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眼鏡公爵の試練


エヴァルドは新しい試練を味わっている気分だった。確かに腕を無くしたことは後になってからの方が辛いと聞いていたし、今も傷口は痛み、弱りきっていた体で立つのも一苦労、リハビリは相当な試練だった。だが今はそれどころではない。



「ルド様、さぁ!わたくしを信じて!」

「いや、ディア……それは……」



やたらと笑顔のリーディアの片手にはホカホカの野菜リゾット。エヴァルドの病み上がりの体に優しいように考えられたそれは、鶏ダシをベースに野菜をじっくり煮込んで、柔らかく炊いたお米と混ぜられている。リーディアがエヴァルドのために厨房を借りて作ったもので、ナーシャ監修なので味については信じているが、素直に言えなかった。



「ルド様?食欲がありませんの?」

「いや、そんなことはないのだが……」



でもここで信じていると言葉に出せば、器とは逆の手に持たれたスプーンがすぐに口に突っ込まれるのは必至。片腕が不自由でひとりで食事が難しく、その善意は実に嬉しいことで、今すぐにリーディアの手ずから美味しそうなリゾットを食べたいが、環境が良くなかった。



「おいおい、リーディアちゃんが作ってくれたんだぞー美味しいって」

「偉いよね、自ら作るなんて」

「そうっすよー味見したら旨かったっす!信じてあげて下さいよ」

「…………」




何でキースが食ってんだよ!とツッコミたいがぐっと我慢する。午後からエクルに出発するからとエヴァルドの顔を見るために病室にはダラス、シオン、キースが休憩ついでに遊びに来ていた。しかも無言でじっと観察してくるルーファス王子までおり、自分が甘やかされながら食べる姿など見せたくない。



しかもこのようなシチュエーションは初めてではない。この数日間、リーディアはエヴァルドの歩くリハビリの時にはやたらと体を密着させながら寄り添うように支えてくれ、エヴァルドが意識してしまいそうになってたら、影からダラスとシオンがニヤニヤ見ていてげんなりさせた。



昨日などはいつも体を拭いてくれていたキースがエクル行きで不在になるため、上半身だけでも手伝いたいとリーディアが引き継ぐと宣言。その時も何故かダラス隊長とシオンが病室にいた。素直なキースは真面目にリーディアに教えようとしたが、エヴァルドのシャツのボタンを開けている途中で、「わたくしにはまだ早いわー!」とリーディアが顔を真っ赤にして逃走したので引き継ぎは頓挫。結局、医者からシャワー許可がおりたので引き継ぎの件は流れた。



あれだけ他人のおはだけを見てウハウハしていたリーディアだったが、普段ピッチリ着こなすエヴァルドの露出はギャップが大きく、萌えのキャパオーバーだった。



(絶対にダラス隊長とシオンがディアに何か吹き込んだな……暇なのか?ルーファス殿下まで巻き込んで。頑張ろうとしているディアには悪いが…………本当は甘えたいが…………こいつらがいない時は絶対に…………)



