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彼の平凡なるが幸せな日常

 彼は巨大な竜と対峙をしていた。

 彼の手には、身の丈ほどの大剣が握られており、彼はそれを軽々と片手で持って見せている。その姿からは戦いへの慣れを感じさせた。

 目の前で威嚇するかのように大きく翼を広げさせた龍は、瞳をギラギラと輝かせ、低いうなり声をあげながら彼を睨んでいる。全身から肌が痺れるほどの殺気を溢れ出させており、今にも飛びかかってきそうであった。

 彼と龍の間に緊張した空気が流れる。思わず唾を飲み込む。

 風が唸り、周りを囲む木々たちを騒めかせた。


 「――――――!!!」


 すると突然、永遠のように感じられた時間を龍の咆哮が切り裂いた。翼を大きく広げ、武器を構えた彼へと飛びかかった。

 対する彼は大剣の重さを感じさせない身軽な動作でそれを避けて見せる。龍の体がすく横の空間を切り裂き、鋭い爪が頭を掠めた。

 彼は、地面を転がり、土ぼこりを起こしながらも大勢を立て直し、すぐに龍へと体を向けた。何度もそうしてきたのだろう。流れるような動作であった。

 龍は今こちらに背を向けている。この隙を逃す理由はなかった。

 彼はすぐさま大剣を振りかぶる。

 足を地面に食い込むほどに力強く踏み込み、腕に渾身の力を込めた。

 攻撃を外した龍は、直ぐに二度目の攻撃を行おうとする。


 しかし、もう遅い。

 天へと伸びた剣先は、赤い龍を目がけ、その重い体を飛びかからせ――――



 「はーい、伊瀬くーん。失礼するねー」

 

 今にも大剣が龍に振り下ろされようとしたとき、突然現れた皺の目立つ手で龍が隠された。


 「流石に授業中にゲームはねー」


 彼――――伊瀬界斗(いせ かいと)の口から漏れた「あっ」という言葉を合図にするかのように、界斗の手からゲーム機が消える。

 顔を上げると、そこには苦笑いを浮かべる担任の谷内の姿があった。表情からは疲れが滲み出ており、実年齢よりも何歳も老けて見える。

 手では、先ほどまで激戦を繰り広げていた男が龍に敗れた様子が映し出されていた。

 谷内は二つ折りできるタイプであるゲーム機をパタンと閉じると「ごめんねー、気づいちゃったもんだからさ」と言って申し訳なさそうにこちらを見下ろした。

 界斗も「す、すいません……」と、謝るほかなかった。注意する側にそんな顔をされては、反抗する気も湧かなかった。元々そのような質でもないが。


 「とりあえず、これは預かっとくから。放課後にでも取りに来てよ」


 そう言って谷内はゲーム機を持って教壇へと戻って行った。特徴的なパーマ髪が揺れる。

 界斗は何も言えずに谷内の背中を見送る。

 そうして、馬鹿にしたようなにやけ顔を貼りつかせる腐れ縁の視線を無視しつつも、心の中で谷内へもう一度謝罪し、愛しのゲーム機との暫しの別れを惜しんだ。

 谷内は教壇の下へと戻ると、何事もなかったかのように授業を再開した。再び、教室中に眠気を誘うボンヤリとした声が聞こえ始める。静かに授業を受けるクラスメイト達は皆一様に眠そうだ。

 谷内は、よく言って優しい、悪く言って気弱な教師で、生徒には慕われているのだが、授業が恐ろしいほどに眠気を誘うのが玉に瑕だった。本人はそれを気にしているらしい。

 しかし、注意された手前居眠りするわけにもいかない。

 幸いにもこれが本日最後の授業だ。

 界斗は早くも迫ってきた眠気に耐えながら、教科書を広げ、真面目に授業を受け始めた。


                ・


 「失礼します」


 界斗がそう言って、職員室の扉を閉める。扉が閉まる音とともに二つの世界が隔絶される。

 どうにも職員室の空気には慣れない。鳴り響くキーボードを叩く音が、漂うコーヒーの香りがまるで異世界のように感じさせる。漫画や小説にお馴染みの異世界がこんなものでは、ロマンも何もない。身近なことだけは評価できるが。

