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眼鏡公爵の救済


エヴァルドの抵抗も無くなり、リーディアはゆっくりと顔を離して、また意識が落ちた彼の顔を確認するが口から解毒剤が漏れた様子はない。



「今…………飲んだの、かしら?」

「飲んだ……エヴァルドの喉が動いた」

「私も見ました……喉がなる音も聞こえました」



三人は顔を見合わせ確認し合うが、間違いではないようで顔が緩み出す。



「───ぅ」

「あ!リーディア様、早くお水を!」



気も緩んだことで、解毒剤の強烈な後味にリーディアが口を押さえ嗚咽を漏らす。夕食を食べていなかったお陰で吐くことを免れたが、水を飲んでもなかなか苦味は消えてくれないし、目眩で気が遠退きそうで膝を床に付いて丸くうずくまる。



すると廊下にいた騎士が部屋の叫びを聞いて医者を呼んだのだろう、廊下から激しい足音が聞こえ、医者と看護師が扉を開けて飛び込んできた。



「エヴァルド様のご容態は!?薬は飲まれましたか!?」

「はい!リーディアさんがしっかりと」

「それは良かった!しかしどうやって…………なるほど」



未だにリーディアは解毒剤のあまりの苦さと刺激的な後味で口の中が痛くて顔をあげられない。医者は口を押さえて小さく丸まり体を震わす彼女の様子に理由を察し、そっと肩を叩き健闘を労う。



「頑張りましたね。では今夜が山場です。希望が繋がりました」

「え……これで治ったのでは?」



リーディアの気持ちを代弁するナーシャの問いに医者は緩く首を横に振る。



「解毒剤がこれから体内にゆっくりと吸収され中和が始まります。数時間後、そうですね……日付が過ぎた頃には今よりも熱がぐっと上がりエヴァルド様の体力をどんどん奪っていくでしょう」

「…………っ」


「冷たいタオルを交換し続けて彼を補助するのです。ガーゼに水を染み込ませ口に当てて水分補給させるのも有効です。そうして熱が下がれば我々の勝ちです」

「───!」



医者が励ますようにもう一度強く肩を叩きながら大きく頷くと、リーディアも応えるように首を縦に動かした。



深夜になると医者の宣告通りエヴァルドの体温は一気に上昇し汗の量も増え苦しそうにしている。しかし、白かった顔色は赤く血の気が戻り、呼吸も荒いものの力強くなった事が看病している皆に希望を与えた。



リーディアは顔の汗を拭きながら時々ガーゼを使って口を潤し、ナーシャは首の後ろや手足をタオルで冷やし続け、仲間の騎士たちは休みながら交代で厨房から冷たい水を運ぶ。




太陽が上る頃にはまだ熱はやや残るものの、エヴァルドの呼吸は穏やかになり、あとは目覚めを待つばかりとなった。仲間の騎士はその日の仕事の準備のためキースだけを残して現場に行った。ナーシャはエヴァルドが気持ちよく目覚められるようにタオルの場所をずらして、太陽が当たるよう窓を磨いている。



「ルド様、騎士の仲間の皆様も寝る間を惜しんで手伝ってくれたのよ。本当に慕われているのね。ナーシャもね、目覚めるのが楽しみで仕方がないの」



リーディアは左手を握り、祈りながら声をかける。



「わたくしも慕っているわ」

(──誰だ?)



「貴方の青く綺麗な瞳を見せて」

(──ディア?)




エヴァルドは長い夢を見ていた。全身が引き裂かれるような、マグマに落とされ焼かれるような、殺してほしいと願いたくなるような夢を。

だけど時々聞こえる仲間たちの悲痛な声と、突然と口に広がる痛みに“まだ生きている”事を知らされ、思い止まれた。


ついには愛しい人の声まで聞こえ、その口から一番望んでいた言葉が紡がれ、生への渇望が喉を動かした。



「ねぇ、ルド様。聞こえてる?」

(ディア、聞こえてる……ディア)



「わたくしね、貴方の低い声が心地よくて好きなの。早く聞きたいわ」

(ディア!……声よ出てくれ、ディアが求めてる)



「あのね…………ルド様?ルド様!」

「エヴァルドさん!」

「エヴァルド様!」

(あぁ、早く起きなければ……皆が待っている)



握り締めていた左手がリーディアの手を強く握り返す。キースとナーシャも異変に気付き、声をかけ、声に応えるようにエヴァルドの意識が浮上してゆっくりと瞼が持ち上がり、太陽が青い瞳を照らし輝かせた。



「…………ルド様」

「…………ィァ、かはっ、ゴボッ」



名前を呼ぼうとするが喉が掠れ言葉にならず咳込む。すぐにナーシャが水を用意し、コップから水をそっと寝たままのエヴァルドの口に流し込み喉を潤してくれる。お礼の言葉の代わりに軽く頷くと、ナーシャは両手で顔を覆い俯いてしまった。


