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眼鏡公爵と地味令嬢の契約


部屋には二人の男女。

さらりとした黒髪を後ろに撫で付け、涼しげな透き通る青の瞳に銀縁の眼鏡をかけた男は、既に爵位を継いだ若き公爵。顔立ちは端整で、近衛騎士という職業柄か体は程よく引き締まり女性が憧れるような逞しい男だ。彼の名はエヴァルド・シーウェル 、24歳。


もう一方はどこにでもいる茶色の髪に、これまたどこにでもいる茶色の瞳をもつ女性がソファにちょこんと座っている。彼女は伯爵家の三女で、顔立ちも平凡で記憶に残らないような容姿で、化粧すらしていない。彼女の名はリーディア・カペル、19歳。



「この婚約は契約であって、いずれ解消されるものだ。決して君に愛があるわけではない。円滑な関係のためにも、それを間違えないで欲しい」

「分かっております。カペル伯爵家存続のためであり、私があなた様の盾であることは重々に承知しておりますので、ご心配なさらずに」



リーディアの実家は表向き豪勢で実際は貧乏に片足を突っ込んでおり、父が失敗した事業の借金を立て替えてもらう代わりに差し出された生け贄がリーディアだった。でも彼女は伯爵家から出されたことは悪いことではないと思っていた。エヴァルドはカペル伯爵との契約とは別に、リーディア個人との契約内容を提示する。



一、表では相思相愛の婚約者のふりをする

一、屋敷では基本的にプライベートには干渉しない

一、公爵を狙う令嬢がいたら追い返す

一、公爵が婚約解消を判断したら即受け入れること

一、解消の際は伯爵家ではなく令嬢本人に違約金が支払われる


リーディアが契約書に目を通し終えたタイミングで、エヴァルドが口を開く。


「基本的な約束ごとは以上だ。細かいことはその都度確認して欲しい。この契約を知っているのは今は領地の視察代行に行っている執事長にメイド長、そして執事のデューイと貴女につける侍女ナーシャだけだ。何か質問は?」


「ではひとつ。令嬢の追い返し方に指定はございますか?それとも私の好きなように?」


「まずは、あなたに任せる。公爵位はともかく侯爵以下は好きなようにしろ、実家への圧力はこちらで対処する。しかし……協力者のあなた自身に何かあったら夢見が悪い、無理のないように」


「…………っ、はい。心得ました」


リーディアは一瞬だけ揺れそうになった心を隠すように、毅然と返事をする。そして婚約書とは別に契約書に二人はサインして、金庫に入れられる。



既に本日確認すべきことは終えた。二人は早速仲睦まじそうに腕を組んで一緒の部屋へと向かう。公爵夫人になる教育を理由に、結婚前だが屋敷に住まわす事になっていた。

すれ違う使用人たちは洗練されているようで、エヴァルドに釣り合わないはずの突然現れた不審なリーディアに対しても同じように頭を垂れて見送る。

そしてエヴァルドの部屋へと入った瞬間、二人は手をほどいた。



「では貴女はこの扉を使って隣の部屋で休んでくれ。貴女専用の部屋を用意している。今夜は他の使用人を欺くために夫婦と同じように部屋を繋いでいるが、扉を使えるのは許可したときのみだ」


「承知しました。ご配慮ありがとうございます。それではおやすみなさいませ」


「あぁ、明日から頼む」



リーディアは深く礼をして、自室へと消えていった。





(上手くいくだろうか……)


エヴァルドはソファに体を沈ませて、今回の契約の経緯を振り返る。

最近隣国と緊張状態が続いており王族が戦地へ向かう時は、近衛のエヴァルドは家を空けることになる。その間にシーウェル家の実権を狙う欲深な叔父や叔母に隙を見せ、息のかかった相手と婚約が決まっていたなど笑えない。

エヴァルドは騎士だ。万が一戦死したら実権は一時的にも婚約者または伴侶に移り、叔父はそこから金を巻き上げるなり実権を奪うだろう。この国、レグホルン王国では婚約者という立場は大きい存在だ。

それなら、契約書で縛った人間に任せた方がずっとましだと判断した上での行動だった。



(しかし、浪費癖の金をせびるような伯爵の娘だから、強欲で派手な娘が公爵家の肩書きにしがみつくために周りを蹴散らすと踏んで契約したが…………随分と慎ましい娘が来てしまった)


エヴァルドはカペル伯爵が表では羽振りが良さそうに振る舞っているが、事業が失敗して困窮しているのを知っていた。そして、そこに付け入ったのは事実で、エヴァルドはカペル家の娘を利用し尽くすつもりだった。伯爵家があまりにもおとなしい娘を簡単に生け贄として売り飛ばしたことに、契約してからエヴァルドは同情してしまった。



もし婚約者の立場を利用して傲慢になったり、問題を起こせば切り捨てるつもりだった。そうして女性不信になったと縁談を断る理由も作れる、そんな駒として扱う予定だった。


(派手な悪女なら捨てやすかったものの……面倒な。この作戦は早まったか……?)




