照らす光は温かく
「――――っくしゅん」
月明かりが支配する闇の中で、可愛らしいくしゃみをする音が響く。
その声の主である少女は、寒そうに身を縮めこませながら、自分を抱くように肩にかけられた上着を掴む。
彼女の体を守るのはその上着だけで、絶え間なく吹き込む風を防ぐには少々心もとなかった。
界斗は、少女から少し離れた位置に背を向ける形で座り込んでいた。
脳裏には先ほどの光景が焼き付き、いくら振り払おうと努力しても、あの肌色が頭から離れなかった。今でも、目を閉じれば鮮明に思い出せてしまう。
それもあり、少女の事をまともに見ることができなかった。
龍の姿から元に戻った少女は、界斗を襲おうとしたことに大声で謝罪をした。
そして、直ぐに自分が全裸であることに気が付くと、「ぴゃあ!」というよくわからない悲鳴を上げながら腕で体を隠すと、素早く界斗に背を向けた。
界斗も「ごめん!」と言って、背を向ける。
二人は恥ずかしさに頬を赤く染め、同じように俯く。
二人の間に気まずい空気が流れ、界斗も何と声を掛けるべきか解らずにいた。
辛うじて「と、とりあえず、これ、着る……?」と言って、少女に制服の上着を渡すことはできたが、それ以上は何も出来ず、こうして黙ったまま今に至る。
界斗は膝を抱えながら、掛ける言葉を探して、ちらりと横目で少女を見る。
背を向けている為、表情は見えないが、ここからでも耳が赤く染まっているのが解った。
やはり、上着一枚では寒いらしく、風が吹くたびに体を震わせていた。
このまま少女が風邪を引くのを待っているわけにもいかない。
界斗は、意を決して声を掛けた。
「えー……っと、こ、これからどうしようか?」
声を掛けると言っても何も考えてはいなかった。
界斗にはこの状況は難しすぎたのだ。どんどんとカロリーを消費していっている気さえする。
「うぇ!? ……どうするって?」
少女は驚いたように体を跳ね上げさせ、顔を界斗の方へと向ける。
その表情に恐ろしい龍の気配は感じさせなかった。
「い、いや、さ。このままこうしてたら君も辛いかなーって。風邪も引いちゃうだろうし……」
「た、確かに……」
「だから、どこかに移動した方がいいと思ったんだけど……」
どこかと言っても、界斗にはここがどこなのすら解ってはいない。
だが、今は少女の事を優先すべきと考え、その疑問は頭の奥へと押しやった。
とにかく、少女が裸のままでは困る。精神に悪い。
少女は少しだけ悩むようにすると、何か思いたったらしく「そうだっ!」と言って顔を上げた。
「いいとこあるんだ! そこに行こっ!」
そう言って、嬉しそうな表情で界斗の方へと体を向けるが、少女を守るのは制服の上着が一枚だけ。当然それだけでは、体のすべてを覆うには足りず、界斗の目に刺激的な肌色が飛び込んできた。
界斗は突然の事に目を反らすことができず、再び、少女の体をまじまじと見ることとなってしまう。
そうして、それに気が付いた少女もまた「にょわぁ!」というよくわからない悲鳴を上げるのであった。
鬱蒼と茂る森の中に、不自然に続いている細い獣道のような場所を、界斗は少女の背を追う形で歩いていた。
道は当然であるが舗装されているわけがなく、草を踏みしめて作られており、でこぼことした地面が思っている以上に界斗を疲弊させた。
そんな道を少女は軽い足取りでスイスイと進んでいく。
界斗は追い付くので精一杯であった。
「はぁ、はぁ、どこまで、いくの?」
「あとちょっとだよ!」
疲労の堪った体は、直ぐに悲鳴を上げ始める。呼吸が乱れ、額から汗が噴き出してきた。
何処を目指しているのだろうか。
少女に導かれ、あの広場のような場所から、界斗が下りて来たのと同じ方向、山の上へと進んでいた。
