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母と、娘と

 


 「どうしたのカイト!?」

 

 座り込んで動けなくなってしまっている界斗の下に、悲鳴を聞いたアオが草を分けて駆け寄ってくる。服をしっかりと着直しており、その顔には焦りを貼りつかせていた。


 「ひ、ひと……人が倒れて……」


 界斗は情けなく体を震わせながら、その方向へと指をさした。

 

 「――――っ!」


 その指す先には、一人の人間が俯せに倒れており、それを見たアオからも息を呑む雰囲気を感じた。

 次の瞬間、アオは躊躇いなく駆け出していた。界斗はそれを見ていることしかできずにいたのだった。


 「だ、大丈夫!?」


 アオはその人の傍に駆け寄ると、肩を掴み、抱き起した。

 そうして、隠されていた顔が露わになると、その人が小さな女の子である事が分かった。

 少女はフードの付いたコートの様なものを着ており、今はフードがとれ、一つにまとめられた長い髪が少女の体に掛かっている。幼さが残る顔は、恐ろしいほどに白く、生気を感じないように見えた。

 

 だが――


 「ん、んん……」


 その口から声が漏れる。

 小さなものであったが、確かに聞こえた。

 それは、少女は物言わぬ死体なんかではなく、生きた者であるという証拠だった。


 「どうしたの!? 怪我とかは!?」


 アオは少女の肩を揺らしながら、声を掛け続ける。

 だが、一向に返事が返ってくる様子はなく、依然として少女は気を失ったままだった。

 すると、アオは何かを決心したかのように界斗を見ると、少女の腰に手を回すと、軽々と自分の背に乗せたのだ。


 「行こうカイト。このままここに居ても仕方ないよ」

 

 アオの言葉に、固まっていた界斗はハッと目を覚ます。界斗は、何もせず、見ていただけ自分に気が付き、途端に恥ずかしくなった。


 「う、うん!」


 界斗が力強く頷くと、二人は村に向かって、暗い山道を走り出した。


                         

 …………



 夜中に叩き起こしてしまった上に、また驚かせてしまうとは、マリアに申し訳がなかった。

 それなのにも関わらず、マリアは何も言わず、気絶した少女の面倒を看てくれた。本当に優しく、頼りになる人だった。

 

 あれから、あの子は眠り続けていた。

 素性も解らないが、村の外から人間であることは確からしい。服装、所持品から旅の者であることが推測できたからだ。

 「こんなに外から人が、この村に来るなんてね」と、マリアも笑っていた。

 あとはマリアが見てくれると言って、界斗とアオは寝床に着いた。二人も手伝いを申し出たが、夜出掛けていたことを引き合いに出され、大人しく引き下がったのだった。


 

 そして、次の日の朝。

 界斗は早くに目を覚まし、あの少女の様子を覗いてみたが、未だに目を覚ましてはいなかった。少女が眠るベッドの傍ら、寝ずの番をしていたマリアが椅子に座り、眠そうな眼を擦っている。

 界斗は、マリアに「ここは自分が変わります」と申し出るが、マリアは強情にその場所を離れようとしない。界斗も負けじと食いついていると、やがて、マリアも折れ、「何かあったら、直ぐに呼んでね」とだけ言い残し、疲れた様子で部屋を出て行った。


 部屋に界斗と眠る少女だけが残される。

 変わるとは言ったが、よく考えると、何をしていいのかも分からない。

 とりあえず、様子を見ていればいいと思い、何気なしに少女の顔を見た。

 彼女の年齢は、少し下くらいであろうか。丸い頬がそのイメージを強くさせている。

 そして、気が付いたのだが、彼女の耳は普通の人に比べ、非常に長かった。二倍はあるであろうそれは、先端が三角形状に尖っていた。

 そんな耳を、界斗どこかで見たことがある気がした。

 なんて言っただろうか。そう考え、思わずまじまじと見つめてしまう。


 「なに? そんなにその子が気になるの?」


 だからだろう。背後から掛けれた声に飛び上がってしまう。

 振り返るとマリアが両手に、湯気が立つカップを持って立っていた。

 別に変な事を考えていた訳ではないが、疚しいところ見られた気がして、居心地が悪かった。


 「べべ、別にそんなわけじゃ……」

 「本当かなぁ? その子結構かわいい顔してるからねぇ。でも、そんな事してると、アオが悲しむわよ」


 何故そこでアオの名が、とは思ったが変にツッコまないでおいた。

 界斗は、マリアからカップを受け取ると、湯気を上げる蒼い液体を見つめながら言った。

 

