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地味令嬢の決別


朝、デューイによって知らせを聞いたリーディアと使用人たちは息を飲んだ。開戦の公表はされていないため戦争に突入したわけではないが、ルーファス王子が赴くということは何か深刻な事が起きているとしか思えなかった。

重い空気が漂い始めるが、リーディアは思いきって使用人たちの前に立つ。



「皆さんにお願いがあります!ルド様が頑張っている時こそ、わたくしたちはあの方を支えなければなりません。帰ってきたときに、疲れが癒されるよう不在の時こそわたくしたちは屋敷を守らなければなりません」



使用人たちはリーディアの言葉に真剣に耳を傾ける。



「ですが、わたくしは未熟者で支える方法を存じあげません。ですから教えて下さい。わたくしも皆様と共にルド様のお力になりたいのです。仲間にしてください、お願いします」



リーディアは誠意を込めて深々と礼をした。使用人たちは身分の低い自分たちをも敬い、主を想いながら教えを乞う姿に心打たれ、重い空気は消えていった。

使用人たちを代表してデューイが歩み寄る。



「リーディア様は十分エヴァルド様の支えになっておられます。知っていますか?リーディア様がシーウェル家に来る前は叔父夫婦や勘違い様が先触れも無しに問題を抱え訪問し、話も通じず、疲れたエヴァルド様は自分の屋敷なのにほとんど帰ってこなかったのです」



エヴァルドが不在にも関わらずもてなしを要求し、難癖つけて八つ当たりされた使用人も多く、思い出した者は渋面をつくる。さすがに使用人だけに任せるわけにもいかず、エヴァルドは帰ってくるが常に警戒していたため屋敷にはピリピリとした空気が漂い、働きにくい時期もあった。



「ですがリーディア様が大きな問題を解決した事でエヴァルド様は屋敷に癒しを見つけ、ようやく仕える主が戻ってきました。空気も軽くなり俺たちは随分と働きやすくなりましたしね。恩人に対してなんですが……もう俺たちは仲間です、リーディア様!」

「──、ありがとうございます!」



デューイの言葉に賛同した使用人たちから拍手が送られ、リーディアはより頑張ろうと決意した。







エヴァルドが発ってから4日経つが、あれから知らせは来ていない。そんな中リーディアは私室で針と布と糸に苦戦し、気が遠退きそうだった。


「ナーシャ……わたくし心が折れそう」

「リーディア様!刺繍は気持ちです。エヴァルド様なら分かってくれます。大丈夫です……多分」


決意したその日の午後にデューイから二種類の指令書が手渡された。その片方には『エヴァルド様が喜びそうなことベスト10☆使用人調べ』の中に刺繍を施したハンカチのプレゼントが載っていたので挑戦していた。



しかしナーシャにフォローされるも、リーディアの手元にあるのは無惨な姿のハンカチだった。刺繍で代表的な薔薇模様、シーウェル家の紋章にもある紫陽花、武運を祈る鷹、魔除けの剣、色々チャレンジしてみたが終わってみるとどれが何の模様か見分けがつかないほどに悲惨だった。

リーディアにとっては刺繍は初挑戦だったから仕方ないが、それでもセンスは壊滅的だった。


「お願いナーシャ……助けて」

「では絵ではなく、刺繍に慣れるまでは名前にしましょう!あと縫い方のパターンもシンプルなのをお教えします。大丈夫です!愛で乗り越えるのです!」

「愛…………えぇ、そうね!やりきるわ」


リーディアにはまだエヴァルドの愛の意味の正解が分からなかった。ただ、あの時にエヴァルドが立ててくれた誓いの言葉は宝物で、エヴァルドがくれた分だけの愛情を返したいと思っていた。


(なのに、わたくしったら見惚れてしまって誓いの返事ができなかったわ。それまでに刺繍を完成させて一緒に想いを伝えたいものね。早く会いたい……)



