地味令嬢の行方
リーディアは馬車に揺られながら、目の前で優越感により饒舌なカペル伯爵を無表情のまま、ただ見つめていた。
カペル伯爵は唯一懸念していたブローチの件も資産家の顔を持つシーウェル家にとって些細な出費であり、だからこそどうでも良い娘に与え、返還も要求されなかったのだろうと当たりをつけて安堵していた。また格上のエヴァルドに舌戦で勝ち、全てが思い通りで久々に気分が良かった。
「くくくっ、公爵の地位にあれどまだまだ青い。この私の前ではあの若造も大したことがなかった、なぁリーディア」
「…………」
「お前に随分と情を移していた割には、延長料金を払うとは言わなかったな。その情も金を払う程では無かったということか……はははははっ、手放してくれたお陰でカペル家は復活できる」
カペル伯爵はブローチの担保に無事に大量の武器を仕入れることは出来たが、戦争が回避された今はただの負債となってしまった。武器の売り上げで本払いを始めようとしていたため、まだ支払いを商人に待たせている状態だ。
また武器が盗まれては責任が問われるため、武器が手元にある限り警備を置くための費用がかかり続ける。しかし次の戦争のチャンスを待つ間に量産型の武器は時代遅れの物となり、売り物にはならずガラクタと化すのを待つばかり。
そこで返品するので本払いのキャンセルを商人に願い出したところ、武器の引き取りにはひとつの条件をあげられた。それは輸送費用の負担だった。伯爵に武器を安全に渡すために立派な荷馬車と腕の立つ護衛がたくさん使われていたので、当たり前の要求だった。
本払い料金よりはましだからとカペル伯爵は条件を飲んだものの、すでに資金が尽きており新しいお金を必要としていたところ、ちょうど都合の良い話が持ち込まれた。
「本当に一番不出来な娘が大金になるとは、この世の中は分からないな」
「次は私をどこに売る気ですか?」
「ガラナス侯爵家だ……人避けの際に侯爵が溺愛する娘から随分と恨みを買ったようだな。覚えているだろう?あの胸だけ育ったような令嬢だ」
「……フローラ様」
リーディアが眉をひそめながら思い当たった名を口にすると、カペル伯爵の顔はこれからが楽しみだと言わんばかりに笑み深くなった。
※
約1ヶ月前、勘違い令嬢の一人だったフローラの父親ガラナス侯爵はカペル伯爵を訪ねていた。
ガラナス侯爵が溺愛するフローラは恋に破れて酷く傷心しており、やはりリーディアの存在が邪魔で婚約者の立場から引き摺り落としたいと願っていた。そのような事が可能なのはカペル家の当主の伯爵だけであったと相談を受けた。
しかも婚約解消後は話を持ち掛けた責任をとって、リーディアを養女として引き取るとまで提案された。カペル伯爵は愛娘と吹聴していたため平民に落とすこともできず、穀潰しになる予定だったため都合の良い提案だった。
「成功した見返りはきちんと用意しよう。先ほどのような話を切り出せばシーウェル公爵は婚約解消を断ることは出来まい」
「要約すると、ガラナス侯爵にリーディアを売れということですかな?」
「いやいや、言い方が悪い。そうですね……理由はリーディア嬢は傷心でもう誰かと縁を結べそうにはない。何の罪もない娘を修道院行きにするのも可哀想で、カペル伯爵は我がガラナス家に侍女として出仕させようとした。そこでフローラが同じく失恋したリーディア嬢に同情して妹として引き取った…………どうです?どちらも優しい話でしょう?」
「これはこれは、素晴らしい」
支払いの催促に追い詰められていたカペル伯爵は、すぐにガラナス侯爵の誘いに乗った。武器の返品代の全てを賄うことはできないが、成功すれば貰える金額の高さは魅力的だった。
※
カペル伯爵はガラナス侯爵から提案された時の事を思い出し、あまりにも計画通りに進んだことが面白く、油断したら笑いが止まらなそうになる。