 ともかく、ブツは手に入れた。

 制服のポケットの上から、ゲーム機の感触を確かめ、人心地ついた。

 そうして、扉の前に置いておいたカバンを拾い上げ、職員室から離れようとする。少しでも早く離れたかった。自然と早足になる。


 と、すぐ傍に設置された淡水魚の水槽を覗く一人の女子生徒の姿があった。

 やがて、こちらに気が付くと、からかうような笑みを浮かべ、敬礼のポーズをして見せる。

 その顔を見間違うことはない。先ほど、こちらに向かってにやけ顔を向けてきた腐れ縁である。


 「お勤めご苦労様であります! シャバの空気はいかがでありますか?」

 「なんだよお勤めって。ちょっと職員室に入ってただけだろ」

 

 女子生徒――――天野未來(あまの みらい)は、「へへへ」とおどけて見せる。

 界斗は彼女の横を通り抜けるようにして、正面玄関へと歩き出す。その横に未來も続いた。 


 「ダメじゃん。ちゃんとばれないようにやらなきゃ」


 そういう問題なのか。


 「これが数学の和田だったら、それは帰ってこなかったと思っていいよ」


 そう言って未來がゲーム機が入ったポケットをビシッと音が鳴りそうな勢いで指をさす。


 「うっ」


 思わず守るかのようにポケットを手で覆う。

 界斗は、これが失われるのを想像して、寒気を覚えた。ゲーム機の値段は学生にしてみれば大金だ。もう一つ買うとしても容易なことではない。アルバイトも何もしていない彼にとっては尚更だった。


 「これに懲りたなら、もうやらないことだな」


 未來が演技掛かった声で言って見せる。

 悔しいが正論であった。

 「はい、反省」と言って未來が差し出した掌に、界斗が同じように「反省」と言って掌を乗せる。その様子を見て未來は「良しっ」と、満足そうに笑った。

 

 界斗と未來は腐れ縁。いわゆる幼馴染というものであった。

 偶然にも同じ町、同じ年に生まれ、偶然にも家が隣り合い、偶然にも気が合った。そんなこともあって今の今まで一緒に育ち、こうして同じ高校にも通っていた。


 「ねえ、界斗。ちょっと買い物付き合ってよ」


 下足に履き替えながら、未來が言った。


 「んー、……別にいいけど」


 界斗も下駄箱から靴を取り出しながら答える。

 正直に言って、今日は真っ直ぐ帰りたい気分ではあったが、そんなことを言っても却下されるのが結果に見えている。

 昔からそんな感じだった。どんな理由をつけようとも未來様が絶対であり、下僕の意見などは検討の価値もないのである。

 自宅での趣味の時間を諦め、界斗は素直に従った。


 「やった、よーしいこいこ」


 未來が急かすように正面入り口の扉を開いた。

 二人が外に出ると生暖かい風が全身を包む。もうすぐ夕刻になろうとする時刻であったが、未だに陽が高く上っている。放たれる光が容赦なく降り注ぐ。

 そろそろ長袖では辛い季節になってきた。

 上着を脱ぎ捨てたい衝動を抑えながら、隣を歩く未來を見る。

 彼女は楽しそうな表情で笑みを浮かべている。思うと、彼女はいつもこんな顔をしているような気がした。だからだろうか、彼女の周りには自然と人が集まった。いつもつまらなそうな表情をしている界斗とは、正反対である。


 「とりあえず繁華街まで行こうよ。あそこら辺なら見てるだけでも楽しいし」


 界斗はその提案に頷き、二人は繁華街を目指して歩き始めた。

 


