地味令嬢の目眩
数日後からエヴァルドはリハビリの合間をぬって、砦に残った秘書官たちの手伝いをしていた。ルーファスが頭脳を捧げろと言ってくれた期待に早く応えられるようになりたくて、医者からの許可がおりてすぐに留守番の秘書官にお願いしたのだ。
「サガントス殿、こちらの数字の確認お願いします」
「あぁ、見てみますね……うん、このまとめ方で大丈夫ですよ。シーウェル殿は覚えるのが早いですね、助かります」
エヴァルドが資料を10枚終わらせたと思ったら新しく20枚増えているような日をすでに10日間続けているが、秘書官たちの机に乗る紙の量と比べると文句も言えない。むしろ容赦のなさは暗に認めてもらえてるのと同じことなので、やる気に繋がっていた。
「それにしても相変わらず凄い量ですね。秘書官たちはこれを毎日……今まで気づきませんでした」
「ははは、まさか!エクルの件を優先してだいぶ溜めてましたからね。今は殿下が何名か連れてって人員不足ですし……一段落したら定時上がりできますよ」
たいしたことないと今まとめ役を任されている秘書官が笑っているが、その姿を見てエヴァルドは自然と尊敬の念が芽生えていた。
(計算スピードが桁違いだ……私ももう少し自信があったのに。私も早く他の秘書官たちのように……!)
自然と拳に力が入るが、少し年上のサガントスと呼ばれる秘書官がそれに気付き背中をポンと叩く。
「気負いすぎないで下さい。優秀な貴方ならすぐにでも我々に追い付きます。慣れですよ、慣れ。今は焦らず体力の回復に努めてください。大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
エヴァルドの力が抜けると、サガントスは安心したように頷く。
「でも本当に助かりましたよ。今日はもう休んでください。明日からの旅路のためにも」
「そうします。正式に復帰したときはまたご教授お願い致します。お先に失礼します」
エヴァルドは執務室の前で一礼をして退室する。見送ってから二週間、ルーファス達は無事にエクルとの交渉を終えたようで明日の朝には砦に戻ってくる。そして少し休憩をしたあと、諸事情により泊まらずに午後にすぐ王都に帰る予定になっている。
「砦の生活も今日で終わりなんですのね」
「そうだな。観察は良くできたのか?」
「はい!ここはネタの宝庫でした。現実的要素を盛り込んだ良い新作が書ける予感がします」
「そうか、退屈していなくて良かった」
「リーディア様、新作できたら読ませてくださいね」
エヴァルドが仕事の間、リーディアは食堂や砦の廊下に潜んで人間観察を楽しんでいた。エヴァルドもナーシャも拒絶することなく、むしろ小説家として応援してくれていることに安心し、腐女子をカミングアウトしてから隠さなくなった。今日も夕食を食べながら、一日の発見を話している。
しかし、ここ数日は話し続けることで隙を作らないようにリーディアは警戒していた。今日のメニューにはスープがあり、エヴァルドにとっては食べにくい品であるが知らぬふりをする。
ダラスとシオンには「男はあーんに弱く、嬉しいものだ」と教えられたが、今では「弱いのは女の方だ、馬鹿野郎」と反論したくてたまらない。
初めはどこか恥ずかしがり理由を付けて受け入れなかったエヴァルドが、騎士団が不在になった途端に求め始めた。そしてリーディアは知ってしまったのだ……
「ディア、手伝ってくれないか?」
「え?」
「見てただろう?」
「は、はい」
リーディアは警戒しすぎてスープを見すぎていたことが裏目に出て、催促される。リーディアはエヴァルドのトレイからスープの器を手にとり近づけて、もう片方の手でスプーンを使いスープを掬ってエヴァルドの口元に運ぶ。