ふと目の前に座るリーディアを見るが、フローラの話が出たとき一瞬眉をひそめる程度で今はもう無表情に戻っていた。
(本当に愛想もない娘だ……面白くない。そういえばこいつは前に私に随分と反抗的な態度だったな。父親である、この私に対して……誰の機嫌を損ねたら悪いか分からせ、少し反省させるか)
馬車に置いてあった鞄の中からシガレットケースを取り出し、葉巻を一本選ぶと先に火をつける。わざとらしく煙を吐き、すぐに車内は煙で充満する。煙に馴れてないリーディアはハンカチで口を押さえ咳を我慢するが、煙が染みた瞳は涙で霞む。
苦しそうにするリーディアの姿にカペル伯爵は少し気持ちが満たされる。
「リーディア、ハンカチを外せ。目上が葉巻を楽しんでいるのに嫌がる素振りは失礼だ。これは私の優しさだぞ?ガラナス邸でお前が粗相しないように教えてやってるんだ」
「………………っ」
(何を今更優しさですって?見下したような目で、そのだらしなく緩んだ口がふざけたことをっ……)
どんなに恨めしくても従うしかないリーディアはハンカチを口から離して握りしめる。すぐに咳き込み、その姿を楽しそうに見るカペル伯爵のあまりの傲慢さに怒る気持ちが抑えられず涙目のまま睨まずにはいられなかった。
「チッ……その生意気な目は何だ」
「失礼しました」
「ハッ、言葉の割にはまだ目は生意気だな。最後の親の務めとして反省させなければなぁ」
「───何をっ!」
カペル伯爵は葉巻を口から離すと手を前に伸ばし、トントンと葉巻を指で軽く叩いた。リーディアが彼が何をしようとしているか気付いたときには、葉巻の先から火のついた灰が下へと落ちてリーディアのドレスを焼いていた。
「………………そんな」
「私に反抗的な態度をとった罰だ」
握っていたハンカチで灰を払ったお陰でドレスが燃えることは無かったが、灰が触れた箇所はポロポロと生地が崩れ穴が空いてしまった。他にも近くには焦げ目が残り、2度と人前では着れない有り様だった。
「ガラナス侯爵にはリーディアの躾をしたと説明しよう。同情してもらえると思うなよ?何故ガラナス侯爵は養女にしようとしてると思うか分かるか?」
「………………」
涙を溢しながら呆然とドレスを見るリーディアの見ながら言葉を続ける。
「ガラナス籍にすればフローラ嬢がストレスの捌け口にお前にどんな事をしようと、外野は何も手出し出来ないからだ。ガラナス侯爵は外交官長官で力もあり、格上のシーウェルと言えどもう何もできない」
「…………私の今後は父様ではなくガラナス侯爵の気分次第」
「そういうことだ。私とてもう口を出せない……おや、ガラナス邸に着くようだな」
窓の外にはシーウェル公爵に負けないほどの広大な庭が広がり、色々な花が咲き乱れているが統率が取れており優雅の一言だった。ガラナス侯爵家の力の大きさが伝わり、カペル伯爵はその立派さに焦がれ“いつか私も……”と野心が募る。
馬車が玄関前に停まると真っ黒な燕尾服に身を包んだ50代ほどの執事ひとりが出迎えてくれた。カペル伯爵が先に降り、次にエスコートもされず焼けたドレスで降りてくるリーディアを見て、一瞬だけ目を見開いた。しかしベテラン執事は誰にも気づかれること無くすぐに元の微笑みに戻り、リーディアの姿を指摘することなく歓迎の挨拶を述べる。
「カペル伯爵、それにリーディア様、ようこそガラナス邸にいらっしゃいました。旦那様や奥様、お嬢様は応接室で待ちわびております。ご案内いたしましょう」
「あぁ、頼んだ」
応接室に着き扉が開かれると、待っていたガラナス侯爵夫妻は執事と同じように少しだけ見開いたあと、微笑みながらふたりを出迎える。ただフローラは力強い瞳でリーディアをじっと見続けていた。