 それから繁華街に着いた二人は、当てもなく辺りの店を見て歩いた。

 書店、土産店、ブティック。果ては、怪しげなアンティークショップまで。

 未來は何かを買うわけでもなく、気になるものを手に取ってみては、こちらに反応を求めてきた。その度に界斗が適当に答えると、未來が不満げな顔をして文句を言ってくる。

 界斗が何を買う気で来たのかと尋ねても、未來は曖昧な答えしか返さない。

 本当は買う気なんてないのだろう。お金のない二人にはいつものことだった。

 しかし、こうして見て回るだけでも暇を潰せるものだ。

 それを繰り返し、行ったことのある店はあらかた冷かし尽くしただろうか。いい加減歩き疲れ、帰ることを提案しようとした頃。


 界斗はそれを見つけた。

 ビルの陰、通りから少し外れた細道。そこにポツンと一つ、隠れるかのように広げられた一軒の露店。

 それはまるで界斗を待っていたかのように突然現れた――ような気さえした。

 界斗は魔法にかかったかのように細道へと入っていく。

 そうして、店の前で立ち止まった。

 深く帽子を被った店主がビニールシートの上に商品を並べ、怪しげな雰囲気で佇んでいる。体格から男性だと思われるが、人相は帽子の陰に隠れて見えない。気が付いていないのか、気が付いていて無視しているのか、そのどちらかは解らないが、店主は界斗が店の前に立っているのにも関わらず、微動だにせず、その場で俯いていた。

 何故か界斗は、そんないかにもな露店を不思議と気になった。

 普段なら、こういうものには近づこうとはしない。

 得体のしれないものには恐怖を感じるし、気味の悪いモノには嫌悪感を抱く。そんな当たり前の感覚を界斗は持っている。

 でも、それでも、近寄らずにはいられなかった。見ずにはいられなかった。関わらずにはいられなかった。


 見ると、並べられた商品にはアクセサリー類などが多く、中には用途が解らないようなものまであった。

 何故か商品には値札が付けられておらず、値段を知ることができない。 

 界斗は、無言で商品を眺め続ける。端から順々に。見落とすことのないように。

 すると、やがて視線が吸い込まれるように一つのアクセサリーに目が留まった。

 それは龍の形を模したペンダントだった。二頭の龍が背を向けあうようにして翼を広げている。

 素材は何だろうか。蒼く半透明で、滑らかな表面は光を反射させている。

 宝石などには詳しくはないが、美しく確かな存在感を放つそれは、プラスチックのように安いモノには思えなかった。

 むしろ、宝石よりもずっと美しく、惹きこまれ、まるで別世界から来たような、そんな気さえする。


 「ちょっと界斗、黙っていなくならないでよ。びっくりしたでしょ」


 後ろから、未來の声がした。

 その声にハッとする。気が付かぬうちに夢中になっていたようだ。

 アクセサリーにこんなにも惹きこまれるなんて経験は初めてだった。

 自分の似合わなさにむず痒さを覚えた。


 「なになに露店? なんか欲しいモノでもあったの?」


 未來が横に立ち、同じように覗き込む。


 「わかった、これでしょ。界斗こういうの好きだもんねー」


 そう言って、龍のペンダントを指さして見せる。

 馬鹿にしたような言い方が少し気になったが、流石は腐れ縁。当たっていた。

 なんだか子供っぽいと言われているようで恥ずかしい。

 だから界斗は誤魔化すように言った。


 「いや、別に、少し気になっただけだよ。さあ、もう帰ろうぜ。いい加減歩き疲れたよ」


 そう言って、店主に向かって軽く頭を下げ、店から離れようとする。

 先ほどまで、あんなにも気になっていたのに、未來が来てから不思議とその気持ちは消えていた。

 確かに、良いモノだと思うし、お金さえあれば買ったかもしれない。

 未來にはああ言ったが、少しだけ名残惜しかった。

 そう界斗が帰るそぶりを見せるが、反して未來はその場から動かなかった。龍のペンダントを真剣に見つめている。

 界斗がどうしたのかと思って見ていると、


 「すいません、これいくらですか?」


 と言い出した。

 界斗は素直に驚いた。

 未來は以前から、界斗が龍やヒーローという「フィクション」の存在が好きなことを「子供っぽい」と馬鹿にしている節があったからだ。


 「ほう、お客さんお目が高いねえ」


 未來の言葉に店主が初めて反応らしい反応を見せる。低い声ではあったが、思いのほか若々しかった。

 店主は、ゆっくりと顔をあげる。

 そこには、疲労が滲み出た中年男性の顔があった。皺が目立ち、無精ひげを蓄えていたが、不思議と不潔な感じはせず、こちらを見つめる瞳からは、確かな意志と力強さを感じた。まるで、使命感に着き動かされているかのように。

