地味令嬢の紹介
祝いの宴なのに重たい空気が漂い、誰もが真実に興味をもって耳をすましているとカツンとヒールの音を立ててリーディアが前に出てくる。
「カペル伯爵はとてもお忙しいお方だと聞いております。お金の事は別の件を勘違いしたのでしょう?本日はエヴァルド様を祝う日でございますので、どうか楽しく過ごしませんか?」
「あぁ、そのようだ。邪魔してしまったな……失礼する」
カペル伯爵が言葉に詰まっていると、リーディアが流れを変えるように、気遣うように、でも明らかに他人行儀に提案する。
お金が絡む別の件、つまり資金繰りが大変なんでしょうと皮肉を言われているのは解っていても、反論すればするほど相手の思うツボ……借りを作る形になっても伯爵はその場を去るしかなかった。
カペル伯爵が去っても尚、貴族の視線は“説明して欲しい”とエヴァルドに訴えていたが正直に答えるはずはない。
「皆様、お騒がせしました。どうか察してください。私たちには挨拶すべき方がいるので失礼します」
エヴァルドはそれだけを言い残して、リーディアを伴いながら人の間を抜けていき、まわりに聞こえないよう顔を寄せながら囁く。
「何故カペル伯爵を逃がしたんだ?」
「これ以上わたくしたちが直接追い込んでしまったら、逆に立場が危うくなるかと……あとはルド様が言ったように皆様は察して下さいますわ」
貴族たちは多くの疑問点と矛盾する話に納得できていない。しかし公爵であるエヴァルドや侯爵の中でも王族と懇意にしているガラナス侯爵には恐れ多く詰め寄ることもできない。
そんな時の“察して”という言葉はとても便利なもので、一連の流れから勝手に憶測することが許されたに等しく、彼らは都合よく話を広めるだろう。
もちろん足下を狙われるのはエヴァルドたちではない。
「そうか、では私を止めなくて良いんだな?」
「はい、全てルド様にお任せします」
秘め事を囁き合い、全幅の信頼を寄せるように微笑むリーディアと頷き返すエヴァルドの姿に隙はない。しかもリーディアの後見は外交長官のガラナス侯爵であり、エヴァルドの隣を狙っていた貴族たちのほとんどが戦意を喪失していった。
既に目的の人物に視線を向けているエヴァルドの涼しげな横顔を見てリーディアは感心し、全ての計画通りに進んで、まるで会場を支配しているエヴァルドが少し怖かった。
高貴で、優秀で、影響力のある姿が自分の存在と比べて圧倒的で、隣にいるはずのに遠い人に感じてしまった。“何故こんな完璧なお方がわたくしと?”と疑心暗鬼気味になるが笑みは絶やさないよう気を付ける。
「大丈夫だ。私がそばにいるから」
これから挨拶していく人物に緊張しているのかと思ったエヴァルドにフォローされる。一瞬だけ陰った心を見透かされたと思い、内心ドキッとするがエヴァルドに気付いた様子はなかった。
二人で上位貴族に改めて婚約の挨拶をしてまわる。ルーファス王子のように祝福してくれる人ばかりではなく、歓迎しない相手には甘さを消した笑みで挨拶をこなしていった。
「疲れた……」
「ルド様がこんなにお話ししている姿を初めて見ましたわ」
「そうだな、公爵を正式に継いだ時にとりあえず参加したパーティー以来か。今は顔が固まりそうだ」
「ふふ、微笑みを作るのも上達しましたね。初めてご一緒した夜会では辛そうでしたのに…………ふふっ」
一通り挨拶を終え二人だけでテラスで一息つく。リーディアの指摘にエヴァルドはジロリと横目で拗ねたように睨むが、全く効果はなく笑ってしまう。そして先程の不安も消えていった。
(なんでルド様を遠いと思ったのかしら?こんな表情を見せてくれるのはわたくしだけだと知っているのに。それにしてもギャップというのものは凄いわ。クールな年上男性の子供っぽい姿に胸キュンしかり、きっと逆に年下男性の大人っぽい姿もトキメクのでしょうね。勉強のために年下男性の知り合いが欲しいわ……いえ女の子でも良いわね。たとえば)
「ディア、妄想の世界から帰ってこい」
「ひゃい!?」
「ぶれないな……まったく」
油断して出てしまった間抜けな返事に、エヴァルドは口元を押さえながら苦笑する。妄想トリップしかけた自分が悪いのだが、次はリーディアが横目に睨む番になってもやはり効果はない。頭をポンとされ子供扱いされて終わり。
「そういえば、お義姉様にご紹介したいお方はよろしいんですの?どんな方なんですの?」
話題を変えようとリーディアは頭のなかで記憶を巡らせながら聞いてみる。父のガラナス侯爵の条件は爵位を継がない令息で、優秀であれば下級貴族でも構わないと言っていた。でも必ず爵位関係なくフローラを愛してくれる人という条件。そして21歳になるフローラの好みは身長が高くてイケメンで、できれば強くて性格は一筋系が良いと言っていた。