 「休んだんじゃなかったんですか?」

 「お客さん一人に任せて眠るわけにはいかないじゃない。でも、私も眠かったしね、せめて、お茶でも淹れようと思って」


 そう言ってカップを掲げて見せる。湯気がゆらゆらと天井へと上っていた。


 「すいません、もしかして余計なお世話でしたか?」


 界斗は心配になり、恐る恐る窺ってみる。

 マリアはその感情を感じ取ったのか、笑顔で否定してくれた。


 「いいのよ、私一人だと眠っちゃいそうだったしね」


 マリアはそう言うと、部屋の隅からもう一つの椅子を持ってくる。それを界斗の隣に置くと、お茶を溢さないように気を付けながら座った。

 そうして、二人は何も言わず、ゆっくりとお茶を啜った。

 熱さと香りがぼんやりとしていた意識を覚醒させてくれる。二人は示し合わせたかのように、同時に息を吐くと、それっきり、部屋は静けさに包まれたのだった。

 段々と陽が上り、窓から差し込む光が強くなってゆくのが分かる。

 その光に照らされた少女は、眩しそうにするわけでもなく、ただ眠り続けている。


 彼女は何者なのだろう。

 界斗がそう思い、少女を見ていると、不意にマリアが口を開いた。


 「界斗くんがここに来た時もお驚いたけど……まさか、また家にお客さんが来るなんてね」


 マリアは可笑しそうに呟いた。


 普段から長閑なノシナでは、外から人が来ることも珍しいことだ。

 なのにも関わらず、短期間に二人も現れた。

 これは、マリアにも初めての経験であった。しかも、その一人が年端もいかなそうな少女であるから、さらに驚いた。


 「どこから来たんでしょうか。こんな小さな子が一人でいるなんて」


 界斗は抱いていた疑問をそのまま口に出す。


 「さあねぇ、親御さんとはぐれちゃったんじゃないかしら。辺鄙な場所にある村と言えど、迷い込む人がいないわけでもないらしいしねぇ」


 そう言って、マリアはからかう様な視線を界斗に向ける。

 界斗は、それに気が付かないフリをして、静かにお茶を啜った。

 その様子が面白かったらしく、マリアはカラカラと笑いながら、話を続けた。


 「でも、ここ最近、本当に色々起きるわねえ。外からお客さんは来るし、来たと思ったら大怪我してくるし、かと思ったら、またお客さんが来るし」


 退屈しないわね。

 マリアは静かに、そう思った。


 「なんか……すいません」

 

 しかし、お世話になっている界斗にとっては、耳の痛くなるような話だった。

 本当にこっちに来てからは、マリアにお世話になりっぱなしなのだ。怪我の治療だけではない、衣食住まで提供してもらっている。彼女なしでは、ありえない事だっただろう。

 だからこそ、俯いた界斗の口から、そんな言葉が漏れてしまう。


 「なんで謝るのよ。迷惑なんて言ってないじゃない。寧ろ、お礼を言いたいくらいよ」

 「えっ?」


 だが、その言葉を咎めるようにマリアは言った。

 思わず界斗も顔を上げる。

 見ると、マリアはどこか遠いところを見つめていて、その表情は優しさと慈愛のようなものが入り混じって見えた。

 マリアは界斗を見ることなく、一度お茶を啜ると、ポツリポツリと話し始めた。


 「ここって子供が少ないじゃない? アオとケイくんとマイちゃんの三人だけかしら」


 界斗は驚いた。

 子供を見ないと思ってはいたが、まさかあの三人だけだったとは。

 

 「だからあの子、なーんか、いつもつまらなそうしてたのよね。ケイくんとマイちゃんがいるって言ったって、あの二人とは年が離れてたから」


 つまらなそうにしているアオ。

 アオに振り回されてばかりいる界斗には、想像ができなかった。


 「そこに貴方が来た」

 

 界斗は驚いてマリアの顔を見たが、マリアはそのまま続けた。

 

 「アオも言ってたわ。『初めて同年代の友達ができた』って。本当に嬉しそうだった」


 そう言われ、界斗は何だか気恥ずかしくなった。

 誰かにそんな風に言われるのが初めてで、でも、それが凄く嬉しくて、むず痒くて堪らかった。お茶の水面に映る自分に、そのような価値があるだなんて、今まで思ったことも無かったからだ。