視線を上げると危険なため、なるべく少女の足元だけを見ながら、しばらく歩いていると、唐突に道が開けた。
「ついたー!」
界斗は息を整えながら顔を上げた。
そうして界斗は驚いた。
「え、ここって……」
そこには見覚えのある景色が広がっていたのだ。
「俺が最初に目覚めたところ……」
そう、まさに界斗が最初に目を覚ました広場であった。
森に囲まれた広場は崖に面しており、幾つかの壊れたオブジェのようなものが立ち並んでいる。どこからか動物の鳴き声が聞こえ、風の吹く音が唸り声のように響いている。
「ここに……って、あれ?」
気が付くと少女の姿がなかった。
焦って辺りを見回すと、小さな小屋のようなオブジェの中へと入っていく少女の姿があった。
界斗には、そのオブジェにも見覚えがあった。
界斗が目を覚ましたまさにその場所である。
少女が闇の中へと消えていく。
界斗も急いでオブジェに駆け寄り、続いて中に入った。
中は最初に見た景色と同じように薄暗く、穴の開いた天井から差し込む微かな月明かりだけが頼りであった。
その中で少女がごそごそと手で何かを探っていた。
闇の所為で少女の後ろ姿しか見えず、腕の伸びた先に何があるかは確認することができない。
「あれー、どこいれたっけなぁ」
界斗は気が付かなかったが、いくつかのものがそこにあるらしい。
しばらく少女が漁る音を鳴らしていたかと思うと、お目当てのものが見つかったらしく「あったあった!」と嬉しそうに声を上げた。
それが何かか気になったこともあり、界斗が声を掛けようとして目を見張った。
何故なら、少女が上着を脱ぎだし、白い綺麗な背中が露わになったからだ。
界斗は今度こそ見るまいと手で目を覆いながら、焦って声を出す。
これ以上刺激を与えられたら、精神が持ちそうになかった。
「ちょ、ちょっと! なにしてるの!?」
「のうぇ!?」
目を覆っている為、少女の表情を窺うことはできないが声から驚いたような表情が容易に想像できた。
「君こそなんでいるのさ!」
「急にいなくなるから!」
「それはごめん! だけど今は出てってよ! 着替えるから!」
目を瞑ったまま後ずさり、手探りで出口で見つけ出すと「失礼しましたー!」と言って、逃げるように飛び出した。
急いで距離を取り、高鳴る心臓を必死に落ち着かせる。何度か息を吸って吐くを繰り返していると、冷静さも取り戻せた。
すると、途端に疲れが界斗を襲った。界斗は、少女が着替え終わるまでの間、休んでいようと草の上に座り込んだ。
深くため息をついて、何となく空を見上げる。夜明けが近づいてきており、空が白みがかってきた。
それが時間の経過を否応にも意識させ、界斗は妙に寒気を覚える。
無意識に自分の腕を抱く。
思い返してみると、今日は驚いてばかりである。
目を覚ますと見知らぬ場所にいたこと。
蒼い巨大な龍に出会ったこと。
恐ろしい怪物が現れたこと。
蒼い瞳の少女が圧倒的強さで助けてくれたこと。
その少女が龍に姿を変えたこと。
……そして裸をガン見してしまったこと。
頭を振って邪念を振り払う。
我ながら変なことを考えすぎである。自分は思っている以上に助平らしい。
今はそんなことを考えている状況ではないのだ。衝撃の連続で感覚が麻痺してしまって忘れていた。
とにかく、あの少女が帰ってきたら色々と聞いてみよう。
このまま無事(?)に家に帰るためにも、まずはそれからだ。
「ごめん、お待たせー」
背後から声がする。
振り返ると裸の少女が――おらず、ちゃんと服に着替えた少女が立っていた。
何故か界斗は視線を合わせることができず、それを悟られないように空を見上げるふりをして立ち上がった。
「いやー、なんか、お恥ずかしいとこを……」
