眼鏡公爵の叔父夫婦
本日2話目の投稿。
リーディアは今日は2階のテラスに朝食を用意してもらっていた。目の前には公爵家に相応しい立派な庭が広がる。派手な花は無いが、きれいに切り揃えられた緑の芝生が一面に広がり美しい。まるで無駄のない洗練された様子は主人のエヴァルドのようだ、と感心しながらリーディアは眺めていた。
朝食をとり終えた頃、門から1台の豪華な馬車が入ってきた。馬車には公爵家の家紋があしらわれており、リーディアの後ろに控えている侍女から黒いオーラが出てくる。
(まぁ、本当にエヴァルド様の狙い通りのタイミングで敵は現れるのね。さすが近衛の参謀を務めるインテリ眼鏡騎士様だわ。そんな私はただの一兵、さて仕事をしますか……)
「私は迎え撃ちに行くわ。あ、でもルド様はお疲れだから寝かせてあげてくれる?昨日は遅かったから、せっかくの休日に可哀想だわ」
リーディアが控える使用人たちに対して、まるで女主人のように振る舞い指示を出す。誰ひとり渋るものはなく、主人の寵愛を受けていると思い込んでいるようでリーディアに従う。
「おはようございます。わたくしはリーディア・カペルでございます。義叔父様に義叔母様、とってもお早いのですね」
「貴様にそのように呼ばれる覚えはない!エヴァルドはおらんのか?お前のような狸女には用はないのだ」
「本当にシーウェル公爵家に相応しくない女が住み着いたものですわ。あぁ、嫌だわ!ちょっとエヴァルドを出しなさい!」
リーディアが迎えると、ギラギラと装飾品まみれの叔父と歳には似合わない露出の多い装いの叔母が鼻息荒く騒ぎ出す。いつも澄まし顔の使用人たちの目元がピクッと動いてしまうほどに、彼らの普段の行いは酷いものだった。勝手に屋敷のものを持ち帰ろうとしたり、使用人にもスパイのような物騒な縁談を持ち込んできていたのだ。
「まぁ、そう仰らずに。本日はなんの御用ですの?私にできる事でしたら、お受けいたしますわ」
「お前が……?」
「はい。ある程度のことは任せられてますの」
叔父は訝しげにリーディアをねっとり値踏みする。そうしてエヴァルドに話をつけるよりも、リーディアを利用した方が早いと判断した。
「それでは単刀直入に、先日約束をしていてな……その約束の金を受け取りに来たのだ」
もちろん既にエヴァルドによって断られた無心だが、簡単に諦めるようであればここには来ない。リーディアは大袈裟に合点したように反応する。
「まぁそうでしたの?本当であればご用意しなければいけませんわね!」
「そうだろう?装飾品やドレスを用意するためにも、ある程度の金は渡されているはずだ。今日はエヴァルドの代わりに、貴女の立て替えで構わんから渡してくれぬか?」
「なるほど、立て替えですね。全額はご用意できなさそうなので、まずは一部だけ。念のためサインを下さる?」
(ふふふ、馬鹿な娘だ。しばらくは二人の仲を反対せずに、こいつ経由で金を巻き上げるか。私は確かに承諾を得て金を手に入れた……バレて落ちるのはこの娘だ)
リーディアがあまりにも素直に納得したので、叔父はエヴァルドが現れる前に帰ろうとサインをすぐに済ます。侍女から現金を受け取ると、ニヤついた笑顔で「また数週間後に来る」と言い残して帰っていった。
リーディアが玄関で叔父たちを見送り部屋に帰ろうとすると、不機嫌な声に呼び止められる。
「リーディア……私の部屋に入れ」
素直にリーディアが部屋にはいると、ソファに座る前に立ったままエヴァルドから問い詰められる。彼の眉間には深く溝ができ、落胆の色を隠すつもりがない。
「どういうつもりだ。あれでは跳ね返すどころか、つけ上がらせ無心を助長させるだけだ。はぁ、貴女に任せたのが間違いだったか」
「ご心配なく。こちらをご覧になってくださいませ」
リーディアは先ほどの叔父がサインした紙をエヴァルドに渡すと、落胆の顔から驚きの表情へと変わる。
「まて、本当に叔父がサインしたのか?いや、確かに影で見ていたが……」
「あの方は地味でもっさりした私を無能な小娘と判断して内容を読まなかったのでしょうね。まさか、こんなにも簡単に行くとは……ですがこれは紛れもなく直筆のサイン……義叔母様もその場におり、写しも丁寧に封筒にお入れして渡しましたから言い逃れは出来ません」
「これはまた……愉快な……この金額なら2週間後か……」
「その通りです」
エヴァルドの予想通り2週間後にはまた夫婦がやって来た。前回と同じようにリーディアだけで迎え撃つ。
「まぁお久しぶりです」
「おぉ、リーディア!約束の残りの金は用意できたかな?相当な額になるが……全部でなくても良いのだぞ?」
「可愛い貴女が頑張ってるなら少しくらい渡すのが遅れても待てるわ」
「ご心配には及びません。全額ご用意しておりますわ。むしろ上乗せもできますわよ」
「上乗せだと!?」
「はい!サインを頂ければ3倍までいけます!」