スプーンに狙いを定めるように目が軽く伏せられたことで長い睫毛が際立ち、眼鏡が青い瞳に影を作ると、整った唇がはむっとスプーンを口に含む。音をたてないように軽く啜る唇はスープで濡れて色気が押し寄せ、飲み終わったあと唇についた雫を舐めるチラ見えの舌がアウトだった。
最初の数日は直視できずに、クールな顔立ちの甘えるというギャップ萌えによる精神的に攻撃を受けていた。
「どうかしたか?」
わざとではないかと疑いの目で訴えるが、エヴァルドは本気で分かっていなさそうな反応でリーディアは困惑する。実際にエヴァルドは単にリーディアの手から食べたいだけで、仕草は何も気にしていなかった。
「食べる仕草が色々と参考になるなと……特に ルド様はギャップ効果が大きく、新しい発見が多いわ。負けだわ」
「何に負けたんだ?ふっ、本当に小説の勉強が好きなんだな、私が参考になれば何よりだ。頼むのも今日で終わりだろうし」
真面目な補助ではなく小説のネタモデルとして見てしまう腐った誘惑に負けても、エヴァルドは許すので、最近は腐った思考に抵抗できなくなった己の弱さが憎たらしくなる。耐えながらエヴァルドにスープを食べさせるが、やはり誘惑に抗えずリーディアは開き直ってガン見することにした。
明日からは旅路だし、屋敷に帰っても人目が増えるためあーんを頼まれなくなるらしいので、最後の観察チャンスだからと堂々と観察に集中することにした。
しかし流石にエヴァルドも恥ずかしくなり、目線を逸らしてしまうが、観察スイッチが入ったリーディアには新しい萌え仕草としてガン見されるばかりだった。
気配を消しているナーシャをチラっと確認すると、部屋の角で自分の夕食を食べながらニヤニヤと見ているので、自分から仕掛けておいて結局いたたまれなくなる。
「ディア、見すぎではないか?」
「最後のこの一口で終わりですので……はい、あーん!」
「ん………………ご馳走さま。じゃあ次はディアの番だな。ほら、あーん」
「え!?」
エヴァルドに食べさせていたため、リーディアのプレートにはまだ食材が残っていた。エヴァルドは途中で負けた気分になり、リーディアに仕返しとばかりにスプーンを取り上げて口元に運ぶ。
「あの、わたくしは自分で」
「食べさせてもらう体験も小説の参考になると思ったんだが?余計なお世話だったか?」
「それは…………!」
前回は熱で朦朧としていて、ほとんど記憶になく確かに素晴らしい経験のチャンスだった。思わず誘いに飛び付きそうになるが、ある直感が働き思い止まってエヴァルドを再びよく見る。
(弧を描く穏やかな口元……セーフ。頬の上がり方……セーフ。緩んだ目尻……要注意。瞳の潤い方に瞳孔…………アウト!これは罠をはっている時の顔!今の私にはキャパオーバーな事案だわ)
リーディアの恥ずかしがる反応を楽しもうとする、腹黒バージョンだと判断し心を落ち着かせる。蕩けるような微笑みで距離を詰め、狙ったように熱を持った視線をぶつけられ、眩しさでよろめき、何度エヴァルドの勝ち誇った顔を見せられたかと奥歯を食い縛り誘いに耐える。
日頃の観察が活きた瞬間だった。
エヴァルドの手からスプーンをさっと抜き取って、笑顔で返事をする。
「以前に食べさせてもらったので大丈夫ですわ。お気遣い、ありがとうございます」
「そうか、そうだったな」
バレたかとエヴァルドは諦めて身を引く。残念な気もするが、リーディアは時々抜けているものの、よく自分を理解しているなと感心した。前から甘すぎる想いに重症だと思っていたが、救ってもらい、支えられていることで更に悪化してるなと認めざるを得ないと苦笑する。