エヴァルドがやや後悔していた頃、リーディアはシーウェル公爵家で用意された部屋に入り、あとは一人でできるからと侍女を下がらせる。



(よっしゃぁぁぁぁあ!伯爵家から出てやったわ!しかもプライベートは干渉されないって最高だわ。これは筆が捗るわね)



リーディアは歓喜していた。早速、日記帳を持ち出し一心不乱に書き始める。実はリーディアは密かに人気が上昇中の新人小説家で、男性同士の禁断愛を手掛ける腐った令嬢だったのだ。両親は自分達と跡継ぎの弟にお金を注ぎ込み、3人の娘たちにはドケチだった。リーディアが小遣い稼ぎに投稿したところ、出版社の目に止まりデビューしたのがきっかけで小説家を続けている。



実家でもカモフラージュに日記帳を使っていたが、溜まってきて隠すのが大変だった。もし儲かっているとバレたら両親にすべてを巻き上げられるため、契約によって家から逃げ出すきっかけができてリーディアは心躍っていた。エヴァルドとはどうせ婚約解消されるから、腐女子がバレても痛くない。むしろ早く解消されて、違約金で部屋を借りて市井で気ままに小説を書きたいとすら思う図太さを持ち合わせていた。



(それにしても最高だわ。インテリ眼鏡、美青年クール騎士……素敵な属性がてんこ盛り。容姿も整っていて超超超好みのモデルだわ!できればツンデレを追加希望ね。攻めにしようかしら、受けにしようかしら……ふふふふふ、たーっぷり観察させてもらうわね公爵様)




エヴァルドこそが生け贄だった。






社交シーズンだったため早速夜会に招待された二人は参加した。麗しの眼鏡騎士たる公爵に熱をあげていた令嬢は多く、エヴァルドの腕に寄り添うリーディアに刺さる目線は鋭く厳しい。「お前のような地味女が何故!」「知らぬ顔が図々しい」そのような殺気を含んだ目線を受けつつ、リーディアはこの状況すら楽しんでいた。



(いいわ、その目線。恋い焦がれて、でも何もできないもどかしさ、葛藤と嫉妬が織り混ざった恋心……イベントシーンに使えそうね。ネタをありがとう!でも、もうひとつの仕事も忘れちゃいけないわね)


「エヴァルド様、わたくし実はダンス苦手なの。それでも踊ってくださる?」


地味女なりの精一杯のぶりっ子でエヴァルドにおねだりする。


「勿論だ()()()。君となら何度だって踊ろう」

「まぁ、嬉しいわ。わたくしはルド様と呼んでも?」

「もちろんだ、君の好きなように」



リーディアの狙い以上に、甘い言葉を用いながらエヴァルドは普段は見せない笑顔で返す。この会話を聞いただけならば相思相愛な上に、むしろエヴァルドの方がリーディアに夢中にも思える。令嬢たちからは小さな悲鳴がもれた。



(私はきちんと笑えているだろうか。顔がつりそうだ……しかし失態は見せられん)



エヴァルドは目的遂行のためには手段を選ばない男だ。今回も令嬢に諦めさせるために、プライドは捨てて必死に笑顔を作っていた。一方の顔を赤らめて恥じらっているリーディアもまた必死だった。



(エヴァルド様めちゃ頑張っているわ!パッと見たら余裕のある大人の笑顔だけど、口元が少し固まってるわ。能面の堅物が必死に慣れない笑顔…………凹む新人騎士を励ますために、普段はクールな先輩騎士が元気付けようと微笑んで、新人騎士はきゅんとして、そして、そして!ハッ……夜会で危なくトリップするところだったわ)


リーディアは妄想を止めるのに必死だった。リーディアは妄想の世界へトリップすると感情移入しすぎて、ひとりで泣いたり笑ってしまう癖があった。




二人で何度か夜会に参加したことで、二人は仲睦まじい婚約者として知らしめることができた。慣れてくるとエヴァルドの笑顔もより自然な表情になり、リーディアもダンスをしながら気づかれないようにエヴァルドをじっくり観察する技術を取得した。