リーディアが使えると踏んだ夫婦たちは、前回とは比べようもないほど寛容な態度で接する。リーディアの返答にも驚くが、完全にバカ娘認定した叔父は都合の良い方に解釈する。
(夜会で聞くエヴァルドの溺愛っぷりは真実であったか……こんな馬鹿な冴えない娘に多額の金を任せるほどに……こちらとしては都合が良いがな)
リーディアは叔父の返事を待たずして、侍女に現金を用意させ目の前に用意する。数人の使用人によって運ばれた札束の多さに感嘆し、叔父と叔母は唾を飲む。その金額は実に地方であれば屋敷と土地が買える金額。領地運営に貿易も行い、尚且つ近衛騎士としての給料もある公爵家にとってはたいした額でなくても、札束のタワーは圧巻だ。リーディアはただ「私、貴方のために頑張ったの」とニコニコと笑顔を振り撒くのみ。
「で、では3倍だ!リーディア、君は素晴らしい婚約者だ。これからもエヴァルドを頼む」
「そうね!リーディア以外にエヴァルドに相応しい子はいないわ!」
夫妻はリーディアがこの立場である限り、いくらでも巻き上げられると踏んで褒め称える。この二人は多額の札束に魅せられて、既に冷静な判断が出来なくなっていた。
「お認めになってくれるのですね。ではもう他の令嬢の縁談は止めてくださいね……私、こんなにも頑張ってるのに……」
「もちろんだ!私からは縁談の類いは一切持ち込まないと約束しよう」
「まぁ嬉しい。では今回のお金のサインはこちらに、縁談の承諾についてはこちらにサインを」
そして前回問題なくお金を借りることができたことから、叔父はリーディアを疑うことを放棄して書類二枚にサインした。
リーディアはまた写しを丁寧に封筒に入れながら、この状況に冷めはじめていた。
(つまらないわ。はじめは禁断の恋を邪魔する悪役のモデルが来たわ!どんな意地悪をしてくれるのかしら……と楽しみにしていたのに。お金の無心だけで、縁談の邪魔はしてこない……ネタにもならないわ)
「可愛いディア、叔父たちと何をしているんだい?」
「まぁルド様、おはようございます。義叔父様たちとは素敵な取引をしていたのですわ」
「エヴァルド……!今日は仕事では……」
ちょうど写しの封筒を渡したところで、予定通りにエヴァルドが応接室に現れる。叔父たちはまずい取引をエヴァルドにバレたくなく、不在を狙ったようだが無駄である。エヴァルドの伝で既に見張りがつけられており、行動は筒抜けでシフトを交代してもらっていた。
「ほう、取引か。随分とディアは嬉しそうだな」
「えぇ!ルド様と私の仲をお認めになって、もう縁談を持ち込まないとサインを頂いたのです」
「確かに喜ばしいな……叔父上ありがとうございます」
「いや、そんな素敵な令嬢を反対する要素がないからな……ははは。ではお似合いの二人の時間を邪魔してはいけない、帰るとしよう」
叔父は持ち出されたのがお金ではなく縁談の件だったため、首の皮一枚繋がった。すかさず金の話題になる前に逃げようとするが、罠にかかった獲物を逃がすことはあり得なかった。
「ディア、もう一枚の紙も見せてくれるか?」
ディアの手から受け取り、エヴァルドが検分してしまった。叔父と叔母は顔を青ざめさせるが、叔父は開き直ったかのようにエヴァルドに問われる前に捲し立てる。
「この借用書は無効には出来ぬぞ!きちんと儂は婚約者のリーディアの承諾を得て受け取ったのだ。しかも返済期限もない。今さら返すことはあり得ん!リーディア……悪く思うなよ」
「まぁ、もちろんですわ。今さら無効など愚かな事は申しませんわ。ルド様、私何か問題でも?」
「まさか、ディアのしたことに問題はあるものか」
「…………は?」
無駄な足掻きと分かりつつ捲し立てたが、糾弾される訳でもなく了承したエヴァルドに叔父は間抜けな面を晒している。
(あのエヴァルドが女に現を抜かして馬鹿に成り果てたか!リーディアの事であれば、どんな事でも許すと言うのか!はははははは!この女を使えば金も自由……実権も手に入れたも同然だ)
「そういうことだ。私たちは帰るとしよう」
「そうですわね。お邪魔いたしましたわ」
「さて、叔父上と叔母上は一体どちらにお帰りになるのか……なぁディア」
「まぁ、ルド様ったら天然ですこと。それはもちろんホテルではありませんか?」
勝利を確信した叔父たちはさっさと帰ろうと引き連れた使用人と応接を出ようとした時、見送りをしようともしない二人の言葉に足を止める。
「なるほど、ホテル暮らしも悪くないか。しかし次の予約もあるから長期では貸してくれぬだろう」
「確かに……何度も移動するのは大変ですわね。まぁ私たちには関係ありませんわ」
「そうだな」
「お前たちなんの話をしている?」
「あれ?お帰りにならないので?借用書……いえ譲渡契約書にも書かれていたではありませんか」
エヴァルドに指摘され、叔父はいそいで封筒を破り写しを読む。その内容が理解できず固まっていたが、だんだんわかり始めると事の重大さに気が付き震え出す。叔母の意識はまだ戻ってこない。
(なんだこのデタラメな内容は!!この小娘……!)
