別れ、襲来
ウインディが村を出ると言ったのは、その日の夜の事だった。
その言葉に界斗達は驚いた。
マリアも「もう少しゆっくりしていってもいいのよ」と言っていたが、ウインディの意志は固く、直ぐにでも発つという事だった。
元々荷物は少ない。出発の準備は簡単なものであった。
家の入口に立ち、皆に向かって深々と頭を下げるウインディ。
そんなウインディにマリアは、少々強引にランプと軽い食事を持たせると、寂しげな表情で別れを告げた。
その優しさに、何故かウインディは辛そうな表情をしていた。
アオの提案で、界斗とアオは村の入り口まで見送ることになった。
暗い道を三人は無言で歩く。
何か言うべきかと界斗は思ったが、上手く言葉が思い浮かばず、そうこうしている間に目的地が目の前だった。
「……ここまでだね」
村と外の境界線を前にウインディはポツリと言葉を漏らす。
そうして、二人に向き直ると、寂し気な笑みを湛えて言った。
「本当に短い間だったけど、お話しできて良かったよ」
そう言うウインディの様子に界斗は、昼間話した時に比べると、やはりどこか違和感を覚える。距離があるような、無理をしているような。
それはウインディが洞窟から戻って来た時から感じていることだった。
「……まだ、全然お喋りしてないのに」
俯きながらそう言ったアオの表情は暗い。
「ごめんね。私も急な用事を思い出しちゃったから」
ウインディはアオの手を両手で優しく包むと、まるで子供をあやすかのように言った。
「でも、寂しがることも、悲しむこともないわ。だって、いつかはお別れしてたんだもの。ただ、それが凄く早かっただけ。だから、そんな悲しそうにしないで、ね?」
「……うん」
ウインディはつま先立ちをして、アオに優しくハグをした。
界斗も同じように求められ、慣れないながらに腕をまわした。
そうして、身体を離すと、ウインディは界斗に向かって言った。
「ねえ、カイトくん。この先、色々大変な事が起きるかもしれないけど、そんな時はカイトくんがアオちゃん達を守ってあげてね」
「え……」
別に変な事を言っているわけではない。
だが、この言葉には別の意味が含まれているような気し、界斗は変な胸騒ぎを覚える。
「アオちゃんもああ見えて、あんまり強い子ではないと思うから。男の子のカイトくんが支えてあげないと」
ウインディはチラリと横目でアオを見る。
アオは俯いたままで、自身の腕を抱いていた。
「でも、俺なんかが……」
支えてあげて、と言われても正直に言って自信がなかった。
いつだってアオやマリアに助けられてばかりで、自身の力で何かを成しえたという事も無いように思えたからだ。
そんな界斗の気持ちを読み取ったのか、ウインディは界斗の腕を強く叩いた。
「しっかりしなさいな、お兄ちゃんでしょ!」
どうやら勘違いをしているらしかった。理由として、界斗の事情を話している時間すらなかったと考えると、少し寂しくなる。
界斗は、否定する気にもなれず、素直に頷くと、ウインディも嬉しそうに頷き返してくれた。
「……それじゃあ、二人とも。これでお別れね」
そう言って、二人に背を向ける。
その小さな背中にアオは最後の言葉を投げかける。
「また来てね! そしたら、今度はちゃんとお話ししよ!」
だが、返事はなかった。
ウインディは何も言わずに駆け出すと、その姿は直ぐにも見えなくなってしまう。アオの前に風だけが通り抜け、まるで彼女は始めからいなかったかのように思えてしまった。
「行っちゃったね……」
アオが小さく呟く。
「もっと仲良くしたかったのにな」
その寂しげな瞳は村の外に向けられていて、消えた背中をいつまでも見つめていた。
界斗は思う。
この辺鄙な地でどれだけの出会いと別れがあるのだろうか。
界斗のいた世界では、常にどこかで出会いがあり、別れがあった。その一つ一つは希薄なもので、気に留めないようなこともある。
