蒼く輝かしき出会い
界斗はこれまでの経緯を完全に思い出していた。
気が付いたら見知らぬ場所に居たこと。暗い森の中を歩いたこと。巨大な蒼い龍と出会ったこと。
「早くここから離れよう! まだあの龍が近くにいるかもしれない!」
界斗はそう言って慌てて立ち上がった。
あの様な生物と遭遇した自分がこうして無事でいることに疑問を覚えたが、そんなことを言っている場合ではなかった。
今は迫る脅威に対し、選択し、行動する必要がある。
界斗は鬼気迫る表情で少女に訴えるが、相変わらず焦ったような様子を見せない。
「お、落ち着きなよ。そんなのいるわけがないじゃん!」
夢や幻と言うのも解る。
実際に出会った界斗にとっても、未だに夢だったのではないかと思える。
それでも、事実なのだ。未だに痛む体の節々がそう訴えかけている。
「確かに現実離れした、突拍子のない言葉かもしれない。初対面の奴が言ったって信じられないかもしれない」
それでも、それでも見たのだ。
先程、出会ったばかりの名前も知らぬ少女の手を掴む。
同じ年くらいであろう彼女を危険に晒すことはできない。
少女は蒼い瞳を揺らしながら、困ったような表情で界斗を見ていた。
「困っちゃったなぁ。えーっと…………とりあえず自己紹介しとく?」
あまりにも呑気な発言に、思わず力が抜けそうになる。
「そんな事している場合じゃ!」
どうしてこんなにも必死に伝えようとしているのにも関わらず、少しも彼女には焦りや危機感と言うものが現れないのだろうか。
それが界斗には不思議に思えた。
もしかしたら頭の可笑しい奴と思われているのかもそれない。冷静に考えるとそれが正常な反応なのかもしれないが、恐怖と焦りに支配された今の界斗には気が付けなかった。
少女は腕を掴まれたまま「おほんっ」と軽く咳ばらいをすると、本当に自己紹介を始めようとした。
「じゃあ私からするね。私の名前は――」
しかし、言葉が不意に止まった。
界斗が遮ったのではない。少女が意図的に止めたのだ。
少女は困ったかのような表情を、突然に険しくさせ、黙り込んだのだ。
その雰囲気の変わりように、界斗も思わず圧倒される。少女が掴まれた腕を優しく外すが、界斗も為すがままだった。
そうして少女は辺りに視線を巡らせる。
周りには暗闇を内包する森があるだけで、少女が何を見ようしているかは界斗には解らない。
二人の間に無言の緊迫した空気が流れる。木々の騒めきと冷たい風が二人を包み込む。
何分そうしていたのか。
界斗が少女に声をかけまいかと悩み始めた頃。
少女は「――きた」と言って獣のように体勢を低くした。
その言葉に視線を上げ、森へと向いたとき、それに気が付いた。
木々の隙間の深い闇の中に赤い――点があった。
「――――っ!?」
界斗は息を呑んだ。
赤い点は一つではなかった。初めは一つではあったが、それは一つまた一つと増え始め、やがては六つになった。
得体のしれないものに対する恐怖感が湧き上がってくる。
何なのだと少女に聞きたがったが、上手く言葉が出なかった。
もし音を発したら、途端に得体のしれないものが飛び出してきて、自分達に襲い掛かってくるようなそんな気がしたからだ。
「……ったく、またあれか。よくもまぁ、懲りずに来るよ」
最初に沈黙を破ったのは少女だった。
少女の雰囲気に似つかわしくない馬鹿にするようで、呆れたかのような声。
界斗が事態に追い付けず固まっていると、少女が振り返り笑顔を見せた。
「ごめんねー。ちょーっと荒っぽいことになるから少し下がっててよ」
「え、ああ、うん」
少女には赤い点の正体が解っているようだった。
界斗は素直に言葉に従い、少女から距離をとる。
「よーっし、ほら、早く出てきなよ」
少女が暗闇に手招きするのと同時にソレは暗闇から現れた。月の光に照らされ、少しづつ全体が露わになっていく。
「な、なんだよあれ……」
界斗は目の前に現れたそれを見て、そんな言葉を漏らす。
それは界斗が知っているものの中で、一番近いものを上げるとしたら、狼である。しかし、それは悪魔で界斗の知識の中ででの話であり、実際のソレは狼とは大きくかけ離れた容姿をしていた。
まず生物である。四足で歩行しており、全身が毛皮で覆われている。
だが、頭部が可笑しかった。顔は狼を模しているが、本来額であると思われる場所から胸の辺りまでが口のように大きく開いており、鋭い牙とぬらぬらと光る唾液を覗かせていた。
背中からは二本の触手が伸びており、その先端にはそれぞれ血走った眼玉がこちらを睨んでいた。
界斗はその目玉と視線が交差し、思わず「ひっ」と情けない声を上げてしまう。
「相変わらず気持ち悪い見た目してるなー」
少女は見慣れているのか、動揺した様子は見せない。
現実離れした姿に一目見て危険だと分かった。同時に疑問や恐怖が湧いてくる。
これでは完全に創作物に出てくる怪物、モンスターではないか。
龍に続いて怪物。
自分はゲームの世界にでも来てしまったとでも言うのか。
理解の追い付かない出来事の連続に頭が沸騰してしまいそうだった。
そんな思いもそれ――怪物には届かない。
暗闇から姿を現した三体の怪物は、唸り声を上げながら少女を睨んだ。
そんな視線を一心に受けながらも少女は怯えた様子を見せずに堂々と立っている。
界斗はそんな少女に向かって叫んだ。
「危ない! 早く離れて!」
怪物たちの手によれば、少女はひとたまりもないだろう。
界斗の脳裏に少女が怪物に襲われる情景が浮かび、それに振り払うように首を振ると、意を決して少女を庇おうと足を前へと持ち上げた。
しかし、少女の手がそれを制止させた。
少女はこちらに向かって掌をかざし、微笑んでいた。その表情に恐怖はなく、あるのは余裕と自信。まるでこれが日常の一ページであるかのように。
「安心しなって」
何を安心しろと言うのだろうか。
今こうして、怪物がにじり寄ってきているというのに。
「大丈夫だから」
少女が怪物と向き合った。
怪物たちが唸りを上げ、今にも飛びかかってきそうだった。
界斗にはあまりにも恐ろしすぎる光景だ。
怪物も、少女が傷つくことも。
「だって私は――」
少女が構える。
このままでは彼女が怪物に襲われ、無残な死を遂げるであろう。そして次には界斗がその犠牲となる。
それでも何故だろうか。界斗は動けなかった。
恐怖からではない。
その背中があまりにも心強かったから。
その言葉に、あまりも説得力が籠っていたから。
その蒼い瞳に力強い生きる意志を感じたから――。
「――――ちょー強いんだから!!」
少女と怪物が同時に地面を蹴る。
そして、戦いは始まったのだった。