視線をずらすとリーディアの茶色の瞳から大粒の涙が止めどなく溢れ落ち、握られた左手が濡れていくのが見える。



「ディア……来てくれたんだな」

「──っ、はい。ぅ、ぐず……ルド様ぁ」


「ディア、泣かないでくれ」

「~~~っ、無理です。うぁぁぁん。良がっだぁぁぁあん」


リーディアは布団の上からエヴァルドのお腹に顔を埋めて声をだし泣き始めてしまう。泣き顔よりも笑顔が見たいと、慰めようと頭を撫でるためにリーディアに手を伸ばそうとするが痛みが走り、リーディアに届かない。

視線をリーディアから己の右手に移すが、包帯で巻かれた右腕の肘から先がなく、倒れる直前の事を思い出す。



(そうか……私の腕は殿下に…………そうか、もう私は……。殿下には申し訳ないことを……)



死なずにリーディアに会えた喜びと、一生の主と決めたルーファス王子の隣にもう立てない失望感でエヴァルドの気持ちは複雑だった。

だが、思ったよりも不思議と頭は落ち着き冴えており取り乱すことはなく、黙って見守るキースの方が泣きそうな顔をしていた。


「キースも心配かけたな。大丈夫……覚悟はできていた。ルーファス殿下はご無事か?」

「はい、エヴァルドさんが体をはってくれたお陰で無傷っす。あの時、俺、何も……」

「止血してくれただろう?ありがとう」

「──はい!うぅ……ぅぐ」

「おいおい、お前まで泣くな」



医者が駆けつけたときには、泣き崩れる3人と、慰めるしっかりとしたエヴァルドの姿に肩の力が抜けた。



「3人は一度寝た方が良い」


医者の指示でリーディアとナーシャは隣の部屋に押し込められ、キースは抵抗むなしく同僚に部屋へと引き摺られて行った。




泣き声が響いていた病室は今は静かになり、エヴァルドは寝たままでベッドサイドにはルーファス王子が座っていた。後ろにはダラス隊長やシオンなど現場に居合わせた同僚の近衛たちが見守るように控えている。



「エヴァルド……医者から聞いたか?」

「はい。2度と貴方の隣に立てないことは解っています」


失ったのは利き腕とは逆で、残った利き腕で剣は握ることはでき、隻腕の騎士も確かに存在する。しかしバランスの取れない体に、片手で振る剣は軽くなり、実力は格段に落ちるだろう。王都の騎士としては働けても、王族の近衛としては失格だった。


ルーファス王子の問いにエヴァルドは動揺を微塵も感じさせず言い切る。しかし長年付き合いのあるルーファス王子はエヴァルドの瞳の揺れを見逃すことはできなかった。



「恨むなら、お前の腕を奪った私を恨め。エヴァルドは我慢しすぎだ。今は本音を話せ……身分は関係なく聞かせてくれ」



その言葉にエヴァルドは心臓を鷲掴みされたように痛む。覚悟はできていたが、未練が無いはずがなかった。

自分の不注意で敵に隙を見せ、エヴァルドの腕を切り落とすことになったことをルーファス王子が心の底から悔やんでいることは痛いほど伝わっていた。


(これ以上苦しむルーファスをどう責めることができようか……だが、本音が許されるのなら)



「ルーファス……」

「なんだ?」


エヴァルドは学生時代と同じく呼び捨てで主の名を呼び、ルーファス王子は憎しみを受け止める覚悟をした。


「正直悔しい。私は一生をルーファスに捧げると決めていた。剣を磨き、戦略を学び、ここまで、ここまで来たのに。ここで終わりだなんて本当は信じたくないんだ。築き上げたものが崩れ、ルーファスの側に居られなくなるのが悔しい」



エヴァルドは左手で顔を覆い、唇を噛み涙を堪える。


「エヴァルドは私を恨んでないんだな」

「当たり前です。私の命は貴方に救われた」


「本当は離れる覚悟なんてできてないんだな」

「できるのであれば、そうしたかった」


「他に言いたいことは?」

「ありません」



ルーファス王子はエヴァルドの本音を確認すると、姿勢を正して深く息を吸った。



「では、今日をもってエヴァルド・シーウェルに第二王子の近衛騎士としての任を解くことをここに申し渡す。いいな」

「………………はい。仰せのままに」



「そして体調が戻り次第、新しく第二王子の秘書官への着任を命ずる。いいな?」

「………………それは、くっ」


エヴァルドは自分の耳を疑い、ルーファス王子顔を見ての真意を確認しようと体を起こそうとするが、デコピンを食らいあっけなく枕に沈む。諦めて横目で見ると満足げな顔のルーファス王子の顔が見えた。



「おい、寝てろ。まぁエヴァルドなら問題ないだろ?というか既に半分やらせてるしな。秘書官が用意すべきだった協定書もきちんと仕上がっていたし、推察力も申し分なく、お前は賢い。私が簡単に手放すわけないだろう」


「では本当に……」


「王城に置いてきた筆頭秘書官からの同意も得ている。命令だ……これからは腕ではなく、お前の頭脳を私に捧げるんだ、エヴァルド。拒否は許さないからな」



(全くこのお方は………………っ!)