断腸の思いでエヴァルドは提案する。


「ディア、私は出来るだけ早く復帰したい。練習のためにも自分で食べたいから、今は器だけ持っててくれないか?」

「なるほど!分かりました」



エヴァルドの提案になんの疑問を持たずにリーディアはスプーンを渡し、掬いやすいように器を近づけ、エヴァルドはすぐに野菜リゾットを食べ始めお腹を満たしていく。

だがこれもダラスたちには“婚約者の奉仕”から”“愛の共同作業”に変わったように見えるだけで、苦肉の策も意味はなしていなかった。



「完食ですね!良かったわ」

「ありがとう、美味しかった。また頼む」

「はい、ナーシャと練習します。では食器を厨房に返してきますね」

「リーディア様、お供します」


食べ終わると任務完遂とばかりにリーディアはナーシャと退室していき、エヴァルドは冷ややかな目を怪しい二人へと向ける。



「ダラス隊長、シオン……何を吹き込んだのでしょうか。ディアで遊ばないで下さい」

「かぁーっ!溺愛してんなぁ。すっかり俺らが悪者だ、なぁシオン。はははっ」

「俺たちはリーディアさんに相談されて、アドバイスをしただけだ。彼女の純粋な気持ちを弄ぶわけないだろう」


ダラス隊長は笑いだし、シオンはしれっと言い訳するが顔は胡散臭い笑顔。


「本音は?」

「リーディアさんではなくて、エヴァルドで弄びたかった。クールな鉄壁仮面が綻び、動揺する姿は貴重で……面白かった」

「同じく。リーディアちゃんの善意を傷つけないように、狼にもならず、絶妙に距離を保つお前はすげぇわ」



エヴァルドが睨みを利かせ追求するとシオンが簡単に白状してダラスが同意し、エヴァルドの口からは深い溜め息が漏れる。キースは知らぬ間に片棒を担いでいたこと知り、罰が悪そうな顔をし、未だにルーファスは沈黙したままだ。


「ルーファス殿下もここで寛いでいてよろしいのですか?2時間後には出発ですよね?」

「全て準備は終わってる。今さら慌てて何かをするのは三流のする事だ。それより、何でこんな面白いことを二人は黙ってたんだ……報告義務違反だ。失望した」


「申し訳ありません殿下。リーディアさんがあまりにも純粋で真に受けて行動するので、広めることへの罪悪感が勝りました。本当にお詫びのしようがございません」

「それは仕方ない……くくく。本当にお前達は馬鹿だなぁ」


ルーファス王子は大袈裟に残念がりシオンが態とらしく反省するが、ルーファス王子が先に茶番劇に耐えきれなくなり笑いが溢れた。


(あぁ、そういうことか)



その光景をみてエヴァルドはストンと理解した。エヴァルドの反応を楽しむために、リーディアに良からぬことを吹き込んだのは事実だ。反応を楽しむだけではなく、この茶番のお陰で気が紛れ、気分は今のところ沈むことなく穏やかでいられていることも事実。


そして先の責任を感じているルーファス王子が、エヴァルドのその姿を見て救われていることにも気づいてしまった。


「さて、余裕があると言えどそろそろ行こう。邪魔したなエヴァルド」

「いえ、ルーファス殿下もお気をつけて」


「しっかり治せよ。俺らが戻ってきたら一緒に王都に帰るんだからな。無理すんじゃねぇぞ」

「はい、ダラス隊長」


「エヴァルド、お前の代わりは任せろ」

「シオン……頼んだ」


「エヴァルドさん!ちゃんと寝るんすよ?」

「分かったよ、キース」


簡単な見送りの言葉を交わすと、エヴァルドは病室の出入り口から4人の後ろ姿を見送った。



(これではダラス隊長やシオンを叱れないではないか…………大丈夫だ。私が抜けても二人がきちんとルーファスを守ってくれる。キースも剣の腕はある。命も心も……私の大切な主を…………私ではない誰かが…………守る)


捨てることなく、秘書官として救い上げてくれたことは感謝していたが、騎士としてのエヴァルドの未練が消えるのにはまだ時間が必要だった。



「シーウェル様……いかがしましたか?」

「羨ましいなと……いや、何でもない」



4人の姿が消えても立っている事を扉の前の護衛に心配され、思わず本音が出てしまうが誤魔化すように病室の中にも戻り、ベッドに転がる。

痛み止の副作用で常に眠気が押し寄せているはずなのに、心のつっかえが気持ち悪く寝られそうにもなかった。






リーディアは食堂の椅子に座り、硬直していた。

ナーシャが食器の返却のついでに調理場責任者と次の厨房と食材を借りるための打ち合わせをしているので、座って待っていた。すると、ちょうど座った椅子の近くに軍人バッジの落とし物を見つけ、拾おうと姿勢を低くした時にある光景を見てしまったのだ。