そこには叔父と叔母が屋敷とそれに備わるもの(屋敷に置いてあるもの全て)を即日エヴァルドに渡す代わりに、お金を譲渡する旨が書かれた売買契約書であった。お金を受け取った彼らに帰る家などなくなっていた上に、多額のお金と言えど王都で新たに屋敷を得るには少ない金額だった。しかもその内容は下部の補足の所に書かれており、罠に嵌められたことにようやく気が付いたのだ。
(もしや、前回サインした紙にも同じことが……!?)
カッとなり叔父はリーディアを睨むが、リーディアは叔父の手元の写しを覗きこみ、「何か問題でも」と首を傾げるだけで無知を装う。それが既に冷静さを失っていた叔父の火に油を注いだ。
「この狸めが!この儂を騙しおって!」
「きゃぁあああ!」
傍にいたリーディアは叔父に髪を掴まれ、床に叩き崩される。更に足で踏みつけようとするが、叶わない。エヴァルドが叔父に剣を抜き、喉元に突きつけたのだ。
「ディアを傷つけるなど、叔父上といえど見過ごせません」
「貴様……恩を忘れたのか?兄が亡くなり、若いお前を儂が」
「恩以上に迷惑の方が上回ってますよ。きちんと明記されているのに、初めからこの契約書を読まなかったのは叔父上の落ち度。ディアは嘘を言った訳でもなく、こちらは改竄も何もしていない潔白。きちんと普通では用意できないお金も渡してあるのに……その上での婚約者へのこの仕打ち。貴族の親戚でしかない叔父が、貴族籍の令嬢への暴力……投獄されても文句はありませんよね?」
「…………な!お前にそれができるのか?公爵家の名に汚点を残すのだぞ?」
「叔父上がいる時点で十分な汚点だ。投獄して今後何もされない方がずっと良い」
ついに何も策のない叔父は膝をつき、エヴァルドは汚物を見るような瞳で叔父を見下ろす。エヴァルドは剣を収め、倒れたリーディアを支えながら叔母に目線を移す。
「さて、叔母上はどうしましょうか」
「エヴァルド!これは夫が勝手にしでかしたことよ。お金は貰えるんですもの、屋敷の事も諦めるから私は無実よね?」
「えぇ、でも宜しいのですか?お気に入りの宝石やドレスもあったでしょうに。契約書には『屋敷に置いてあるもの全て』の譲渡が含まれてます。今なら買い戻せますよ?」
「───!そんな……」
それに気付いた叔母は意識を失った。
そのあと家を失った二人は、公爵家の屋敷の別邸に幽閉されることとなった。一切社交界に顔は出さない、公爵家の運営に関わらない、外部との接触はエヴァルドの許可を得ることを条件に衣食住は約束された。
さすがの叔父も投獄よりはましだと判断し、生粋の貴族育ちの叔母も屋敷を出て生きていけないと理解して承諾した。
騒動の夜、エヴァルドとリーディアはいつも通りソファに向かい合い反省会を行っていた。リーディアの左頬は床にぶつけたせいでまだ赤く、捻った手首にも包帯が巻かれていた。騎士の生活をしているエヴァルドにとっては日常見慣れた軽度の怪我ではあったが、その相手は無力な令嬢となると心情は重たくなった。目の前のリーディアは手首を眺め、小さなため息を漏らす。
「私の叔父がすまない。作戦とはいえ無茶をさせた」
「いえ!頭をおあげください。私は仕事をしたまでです。それよりもエヴァルド様の剣の速さには驚きましたわ!さすが近衛ですわね。見惚れましたわ」
「そ、そうか」
エヴァルドを気遣うように話題を逸らすリーディアに、エヴァルドは優しさを感じていた。
(彼女のお陰で叔父のお金の問題も縁談の問題も潰すことができた。感謝にたえないのに怪我をさせてしまった。普通の令嬢であれば傷物にしたからと縁談を迫るが、リーディアは仮初めから本物の婚約にしろとも言わない。優しすぎる……)
一方リーディアは、エヴァルドのその繊細な考え事にも及んでなかった。
(あぁあぁ!私の馬鹿!せっかくエヴァルド様が悪役から剣を使って相手を救い出す素晴らしいシーンを再現してくれたのに……なのに受け身が下手だったせいで利き手を捻るなんて!ガッチリ包帯が巻かれてて、ペンも握れないしネタが書けないなんて……鮮明に覚えてる間に記録したいのにぃぃ!)
なんて事を考えていた。