めた瞳で睨まれている訳ではないのに、比べようもないプレッシャーに冷や汗が止まらない。


「それとも違う事か?」


もし不況を買うような一言を少しでも溢したら首を落とされそうなプレッシャー。青く透き通る冷えきった瞳の奥は獲物を仕留めるような殺気を帯び、感情の色がない整った顔が一層冷たさを引き立てていた。

夫人は泣き落としどころではなく、ただ気配を消すように、静かに呼吸を浅くして、存在を隠すしかなかった。



「エヴァルド君、そこまでだ。私まで死にそうだ…………」

「これでも抑えてるんですが」



ガラナス侯爵が限界だとばかりに降参のポーズをしてエヴァルドを止めたことで、プレッシャーが霧散する。

カペル伯爵はどっと疲れたように脱力するが、夫人の震えは止まらずこのままでは気を失いそうだった。エヴァルドがデューイに目配せをしたことで、隣の部屋に移され、応接室には男が三人だけ残った。



「カペル伯爵……今回の用件はなんでしょうか?」

「…………ブローチの返還期限の延長をお願いしたい」


「なるほど、では延長料金をお支払いして頂きましょうか?今まで無料という大サービスをしていたんだ……しかも大いに役立ったはず。対価を要求するのは当たり前だと、カペル伯爵から以前教えてもらったのだが?」

「…………っ」



「おや、渋るのであれば直接両替商から返してもらおうか。お金にかかわる両替商たちの情報は信用度が高く広まりやすい。他人の宝石を担保にして、所有者から返還を求められても応じなかったと知られたらどうなるだろうな?」

「…………それは」



自分がエヴァルドに仕掛けたことが倍になって返ってくる。そんなことをされればカペル伯爵は盗みを働く犯罪者扱いされ、貴族界どころか銀行の融資は完全に断たれこの世の居場所すら消えかねず没落一直線。



完全な立場の逆転、いや前回は演技で既にあの時からエヴァルドの手のひらの上だったと、完全な敗北を認めざるを得なかった。



「どうか……どうか、シーウェル公爵様に寛大なご慈悲を承りたくお願い申し上げます……。私が至らぬせいで事業が思うようにいかず、まだ他に借金が残っておりブローチを取り戻す資金が用意できないのです。どうか、返還期限の延長を……これまでのあなた様への態度や行いは大変申し訳なく……リ……リーディアへの仕打ちも謝罪致します……ですから」



(くそぉ、くそぉ、くそぉ、私が何故ここまでしなければ。いつ間違えた。くそぉ……)


悔しさを滲ませながらカペル伯爵はテーブルに手をつき、額を当てて頭を下げた。


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