エヴァルドの事を思うと心が温かくなり、そして側にいないことが寂しく彼に焦がれていることに気付きはじめていた。






──コンコン


「リーディア様……例のお客様です」

「そう……行くわ」


デューイの重い声に呼ばれ、リーディアは刺繍のキャンバスをテーブルに置いて応接室に向かう。エヴァルドの不在を知った一部の貴族や商人たちは、この間は溺愛されているリーディアが屋敷の権限を持っていると思って売り込みにくるのだ。



貴族であれば「新しい侍女に私の娘や親類はどうでしょうか?より良い生活を送れますよ」と堂々と妾を狙う女の子を送り込もうと宣伝する。商人であれば「この綺麗な宝石やドレスで着飾って、ご帰還されたとき驚かせましょう?」と多額の金を落とさせようとする。


今まで売り込みに来る時間も機会もあるのに、エヴァルドの不在を狙うなど怪しさ満載で、権限など与えられてないと言ったときの手のひらを返したような態度の変わりようを見て、この4日間でげんなりしていた。

以前はエヴァルドの遠征中には叔父夫婦が狙われ、権限などなくとも勝手に契約しようとして止めるのが大変だったとデューイは語っていた。



(手のひらを返さなければ、ルド様の帰還後に進言するかもしれないのに……わたくしの地味な顔を見て諦めるのが早すぎるわ。今日のお客様に限っては、同じように早く諦めて欲しいけど……)



小さなため息をつき、応接室へと入る。リーディアの入室を確認するや否やソファから腰をあげ、向けたこともない笑顔で久々の再会を喜ぶ演技をするカペル伯爵と夫人がいた。


「会いたかったよ私たちの愛するリーディア、元気にしてたかい?」

「まぁ素敵なドレスね、エヴァルド様と仲良くしているようね。良かったわ」


シーウェル家に来る前であれば両親の言葉に「遂に愛された」と喜んでいただろうが、本当の愛を告げてくれた眼差しを知ったリーディアには逆効果だった。



(そんな熱のない目で言われても惨めになるだけだわ。この人たちには血の繋がりなど関係なく、本当にわたくしを道具としか見てないのね。しかも愛用もしない使い捨ての道具……)



笑顔の両親に対して、リーディアは伯爵家にいた時以上の無表情で応対する。



「お久しぶりです、お父様、お母様。わたくしはお陰さまで見た通り(不機嫌)でございます。お二人こそ変わらぬ(胡散臭い顔の)ようで安心いたしました」


今や愛情を注いだ愛娘と言い振り撒いている両親にとっては不都合なリーディアの態度に、笑顔の口元が引き攣りそうになる。リーディアはこの程度で両親は動揺すると分かり、恐れる相手ではないと安堵し、態度を切り替えて笑顔に転じた。



「まぁ、高貴な淑女は感情を隠す方がよろしいと習ったのですがやはり下手でしたでしょうか?わたくし知らなくて」

「あ、あらそういう事だったの。隠すときは微笑みながら隠すのよ、無表情ではいけないわ。もう他人行儀で驚いたわ」

「天然で良いじゃないか。私たちは家族なんだ。いつもの笑顔で良いんだよリーディア」

「はい、そうしますわね」



(本当に甘やかすのに不馴れなのがバレバレね。ボロが出ているわよ?)



両親は途端に安堵し娘の行為を咎めず笑い出すが、暗に「伯爵位を持つ親なのにこんな事も教えてなかった」と愚かさを認めてしまっていることに気付かない。

家庭教師や母親からみっちり習うはずの刺繍に苦戦しているリーディアの姿を見ていたこともあって、お茶やお茶請けを用意しているメイドたちの方が一連の違和感に気付いていた。



エヴァルドの叔父夫婦と同じ空気を感じ取った彼女らは「こんな外面だけのご両親と過ごすリーディア様が可哀想で、エヴァルド様は婚約を理由に屋敷に保護したのか」と判断し、カペル伯爵への評価を更に下げた。