「待っていましたよカペル伯爵。さぁどうぞお座りください。早速、養子の手続きを済ませましょう」
「えぇ、もちろんです」
カペル伯爵はいかにも高価なソファに腰かけて書類に署名を始めるが、リーディアは立ったまま動かない。リーディアのドレスには灰や焦げがついており、座ってしまうと高価なソファが汚れてしまうことを恐れて立つことにしていた。
ガラナス侯爵の重い視線がリーディアを下から上、上から下へと動き、説明を求めるように最後はカペル伯爵へと移動すると、はっとしたようにカペル伯爵はペンを止める。
「これは説明せずに申し訳ない。本来は無愛想で生意気な娘でしてね。ガラナス侯爵に粗相があってはいけませんから、馬車で最後に躾を少々」
「なるほど…………」
先ほどまでリーディアに高圧的なカペル伯爵だったが、計画通りの流れと立派すぎる屋敷に格の違いを実感してるのか、頭を低くしながら答える。
「ではガラナス侯爵、署名の確認を。そしてこれがシーウェルとの婚約破棄の証明となる契約書です」
「…………確かに受け取った。戸籍移動の書類は私が仕事ついでに王城に提出しよう」
ガラナス侯爵は出来上がった書類に満足げに頷くと、執事によって大きな鞄がテーブルに乗せられる。
「報酬です。小切手を使うと誰に疑われるか分かりませんからな、現金でお渡しする。いいかな?これで終わりだ」
「これは……確かに……問題ありません。して、これからリーディアはいかようにするか、最後に聞いても?」
「だそうだフローラ。どうしたい?」
金の入った鞄の存在感に目を輝かせながらも、意地悪そうな視線をリーディアに向ける。すると話をふられたフローラは育ちすぎたと表される胸を揺らし、気に入らない存在を見るかのようにリーディアの前に立つ。
「そうですわね……まずはその似合わないドレスを剥ぎ取りますわ。あとはこの子に相応しい服を与えるの」
「それはそれはお優しいお嬢様だ。では私はこれにて失礼しますかな」
「カペル伯爵、ご苦労だった。私たちは別室に次の客を待たせているから、見送りはここで失礼する……ではな」
「はい、今回は良いお話でした。では」
返品代の支払いの催促が凄いのだろう、フローラの返答に満足するとカペル伯爵は自ら鞄を持ち急いで帰る支度を整える。最後にリーディアを一瞥し鼻で笑うと、応接室を出ていった。
ガラナス侯爵夫妻の顔からは微笑みが消え、フローラは相変わらずリーディアを見つめたまま応接室は静まり帰っている。数分もしないうちに侯爵夫妻の代わりに見送りをしていた執事が戻ってきた。
「帰ったか…………」
「はい、旦那様。馬車の姿はもう見えず、引き返してくることは無いでしょう」
「そうか…………カペル伯爵は驚くほど君の思い通りに動いてくれたな。ひとつを除いて……同じ父親とは思えん」
「そうですね……あそこまで腐ってるとは思いませんでした」
ガラナス侯爵が後ろの衝立に向けて声をかけると、長身の青年がひとり出てくる。眉間には深く皺が刻まれ、青い瞳は怒りで冷たく鋭く光り、握られた拳はわずかに震えている。
逆にその青年の姿を確認したリーディアの表情は無から温かいものへと変わった。
「ルド様、お疲れ様です!あの人はすっかりルド様の演技に騙されてましたよ。凄いわ」
「ディア……!何で笑っていられるのだ。ドレスに……その赤い瞳は何をされたんだ」
リーディアの瞳は煙と涙のせいで未だに真っ赤で、ドレスは悲惨な状態、手も火消しのせいで黒く汚れていた。しかし馬車の中では「わぁーザ・悪役キタァァァー」とか「誘導されてるとは知らないで……小者感が凄いわ!感動よ!」とネタ変換することで乗り切っていた。むしろ妄想の世界にトリップしないように耐えていたほどで、唯一エヴァルドに貰ったドレスがダメになったことは想定外で悲しかった。