エヴァルド様じゃないですか!とリーディアは思わず突っ込みを入れたが、フローラに長年片想いした後遺症だと言われて一緒に泣いた。紹介してもらえる人に対して、自然とエヴァルドに匹敵するレベルを期待してしまう。
「どんな人か……猫系年上25歳と犬系年下19歳だな。仕事は優秀で見た目も良いから人気のはずなんだが、跡取りでないことと、二人とも親が放任主義で見繕われることなく、仕事漬けで出会いを逃してるもったいない元同僚だ……」
「あぁ……はい。分かりました。良いと思いますわ」
砦で特にお世話になった近衛の二人が思い出される。確かにどちらも人当たりがよくて、フローラも気に入りそうな良い人だと納得する。
「だが婚約者候補として紹介するつもりはない。あくまで出会いのきっかけになればという感じだ。それにディアに頼みがある」
そうしてエヴァルドが見つからない犬を諦めて先に猫を捕まえ、ちょうど空いたフローラをリーディアが捕まえてテラスに連れ戻ってくる。
「お義姉様、砦で大変お世話になった方がいるとお話ししてたら、ご挨拶したいと言っていたでしょう?それがこのお方です」
「こんばんは。以前より気になっていましたが、きちんと夜会の場でご挨拶するのは初めてでしたね。俺はメルビス伯爵家三男のシオン・メルビスです。リーディアさん、お美しいお義姉さんが出来たんだね」
「はい、そうなんですの」
エヴァルドに負けないほどサラサラの暗めの茶髪を揺らし、女性も羨むような青みの強い紫色の綺麗なアーモンドアイを綻ばせ首を少し傾けシオンが挨拶する。
元片想い相手のエヴァルドから男性を紹介するのは酷だからと頼まれてリーディアが紹介することとなったのだ。
「初めまして、わたくしはガラナス侯爵の娘フローラでございます。メルビス様のご活躍はいつも耳にしておりました。この度は近衛副隊長の就任おめでとうございます。凄いことですわ」
「いえ、まだまだ先任のエヴァルドには及びません。フローラ嬢と呼んでも?どうかシオンと」
「ありがとうございます。ですがとても人気の高いあなた様と親しく呼び合っていてはファンの方々に申し訳ありませんわ。わたくしからはメルビス様と呼ばせて頂いて宜しいかしら?」
「…………そういうことであれば。そういえば、フローラ嬢は普段は何を?」
距離を縮めようとするシオンの悩殺スマイルに殺られることなく、フローラは平然と距離を置き警戒する。ぐいぐいと質問を重ねるシオンに対して、フローラは淡々と答えるばかり。
エヴァルドの裾を引っ張って、リーディアはひっそりと囁く。
「ルド様、お義姉様は靡きませんわね」
「お金目当ての爵位狙いを警戒してるのだろう。シオンの内面を知らなければ当然だ……他の令息たちにもきっと同じ対応だろうしな」
「シオン様も爵位が欲しいのかしら?とても積極的に見えて意外だわ」
「爵位が欲しいだけなら、あの容姿を利用してとっくにどこかの家に婿入りしてるはずだ」
ヒソヒソ話をしている間にもシオンは折れる様子はなく、フローラに笑顔を振り撒く。クールビューティーとして人気のシオンのファンが見たら卒倒ものだろう。
「そういえば失礼を承知でお聞きしたいのですが……来月末に開かれる王女の誕生祭のパートナーはお決まりですか?」
「…………いいえ。お父様から候補から選べと言われている段階ですわ……確かメルビス様のお名前も」
「えぇ、ガラナス侯爵宛に申し込みました。しかし決定権がフローラ嬢にあるのであれば、俺にエスコートさせてくれませんか?…………それに、きっと俺の誘いを断れば後悔するのは間違いないはずですよ」
「何ですって?」
シオンの急な挑発的な誘いにフローラの微笑みが消えるが、シオンの表情は楽しげな妖艶な大人の笑みに変わる。すると1通の手紙を差し出した。
「貴女宛のエスコートの申込みの手紙です。もっと貴女と話したいと思いまして気持ちを綴りました…………そう、昔話でも。10年前の真相など」
「───10年前ですって?メルビス様それはどういう」
「エスコートを受けてくれたら教えますよ。では明日早番なので備えてもう帰ります。良いお返事待ってます」
「シオン、待ってくれ。見送ってくるからフローラから離れるな、すぐ戻る」
そう言って男二人はテラスから出ていった。姿が見えなくなるとフローラは備え付けのベンチにストンと腰を抜かすように座ってしまう。
「お義姉様……大丈夫ですか?わたくしが勝手にご紹介したから」
「違うわリーディア。シオン様は既に手紙をご用意していたということは初めからそのつもりだったのよ…………どこかで狙っていたのだわ」
弱々しい気落ちしたような返事なのに、フローラの顔はどんどん赤くなる。