「久しぶりに家族だけの話をしたいから皆さんは下がっていいわ。お茶をありがとう」


リーディアの配慮に両親は満足げにソファに座り直し、メイドたちが部屋から出ていくのを見届けると伯爵夫妻の顔は穏やかな笑みから蔑みの笑みに変わり、リーディアの顔は無表情に戻る。



「どうやらきちんと仕事はしているようだな。シーウェル公爵が溺愛しているという話が流れて来るほどだ……一番不出来な娘が大金になるとは」

「そうですか。それは良かったですね」


「しかしせっかく借金を肩代わりしてもらったが上手くいかなくてな……更に新しい事業を始めたいのだが初期投資がかかる。これは儲かるぞ……借金もなくなり一気に資産家になれる。儲けが出ればそうだな……婚約破棄されたあと平民に落とさず穀潰しでも許してやろう。魅力的だろう?」

「投資とは?」



従順に話を聞くリーディア(道具)に気をよくしたカペル伯爵は、道具を使い回せる素晴らしい人間だと自分に酔いながら口が動いていく。



「武器だよ。先日ある商人に武器販売の共同事業の話を持ちかけられてな、悩んでいたらどうだ。タイミングよく国境が随分と騒がしい……いずれ戦争が始まる。今から武器を確保し、戦争が始まれば高値で国軍にも騎士団にも、私設騎士団にもどんどん売れる」

「戦争……」

「そうだ。武器でも食料でも服も何でも売れる。武器の仕入れは一番値がはるが売れれば一番儲かる。しかも話を持ち込んだ商人は格安で武器を売ってくれるときた。そして伯爵の名で流通すれば高値で売れる……こんなチャンスはない。リーディア……金が必要なんだ」

「リーディア、あなたシーウェル公爵とは実際どうなの?お金を渡してもらえるような弱味は見つけてないの?」



まるでこれから始まるパーティーが楽しみと言うような調子で戦争を望む伯爵と、エヴァルドを陥れようとする伯爵夫人の姿にリーディアは絶句した。



(な、なんなの……この人たちは本当に腐っているわ。戦争が始まったらどれだけの人が傷つき死ぬと思っているの?カペル伯爵家の借金を肩代わりした恩人エヴァルド様が死ぬかもしれない危険な状況になるというのに陥れろと…………っ!?)



リーディアはエヴァルドが帰ってきた時、カペル伯爵に対抗するためにできるだけ多くの情報を集めようと叫びだしたい気持ちをぐっとこらえて返事を返す。


「残念ながらシーウェル公爵と私は主従以上の関係はございません。単なる盾の私に弱味など見せるはずがありません……」

「ふん、使えんな」


黙り込むリーディアの姿を眺めながらカペル伯爵は、先日エヴァルドから返された手紙の内容を思い出していた。


カペル伯爵家でのリーディアの不遇を調べたようで『伯爵に対して幻滅した。シーウェル公爵家で保護しているも同然で払う金などない。むしろこの機会に考えを改めて、今後も溺愛の娘と吹聴したいなら身を引け。今なら黙っていてやろう』という上から目線の内容だった。



(あの若造は随分と娘を気に入ったのかと期待したが……あり得なかったか。それにしても本当に平凡で地味で、表情も死んだようで愛嬌もない娘だ。リーディアへの手紙は早まったか?)


「リーディア、先日の手紙はどうした」

「読み捨てました。あれはシーウェル公爵の不興を買うのみですので……」

「お前にしては良い判断だ」


夜這いが上手くいけば良いが、失敗していたらシーウェル公爵によってリーディア共々伯爵家を潰される口実を与えるところだったと今になって気付き、リーディアの返事にカペル伯爵はホッとした。あまりにも分かりやすい表情にリーディアはうんざりするしかない。


(分かりやすい顔だわ……エヴァルド様はガッツリ見てるわよ馬鹿ね。そろそろ情報は絞り切ったから良いわよね。少しは本音を話しても……エヴァルド様は守ってくれると言ったわ。だから……)




