燃える炎は、熱く、そして美しく
少女は本当に強かった。
素早く飛びかかってくる三体の怪物の攻撃を器用にかわし、隙を見つけ拳や蹴りを叩き込んでいる。その一発一発が鋭く重い一撃で、少女が放つには不釣り合いなものであった。
背後から飛びかかってきた怪物相手にも、まるで背中に目が付いているかの如く素早い回避を見せ、すぐさま反撃を行っている。
格闘技か何かをやっているのだろうか。喧嘩の経験もない界斗には、到底真似などできなかった。
これでは本当に界斗の救けなどは要らなかったのかもしれない。
下手に手出しするのも足手まといになると感じた界斗は、自分に情けなさと気恥ずかしさを覚えながら、心の中で少女が無事に勝つことを静かに祈った。
「――せいはっ!」
少女の放った拳が怪物の腹に深く重く突き刺さる。
それによって、怪物の一匹が吹き飛び、地面に叩きつけられたかと思うと、そのままノビたように動かなくなった。
その拳の威力に、怪物相手はとはいえ少々かわいそうな気持ちになった。
「よしっ! 一匹目!」
少女が嬉しそうにガッツポーズをする。
体力もあるらしい。先ほどから激しく動いているのだが、少女の息は少しも上がっておらず、汗一つ掻いていなかった。
「ほら、次きなよ、次!」
少女の言葉に怪物は唸り声を上げる。言葉が通じていないはずなのに、怪物の怒りを買ってしまったかのようだった。
残った二体が少女の周りを様子を窺うように歩く。
それに対して少女は、いつでも対応できるよう構えの状態のまま怪物に対して意識を集中させた。
やがて二体の怪物は、少女を挟み込むように立ち、言葉もなしに同時に飛びかかった。
界斗は思わず声を上げそうなる。
だが、少女は落ち着いた表情で前後の怪物を一瞥すると、体の向きを変え、上半身を怪物のいない方向、自分から見て右へ大きく反らした。そのまま体を地面に倒れこむかのように倒していき、二体の怪物の攻撃を回避したのだ。
そうして、後ろに伸ばした腕で地面に着地すると、その勢いを活かして足を素早く上へと振り上げた。
目を見張るほどの運動能力だった。
少女の蹴りは怪物の体に突き刺さり、食らった怪物は宙へと飛び上がっていく。唾液をまき散らしながら、地面に転がっていき、そのまま動かなくなった。
少女はバク天をして立ち上がると、怪物が地面でノビているのを確認して、得意げな表情を浮かべた。
これで残るは一体のみ。
少女は怪物に向け地面を蹴った。先ほどまで、どちらかと言えば守りに入っていた少女が一転して攻めに入ったのだ。
その時、怪物のおどろおどろしい瞳が恐怖と驚愕に染まったかのように感じた。
怪物が動き出すよりも早く、少女の蹴りが襲った。
迷いのない一撃であった。怪物は他の二体と同じく宙を飛び、木の幹に叩きつけられて、動かなくなった。
怪物の唸り声は消え、風の吹く音が残る。
少女は振り上げた足をゆっくりを下すと、手足や服の土ぼこりを払いながらため息をついた。
「ふぅ~、これでおしまいっ」
汗一つ無い余裕そうな表情で界斗へと振り返った。
少女と目が合い、界斗は反射的に体をビクッと震わせた。戦いの迫力に気圧されたのか、暗闇で顔の半分が隠れた少女の顔に恐ろしさを感じたのか。
「大丈夫? 怪我とかしてない?」
少女は界斗の目の前に立ち、棒立ちしていた界斗の体を心配そうに覗き込んだ。
「いや、こっちは大丈夫だけど……。君は大丈夫なのかよ、その……あんなことしていて」
『戦い』と言いたかったが、自分が言うと軽くなってしまうような気がして言えなかった。
「大丈夫大丈夫。見ての通り無傷だよ」
そう言って両手を広げてその場で回って見せる。
視界は悪いが、どこも怪我はないように見えた。
界斗は一先ず安心し、同じようにため息をついた。
何もできない自分は情けなくはあったが、少女が無事であって良かった。