 店主は、こんな日陰で露店をやっているのが似つかわしくないほどに、活力を身にまとった男であった。

 その店主が気さくに話を続ける。


 「これは特殊な素材で作られていてね。詳しくは言えないが、普通の店では扱っていないようなものだよ」


 「へぇー……」


 やはりそうか。

 界斗が感じたものは間違いではなかったのだ。

 界斗は一人、心の中で納得するように頷いた。


 「じゃあ、やっぱりお高いんですか?」


 未來が界斗も感じていた疑問を投げかける。

 店主は腕を組み、少し考えるようにしてから答えた。


 「うむ、高いか安いか。どちらと言われるなら、高いと言えるだろうね。でも……」


 「でも?」


 「実は店を開いてから全然お客さんが来なくてね、実は君たちが初めてのお客さんなんだ」


 こんな目立たない場所で開いていたら当たり前のことであった。

 しかしこの店主、はっきり値段を言えばいいものを妙に勿体ぶっている。


 「それで提案なんだが、初めてのお客さんの記念にこのペンダントをプレゼントさせていただけないだろうか」


 「本当!? ……ですか!?」


 予想外の提案に未來が目を輝かせる。

 願ってもいないが、本当にタダで貰っていいものなのだろうか。

 そんな考えを見抜いたかのように店主が言った。


 「ああ、いいんだ。あまりにもお客が来ないもんで、そろそろ店も閉じようと思っていたところなんだ。なら、誰かにあげた方がこいつらも嬉しいだろうと思ってね」


 そう言って、並べられた商品を見る。


 「でも流石にこんな高そうなものをタダで貰うって訳には……。少しだけでも払わせてください」


 未來は、カバンから財布を取り出そうとする。界斗も頭の中で現在の手持ちの数を計算していた。

 そんな二人に店主は、困ったような顔をして、手で制しながら言う。


 「いや、本当にいいんだよ。むしろこちらからお願いしたいんだ。これを貰ってやってくれないかい?」


 店主は龍のネックレスを持ち、二人の方へと差し出す。

 チェーンにぶら下がった龍は、ゆらゆらと揺れながら光を反射させ、美しく輝いている。


 「なあ、頼むよ」


 店主は、とうとう頭を深く下げ、頼み込んでくる。

 それを見て、二人はギョッとしたように目を見開いた。


 「ちょ、ちょっと! やめてくださいよ!」


 未來が慌てて止めようとするが、「いや、本当に貰ってほしいんだよ」と、店主は言って一歩も退こうとはしなかった。


 「ど、どうしよう界斗……」


 困惑した表情で二人は向き合う。

 年上の人にこんなにも懇願されるのは、二人とも初めての経験だった。

 界斗は居心地の悪さに頭を掻いた。


 「本当の本当に、貰ってもいいんですか? 別に俺たちはどうしてもそれが必要って訳ではないんですよ」


 「ああ、解ってる。それでも君たちに貰って欲しいんだ。本当の本当の……本当にさ」


 店主は頭を上げずに、一語一語を噛み締めるかのように言った。

 その言葉からは力強い意志を感じ、二人の胸へと深く入り込んでゆく。

 それが奥へと染み込んでゆくとともに、二人は耐えきれなくなり、観念することとなった。


 「流石にここまで言われちゃったらな……」

 「うん……」


 流石にこのまま頭を下げさせ続けるわけにもいかない。

 未來も渋々といった感じで了承した。


 「貰います! 貰いますから! お願いですから頭をあげてくださいぃ」


 未來が今にも泣きそうな悲痛な声で言う。

 その様子に、頭を上げた店主は申し訳なさそうに笑った。