エヴァルドは寝たまま、左拳を右胸に乗せる。


「簡略かつ逆腕で失礼します。この私エヴァルド・シーウェルはレグホルン王国第二王子ルーファス殿下の命において、秘書官として全身全霊をかけまして、お仕えすることをここに誓います」

「その誓い、確かに受け取った」



ルーファス王子の手が重ねられ、誓いが成立すると部屋に待機していた同僚たちからは敬礼が送られる。エヴァルドはそれを見届けると、そのまま気を失うように目を閉じた。


「エヴァルド?」

「殿下……病み上がりに無理をさせるにも程があります。手短にと言いましたのに……むしろよく彼は意識を保っていましたな」

「そうだったな……私は仕事に戻る。あとは任せた」



ルーファス王子は医者に咎められ、浮かれていた気持ちを切り換えて部下を引き連れて退室していった。



毒が中和されたとはいえ、まだ体の血は全て元に戻ったわけでもなく、腕の傷もまだ塞がっていない。大量の痛み止め薬で誤魔化しているが、それでも普通の人であれば呻きたくなるような痛みがエヴァルドを襲っていた。



「ルーファス殿下のまわりの結束は固く、優秀な若者が随分と集まっているな……なるほど、なるほど。これは陛下も継承者に悩むわけだ」


中年を過ぎた医者はこの国の未来が頼もしくなり、鼻歌を鳴らしながらエヴァルドの包帯を替え始めた。



一方ルーファス王子はダラス隊長とエヴァルドの後任に指名したシオンを連れて地下牢に足を運んでいた。

床は水で湿り、薬のツンとした香りや血が焼ける匂いが入り交じり、牢の中央に置かれたイスに縛られた男の爪は半分に割られ半分ずつ無くなっていた。男の目は虚ろで意識はあるのか無いのかハッキリせず、唇は割れ、顔は腫れ上がっていたが、ルーファス王子は無表情のまま様子を見るように男の前に立つ。



「マージェス、情報は?」

「…………やはり、エクルの仕業だ。コイツは迷った結果、俺より影響力のありそうなルーファスを襲えば戦争の引き金になると思い、狙ったのは間違いない。こいつは戦争後エクルに重用を約束されていたらしいな……糞が」



スパイの男を眺めながら壁を背もたれにサンドイッチを食べているマージェスが応える。マージェスはレグホルン王国からの信用を落とさないために、王弟自ら人質として名乗りをあげ、かつ責任をとってスパイから自白させる仕事を買って出ていた。


「エクルはどうやら潰されたいらしいな」

「ルーファス、今回の失態はセルリアの管理の甘さが招いたことだ。ここはセルリアに任せてくれないか?」


「断る。私の命が狙われた……これは私に関わることだ。罠を仕掛けたら我が国からもネズミが捕まった……セルリアだけの問題ではない」

「はぁ……分かった。できればあんな国のために国民の命を使って戦争はしたくない。それでも良いか?」


「…………その脅しに使うために王都からロイヤルを陛下から借りてきたんだ。まぁ脅しで済めば良いけどな」

「うへぇ~怖っ」


(エクルが従わなかったら、その場で王の首も国も落とすつもりかよ……)


大陸一の精鋭集団と呼ばれるレグホルン王国のロイヤルナイトを脅しに使うルーファス王子の容赦のなさにマージェスはげんなりと顔を歪ませるが、ルーファス王子にとってはマージェスの方が容赦なく感じていた。



情報を吐かせるために死なないよう急所は外されつつ最大の痛みを与え、ギリギリ自我を失わないよう絶妙に使われたであろう薬の瓶が床に散らばっている。医師の資格を持ち人体を知り尽くしているからこそできる技術で、こんな血生臭いところでも平然とご飯を食べながらリラックスしている。



「マージェス、ついでにこっちのネズミの尋問も頼んで良いか?お前の方が上手そうだ」

「良いぞ?その代わり……」


「あぁ、この件が一段落したら会わせてやるよ」

「じゃあお願いついでに2日ほどセルリアに帰って良いか?ネズミにぴったりの道具を持ってくる」

「…………分かった。午後には近衛を貸してやる」

「恩に着る」



敵になったとしてもマージェス(こいつ)だけには捕まりたくないとルーファスは久々に人間に恐怖すると共に、やっぱりこいつは面白い友人だと楽しくなった。



(さて、その前にエクルをどうしてやろうか……母国レグホルンを利用しようとした罪、友の国セルリアを狙った罪、私の命を奪おうとした罪、私の片腕エヴァルドを傷つけた罪……プライドだけ高い腐った奴等に後悔させてやる)



ルーファスは今後の展開をどう動かすか考えながら、地下牢をあとにした。


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