でも、この村では、アオにとってはどれもが濃厚で、鮮烈に映し出されてしまうのだろうか。
それを良いと見るか、辛いと見るか。界斗にはまだ解らなかった。
「ねえ、カイト」
気が付くと、アオは界斗を見ていた。
蒼い瞳が真っ直ぐと界斗を見据え、何かをくみ取ろうとしているようにも見えた。
「カイトもいつかは……帰って行っちゃうの? このノシナから」
その言葉に、界斗は胸を貫かれるような感覚を覚える。
解ってはいた。
だが、こうして実際に言葉にされてしまうと、 何とも言えない気持ちになってしまう。
異世界などという理解を超えた状況や、帰る糸口を発見できていない現状に、なあなあと時を過ごしていたのかもしれない。心のどこかに「このままここに居続けるのも悪くないんじゃないか」という思いもあり、その先に待っている『別れ』というものには目を向けないようにしていた。
それは、界斗自身のここの人たちと別れがたいと思う気持ちと、どう転ぶかわからない未来への不安とが混じり合った結果でもあった。
「……」
だからか、界斗は何も言うことができなかった。
宙を漂う感情は、目の前をぼやけさせる。
しかし、その時と言うものは、決して待ってはくれやしない。
界斗もきっと、答えを出さなければいけない時が来るのだろうか。
今の界斗には、まだ、何も見えてはいなかった。
………………
界斗がノシナに来てから一週間以上経過していた。
三日間は寝込んでいたとはいえ、もう既にそれだけの時間をここで過ごしているとは驚きだった。アオと出会ったあの日が、まるで昨日の事かのように鮮烈に思い出せる。
だが、その事実は同時に界斗を焦らせた。
界斗はベッドに腰掛け、首に下げたペンダントにそっと手を触れた。
冷たい感覚が界斗の記憶を呼び覚ます
あちらは一体どうなっているのだろうか。
もし、こちらと同じように時間が流れているとするならば、一週間以上も界斗の姿がないということになる。当然、警察沙汰になっていることだろう。多くの人が動いているのだとしたら、心苦しい。
ともかく、今必要なのは帰る手段だ。
界斗がこの先どのような選択をするにしても、まず、選択肢がなければ何も始まらないのだ。
界斗は部屋を出てリビングへと行くと、朝食の準備をしていたマリアが不思議そうな声を上げた。
「おはよう界斗くん。あら? アオは一緒じゃないのかしら」
そう言われ、周りを見るとアオの姿がない。
いつもこの時間には起きているのだが、何かあったのだろうか。
「朝早くに出掛けて行くのを見たから、てっきり界斗くんと遊びにでも行ったのかと」
こんな朝早く、しかも何も言わずに出かけるとは、どのような用事なのだろうか。
不思議ではあったが、あのアオのことだからと、深く考えずに朝食の席に着いた。
あの老婆もまだ眠っているらしく、界斗達二人だけで、アオのいない静かな朝食を囲む。アオという存在は大きいらしく、会話は少なかった。
「……ふふ、あの子がいないだけで凄く静かに感じるわね」
マリアも同じことを思っていたらしく、可笑しそうに笑った。
「あの子ったら落ち着きがなくって、いつも何か話てるものね」
食事をしながら、アオの話を聞く。
いつの間にかそれは、界斗にとっても当たり前の光景になっていたのだ。
「嬉しかった事、悲しかった事、明日の事、昨日の事。本当に何でも話してくれるわ。最近は……やっぱり、界斗くんとの事が多いわよね」
名を出されても、界斗は顔を上げることができなかった。
故に、マリアの寂しげな表情を知る者は誰一人としていなかった。
「…………界斗君さえ良ければ、いつまでだってこの家にいてくれて構わないわ。その方がきっと、あの子も喜ぶから」
界斗は答えない。
マリアの気持ちにも、アオの気持ちにも、今の界斗は到底相応しくなかったからだ。