「お父様は本当に戦争をお望みで?お母様も賛成なさってるの?」

「カペル家繁栄のためだ」

「そうよ。そのためにはお金が必要なの」



両親の言葉を聞いて、リーディアは悔しそうに胸元のブローチを握りしめて言葉を絞り出す。



「だからって、エヴァルド様の弱味を探り、お金を脅し取ろうとするのは許せません!あの方は戦争のためではなく、平和のために剣を握るようなお人なのですよ!」

「お前のような不出来な娘が口答えするな。シーウェル公爵にでも惚れたか?」

「あら嫌だ。本気で相手にされるわけないのに……勘違いなお前を娘とは思いたくないわ」


二人は鼻で笑いながら、リーディアを蔑む。


「不出来?そうでしょうね……私は侍女も家庭教師もつけられず、マナーもダンスも勉強も刺繍も何も教われなかったわ。それでもエヴァルド様は許してくれた……あなた方より彼に心が傾くのは当然だわ!…………だから、お願いします。私を利用してあのお方を困らせないで…………もう放っておいて……」


胸元のブローチをいっそう強く握りしめて、リーディアは立ち上がり深々と腰を折り懇願した。すると伯爵夫人の口元がつり上がる。


「そのブローチを寄越しなさい。随分と良さそうな物だわ。売れば武器の頭金にはなるでしょうね」

「それは良い。貰ったものだろう?リーディア、渡せば愛しの公爵が助かるのだぞ?渡さなければ……そうだなぁ、お仕置きが必要になるな」


獲物を見つけたようなギラついた目で狙われる。ブローチは大きなエメラルドが付いた一点物で、伯爵夫人ですら持っていないほど高価なものだった。リーディアは長く沈黙し、泣きそうな、悔しそうな、苦しい顔で震える声を出した。



「これは貸し与えられた物です……そのままあげることはできません。なので売らずにこれを担保にお金を借りて下さい。事業が軌道に乗り、回収できたらお返しください…………私ができる精一杯はここまでです。だからどうか、今後エヴァルド様には一切……」


「はははは、それで良い。安心しろ、戦争が始まればすぐにブローチは返してやろう。約束しよう」

「あなた、両替商に持ってくまでの間はわたくしが着けてても宜しいでしょう?こんな素敵なブローチは見たことがないもの。手を離しなさいっ」

「あぁっ!」


伯爵が勿論だと頷くと、夫人は自らリーディアのドレスから外して奪い取ると、うっとりと手に取り眺め始めた。リーディアは涙を浮かべた瞳でカペル伯爵をキッと睨み、1枚のカードを突きつけた。



「お父様……せめて両替商は指定させてください。本当に売られてしまわれないか信用できませんので見張らせてもらいます。またこの両替商であれば即日全額用意してくれるでしょう」

「即日全額か……お前にしては気が利くではないか」

「では、簡易契約書にサインを……シーウェル公爵が所有するブローチを婚約者リーディア・カペルの名において、カペル伯爵に無償貸し出しを行う。シーウェル公爵が知ることとなれば、速やかに返却に応じることを条件に返却期間は設けません……どうでしょうか?」

「よかろう」


戦争が始まればエヴァルドが戦地から戻らずブローチの事など知ることはないからと、すぐに応接の常備してある高級紙を拝借しカペル伯爵はサインしてリーディアに渡した。

するともう用は済んだとばかりに、伯爵夫妻は応接室から出ていき、応接室にはリーディアだけが残され見送ることはしなかった。



「リーディア様、お疲れ様です。身に付けていたブローチは何処へ?」

「ナーシャ……ブローチはお母様におねだりされてね。貸出契約書は書かせたわ。ルド様がお戻りになったらすぐに渡してちょうだい」


「かしこまりました。ふふふ、なんだかスッキリした顔ですね」

「あら分かる?今日両親と会ってもう自分の中で決別できたの。いらなーいってね」



先程までの追い詰められたような悲痛な顔は晴れ渡り、リーディアはナーシャが淹れ直した紅茶を飲み、疲れを癒した。

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