あまり意地悪して嫌われるのは避けたいので、窓の外を眺めながらリーディアが食べ終わるのを待った。
「ご馳走さま。片付けに行って参りますね。行きましょうナーシャ」
いつものように二人で厨房に食器を戻しに行こうと、一緒に部屋を出るが数メートル歩くとナーシャの足が止まる。
「ナーシャ?」
「リーディア様はあの刺繍の御守りを何故渡してないのですか?」
「それは……自分のにしようかなぁって」
思い付いた言い訳を伝えながら、リーディアは渡そうと思いつつも渡せていない御守りを、ワンピースのポケットの上から見つめる。
渡すチャンスなど何回もあったが、何度も祈りを込めているうちに自分の御守りのようになってしまい、名残惜しくなってしまっていたという説明にナーシャは少し呆れ顔になる。
「リーディア様ったら……渡してあげてください」
「帰ったら新しいの作るというのは」
「その御守りだから渡す意味があるのですよ。リーディア様……良いですね?」
「は、はい」
ナーシャは念を押すように目で訴え、器用にリーディアの手からトレーを奪うとひとりで行ってしまった。
砦では特例として患者の関係者として部屋に二人きりにさせることができても、屋敷に帰れば未婚のカップルを二人きりにはさせてあげられないので、ナーシャとしてはせっかくなら砦にいる間に渡してイチャイチャしてほしかった。
リーディアはぽつんと廊下に残されてしまい、とりあえず護衛の人を見ると病室の扉のノブに手をかけて「どうぞ」と言っているかのように開けるスタンバイをしていた。護衛は既にナーシャに買収されていることを意味していた。
(逃げ道は無いのね…………本当の理由は他にもあったんだけど…………悩んでも仕方ないわね)
リーディアは覚悟を決め、護衛に頷くと扉が開かれ中に入る。エヴァルドはノックも無かったので、少し驚くように振り向き入室者が分かると穏やかな顔に戻る。しかしリーディアは入室したときエヴァルドは窓の外を眺めながら左手で右腕を確認するように撫でていた所を見てしまい、覚悟が少し揺らぐ。
(本当に渡して意味があるの?今渡してももう遅いのに……)
「どうかしたのか?悩みごとか?」
「確認したいことがありますの。ルド様は効果の無い物でも、欲しいと思えますか?」
「効果?」
表情が優れないこと見抜かれ、早々に話を切り出すことにした。ポケットから御守りを取り出して、手のひらに乗せエヴァルドに見せる。握ってしまうと、リーディアの小さな手でもすっぽり隠れるほどの小さな刺繍の袋に四つ葉のクローバーがしっかり見える。
「わたくし御守りを作ったんです……でも結局効果は無かったから」
御守りはリーディアの心を支えはしたが、エヴァルドの事は守ってくれなかった。所詮はただの刺繍とコインなのは分かってはいたがどこか心の支えにしていた分、気持ちはどこか整理できておらず、リーディアの陰った表情からエヴァルドには少ない言葉からも思いが伝わる。
「私のために作ってくれていたのか?そうか……」
「はい……やっぱり今度違う物を」
「これがいい。他はいらない」
エヴァルドの少し不機嫌で静かな声を聞き、やはり渡すべきではないと御守りをポケットに仕舞おうとするが、手を掴まれ止められる。
そしてリーディアの手を握りながら御守りを親指で優しく撫でるが、瞳の様子はまだ不機嫌そうなままで、困惑する。
「私はこれがいいのに駄目なのか?」
「ルド様が欲しいのであればプレゼントします。どうぞ……」
エヴァルドの手に渡すが、不機嫌そうな表情は消えない。
(御守りに不満はなさそうなのになんで?不機嫌な顔も麗しいけど、穏やかな顔に見慣れると少し怖いわ…………初めてお会いしたときのようね。何を考えてるのかしら?)