 「だからでしょうね。馬鹿みたいに貴方を連れて回ったり、逆について行ったり。接し方が分からないのよ。だから、貴方にも色々と迷惑を掛けたかもしれない。」

 

 界斗はその言葉を直ぐに否定した。

 でないと、あの時間も、あの笑顔も、全てを否定してしまう気がして。


 「そんなことないです! 迷惑とかそんな……そんな事、一度も考えてません」

 「……そう?」

 「そうです。寧ろ、俺もアオと一緒で……その、凄く楽しかったです。確かに怪我とかはしましたけど、他所から来た俺を初めに受け入れてくれたのは彼女ですし、それに、彼女が居なければ俺は……」

 

 『今頃、ここにはいない。』


 そう言おうとして、急に恐ろしくなった。言葉にするだけの事なのに、化け物たちの瞳が否応なしに思い出され、言葉に詰まってしまう。

 しかし、言葉に出さなくともマリアは察してくれた。

 優しく微笑むと、「……なら、良かった」と言って、それ以上は何も言わなかった。


 再び、静けさが訪れる。

 その静けさの中、次に口を開いたのは界斗だった。

 一つ、マリアに確認しなければならないことがあったからだ。


 「あの、マリアさん」

 「……何かしら」


 優しい声。

 そのおかげで、界斗も落ち着いて話すことができる。


 「その、一つ聞いていいですか? アオの事で……」

 「アオの事?」

 

 界斗が聞きたい事。

 それは、紛れもなくアオのもう一つの顔の事だった。

 正直に言うと、聞くのが怖い。

 マリアに限って無いかもしれないが、もしこの質問の所為で、アオが傷つくことがあれば。そう思うと、口に出すことさえ躊躇われた。

 だが、それでも確認しておきたかった。お世話になっているマリアに対し、隠し事をしていることが申し訳なかったからだ。 


 「はい、なんというか、マリアさんは知っているのかなって。アオが隠していることと言うか。その、人に言えない事と言うか……」

 「……」


 マリアは何も言わなかった。黙ってどこかを見つめたままである。

 それが界斗を焦らせた。

 聞くのは間違いだっただろうか、でも、既に聞いてしまった。後戻りはできない。

 何か言葉を続けようとも、上手く言葉が思い浮かばない。

 重い空気が界斗の口を鈍らせる。

 そんな永遠に思えた時間の中で、口を開いたのはマリアの方であった。

 ポツリと言葉を漏らす。

 

 「……そっか、界斗くんは知ってるんだね。アオから聞いたの?」

 「は、はい。聞いたというか、直接見たというか……」

 「……」


 部屋を包む空気がなお一層重くなる。

 酸素さえ薄くなっている気がして、界斗は息苦しくなってくる。


 「じゃあ、もう隠すことないわよね」


 界斗は唾を飲みこんだ。

 待ち受ける言葉に、今更怖くなってきているのだ。

 

 「正直、あんまり言いたくはなかったんだけど」

 

 無意識に膝の上で手を握りしめていた。

 どうやら、界斗は緊張してしまっているらしい。ただ、事実確認を行うだけなのに、掌はびっしょりだった。

 

 「事実は事実だものね」

 

 マリアが寂し気に笑う。

 何故かそれを、界斗には自身を笑っているかのように思えた。


 「そう、アオは――」

 

 界斗は覚悟を決め、目を瞑ると、一言も聞き逃すことがないよう耳に全神経を集中させた。

 その時、一瞬だけ、闇の中に彼女の笑顔が見えた気がした。 

 



 「――私の本当の娘ではないの」

 「……えっ」


 予想外の言葉に、界斗の口から思わず、間の抜けた声が漏れる。

 てっきり界斗は「アオは龍だったの」と言われると思い、覚悟していたのだが、違う答えが返ってきたことにより、完全に困惑してしまっていた。

 それでも、考えればすぐに納得できることでもあった。

 アオは龍、マリアは人間。マリアに角の一つでも生えていれば疑いもするが、その事実は明白であった。

 

 「あら、違ったかしら? でも、まぁいいわ。いつかは気づいたと思うし……」

 

