地味令嬢の悩み
ルーファスとの面談後、エヴァルドが気を失ってから次に目覚めた時には夕方になっていた。目を開けると夕陽が差し込み、部屋はオレンジ色に染まり、体もポカポカと温かく心地が随分と良い。
目を開け天井を眺めるエヴァルドにナーシャが気が付き、何も言わず水を口に運んで喉を潤し眼鏡をくれる。
「ナーシャは相変わらず察しが良いな」
「長年勤めてますから」
寝不足と大泣きの影響でまだ少し目元が赤いが、エヴァルドの腕の事を悲観する様子もなく笑顔で接してくれる。
「ディアはいないのか?」
「リーディア様はシャワーに行かせました。リーディア様がお帰りになったら、次は私が行ってきます」
「そうか……」
「そんな残念そうな顔をしないで下さい。ちゃーあんと考えてますから」
ナーシャがニヤニヤと意味深な事を言うが、経験上あまり良くない事が起きる前兆だと知っているエヴァルドは口元をひきつらせた。
少し姿勢を起こしナーシャが背中に支えのクッションを重ねていると扉が開き、髪が少し濡れたままのリーディアが頬をほんのり赤く上気させ、肩で息をしながらベッドに駆け寄ってくる。そしてエヴァルドを見るなり、悲しそうに顔を歪めた。
「急いで戻ってきたのに……ルド様のお目覚めに間に合わなかったわ……側を離れてごめんなさい」
「……いや、大丈夫だ。おかえり」
「はい、ただいまです」
「あぁ……」
エヴァルドが返事をすると、リーディアも嬉しそうに微笑み返す。夕陽に照らされたリーディアの頬がさらに赤く染まるように見え、バスタオルをぎゅっと抱き締める姿が可愛くて仕方がない。
「では私シャワーに行ってきますね!ゆっくり行ってきますね!それはもうゆっくりと……では!」
エヴァルドとリーディアの甘くなりそうな雰囲気を察知したナーシャは、念を押しまくってそそくさと病室を出ていった。扉の外に護衛が立っているが病室の中はエヴァルドとリーディアの二人だけが残され、ナーシャの気遣いに気付いたふたりはソワソワしはじめる。
リーディアは恋を自覚して初めてまともにエヴァルドと話すことに少し緊張しており、珍しくその緊張がエヴァルドにも染っていた。
「あの……体調はいかがですか?」
「今朝よりずっと良い……ディアには情けない姿をみせてしまったな」
「そんなことありません!ルド様は立派に戦ってました!」
会話の糸口として体調の事を聞いたものの、エヴァルドを気落ちさせたと思い、慌てて立ち上がり否定する。命をかけて主を守り、痛みや熱や毒などあらゆる苦痛に耐えていた姿を勇敢と感じても、情けないとは一切思わなかった。
「すみません、大きな声を出してしまいました」
エヴァルドにその姿を見て幻滅するような人だと思われていたのかとショックを受け、拗ねたようにイスに座り直す。
エヴァルドは幻滅されてないことにホッとし、迫力のない拗ねた顔に思わず笑みが溢れてしまう。
「そんなに拗ねないでくれ。私が試したのが悪かった」
「………………」
「ディア、私は怖かったんだ……腕を失った所為か、今の私は全く自信を持てなくて……リーディアの気持ちが遠くに離れるのではと不安になったんだ」
「そんな……謝るのはわたくしです」
リーディアは椅子から降りて床に膝をつき、エヴァルドの左手を両手で包み込む。
「ルド様のお気持ちを察せず、不安にさせてしまいごめんなさい」
「ディア、そこまで謝らなくても」
膝をついてまで謝罪されるとは思わなかったエヴァルドに止められるも、リーディアは言葉を続ける。
「そうなのです。わたくしはあの夜すぐにお返事ができませんでした。わたくしがきちんとルド様の真意に気付き、自分の気持ちを理解していたら今もルド様を不安になどさせなかったはずなんです。わたくしの心はとうに決まっていたというのに……」
「ディア……」
「わたくしの返事を聞いてくださいますか?」