無言で御守りを見つめているエヴァルドの表情をチラっと見ると、ちょうど視線がぶつかり肩がピクッと動いてしまう。
「なんだ?」
「あの……何故不機嫌そうなのですか?わたくし何か失礼な事をしましたかしら?」
「…………したと言えばした」
「え?わたくしは何を?」
「私はディアが思っているよりも狭量な人間だ。貴女に関することは最近特に……」
自嘲するかのようなエヴァルドの表情に、リーディアはますます分からなくなり首を傾げる。
「分からないよな?こんなにも欲しくなるものをずっと隠されていたことに、私は 少し苛立ったんだ」
「そんなまさか…… !」
「仕方ないだろ?ディアが私のために用意した初めてのプレゼントなんだから……どんな物でも欲しいさ……あとは察してくれ」
「────!」
「呆れたか?悪かったな……余裕の無い男で」
エヴァルドの拗ねたような態度にリーディアは萌えてキャパオーバーになり目を見開いて固まってしまうと、呆れられたと勘違いしたエヴァルドは不貞腐れた。
数秒してリーディアはトリップの世界から戻ると、あわててフォローする。
「違うんです!呆れてませんわ!素敵で悶えておりましたの!」
「は?どこにそんな要素が?」
「クール顔の人が……いえ最近は甘い顔にしか見えませんが、普段はしっかりとしたお強い年上の大人が急に拗ねるなんて予想しておらず、理由もその…………ギャップが可愛いすぎですわ。反則です。最高のネタです」
「私が……かわ……いいっ!?くくっ、その発想はなかったな。そうか最高か」
「はい。ありがとうございます。胸キュンしても、呆れませんよ」
「それは良かった。拗ねた甲斐があったな……ではもっと甘えても良いか?」
「へ!?」
急に隠そうともしない腹黒バージョンの悪い笑みを見せられ、危機を感じたリーディアは一歩後退るが、エヴァルドの大きな一歩で離れるどころか距離が縮まる。それを数歩繰り返すとベッドにぶつかり勢いでストンと座ってしまうと、後ろに下がれなくなり追い詰められてしまう。
「な、なな、何でしょうか?」
「この刺繍の意味は分かっているのか?」
御守りのリボンを摘まんで、リーディアの目の前に刺繍が見えるようにして確認する。“私のものになって”という意味を思い出したリーディアはカクカクとした動きで、顔を真っ赤にして首を縦に振る。
「この意味を撤回したくて、隠してたわけじゃないんだよな?」
「はい。図々しくも気持ちは刺繍の通りです」
「なら、私は既にディアのものだ」
「え?」
リーディアの顎に手を添えて、エヴァルドはそっと優しく触れるように唇を重ね、少しだけ温度を分け合うとゆっくりと顔を離す。
「………………」
「ディア?」
リーディアはエヴァルドの青い宝石のような瞳が落ちてきたことに目を奪われていた一瞬の出来事で、現実をまだ受け止めきれず意識が飛んでいた。
エヴァルドは不安になり意識を呼び戻そうと声をかける。
「ディア、戻ってこい」
「あ!あの今……幻覚を見ました。私……私、ルド様と」
「これは現実だ」
「なんですって…………!」
これ以上赤くなるんだなと感心するほどリーディアの顔が真っ赤に染まり、その反応が可愛くて思わずエヴァルドは額にもキスを落とす。
それがトドメだった。リーディアはエヴァルドの胸を押し返して、何かを思い詰めたような顔でよろよろと離れてしまう。
「ディ……ディア?」
「私……まだ未熟者でしたわ……全てを受け止められるよう修行を重ねて出直してきます」
「は?修行?」
「今日はおやすみなさいませ!失礼しました!」
エヴァルドは引き留めようと手を伸ばすが、手に握った御守りを落としそうになりリーディアを掴み損ねる。その間にリーディアはバッと大きく頭を下げると、両手で顔を隠しながら勢いよく部屋から逃げだした。
(きゃぁぁあぁああ!私のイメトレ不足だわ!ルド様は存在が凶器……小説と妄想と現実は違いすぎるわ……想定外よ、なんて事なの!)
リーディアの逃げる後ろ姿を見送り、部屋に一人残されたエヴァルドはポツリと呟いた。
「ふ、本当にディアは可愛いなぁ」
砦での最後の夜はエヴァルドはスッキリした気分でぐっすり眠り、リーディアは挙動不審をナーシャに問い詰められ恋バナへと発展し寝不足で朝を迎えた。
そしてルーファス率いる騎士団と合流し、王都に帰還するために砦を出発したのだった。