 困惑した表情で固まった界斗に、マリアは落ち着いた様子でそう言うと、また遠い目をして、外の景色を見つめた。

 その表情は、やはりどこか寂し気であった。


 「あの子はね、昔、それこそ赤ん坊だった頃、私の家に預けられたの」

 「預けられたって……誰にですか?」


 龍の赤ん坊を預ける人物。

 最早、人間なのかも疑わしいが、どんな人物なのかまるで想像がつかなかった。


 「……私にもよく分からなかったわ。ただ、フードを目深に被った女で、声からして若いって事は分かったけど、それ以上は。でも、確か自分のことを『魔法使い』だって言ってたわね」

 「『魔法使い』? 魔法使いって、あの魔法使い……ですか?」


 『魔法使い』。

 そんなファンタジー小説に出て来るような言葉に、界斗は困惑するしかなかった。

 だが同時に真実なのだろうと、理解した。この世界ではきっと、それがあり得るのだろうから。


 「どの魔法使いかは知らないけどね。でも、その女言ったわ。『どうかその子を大切にしてあげてください』って。全く、勝手な話よね」

 

 小さな赤ん坊のアオを想像する。

 きっと、角が生えていたり尻尾が生えていたりと、普通の赤ん坊とは大きく相違していて、そんなアオを預けられたマリアはさぞかし困惑したことであろう。


 「そうして女は消えたわ。唐突に、まるで魔法を使ったみたいに。……ううん、今思うと、本当に魔法ってやつを使ったのかもしれないわね」


 赤ん坊と残されたマリアは、何を思ったのだろうか。

 アオに、どんな感情を抱いたのだろうか。


 「そこからは本当に大変だったわ。だって私、子供なんて育てた経験なんて無かったもの。そんな相手もいなかったしね。どうにか、お母さんにも、村の人たちにも協力してもらって、今の今まで育ててきたの」


 お母さんとは、あの老婆の事だろう。当時のマリアの年齢は分からないが、子供一人育てるのは大変な事であろうと界斗にも解った。それを続けられたマリアを、界斗は素直に凄いと感じた。


 「だから、私の青春は全部あの子に捧げたの。あの子の為になんだってしたわ。まあ、頼りないお母さんだったかもしれないけど……」


 そんな事は無いです。マリアさんはアオの立派なお母さんですよ。

 そう界斗は言おうとして、ふと違和感を覚えた。

 今、自分は大きな見落としをしているのではないかと言う不安感。何かが抜け落ちてしまったかのような感覚。


 「あ」


 それの正体に、直ぐに気が付いた。


 「あの、その、もう一つ聞いていいですか」

 「何かしら?」

 「えーと……」


 恐る恐ると言う感じで聞いてみる。

 これが合っていれば、界斗の心配が全て無駄になるのだが――。


 「もしかして、アオがなんかこう、人間じゃない的な奴って……知ってました?」


 普通なら、ここで驚くか、笑い飛ばずなりの反応が返ってくるだろう。

 しかし、マリアの反応は至って落ち着いたものであった。


 「え、何、龍だってこと? 当たり前じゃない。赤ん坊のころから面倒見てるんだから。ちなみに村の人全員知ってるわよ。まあ、本人は隠し通してるつもりみたいだけど」


 全て無駄であった。

 界斗の肩から一気に力が抜け、自然と口からは大きなため息が漏れた。

 その様子にマリアが「あれ、そう言えば界斗くんも知ってたんだ」と抜けた様子で言った。血のつながりはないと言えど、その反応はアオとそっくりだった。


 「最近来たばかりの界斗くんもしってるだなんて。本人から聞いたの?」

 「その、バッチリ見ちゃいました。龍に変わってるとこ」

 「それは……まあ、あの子らしいわね」


 マリアは呆れた様子で溜息を吐いていたが、寂しそうだった雰囲気は消え、今ではどこか嬉しそうにしている。

 娘の事を喜ぶ母親。そんな顔をしている。


 「でも、知っていてくれて逆に幸運だったと思うわ」

 「……何でです?」

 「そのおかげで、あの子も素直に接しられている部分もあると思うしね。界斗くんも、人の秘密をベラベラと喋る人ではないみたいだし」


 そうして、マリアは最後に「隠し事は苦手みたいだけど」と付け加えてから、すっかり冷たくなってしまったお茶を啜った。

 体を動かしたわけでもなしに、すっかり疲れ切った界斗は、自嘲気味に笑うしかなかった。


 「一応、外から来る人には秘密にしてるのよ。面倒な事になったら大変だし。あ、あとケイくん達二人も知らないわね」

 「……初めに聞いた俺が言うのもアレなんですけど、そんな事を外から来た人が眠ってる横で話してていいんですかね?」

 「……それもそうね」


 言った界斗本人も忘れていたのだ。

 今、二人のすぐ傍では、村の外から来た女少女が眠っている。

 幸いにも目を覚ました様子は無いが、このまま話を続けていいわけでもなかった。

 