(わた、わたくしは決定的な瞬間に立ち会っているのだわ!何て言うことなの!あの軍人と騎士がテーブルの下で隠れて恋人繋ぎですって!?あぁっ!あの奥のお二人もだわ……ここは薔薇の宝庫?なんてことなの……あぁん、駄目よ)



ずっと床にくっついている訳にもいかず、椅子に座り直したものの気になって仕方なく、リーディアはチラチラっと観察に夢中になってた。他にいないかと視線だけで見渡すと、ついには人気のいない柱の影でキスしているカップルを見つけてしまい、目眩で椅子から落ちそうになる。


「リーディア様、大丈夫ですか?」

「え、えぇちょっと動揺して……」


ちょうど打ち合わせが終わったナーシャによって支えられ、落ちずに済んだがリーディアの視線が再び柱の影に向いたときにはカップルの姿は消えていた。



(なんと尊かったのかしら……もう見られないのは残念。でもお陰で思い出したし……話す覚悟もできたわ。やっぱりわたくしは薔薇の世界が好きってことを打ち明けなければ。隠し通すのはきっと駄目だわ……)



「ナーシャ、ルド様のお部屋に帰りましょう。二人には打ち明けたいことがあるの」



リーディアとナーシャがエヴァルドの病室に戻ると、エヴァルドは窓を開けて風に当たっていた。振り向くと髪がサラサラと流れ、少し憂いを帯びた顔をしていたがふたりの姿を見ると微笑みに変わる。

エヴァルドはひとりでいると未練に飲まれそうになってしまい、二人が戻ってきてほっとしていた。



ナーシャはすぐにお茶を淹れ、厨房でもらったお菓子と共に窓際のテーブルに用意してくれる。リーディアはエヴァルドの正面に座り、背筋を伸ばして、深呼吸をする。



「ルド様……以前、わたくしの全てを知りたいと言ってくれましたわよね?」

「あぁ、何か教えてくれるのか?」


拒絶されるのではないかと、今さら逃げ腰になりそうだが今言わなければ後悔すると言い聞かせて話し出す。


()は話し方は控えめな方かもしれませんが、実は頭の中はケダモノなのです!色々なことが荒ぶってるんです」

「…………ん?」

「…………??」


エヴァルドとナーシャは意味が分からず、首を傾げてしまうが、リーディアの独白は続く。


「私、実は男性同士の恋愛が好きなのです。綺麗な男性を見ると妄想が駆け巡り、先ほど食堂でも夢の中へと飛び込もうとしてしまいました。思考が腐ってるんです。それはもう熱狂的なほどに……そういった小説も大好きで、初めてエヴァルド様を見たとき小説の王子様が飛び出たかと思って驚いて、妄想の中で弄んでしまって……気持ち悪くてごめんなさい!でもルド様があまりにも素敵すぎるから、格好よくて、眼鏡が似合って、妄想が止まらなくて、理想過ぎて、それで」

「待て待て待て!ちょっと良いか?」

「…………はい」


どこまでも続きそうな独白に、ツッコミどころが多過ぎて確認のためにエヴァルドは話を止める。


「ディアは同性の恋愛話が好きなんだな?それで私で妄想もしていたと」

「簡潔に言えばそういうことです。気持ち悪くてすみません。嫌われても仕方の無いことを私は……本当は最初に打ち明けるべきでしたのに……でも叔父様や勘違い様を追い払うのに役に立ったこともあるのです!だから……!」


「そんなことで私がディアを嫌いになるとでも?」

「え?」



「男だらけの軍や騎士の世界では現実にある話だし、私は特に偏見はない。まぁ私自身はその気はないから、妄想の餌食になってるのはやや複雑だが……ディアが好きなら別に良いのではないか?」