界斗そう思ってから、彼女に礼を言っていないことに気が付いた。喧嘩もろくにできないが、礼を言う事ならできる。
「えと……、ともかくありがとう。助かったよ」
「へへ……怪物退治は私の得意分野だからね。任せてよ」
お互いに照れくさそうにしながら言う。
ところで『得意分野』ときたか。戦っている様子からして解っていたが、どうやら少女はこのような怪物と戦うのも初めてではないらしい。むしろ、何度も戦った経験があり、何体も倒してきたという感じだ。
界斗の見たことも聞いたことのない怪物と戦い慣れた少女に聞けば、今自分がいるこの場所の事も何か解るかもしれない。
今欲しいのは、とにかく情報だ。ここがどこなのか。どうして自分はここにいるのか。
何かもが解っていない界斗にとって、少女は希望の星に見えた。
そこまで考えて思う。
そういえば、彼女の名前を聞いていない。
これから情報を聞く上でも、名前は大事である。恩人の名前も知らぬのは失礼であるとも感じた。
改めて少女を見る。
女性と話すのは苦手だったが、この非日常な状況と暗闇が界斗の意識を麻痺させてくれていたおかげですんなりと言葉が出てきてくれた。
「本当にありがとう。…………と、ところで自己紹介が途中だったよね」
「あ! そうだよそうだよ、自己紹介しなきゃ!」
少女がその場でピョンと跳ね上がった。
一々の動作が大きい。少女の快活な性格をしていることが自然と察せられる。
「えとね! 私はね――」
「いや、俺からするよ」
自己紹介を始めようとする少女を、界斗は手で制止して言う。
格好つけではないが、恩人を先に言わせるのは失礼な気がすると界斗は思ったのだ。
本当は、年頃の女性を前にして紳士ぶっているだけなのだが、界斗は気が付くはずもなかった。
少女は一瞬悩んだかに思うと「うん、わかったよー」と言って、界斗の言葉を待った。
界斗は少々緊張しながら、軽い咳ばらいを一回して言葉を紡いだ。緊張を先ほどの怪物たちの所為にしながら。
「俺は瀬尾界斗。美空高校の二年で――」
そこまで言って、界斗は違和感を覚えた。嫌な予感が頭を過り、言葉を止めてしまう。
「ん? どしたの?」と少女が不思議そうに顔を覗き込んでくる。
聞こえたのだ。
風の音ではない何かが動く音が。
視線を恐る恐る少女の後ろへと向ける。
そこには依然として闇が広がっていたが、界斗の嫌な予感は消えはしなかった。
「おーい、どうしたのー? 続きはー?」
少女は界斗の顔の前で手を振る。
しかし、依然として界斗は視線を戻すことができなかった。
「えーと、セオカイトだっけー? 変な名前だねー」
その時だった。
何か勘違いした少女の後方で光るものが現れる。
赤い点が二つ。
見間違えなんてしない。怪物だ!
「後ろ!!」
「えっ?」
界斗は少女を押しのけ、庇うように前へと飛び出る。同時に怪物が闇の中から大口を広げ、飛び出してきた。
怪物相手にどうにかできる思わなかったが、界斗は動かずには居られなかった。
反射的に目を閉じ、両手を広げた。
覚悟する時間もなかった。
界斗は迫りくる恐怖に対して、ただ待つことしかできなかった。
そして界斗に衝撃が襲い、地面に倒れこんだ。
だが、いくら待っても痛みが襲ってこなかった。
何かに突き飛ばされたかのように地面に倒れこんだが、それだけだった。
背中が少し痛むだけで、どこも噛まれただとか、引っ掻かれたとかと言う様子を感じない。
死んでしまったのかと一瞬思ったが、怪物の獣臭さを感じる。どうやら生きてはいるようだったが、一体どういうことなのか。
界斗は意を決して目を開け、体を起こした。
そして、今度は違う衝撃が界斗を襲った。
その光景に声も出なかった。早く動かないといけないのに、指一つ動かなかった。
怪物は界斗を襲ってはいなかった。
界斗は怪物と離れた場所で倒れているだけで、怪我はしていない。
その代わり、開かれていた大口は違うものを捉えていた。
「――ああ。……ああ!]