………………
日が傾き、辺りが赤く染めあげられる頃になっても、アオは帰って来なかった。
流石のマリアも心配し、界斗に探してくるよう頼んだ。
それを界斗は快く引き受けると、村を一人歩き出す。
初めにケイとマイの下を訪れると、一緒ではないらしく、二人とも心配そうな表情をした。界斗はケイとの頭を優しく撫で、「大丈夫」とだけ言って、捜索を再開させる。
二人と一緒でないのなら、一体どこへ行ったのだろう。
界斗はしばらく考えると、その脚を山へと向けた。
そこまで考えることでもないが、アオの遊び場と言えばあの山だ。
暗くなると探し辛い。界斗は足早に山を目指していた。
だがこうして、一人で歩いていると色々と考えてしまうものである。
様々な思いが界斗の胸中を巡っては消えていく。
その多くは、これからについての事であった。
(本当……どうしたらいいんだろう)
思わず界斗の口からため息が漏れる。
(異世界に行ったときの対応なんて、誰も教えてくれなかったからなぁ)
そのような事を教えられるのは物語の登場人物だけであろうが。
界斗は自分で考えて、空しさに襲われる。
同じように異世界に来てしまった人がいないかとも考えたが、こんな訳の分からない人間が何人といるようには到底思えない。
(出席日数とかは大丈夫なのかな? 授業も置いていかれてそうだし……)
高校の事を思い出していると、まだ自分と元の世界とがまだ繋がっている気がしてッ少しだけ安心する。それでも目の前に広がっている風景が、界斗に違和感を与え、自身のいる場所を端的に教えてくれる。
(いっそのこと、アオさんに本当の事を話そうかな……)
別の世界から来た事。
その事は界斗の胸の中だけに潜ませている事実だった。
(信じてくれるかな……。いや、アオさんならきっと――)
信じてくれるだろう。
自然とそう思えた。
きっと、始めは驚くだろう。だが、直ぐにもその蒼い瞳を好奇心で輝かせ、ここに来た経緯を根掘り葉掘り聞こうとするのだ。
それはきっと騒がしくて、楽しくて、悩むことが馬鹿らしくなってくるに違いない。
その瞬間、界斗の考えは決まっていた。
歩いていることすらもどかしくて、気が付くと駆け出していた。
視界はクリアに広がり、確かな道筋が続いているようにさえ思える。
つくづく、自分は単純な人間だと界斗は呆れながらも、その表情に暗さはなかった。
そうして、村の入り口を通り過ぎた時だった。
見たことのある何かが視界に入った気がして、界斗は思わず足を止めた。
視線を村の外へと向ける。
すると、距離があり、完全には分からなかったが、夕日に照らされたその顔とシルエットには確かに見覚えがあった。
「……ウインディ、さん?」
子供のような小さい身体に、天へと伸びた耳。間違いようがなかった。
だが、その背後にあるものを見て固まってしまう。
そこにいたのは多くの人。人。人。
皆一様にフードを目深に被り、その表情を読むことはできない。
恐らく男性であろう体格は、否応にも迫力を感じさせる。
集団はウインディを先頭にして、こちらに向かってきており、その異様な雰囲気に界斗は完全に呑まれてしまっていた。
やがて、ノシナの境界線を越え、村に入り込む。
界斗以外気が付いた者はおらず、騒ぎにはなっていないが、それは時間の問題であると思えた。
「え?」
ウインディの視線が界斗に向けられる。
その視線に界斗は違和感と同時にうすら寒い何かを感じ取った。
酷く冷たかった。
ウインディの瞳から人並みの生気を感じさせず、ただのガラス玉でしかなかった。
界斗達の距離が縮まっていき、それが十メートルほどになると、不意にウインディは手をこちらに向け、何かを呟いた。
次の瞬間、界斗の視界は朱色の空に支配された。
自分が宙へと吹き飛ばされたと気が付いたのは、意識を失う直前のことであった。