 「はははっ、ごめんね、変な感じになってしまって」


 店主は「それでは」言い、姿勢を正して二人に向き直り、改めて言った。


 「これを君たちに贈らせてもらうよ。料金は要らない」

 「……はい」


 店主の真面目な雰囲気に、思わず未來も姿勢を正して答えた。


 「受け取ってくれ」


 店主はペンダントのチェーンの部分を持ち、未來の方へと差し出した。

 それを未來は両手の掌で受け取った。未來の掌で龍が蒼く煌めいていた。


 「綺麗……」


 未來はお礼を言うのも忘れ、龍を見つめていた。

 その反応を見て、店主は嬉しそうに微笑んでいた。


 「あ、ありがとうございます」


 界斗が店主に頭を下げる。

 未來もハッとして、遅れながらも頭を下げた。


 「礼なんていらないよ。これは僕の我儘だからね」


 そう言って店主は立ち上がり、背筋を伸ばして息を深く吐いた。


 「さて、そろそろ店じまいとするよ。陽も傾いてきたことだしね」


 見ると、空は橙色に染まり始め、遠くの喧騒が物寂しく響いていた。

 店主が商品を片付けようとすると、未來が焦った声で言った。


 「ちょっと待ってください! このままじゃ納得できないので、何か一つ買わせてください!」


 界斗も同じ気持ちであった。

 貰うだけ貰って帰るのは、気持ちがスッキリしない。


 「………………全く、困ったね」


 店主は呆れたように言う。しかし、その表情は心底嬉しそうでもあった。


 「じゃあこれなんかどうだい?」


 そう言って、取り出したのは、龍のペンダントに付いているものと同じチェーンであった。


 「実はそのペンダント二つに分けることができるんだ。チェーンを付ければ、二つのペンダントが出来上がるのさ」


 気が付かなかった。

 未來の手の中のペンダントをよく見てみると、二体の龍の間に丁度二つに別れるような隙間がある。


 「それください!」


 未來は迷わずに言った。


 「チェーンだけだから、これだけでいいよ」


 店主の言う値段は非常に安く、ペンダントには程遠いものに思えたが、これ以上話をややこしくするわけにもいかない。

 二人は料金を払い、店主からチェーンを受け取った。

 料金を受け取った店主は、小銭をポケットに入れ、テキパキと荷物をまとめ上げた。

 そうして、手に荷物を持つと二人向かって言った。


 「それでは僕はこれで。最後に君たちに会えて本当に良かったよ。この僕はもう会うことはないだろうけど、この事は忘れて、二人はいつもの通りを過ごしてくれ」

「こちらこそ、ありがとうございました。こんなものを貰ってしまって……」


 二人は礼を言って、頭を下げた。

 店主は静かに微笑むと、通りを目指して歩き出す。二人はその背中を黙って見つめていた。

 

 「あ、そうだ界斗くん」

 「は、はいっ!」


 店主は細道から出るというところで、突然立ち止まり、振り返らずに言った。

 突然の名指しに界斗は驚く。


 「これからいろいろあると思うけど……諦めずに頑張れよ」


 その声には優しさが含まれていた。

 界斗は言葉の真意が読めず、何も言うことができなかった。

 呆然とする二人を残して、店主は喧騒の中へと消えていく。

 残ったのは未來の手の中で輝くペンダントのみ。先ほどまで気にならなかった喧騒が、今はやけに煩く感じた。


 「なんか……変わった人だったね」

 「うん……」


 二人は静かに呟きあう。

 結局、最後まで不思議な人であった。

 


 