「あぁ、聞かせてくれ」
リーディアは両手でエヴァルドの手を自分の額に引き寄せ、瞳を閉じる。
「わたくしはいかなる時も心に寄り添い、痛みを分かち合い、共に苦難に立ち向かい戦い、貴方が愛してくれる限りずっと……貴方だけを愛すると誓います。だからどうか、私をお側に置いてください」
沈む直前の強い夕陽の光を背に、まるで神への祈りのような姿で誓うリーディアの待ちわびた言葉に、エヴァルドの返事は決まっていた。
「ディア、私もだ。愛している」
「はい。わたくしも」
ふたりは瞳を向かい合わせ微笑み合う。エヴァルドは左手をリーディアの頬を撫でるように滑らせ頭の後ろに回して引き寄せる。
リーディアも自然と膝を床から離して、エヴァルドの瞳との距離を縮めようと身を乗り出した。
───コンコン
「「───!?」」
「おーい、入るぞー!」
もう少しで鼻先が触れそうな距離にいたが、ノックの音に焦りエヴァルドは手を置き、リーディアはイスに素早く座る。
エヴァルドがノックに返事をすると、ダラス隊長とシオンが入ってくるが、二人きりだと知った途端ダラス隊長がニヤニヤとしながら近づいてくる。
「お二人さん、邪魔しちまったか?」
「いえ、そんなことありませんよ隊長」
「ほぅ?」
エヴァルドが平然と答えるがダラス隊長のニヤニヤは止まらず、シオンまでニヤつくのを我慢するような顔でリーディアを横目に見ている。
シオンの視線の先を見ると、夕陽が隠れたというのに熟れた果実のように真っ赤な顔を隠すために俯くリーディアがおり、理由を察する。
(反応が初々し過ぎるだろう……そんな顔を見せられてお預けなんて、ダラス隊長もシオンも本当にタイミングが悪い。しかし、このままではディアまで隊長に巻き込まれるな)
「ディア、また風邪をひいたら大変だ。隣の部屋で髪を乾かしておいで。私は隊長たちと話すことがあるから」
「はい!失礼します!」
リーディアは勢いよく頭を下げて部屋を出ていった。それでもダラス隊長のニヤニヤは止まらず、遂にシオンもニヤつく顔を隠さなくなった。
「ダラス隊長は冷やかしに来たわけではないでしょう?あれから交渉はどうなったのですか?」
エヴァルドは雰囲気に流されず真面目な顔で気になっていたことを問うと、二人もふざけた顔を引っ込め決定事項を伝えていった。ルーファスの作戦を聞き、エヴァルドは頭の中で見直していく。
「エヴァルドはどう思う?ダラス隊長やまわりは完璧と言っているんだが……」
「シオン……確かに普通は大丈夫かと思いますが、なんせ相手は傲慢な国です。我が国の常識が通じません…………念のためルーファス殿下にはシーウェル領の港の貿易を止めても構わないと伝えてください」
「それはまた大胆な」
「エクルも貴重な最大の輸出先が潰されれば心折りやすいでしょう。その港の領主がスパイにやられた人間だと伝えれば文句も言えないはずです。その代わり納税を軽減してくれると助かります。影響を受ける領民に還元したいので」
「分かった。俺から殿下に伝えておく。保険は多い方がいい」
「あぁ、頼むよ新副隊長」
エヴァルドとシオンは真剣な顔で頷き合う。二人の信頼関係にダラスは満足そうに頷いていたと思ったらまたニヤニヤと笑い出した。
「それよりエヴァルド、リーディアちゃんに何しようとしてたんだ?あんなに真っ赤にさせて……エヴァルドのムッツリさん」
「はぁ?」
元上司相手に思わず低い声で聞き返してしまうが、ダラスには逆効果だった。変なスイッチが入ったダラスは止まらないことを知っているので、エヴァルドは早々に諦め八つ当たりすることにした。
「未遂ですが口付けをしようとしたんです。そしたら二人が……せっかく初めて出来ると思っていたのに」
「お前!初めてとか嘘だろ!」
「これは、傑作だ!あはははは」