リーディアの事が心配だったエヴァルドは馬で裏道を走り、先にガラナス邸へと先回りしていたのだが、馬車での出来事を聞いた彼は更に苦しげな表情を浮かべる。
苦しげなのはガラナス侯爵夫妻も同様で、フローラに関しては号泣だ。
「なんて可哀想なの!怖かったわよね!あぁ、もう大丈夫よ、わたくしが姉としてリーディアを守るわ。わたくしのことは今からお義姉様と呼ぶのよ」
「そうよ、リーディアちゃん。我が家では遠慮なく好きなように過ごすのよ。わたくしのことはお義母様って呼んでね」
「ふぁ……ぃ」
フローラの立派なメロンは母親譲りなようで、リーディアは二人の抱擁によるメロンアタックで顔が潰されて返事がうまくできない。ガラナス侯爵とエヴァルドは顔を逸らしている間にリーディアの顔は次第に赤くなり、瞳も涙目になったところで解放された。
「まぁ、大丈夫?強く抱き締めすぎたかしら?」
「いえ、柔らかかったので苦しくは無かったです……ただ馴れないもので」
フローラが心配そうに覗きこむと、リーディアはふっと泣きそうな顔になってしまう。自分の境遇に同情されたことも少なく、ましてやここまで心配され、血の繋がった家族以上の家族愛を受けたことがなく、戸惑いと嬉しさが複雑に混ざり合っていた。
事前に生い立ちを聞かされていたガラナス侯爵には、その複雑な思いが理解できた。
「リーディア、君はもう私の愛するガラナス家の一員だ。今まで言えなかった我が儘も言いなさい。家庭教師も呼ぼう。新しいドレスも買ってあげよう。私たちと本物の家族とはどんなものか、ゆっくり知っていこう」
「は…………はいっ、うぅ」
「さぁ、フローラ。リーディアを部屋に案内して綺麗なドレスを着させなさい」
「えぇ、行くわよリーディア」
ガラナス侯爵の言葉が胸に響き、リーディアは涙を耐えきれなくなった。それをフローラが優しく支えるように立たせ、部屋に向かって応接室を出ていった。
応接室には残されたエヴァルドとガラナス侯爵のため息がハモる。
「ガラナス侯爵、今回の件は感謝いたします。協力してくれたことになんとお礼を言ったら良いのか」
「これはエヴァルド君ではなくリーディアへの恩返しだ。公爵家の当主と、侯爵家の一人娘が結婚できるはずもないのに、ひとりで君との結婚を夢見ていた暴走フローラの目を優しく覚ましてくれたのだから、助かった……危うくガラナス家の直系が断絶するところだったよ」
額を押さえ項垂れるガラナス侯爵に対して、微妙な立場のエヴァルドは言葉もない。それと同時に家族想いで情に厚いガラナス侯爵の気持ちを利用する形でリーディアの事をお願いしたが、正解だったと改めて思った。
「そして、エヴァルド君はすぐにでもリーディアと新たに婚約を結んで、シーウェル家に連れ戻したいんだったね」
「はい、署名をお願いできますか?2週間後の夜会で正式に公表した後、迎えに参ります」
エヴァルドは婚約契約書をすっと差し出すが、ガラナス侯爵は腕を組んで目を瞑り、何かを考え始めペンを取ろうとしない。夫人は微笑みを崩さず、いや扇子で口元を隠しながらいつも以上の笑顔であることが伝わる。
その沈黙の長さにエヴァルドは非常に嫌な予感がしていた。先ほどリーディアにかけていた長期滞在を仄めかす言葉、家族想いで子煩悩、父親としてのプライド、母親としての同情…………そして今リーディアはガラナス籍になり、身柄の権限は目の前の男に委ねられている。
「まさかガラナス侯爵……」
「おや、気付いてしまったか?」
「リーディアを私に渡さないつもりですか?」
「くくくっ、条件次第だよ」
予感が的中して奥歯を噛み締めるエヴァルドに対して、ガラナス侯爵夫妻の口元はシンクロするように綺麗な弧を描いた。
最終話まであと一週間。書き終わりました。
残り7話となりますが、お付き合いお願い致します。