 夕日に照らされた道を二人は並んで歩く。

 まるで先ほどまで夢を見ていたかのような感覚に包まれ、何だか意識がフワフワとしていた。

 隣を歩く未來を見る。

 未來は、何かを考えているのか、難しい顔をして歩いている。

 そのやんごとなき雰囲気に話しかけづらい。自然と二人は無言で歩いていた。

 自宅までの歩きなれた道を進み続ける。今日はやけに長く感じた。

 やがて、あと十分で着くというところで、未來は決心したかのように「よしっ」と言うと、界斗の前に回り込み、二人は向かい合う形になる。  


 「な、なに?」


 界斗は歩みを止めずに言う。未來の異様な雰囲気に思わず身構えてしまう。

 未來は後ろ歩きをしながら、界斗の顔をしっかりと見据えてから言い出した。


 「ねえ、公園行かない? ちょっとだけでいいからさ」


 そうして、二人は道中にあるT字路を曲がり、思い出の公園を目指して歩き始めた。


 界斗達が目指す公園は、短い上り坂を超えた先にあった。 

 町を見渡すことのできる高台に位置し、二人は幼少期の多くをこの公園で過ごした。だから、この公園には多くの思い出があった。

 しかし、年を重ねるにつれ、ここに来ることも少なくなり、今では数か月に一度来る程度だった。


 「うーん、ここに来るのも久しぶりだね」


 未來は、公園を見渡しながら先を歩いている。

 後ろで界斗は、全身で夕日を受ける未來を見ていた。


 「うわー、綺麗。やっぱここからの景色は最高だね」


 二人は、公園を囲むように設置された手すりに掴まり、沈みゆく夕日に燃える町を見下ろした。どこからか人の声や車の音が聞こえてくる。

 界斗は、この風景にどこか違和感を覚えた。幼いころに比べ、ビルが増えたのか、人が増えたのか、それとも界斗自身が変わってしまったのか。

 懐かしい場所に来て感傷的になっているらしい。無性に寂しくなった。


 「界斗、こっち来て」

 「え、ちょっと、何さ?」


 未來が界斗の手を掴み、どこかへ引っ張ってゆく。

 界斗は転びそうになりながら、為すがままにされていた。


 「ここ、ここ入ろ」


 そう言って指さしたのは山の形の遊具だった。人が入れるほどの空洞があり、昔は界斗達も、そこに入って遊んだことがあった。

 この年齢になってから入るとは思いもしなかった。


 「痛いって、そんなに引っ張るなよ」

 「あ、ごめん」


 二人は身を屈め、遊具に潜り込む。

 昔はあんなにも広く感じたのに、今の二人には酷く窮屈だった。

 自然と顔を寄せ合う形になる。


 「どうしたんだ急に。こんなとこに引っ張り込んで」


 界斗は掴まれていた手首をさ擦りながら、如何にも不満がある表情をした。

 未來はそんな界斗を意に関せず、という感じで話し始めた。


 「懐かしいなぁ。昔は良くここで基地ごっこしたよね」


 界斗は思い出していた。

 小学生にもなっていない頃だったか。二人はこの遊具に今と同じように潜り込み、秘密基地と称して色々と持ち込んだものだ。


 「ああ! これ見て!」


 未來がはしゃいだ声をあげ、壁の一部を指さす。

 見ると、薄暗くてよくわからないが、子供の文字で「ひみつきち めんばー かいと みらい」と書かれているように見えた。


 「うおお、懐かしい。こんなの書いたなあ」

 「これ界斗の字? 汚い字ー」

 「なんだよ、子供だったんだから仕方ないだろ」


 これをきっかけに次々と記憶が蘇ってきた。

 あれをして遊んだな、とか。あの時はああ思っていた、とか。

 時間が巻き戻ったような錯覚を覚える。

 そのまま二人はしばらくの間、思い出話に花を咲かせていた。

 

 