少女は、恥ずかしそうに頭を掻きながら言った。
視線はこちらに向いておらず、落ち着かずにあちらこちらに浮遊している。
どうやら、照れているのは界斗だけではなかったらしい。
「お、お気になさらず」
何故か敬語になる界斗。
「むしろ良いモノを見せていただきました」という言葉が喉まで出かかったが、何とか押し込むことができた。そんなことを言えば、心象が最悪なことになるだろう。
それ以上何も言えず、黙り込む。二人の間に気まずい空気が戻ってきてしまう。
何か言わなければ。
そんな強迫観念が界斗を支配する。
「「えーと……その」」
二人の言葉が重なる。
横目で様子を窺うと少女と視線が合う。
お互いに言葉を探している様子で、まるで牽制し合うかのように視線を交わした。
先んずれば人を制す――とは少々違うが、改めて感謝の気持ちを伝える意味でも先に言うべきだろう。こういうのは男が先に~などと言う格好つけもあったかもしれない。
界斗は少女の方に向き直し、素早く口を開いた。
「「……あの!」」
が、また言葉が重なってしまう。
しかも、動作まで被ってしまった。
しかし、ここで負けるわけにはいかない。直ぐに言葉を紡ぐ。
「「俺(私)から言うよ」」
また重なる。
ここまでくると感動してしまう。
「「…………」」
また何かを言っても重なってしまう気がして、二人は口を噤む。
向き合ったまま無言で二人は見つめ合う。
異様な光景に、風音が笑っているかのように耳に届いた。
(ど、どうしたらいいんだ……)
界斗は困り果てていた。
時間が経てば経つほどに話し辛くなっていく。
コミュニケーション能力に乏しい界斗は内心泣きそうであった。
しかし、そんな時間も意外にも長くは続かなかった。
唐突に眩い光が現れ、固まった二人を暖かく照らすと、凍り付いていた空気を溶かしてくれた。
少女が「わあ」と目を輝かせる。
眩しさに手を翳しながら光へと目を向けると、山の陰からゆっくりと陽が顔を出しているのが見えた。
夜が明けたのだ。
「凄ーい!」
少女が光に吸い込まれるかのように崖際に向かって駆け出す。
界斗も、よろめいて崖から落ちそうになる少女にひやひやさせられながら、崖際に立ち、全身で光を浴びた。
「きれーい!」
「……うん」
綺麗。
素直にそう思えた。
日差しの眩しさが、暖かさが不思議と気持ちを安心させる。
ここがいつも自分が住んでいる町であると思えてしまうほどに、懐かしさを感じさせた。
「私、こうやって朝日を見るの初めてかも」
「俺も」
体がじわじわと温まっていき、血液が巡るのが解る。
「…………」
「…………」
沈黙が流れる。
だが、嫌な沈黙ではなかった。黙っていることが苦痛ではなく、あるべくしてあるような感じ。
陽に照らされた二人の間には、もう気まずい空気はなかった。
自然と言葉が漏れ、本当の意味で向き合うことができた。
「……自己紹介、まだだったよね」
二人は崖際で向き合う。
ゆっくりと登る太陽が少女の横顔を照らし出す。暗闇で見えなかった彼女の顔を今度はしっかりと見ることができた。
蒼い大きな瞳が陽に照らされ、宝石のようにキラキラと輝いている。
その奥には清純さ、強い生命力が炎のように燃えており、界斗は目を奪われた。
「私の名前は――アオ」
真っ直ぐな声が脳に直接届いていくような錯覚。
アオ、青、蒼。
彼女にぴったりな名前だと思った。
「こう見えて――――」
暖かい風が吹き、アオの短めの髪を揺らす。
すると、頭に小さな角のようなものが生えているのが見えた。
それを見た界斗は『そうか』と、一人で納得する。
驚きはない。むしろ当たり前だと思えた。
だって、何故なら、彼女は……。
「――――龍なんだ」
こうして、彼らは出会いを果たした。