シオンが信じられないような疑いの目をエヴァルドに向け、ダラスは笑いだしエヴァルドは意味がわからない。
「シオン、嘘じゃない。未遂なのは彼女のあの初々しい過ぎる反応を見れば分かるだろう?」
「いや、だって……お前全く覚えてないのか。俺の目の前で……薬を飲んだとき……まじか」
「エヴァルド、お前さんがあんな劇薬の解毒剤をどうやって飲めたか考えてみろ?」
二人に指摘されても意識が混濁していたエヴァルドは全く覚えていない。ただ解毒剤は1滴でも吐いてしまうほどの味で、無意識に一人では飲めそうにもない。では誰かに口を塞がれたら、そして有効的な塞ぎ方は……そこまで考えが及んだ時、頭を殴られたようなショックに襲われた。
「まさか……リーディアが口移しで……」
「可哀想に……初めてのキスの記憶もなく、劇薬の味だったなんて……エヴァルドがショックを受けないようリーディアちゃん何も言ってないんだな。本当に良い子じゃねぇか」
「エヴァルドのためにリーディアさんは躊躇なく全て口に含んで、あの味に耐えてたんだからな。迷わず口移ししてたから、キスなんて慣れてるかと思ってたよ」
「………………」
絶句するエヴァルドの方をダラスは励ますように、バシバシ叩く。その振動が傷口に響いて痛み、弱った体がグラグラするが、エヴァルドの頭の中は未だに記憶を呼び戻そうと必死になる。
「まぁ近衛の男の口移しじゃなくて良かっただろうさ。皆試そうとしたら口に含んだ瞬間吐きそうになって……医者が吐瀉物をお前さんが誤飲したら大変だからと止められちまってさぁ。ちなみに俺ぁ、吐いた……危なくお前にかけるところだった」
「あれを我慢したリーディアさんは凄い。あの味は我慢する、しないの次元を超えた味だった……せっかく口に入れて口移ししようとした時にはエヴァルドはまた意識落ちちゃってるし……無駄に俺も苦しんだんだぞ」
自分を救おうと近衛の仲間の頑張りは正直嬉しい。リーディアの口付けも嬉しいが……リーディアに辛いファーストキスの思い出を作らせてしまったことと、自分がファーストキスを覚えていないことが悔しく、ぐちゃぐちゃの気持ちにエヴァルドは天を仰ぐしかなかった。
※
「平常心、平常心、平常心、平常心、平常心…………」
リーディアは仮の部屋として使っている隣の病室に飛び込むと、心を落ち着かせようと一心不乱にバスタオルで髪を乾かした。
それでも、頭の中はキス未遂の事が消えない。
(頭を引き寄せられたってことは、ルド様はキ……キスをしようとしたって事よね?この私に?あの美丈夫が?本当に?夢じゃないわよね?)
寝不足のせいで遂に幻覚を見てるんじゃないかと、腕や頬をつねるが痛く、現実だと知り悶絶する、つねるを繰り返すばかり。
(りょ、両思いなんだしするわよね。うん、小説を参考にイメトレして心の準備をするのよリーディア。設定は病み上がりの騎士を看病して、良い雰囲気になって…………設定じゃなくて現実じゃないのよ!なんなのよ!なんの奇跡よ!…………でも本当に、本当に助かって良かった……奇跡でもなんでもルド様が助かって良かった)
腕が無いことは確かにショックだった。演習で見た剣を自在に操る逞しい腕、熱で倒れたときに運んでもらった強い腕、慰めるように優しく包み込んでくれた彼の腕を失ってしまったことが寂しかった。
でも絶対に自分はそれを表に出してはいけないと心に決めていた。今は助かっただけで嬉しいと思えるが、エヴァルドは遠くない未来、今まで出来ていたことが出来なくなった現実を突きつけられ、失った辛さを再び目の当たりにするだろうと予想できた。
(食事だってカトラリーの扱いは片手では大変だわ。本を読むのも、馬に乗るのも、服を着るのも……支えてあげたい。あの方の気持ちの支えになれるのなら、喜んでくれるのなら……キ、キスだって……何だって………………あら?男性は何をしたら嬉しいのかしら?)