 「話に夢中になるのも程ほどにしないとね。それに――」


 マリアがそう言い、背後の扉を見ると、その向こうから落ち着きのない足音共に、騒がしい声が聞こえてくるのが分かった。


 『あれー? カイトー! どこだー! まさか、一人で遊びに言ったのかー! ずるいぞ、私も誘えよ―!』


 その声に、マリアはからかう様な視線を界斗に向けた。


 「だ、そうですよ、界斗くん」

 「は、ははは……」


 朝から元気な彼女に、最早、笑うしかなかった。


 「――と、言う訳で、話の続きはまた後でね。朝ごはんにしようか。煩い娘も起きたわけだし」


 マリアは椅子から立ち上がると、界斗から空のカップを受け取ってから部屋を出て行った。

 界斗もそれに続き、少女が眠る部屋を後にした。

 どうか、今の話を聞かれていませんように。

 そう、祈りながら。



…………… 


 

 「遅いよカイト兄ちゃーん!」

 「そんなんじゃ一生追い付かないぞー!」


 天気は快晴。雲一つない空は、目が痛くなるくらいに蒼い。

 その下で子供たちが駆け回り、元気な声を上げている。

 まさに爽やかで、健全と言った感じの風景だったが、そこに一人だけ異物が混ざりこんでいた。


 「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」


 それは額から汗を滝のように流しており、乱れた呼吸は聞くに堪えなかった。

 

 「……遅いねー」


 厭味ったらしい表情を浮かべた少女が、直ぐ傍を走り抜ける。

 嫌味を言うためだけに近づいたかと思うと、無性に腹立った。

 少女に追い付くためにも必死に脚を動かしている様子であったが、既に限界らしく、プルプルと震え始めるのだった。



 鬼ごっこ。

 その遊びに時代も年齢も関係なく、等しく平等に愛されている。

 それは、たとえ世界の違いであっても同じようで、まるで本能に刻まれているかのようにそれを行った。


 界斗達も先人達に習い走り回っていた。

 太陽の光を浴び、風を受け、追いかけ、追いかけられる。

 そんな爽やかさ満点の遊びで、界斗は苦しんでいた。

 アオとケイとマイ。他の三人はまだまだ余裕そうだ。だが、その中で一人、界斗だけは息も絶え絶えにして、喘いでいる。


 界斗は振り返ってみる。

 始める前は良かったのだ。

 ケイとマイもいるし大したことはないであろう、とたかをくくった界斗は、喜んで遊びの誘いを受けた。

 だが、いざ始まってみると、子供たちの素早い動きに直ぐに捉えられてしまう。何とか、他の子に追い付いても、直ぐにやり返され、次第に鬼である時間が長くなっていく。

 そうして気が付いたら、界斗は常に鬼として走り続けなければいけない状態になっていた。

 

 作為的なものではと考えたが、一名を除いてその様子も感じない。ただ、純粋に近くにいた人を追いかけているだけだ。

 ならば、界斗は走り続けるしかないのであった。



 「ちょ、待って、きゅ、休憩させて……!」


 界斗は必死にの思いで叫んだ。

 このままではいつ倒れても不思議ではなかった。

 それくらいに足は疲れ切り、限界を訴えかけていたのだ。

 少しは自分にも体力が付いたと自負していたが、まだまだ彼女らに遠く及ばないらしかった。


 「えー、もうー」

 「早いよ兄ちゃーん」

 「だらしなーい」


 各々が好き勝手に文句を言ってくるが、そんなのはもう関係なかった。

 どこでもいいから、今すぐ倒れこみたい。界斗はそんな思いだった。


 「ったく、仕方ないなー。三人でやっておっか」

 「そうだねー」

 「……うん」


 三人は界斗おいて走り出すと、直ぐにも鬼ごっこを再開していた。

 何と言う体力。

 界斗はひたすらに感心するばかりで、ついて行ける気がしなかった。


 界斗は三人からは離れた場所で立ち止まると、そのまま仰向けに倒れこんだ。

 疲れ切った体に、背中に伝わる草の感触が存外心地よい。頬撫でる風も優しく、目を瞑れば眠ってしまいそうであった。

 