 三十分は話していただろうか。

 いい加減に体勢が辛くなってきた。界斗は苦し気に身を捩る。

 それは未來も同じらしく、二人は目を見合わせて笑った。


 「そろそろ出るとしますか」


 界斗が提案すると未來は「ちょっと待って」と言って、制服のポケットに手を入れた。


 「どうした?」

 「あれ? どこいれたっけなあ……あったあった」


 しばらくポケットを弄っていたと思うと、未來は何かを取り出した。

 先ほど出店で貰った龍のペンダントであった。

 未來は手からそれをぶら下げ、界斗の眼前へと突き出す。


 「はいこれ」

 「え、なに?」

 「だから……はいっ!」


 界斗が理解できないという感じで、目をぱちくりとさせる。


 「え……え?」

 「ああ、もう、わかんないかなぁ……」


 そんな界斗を、未來はやきもきとしながら見つめる。


 「えっと、俺にくれるのか?」

 「そう」

 「それは未來が欲しくて貰ったんだろ?」

 「いや、だからさぁ……」


 未來は恥ずかしそうにもじもじとしている。

 全く心当たりが見つからない。未來のはっきりとしない態度に困惑するしかなかった。

 未來はしばらく無言で俯いていたが、やがて意を決したように口を開いた。


 「……プレゼント! 今日誕生日でしょ!」


 ネックレスがさらに前へと突き出される。

 未來の迫力に圧倒され、言葉を失った。

 誕生日――。

 出店に行った時のインパクトが強く、今の今まですっかりと頭から抜け落ちていた。

 しかし、未來がこうして祝ってくれるとは驚きだった。

 界斗は、なんだかんだと毎年未來の誕生日を祝っていたが、こうして未來が言葉にして祝ってくれるのは、とても久しぶりなことであった。


 「ほら」


 未來に促され、界斗はおずおずと手を伸ばし、掌でそれを受け取る。龍が暗闇の中で小さく輝きながら、界斗の掌を蒼く照らす。

 先ほどまで未來が持っていたためか、少し暖かった。

 その微かな温もりが、目の前で恥ずかしそうに眼を背けている未來の優しやのように感じ、界斗は嬉しくなった。


 「ありがとう未來。大事にするよ」

 「う、うむ」


 界斗が素直に礼を言うと、未來は微かに頬を染めながら、満足そうに頷いた。


 「未來が何かくれるなんて久しぶりだな」

 「何さ、去年の誕生日だってあげたじゃんか」

 「そうだっけな。なんだっけ?」

 「酷い、忘れたの? ごはん奢ってあげたじゃんか」

 「あれそうだったのか? 何も言わなかったから誕生日なんて忘れてるのかと思ったよ」

 「今更、『誕生日おめでとー』って感じで祝うのもなんか気恥ずかしいじゃんか」

 「なんだそれ」


 付き合いが長いと、思うとこがあるらしい。

 プレゼントをあげた当人は居心地が悪そうに身を捩っている。暗闇の中でも恥ずかしそうにしているのが解って可笑しくなった。

 聞くと、界斗を連れまわしたのも直接反応を見てプレゼントを決めるためだったとか。

 もっと早めに準備すればいいと思ったが、中々決めることができなかったらしい。その理由も「普通のものでは面白くない」という、何事も妥協せず全力な未來らしいものであった。


 「いやあ、良いモノ貰っちゃったな」

 「タダ、だけどね」

 「これは今度の未來の誕生日には、しっかりと準備をしておかないと」

 「へへ、楽しみにしておくよ」


 未來の誕生日は界斗の一か月遅い。

 今年の誕生日は未來が喜びそうなサプライズを用意しておかなければいけないみたいだ。今からでも考えておかないと。

 そう考えると毎日が楽しく思えてきた。

 やはり、未來といると退屈しない。

 界斗は掌のペンダントを大事そうに見つめ、これからを想像しながら、噛み締めるかのようにそう思った。


 「そうだ」


 ペンダントを見ていた界斗は、唐突に声をあげた。

 未來は訝し気に界斗を見た。


 「なあ未來。さっきチェーン買っただろ? それを貸してくれ」

 「え、これ?」


 未來がポケットから、申し訳ないと店主から買ったチェーンを取り出す。

 界斗は未來がチェーンを取り出したのを確認すると、龍を二つに割った。

 未來が堪らず声をあげた。


 「あー!! 何してんの!?」


 壊したと未來が騒ぎ出す。

 寄り添いあうように並んだ龍は、二匹の間を引き裂くように離れ離れにされてしまっていた。断面が見つめる未來の瞳に映った。


 「違うって! いいからそのチェーン貸して」


 界斗がなんとか未來を宥めようと試みながら、チェーンを半ば奪い取るように受け取った。

 そうして「見てろよ」と言って、チェーンを二つになった龍の片方へと取り付けた。既にチェーンが付いていた方も、正しく付け直すと、界斗の手には二つの龍のペンダントが出来上がっていた。

 それを見た未來が感嘆したように「おう……」とため息を漏らす。

 界斗は得意げな顔で未來に見せつけるようにペンダントを揺らした。


 「どうだ、これで二つになったろ? さっき店主が言ってたんだ」


 未來は忘れていたようだが、店主はあの時の会話を界斗は覚えていた。

 界斗はペンダントの片方を未來がやったように突き出して見せる。

 そうして同じように言ってやった。


 「はいこれ」

 「え、え?」


 図らずとも未來は、界斗と同じような反応をした。

 界斗が続けて、にやけ顔で「わかんないかなぁ……」と言うと、真似されていることに気が付いた未來が怒ったかのように界斗を睨んだ。


 「それは私が誕生日プレゼントとしてあげたものでして……」


 そう言って受け取ろうとしない未來に、界斗が目で「いいから早く受け取れ」と訴えかけていると、やがて観念したのように今までで一番大きい溜息をつきながら、未來は受け取った。