ようやくして情けない呻き声を絞り出した界斗の視線の先には少女がいた。
界斗と同じように地面に倒れんでいる。
界斗との違いは、そこに怪物がいるかどうかであろう。
怪物は少女と共にいた。少女に寄り添うようにして立ち、始めじゃれついているように見えた。
しかし、違った。
怪物の大口は少女の首へ伸びていたのだ。
界斗を庇った少女の首へと。
そうして、鋭い牙が首をしっかりと捉えており、直ぐにでも引きちぎろうと蠢いているのだ。
「――やめろよっ!」
界斗は叫び、少女へと駆け出した。
「離せ! 離せ!」
怪物に口を両手で掴み、無理やり引きはがそうとする。怪物の気持ちの悪い感触と温度が手に伝わってくる。
しかし、想像以上に力強く、引きはがすことが難しかった。
焦りが募ってゆく。
今すぐ引きはがさないと少女はどうなるかわからない。助けてくれた少女をこのまま死なせたくはなかった。
腕に渾身の力を込めて踏ん張る。
噛みつかれている少女はピクリと動かなかった。表情は前髪で隠れて見えない。
怪物が頭を動かすたびに体が人形のように揺れ、されるがままの状態になっていた。そんな様子が更に界斗を不安にさせた。
界斗は少女が既に死んでしまっている可能性は考えなかった。
今はとにかく目の前の消えゆく存在を救いたかった。
「くそっ! くそぉっ!!」
いくら力を込めても引きはがすことができない己の非力さが悔しかった。
こうなるならもっと体を鍛えておけば良かっただとかというどうでもいいことばかりが頭に浮かぶ。
手を怪物に唾液まみれにしながら、界斗は力を籠め続けた。
そうして、少しだが、ようやく首から怪物の口を引き離すことができ、噛まれていた部分が見え始めた時、界斗はあることに気が付いた。
腕に力を込めながら、歯を食いしばりながら、少女を救いたいと願いながら。
ふと、気が付いたのだ。
――血が出ていない。
不可解であった。
怪物の牙は確かに少女の首を捉えていたはずだ。
だからこそ界斗は驚愕し、少女を救うことに必死になった。
なのに一滴の血も出ておらず、赤い色はどこを見ても存在しなかった。
そしてもう一つ。
赤い色の代わりに、少女の首は別の色をしていた。
こんな色は自然界には存在しないであろう。
深く、美しい蒼い色をしていた。
そうして、見違うことない。
それは――鱗であった。
「…………おい」
その声は、一瞬自分が無意識に発したものかと思った。
しかし、その考えも続いて発せられた声にかき消される。
「お前……どこに食らいついてやがる?」
低く、怒りと含んだ声であった。
迫力があり、気圧されてしまうような。
それは目の前から発せられていた。
勿論怪物ではない。人語を喋れるはずもない。
自分でもなかった。
ならば一人しかいなかった。
怪物に襲われ、首を噛みつかれた少女のみだ。
「……お前、お前……お前えええ!!」
倒れていたはずの少女は耳をつんざく様な大声を上げた。
同時に燃えるような熱さと衝撃が界斗を襲った。
思わず怪物を掴んでいた手を放し、後方へと吹き飛ばされた。
「――っは!」
背中に強い衝撃が襲い、肺の中の空気が一瞬にして吐き出された。
視界がチカチカと点滅し、意識が朦朧とする。
木に叩きつけられたようだ。
依然と熱が襲う中、界斗は必死に視界を取り戻そうと努めた。
やがて、意識が元に戻った界斗の視界に、再び衝撃的な光景が広がった。
少女は、燃えていた。
全身が蒼い炎で包まれ、辺りを照らし、燃やしていた。
凄まじい熱が離れた場所に居るこちらまで伝わってきた。
界斗の理解が追い付かなかった。
怪物に襲われていた少女を助けようとしていたら、急に発火したのだ。しかも凄まじい熱と勢いで。
怪物がやったのかとも思ったが、あれにそんな真似はできないように思えた。
ならば一つ。少女が発火したのだ。なんなのかは解らないが自身の手によって。
界斗が呆然と燃える少女を見ていると、少女に変化が訪れる。
まず、腕が変わった。
人間の何倍の長さ、太さに増大し、指先から鋭い爪が伸びている。
次に胴体、脚、頭。
全ての箇所が巨大化していき、その表面がすべからく固い鱗に覆われていく。
背中からは空を覆いつくしてしまいそうなほどに巨大な翼が、長い尻尾が現れてゆく。
そこに先ほどの少女の面影はなかった。
あるのは蒼く燃えゆく巨大な影のみであり、界斗はただ見ていることしかできなかった。
やがて変化が止まった。
かと思うと、弾けるようにして体を包んでいた炎が一瞬にして消え去った。
蒼い火の粉が月の光に照らされ、美しく煌めいていた。
その様子を界斗は美しいと感じた。
それは恐怖心を上回り、界斗はそれに目を奪われる。
少女だったものは大きく翼を広げ、叫んだ。
「―――――っ!!!!」
鼓膜が破れてしまいそうだった。
耳を塞ぐこともせず見つめ続ける界斗は、この光景に覚えがあった。
突然で衝撃的で、忘れることのできない記憶。
今では遠い昔のような、そんな記憶。
そう、それは、見違うことなくそれは。
あの、蒼い龍であった。