「平静を保とうと頑張ったけれど完敗だわ。結局リーディアがお世話になったことのお礼を言いそびれてしまったじゃない。エヴァルド様以上の冷徹さを持つ美しい人形兵器と呼ばれるお方がわたくしに微笑まれたのよ…………見とれないはずないわ。だからこそ怖いのよ」
「怖い?」
「えぇ…………爵位だけが目当てだと気づかずに、好きになって婚約した後で愛の無さを知るのが怖いの。お友達の家がそうなのよ」
愛し合う両親を見て育ったため、自分も愛して愛されるような関係に憧れがあった。
フローラはエヴァルドの事を諦めたと同時に彼が羨ましかった。
彼はリーディアという爵位や容姿よりもエヴァルドの内面を見てくれる相手を見つけており、自分もリーディアのような相手が欲しいと思ったのだ。
きっとリーディアなら侯爵家の姉としてではなく、フローラ自身を見てくれる。だから新しい妹として受け入れることもできて、充実した姉妹生活がスタートできていた。
「ねぇ、メルビス様は何で私に好意がある素振りをするのかしら?リーディア分かる?」
「うーん、でも爵位目当てではないと思うわ。もしシオン様が本気で爵位目当てならとうの昔に他家でその座を得ているだろうって、ルド様が。だからやはりお義姉様自身に興味がおありかと」
「そう思って良いのかしら。他の令息が私には媚を売るのに対して、あんなに挑発的な誘いは新鮮で、わたくし単純だからメルビス様に惹かれ始めてしまったわ…………元々憧れの存在というのもあるけれど。だけれど片想いはもう嫌よ。10年前のことも気になるけれど、わたくしはどうしたら」
「────尊い!」
もじもじとするフローラの恥じらう姿にリーディアは思わず言葉に出すが、混乱しているフローラの耳には届かない。
(なんなの?お義姉様が可愛すぎる!ルド様の屋敷襲撃の時は悪役令嬢代表みたいに乗り込んできたのに……今は初恋に戸惑うような少女のよう。あぁ、ギャップって最高ね。もしお義姉様がシオン様を好きになったら全力で応援するわ!)
エヴァルドが戻ってくるまで、リーディアによる可愛すぎる義姉の観察は続いた。
エヴァルドとシオンは会場の出口に向かっていた。長身のイケメンが並んで歩いている姿は嫌でも注目されるので、話が聞かれないように小声で歩調も速めて進んでいく。
「シオンがフローラを前から気にしていた事は初耳だな」
「言ってなかったからな。まわりにも秘密にしていたし。それにエヴァルドに熱中してるときに近づいても無意味なことは分かってたから、フローラさんがお前を諦める時を待ってたんだよ」
「そうか、すまない」
学園時代の最も尊敬するひとつ上の先輩で、騎士になってからは信頼している同僚で、公私共に仲が良かったシオンの気持ちに全く気付けず、自分が恋路を邪魔していたことが申し訳なくて謝るしかなかった。
そしてシオンの前に犬系キースを紹介しなくて、心の底から安堵した。エヴァルドと言えどシオンから無用な恨みは買いたくなかった。
「気にするな。お前のような完璧男でないと認めてもらえないと心折れたのか、お陰でライバルは相当脱落したしな」
「私も知らない間に良い仕事したんだな」
「こらっ調子に乗るな。一番は俺の忍耐力のお陰だよ」
「ふっ、悪い悪い。そうだな」
フォローするようにシオンがエヴァルドの背中を強めに叩いて笑うと、エヴァルドはお返しとばかりにシオンの肩を叩いて笑う。
「私にできることはないか?」
「フローラさんが俺について聞いてきたら、口止めされてると言っておけ。ただ爵位ではなくフローラさんが目的とだけ…………ようやく国境が落ち着いて時間が出来たんだ。脱落せずに残ってる敵は手強いから短期集中で1ヶ月以内に攻め落としてやる」
「焦ってガラナス侯爵に消されるなよ」
「もう侯爵は攻略済みだ。エヴァルドは甘いな……あの子煩悩が最大の敵だった……って事でここまでだな。明後日からはまた一緒に殿下を支えよう」
「あぁ、私は秘書官として」
「俺は騎士として」
左手同士で拳をトンとあわせた後、手を振りながら爽やかに笑顔で別れる。
会話は聞こえないものの、いつもは冷たい無表情で有名な美しい男同士が珍しく無邪気な笑顔でじゃれ合う仲睦まじい関係に、淑女たちは眩しさのあまり、素敵な友情を見たとお茶会で広めた。
周囲に会話が聞こえないようにやや顔を寄せて話していたのも悪かったのだろう……運悪くお腐れ様が混ざっていたようで、裏で二人をモデルにした薔薇新聞が出回ってしまうほどの影響だった。
巡りめぐってリーディアの手元に薔薇新聞がやってきた時、目撃できなかったことを数日悔やむことになったのは数週間後で、薔薇新聞にエヴァルドとシオンが苦しめられるのはさらにその後だった。