 二人の手の中で二匹の龍が蒼く、そして、力強く輝いていた。

 それはまるで、変わらぬ二人を照らしだしていた。

 そうして、どちらかが言い出すのでもなく、二人はペンダントを首にかけた。


 「よしよし」


 妹をあやす兄のように言う。

 界斗は二人の胸元の龍を見比べながら、満足そうに微笑んだ。


 「界斗ってさ」


 そんな界斗を未來はジトっとした目で睨みながら言い出した。


 「意外と恥ずかしいことを平然とやるよね」

 「恥ずかしいこと?」


 何のことか解らない、と言う感じで首を捻る。


 「だってこれって、『二人でお揃いにしよう』ってことでしょ? 女の子同士がやるなら解るけど……こんなのカップルとかがやることじゃん。しかもよりにもよってこれって……。如何にもって感じだよね」


 界斗は言われて初めて気が付いた。

 気が付いて自分の胸元で光る龍を見る。

 次に未來の胸元を見る。

 同じ輝きを放つそれは、二人を繋げている。

 これを提案したのは界斗だ。深く考えてのことではない。

 ただ、仲のいい腐れ縁に対しての友好の証であり、それ以上の意味はない。

 しかし、界斗頬は、界斗の意思を反して、熱を帯びていく。

 それは未來も同じらしく、頬が先ほどよりも赤く染まっていた。


 「な、なに変なこと言ってんだよ。仲がいい奴ならこれくらいやるだろ」


 急いで訂正するかのように言う。思っている以上に動揺してしまっているらしく、無意識に早口になってしまっていた。

 界斗は理由の解らない心の揺れに戸惑いを隠せない。

 必死に意識を落ち着かせようと努めるがうまくはいかなかった。こういうのには耐性がないのだ。

 逆に頬の温度が上がるのがわかった。


 「たくっ、急に変なこといい出すなよな」


 そう言う界斗は、平静を装いながらも手は落ち着きなく胸の龍を触っている。


 「へへへっ、ごめん」


 界斗は赤くなっているだろう顔を見られないように顔を未來から背ける。

 未來は同じように赤くしながら、界斗を見て嬉しそうに笑った。


 「いや……さ、素直に嬉しいんだ」


 まるで畳みかけるように言った。

 今日の未來はやけに素直であった。変なことばかりを言う。

 公園で昔を思い出していたからなのか、表情が見え辛いこの薄暗い空間がそうさせたのか。

 どちらにせよ、腐れ縁が突然にこんな事を言い出すのは、界斗にはたまらなく恥ずかしいものであった。

 こんなのはガラにもない。二人の間には不釣り合いなものなのだ。

 まったくもって、慣れないことはすべきではない。

 未來の洒落たサプライズも、界斗の粋な思いやりも。

 界斗は、一刻も早くこの空気を換えたかった。

 そう思って急いで立ち上がる。


 が、それがいけなかった。

 今いるのは山形の遊具の中であり、幼いころには立って遊ぶほどに広かったかもしれないが、それは十年以上も前の話。今の界斗達にはしゃがんでいなければ入ることもできない窮屈なものであり、快適とは程遠いモノであった。

 それを忘れていた界斗は自然と天井に頭を打ち付ける形になる。

 恥ずかしさからか、急いで立ち上がったのも悪かった。

 界斗の頭に衝撃が奔り、脳が揺れる感覚を覚える。

 思わず頭を手で押さえ、後ずさる。

 しかし、痛みと衝撃で脳からの命令の伝達がうまくいかず、足をもつれさせてしまう。

 未來が心配する声を発するよりも早く体は後ろへと倒れていき、界斗の頭に二度目の衝撃が襲った。

 衝撃で目の前が白く光り、鈍い痛みが界斗を襲う。

 天井に頭を、続けて壁に頭を打ち付けてしまったようだ。

 未來が「大丈夫!?」と心配そうな表情で界斗の顔を覗き込む。その声が遠くにあるかのように感じた。

 大丈夫だよ。

 そう言いたかったが、意思に反して言葉が出ない。

 そのまま界斗は、未來の顔を見ながら、意識を暗闇の中へと手放していった。

 意識が暗闇へと落ちる瞬間。

 界斗は、蒼い光を見たような気がして――—―。 




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