 「お疲れさま。今日も暑いねぇ」

 

 不意に現れた影が界斗の顔を包む。

 界斗が視線を上に向けると、手にお盆を持ったマリアがこちらを見下ろしていた。

 

 「どしたの? こんなところでふて寝しちゃって」

 「違いますよ。ちょっと休憩中です」


 界斗がそう言い返すと、マリアは笑みを湛えながらすぐ横に腰を下ろした。


 「はい、差し入れ」


 そう言ってマリアは、倒れこむ界斗の眼前にカップを差し出した。

 勿論、そのままの状態で飲めるはずもなく、界斗は状態を起こすと、コップを受け取り、勢いよく呷った。

 冷たい感覚が喉を通り、熱が籠った体にはこれ以上ないご褒美であった。

 界斗はコップをお盆に置きながらお礼を言うと、マリアは何も言わずに優しく微笑んだ。


 「そう言えば、あの子はもういいんですか?」

 

 眠る少女を思い出し聞いてみるが、マリアは、


 「いいのいいの。なんか目覚める気配もないしね。あのまま部屋に籠ってたら、私の方が不健康になるってもんさ」


 そう、さらっと言って見せるのだった。

 マリアのそんな様子に、界斗は今更驚きもしなかったが、少し心配になった。

 目が覚めて知らない場所に居た時の不安感は、界斗も知っていたからだ。

 

 「あー、カイトだけずるーい。私にも頂戴よ」

 

 偶然、目の前を通りかかったアオがそんな声を上げた。

 勿論、お茶は界斗の分だけではなく、人数分が用意されている。アオが焦らなくとも全員に行き渡るようになっているのだ。

 

 「アンタの分もあるから、焦るんじゃないよ」

 

 呆れたようにマリアはコップを差し出すと、それをアオは奪うようにして呷った。お茶を飲み込む活きのいい音が喉から聞こえてくる。

 そのまま一気に飲み干すとアオは一言、

 

 「ありがとっ、マリアさん」


 とだけ言って、また鬼ごっこに戻っていた。

 それをマリアはどこか寂しそうな表情で見送っていた。

 その表情の理由を界斗もなんとなく理解できたが、何も言わなかった。


 界斗とマリアはしばらくの間、はしゃぐ三人を眺めていた。

 すると、マリアがまるで自分に言い聞かせるかのような小さな声で話し始めた。そこに普段のような明るさはなく、一人の孤独な女性のものだった。


 「変でしょう? 自分の母親を『マリアさん』なんて呼ぶなんて」


 マリアが寂し気に囁く。

 それは界斗が初めてこの家に来た時から感じていた違和感でもあった。

 親子の筈なのに、一向に『お母さん』や『ママ』と言う言葉を聞かない。どこか距離があって、明確な何かを感じさせる。


 「あの子も始めは私を『お母さん』て、呼んでくれていたの。私も戸惑いはしたわ。でも、そんな気持ちもすぐに消えた。あの子を育て、あの子がそう呼んでくれる度に、私は確かにあの子の『お母さん』になっていったの」


 子を持つ親の気持ちは、界斗にはまだ分からなかった。

 だが、マリアがアオに向ける優しさは、確かに本物であると界斗にも分かる。


 「でも、十歳になった頃だったかしらね。あの子が自分と、他の人との違いに疑問を持ち始めたの。どうしてあの人には角が生えてないの? どうしてあの人の歯は尖っていないの、って」