それは今後の方針について話し合う場でも活用された。今二人はお互いにあとは寝るだけのラフな服装の状態で寝室で話し合っている。寝る直前に打合せをするのが日課となっていた。



「社交シーズンも終わり、これから夜会は必要最低限にする。問題はこれからだ。そろそろ私たちの仲を面白くない者たちが破談にさせようと動き出す。特に注意すべきは家督を狙う叔父たちに、親の政略や叔父に踊らされた勘違いした令嬢たちだな」


「わたくしは、彼らを蹴散らさなければならないのですね」


「そうだ。守りの固い私ではなく、弱そうなリーディアから狙ってくるだろう」



エヴァルドは過去の難癖を思い出して、苦虫を噛み潰したような顔になる。叔父が勝手にエヴァルドに相応しいと令嬢を連れてきて顔合わせ程度かと思っていて断ったら、すっかり婚約者気取りだった令嬢に「婚約破棄ではないか、名誉を傷つけられ他に嫁にいけない。金を寄越せ」と言われ大変だった。



(婚約書のサインが私の物でないと証明できたから相手の過失にできたが、無駄な労力を奪われた。まるで詐欺を働きながら爵位とお金を狙う叔父に任せたら、家はすぐに傾く……リーディアとの仮初め婚約はただの問題の先延ばしでしかない。はぁ…………その間に最良の相手が見つかるのか?)



リーディアはエヴァルドの深刻そうな顔をじっと見つめ、目が合うと神妙に頷いた。エヴァルドは真剣に契約遂行しようとする彼女の姿勢に、殺気だっていた気持ちが落ち着く。



(あぁ、憂いの眼鏡って素敵ね。湯浴みで少し湿った毛先に色気があるかと思っていたけど、チラッと見える鎖骨も色気があるわね。()()、今後のいちゃラブシーンに鎖骨の表現を加えるべきね。良い小説のためにもこの方をもっと長く観察したいわ!)



「エヴァルド様、私は役目を果たしますわ!初めての事でスマートに蹴散らせないかもしれませんが、問題のないうちは静観しててください」


「はっ、強気だな。私が仕事で留守の間に来たら頼むぞ。明日は休みだ……私は遅めに起きる。朝食は勝手に食べててくれ」

「かしこまりました。ゆっくりお休みください」



そしてリーディアは部屋へと戻り、すぐ寝ることなく日記帳を出してペンを必死に走らせる。先ほどの鎖骨ネタだけではなく、他にエヴァルドの観察の中で見つけた素晴らしいネタの素を余すことないように書き残す。


リーディアは薔薇小説を書きながらも男性とほとんど関わったことがなく、空想だけで書いてきており『夢はあるが現実味がない』と評されてきた。だが今は最高のモデルが目の前におり、むしろ一緒に住み、秘密さえも共有している。



(私を男に変えて、屋敷から騎士寮に住まいを変えればそのまま小説にできそうだわ!新作はそうしちゃおうかしら。先輩眼鏡騎士×平凡新人騎士……いいえ、逆の方が意外性があるかも?新人が先輩をペロリ……あぁ、これよ!大人部門に初挑戦しようかしら)



リーディアはフェイクの日記帳にエヴァルドの観察の日記を書き終えると、引き出しの更に奥に隠してある本ネタ帳に小説を書き始めたが、ふとペンが止まる。



24歳で公爵で、美丈夫で、真面目そうで、強そうで最高の優良物件なのに今まで本物の婚約者がいないことを不思議に思い始める。エヴァルドの地位があれば申し込みが断られることなど無いので、より不思議だった。腕を組んでむむっと唸りながら考える。


(まだ初恋に出会ってない?あり得るわ……私だって無いもの。でも公爵様なら夜会で出会いは十分にあったはずだし………………もしかして!)


バッと立ち上がり、高鳴る気持ちを押さえようと頭を抱えながら部屋の中を歩き始めるが、心臓の鼓動は速まるばかり。


(もしかして本当は叶わぬ禁断の恋を抱えていらっしゃる?同僚、上司、後輩…………ふふふ、まっさかー小説じゃあるまいし現実ではあり得ないわ。でも、でも良いわ。秘め事の恋という設定は萌えるわ、エヴァルド様を見てるだけでネタの神が降臨するわ!最高!)


もう彼女の妄想は止まらなかった。


毎日更新目指して新作をスタートいたします。

よろしくお願いいたします!


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