「…………ルド様は嫌だとは思いませんの?」


あまりにもあっさりとしたエヴァルドの返答にリーディアはきょとんとしてしまう。


「まぁな。男だけの職場だからな……たまに私も目撃してしまうときもある。何よりディアのその薔薇思考のお陰で私は助けられたのだろう?受け入れるさ」

「ルド様……なんと寛大な。あぁ、良かったわ。嫌われるかとずっと心配で………本当に良かったわ」



実際にエヴァルドにとっては腐った思考はたいした問題ではなく、暴走気味の独白で最後にリーディアが自分を誉めちぎる言葉を聞けて嬉しいと思っていたくらいだった。リーディアは安堵し、ようやく紅茶を口にし喉を潤すことができた。

一気に飲み干してしまったカップに、ナーシャが新しいお茶を入れながら質問をする。



「リーディア様、私から聞いてもよろしいですか?何故リーディア様は薔薇本を好きに?」

「ナーシャ、実はね私は……」


そしてリーディアは幼い頃生い立ちから冷たい境遇を経て、図書館で出会った薔薇本の存在に助けられ、小説家にまでなった経緯を丁寧に簡潔に説明した。


「なるほど、リーディアが叔父に渡したお金はカペル伯爵から与えられたものではなく、自分で稼いだものだったのか。屋敷に来たときのドレスも確かに随分と……」

「父は私には一切お金はかけません。ドレスも本も食事も勉強も……自分で生き抜くしかありませんでしたから。だから契約を持ち込んでもらったときは神の救いのようでした。感謝致します」



リーディアは隠し事がなくなり、晴れやかな顔でエヴァルドに頭を下げる。


「良かった……私は最初、貴女を道具として使おうと……傷付けてしまっていたと、最低なことをしたと思っていた。すまなかった……」

「そんな!新しい服も、美味しい食事も、綺麗な部屋も、侍女まで用意されていて……ルド様は私を道具ではなく人間として扱ってくれてます。私は最初から救われてたんです!」


なんの憂いもなくリーディアは曇りの無い笑顔で言いきり、エヴァルドが目を背けていた罪悪感が消えていく。



────ゴーン、ゴーン、ゴーン


鐘の音が聞こえ、人の歓声が響き渡る。ルーファス王子が率いる特設騎士団の出発の合図だった。ちょうど病室の窓からは砦の門を出ていく姿が見えるため、リーディアとエヴァルドはふたり並んで窓から眺め、ナーシャは静かに扉の外に出た。


「ディア……私に打ち明けてくれてありがとう。私の話も聞いてくれるか?」

「はい」


「正直、私もあの中に加わりたかった……まだどこか気持ちが切り替えられない。どうすれば良いんだろうな?この行き場の無い気持ちは……」


リーディアから見たエヴァルドの横顔は、今にも泣き出しそうな子供のような顔をしていた。1度も泣いた様子は見たことが無かった。仲の良い近衛の前では……とも考えたがエヴァルドなら心配かけまいと我慢していたのではと想像できた。


リーディアは隣を離れ、エヴァルドを後ろからそっと確かめながら抱き締めると、彼の瞳から一筋だけ涙が流れ始める。


「今なら誰も貴方の顔は見ていません。涙と一緒にモヤモヤを出せば良いのです」

「ディア……ありがとう。情けない顔を見せずに済む」


「何を言ってるんですか。男前の涙が見れたぁって小説の参考になると喜んでも、情けないとは思いませんよ、なぁんてね」

「ふっ、なんだそれは……それなら正面が良い」


エヴァルドはリーディアの手をゆっくりほどくと振り向き、そのまま左腕で強く抱き締めリーディアの肩に頭を乗せた。リーディアは少し苦しいが、何も言わずそのまま強く抱き締め返し、いつだかやってもらった時と同じように背中を優しく撫でる。



騎士団を見送る鐘の音が鳴り止んでも、しばらく抱き締め合った。


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