 思春期を迎えた子供は、他者との違いに敏感になるものなのだろうか。

 どうであれ、その時のアオはそれに気が付いてしまい、疑問に思ってしまった。


 「いつかはその時が来ると思ってはいたわ。でも、なんて言ってあげればいいのか、私には分からなかった。ただ、抱きしめてあげることしかできなかった……」


 マリアは悔し気に囁く。

 胸を押さえ、後悔の表情を浮かべて苦しんでいる。


 「あの子ってね。ああ見えて時々、凄い感のいい時があるの。だから、気が付いちゃったんでしょうね。自分が本当の娘じゃないんだってこと」


 声が震えていた。

 でも、界斗にはどうすることもできない。

 ただ、静かに聞き続けることしか。


 「今でも覚えてるわ。あの子ね、私の頭や顔を見て悲しい顔をするの。そうして、何かを我慢するみたいに俯いて……」


 聞いているだけでも辛いのに、当の本人たちの苦しみや悲しみはどれ程のものだったのだろうか。界斗の想像力では、はかることはできない。


 「私も言ってあげたわ。『間違いなく、貴方は私の娘よ』って。でも、あの子、悲しそうな顔をしたの。まだ十歳の子供よ。なのに私の嘘を見抜いていたの」


 成長していくにつれ、自分の体が人と相違していく。日に日に変わりゆく自分の体に、アオは一人苦しんでいたのだ。


 「そして、ある日を境に、あの子は私を『お母さん』とは言わなくなった。言い直すようにも言ったけど……あの子は聞く耳を持たなかったわ」


 アオが『お母さん』と呼ばなくなった理由。

 それを知ることができれば、きっと、アオにもっと近づける気がした。


 「いつか本当の『お母さん』ってやつに会わせてあげたいわね。でも、まあ、どこにいるかも分かんないけど」

 

 そこまで言うと、マリアは俯き、押し黙っていしまう。

 界斗もかける言葉を失ってしまった。

 

 何処からか、虫の鳴く声が聞こえてくる。先ほどまで聞こえていたアオ達の声もどこか遠く離れて行ってしまったみたいだ。

 隣にいるマリアも、今は酷く小さく、弱弱しく見えた。


 「……ごめんね、変な事言って。こんな事、貴方に話しても仕方がないのに。でも、お願い。あの子とは仲良くしてあげて。それはきっと、私にはできない事だから」

 

 マリアが静かにそう言って立ち上がると、昼食を作るからと言って、歩き出す。

 

 「そんなこと……」


 ないです、と言う界斗の言葉も離れゆくマリアの背中には届かなかった。

 話を聞いてしまった界斗の胸には様々な思いが入り混じり、言葉に言い表せない感情がぐるぐると蠢いている。

 それが堪らなく不快で、界斗は胸を抑え込んだ。


 (俺に、俺に何かできること。あるのだろうか。本当に、そんな事が)


 界斗は自分の手を見つめてみる。

 見慣れた手の平がいつも通りにそこにはあったが、あまりにも小さく、頼りなく見えた。


 (なんでもいい。何かをしたい。二人の為に、何かを)


 界斗は胸の奥から湧き上がる謎の使命感に駆られていた。

 目を瞑り、考える。

 何も浮かんでは来なかったが、何もしていないより気分はマシだった。




 しかし、直後、聞こえて来た短い悲鳴にそれも強制的に中断させられてしまう。


 アオ達に何かあったのではないかと思い、界斗は目を開け、顔を上げた。

 瞬間、視界に飛び込んできた光景を直ぐに処理することが出来なかった。


 悲鳴を上げたのはマイだろう。声からもそれが分かる。

 俯せの状態になっていることから、マイが何かの拍子で転んでしまったことも分かった。

 

 だが、一つだけおかしい点があった。

 目を疑いたくなったが、それは誰から見ても明白で、紛れもない事実であった。

 

 ――マイが宙に浮いている。


 アオもケイも信じられないものを見る目でマイを見つめている。マイ本人も驚いた様子で、ただ何かに体を任せている。

 その何か。まるで透明のクッションのようなものがマイの体を支え、宙に保っている。界斗にはまるで理解できたかった。


 その時、風が強くなった気がした――。


 「ふふ、どうやら怪我はないみたいね」


 不意に背後で声がする。どこか幼さが抜けない高い声。

 界斗が振り返ると、そこには長いコートのようなものを着た背の低い人物がこちらに向かって、ゆっくりと歩いていた。

 フードで表情は読めないが、その服装からその人物が誰なのかは直ぐに分かった。


 「あ、貴方は――」

 

 それでも問いかけずにはいられなかった。

 その全身を纏う雰囲気が、吹き荒れる風が、異様な光景として、界斗の視界を彩っていく。


 「私? そうね、私はただの――」


 問いかけに彼女が口を開く。

 同時に風が吹き荒れ、フードを捲り上げた。

 彼女の不敵な笑みが露わになり、特徴的な耳が天へと向いている。


 「――通りすがりの『魔法使い』よ」


 彼女はそう言って、風と共に笑った。

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