男性というものを小説の中でしか知らないリーディアの知識は実際には乏しく、本当に有効なのか分からない。『エヴァルド様が喜びそうなことベスト10☆使用人調べ』を実行しようにも道具もないし、怪我人相手には出来ないことばかりだった。
(あ!エヴァベス10☆といえば、刺繍があったわね)
祈りを捧げるためにずっとポケットに入れっぱなしだった御守りを出して、手に乗せ確認する。少しシワが付いてしまったが汚れもなく、綺麗なままで渡せそうだとホッとする。
(喜んでくれるかしら。下手だと苦笑させてしまうかしら。褒めてくれたら嬉しいなぁ~元気になってくれたら良いなぁ~あ、この心理描写ネタに使えそうだわ。でもこんな気持ち誰かに知られるのは恥ずかしい……でもこの胸キュン感を誰かと共有もしたい……まだ若き乙女に恋の素晴らしさを知ってほしい………………でも刺繍を渡したらネタ切れだわ……それに本当に渡して良いのかしら……)
───コンコン
「……ナーシャ?はーい!今開けるわ」
リーディアが腕を組みながら部屋をぐるぐると歩き回っていると扉がノックされる。そういえば用心のために施錠していた事を思い出して、急いで解錠し扉を開くと、そこにダラスとシオンが立っていた。
「ダラス様とシオン様、どうかなさいました?もしかしてエヴァルド様に何か?」
用事があるとは思えない二人が現れリーディアは焦るが、ダラスが安心させるように笑い、シオンは異常を否定するように首を横に振る。
「エヴァルドは俺らの話の所為でまた気を失うように寝ちまった。今はキースが体を拭き、医者が包帯を替えてらぁ」
「そうですか……ではわたくしに何か?」
「あぁ、ちょっと良いかい?」
扉を開けたままで話すのもなんだからと、リーディアは部屋に招き入れ、簡易椅子に座ってもらおうとすすめるが二人とも立ったまま、頭を下げた。
「何を?お止めください。頭をおあげくださいませ」
リーディアが慌てて頼むが、ダラスとシオンは頭をあげない。するとダラスが先に口を開けた。
「今回は砦に来てくれて助かった。貴女はあいつに解毒剤を飲ましてくれた。目覚めたあとも貴女がいてくれたお陰であいつは絶望せずにいられていると思う。近衛隊隊長として礼を言わせてくれ、ありがとう」
「俺からも言わせてください。正直俺も途中で諦めそうになってました。だけどリーディアさんがメイドを励ます姿をみて、俺も希望を持てました。いつも無理をするエヴァルドには貴女みたいな人が必要です。これからも彼をお願いします」
「ダラス様、シオン様……本当にエヴァルド様は慕われているのですね。もちろんです。わたくしで出来ることなら何でも致します」
リーディアが返事をしたところで、ようやく二人は頭をあげて笑顔を見せてくれ、胸を撫で下ろす。そしてあることに気が付く。
(この二人はわたくしよりエヴァルド様と付き合いが長いわ。しかも男性……まさに救世主!)
「お時間ありますでしょうか?お二人にご相談がありますの!」
「お、何だ何だ?」
「俺で良ければ」
寝不足で冷静でなかったとはいえ、 リーディアがよりによってこのふたりに相談した事によって、後日からエヴァルドはある意味苦しむことになり、相談先を間違えたことをリーディアが知るのはその少しあと。