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陽介――5


 賭けてもいい。この状況を棋士100人に話したら、間違いなく100人全員がうらやましがる。

 それでも僕は、誰でもいいから代わってくれと叫びたくてしょうがなかった。


 なんで因碩相手に白を持たなきゃいけないんだ? むしろ置かせてよ。せめてコミくれよ、3目でいいから。


 横に置かれた巾着袋を見る。

 碁笥より一回り小さいくらいのサイズだが、確かさっき床に置いたとき、どしっと重たそうな音がした。

 素人目に見ても上等そうな生地で、中身も容易に想像できる。


 やばい。

 ぐちゃぐちゃの頭で、今まで打ってきた定石を、並べてきた碁を思い出す。走馬燈でもなんでもいい、何かないか。

 何か――。


 真琴の言葉がふと頭をよぎる。賭け碁について初めて話した夜のことだ。

 こちらは決死の覚悟で話しているというのに、彼女は相変わらずの軽い感じだった。

「負けたからって死ぬわけじゃないんでしょ? せいぜい借金背負うくらいで。本因坊さんがどれだけ伝説なのか私にはわかんないけど、フレディ・マーキュリーが復活してライブしてくれるなら、私だったらいくら借金してでも見に行くわ」


 その時は「また変なことを」くらいにしか思わなかったが、今思えばなるほど、そういう考え方もあるか。

 ありがとう、少しは気が楽になったよ。


「あの、打ってはいただけないのですか」

 気付くと既に、石が小目に置かれていた。

 因碩と名乗った男は、こちらの顔をいぶかしげに覗いてくる。


「失礼、少し考えさせてください」

 作戦といえるほどでもないが、考えていることはある。

 布石は変に工夫せず、この時代に合わせた流れで打っていく。この時代の布石感覚がおかしいということは無い。コミのこともあるが、単に僕らとは重視していた点が違うだけだ。

 三連星や五の五などで序盤からうまく翻弄できるならいいが、相手の対応が全く予想できないというのはまずい。

 逆にこちらまで見たこともない局面にされて、最悪読み勝負に持ち込まれたとしたら即オワだ。


 まずは普通に打ち、僕たちと価値観が異なるところを見つけたら、そこが食らいつくべき場所だ。

 数目ずつでいい、確実に差を縮めていくしかない。


「では、いきます」

 まずは小目。次にシマリを防ごうと、露骨だがカカリを連打する僕に、黒はコスミで応じた。

 ごく普通の一手だが、鉄壁の要塞を築かれたような感覚さえ覚える。

 これくらいは仕方ないか、コミも無いしな。気を取り直し石を持つ。


「これにはどうします?」

「なるほど。高くカカルとは、当たり前だがなかなか打てない手だ。受けても挟んでも、隅の黒が打ちづらくなる。では、これでどうします」


「はあ? 上ツケ!?」


 思わず変な声が出てしまう。

 様子見に上段に放った突きを、因碩は事も無げに打ち払い、その勢いで叩き潰そうとしてくる。

 この人、発想が柔軟過ぎる。相手を軽んじるつもりも余裕もないが、上ツケなんて本格的に研究されたのは昭和以降だとばかり思っていた。


 きっちり右下からヒラキを打たれたものの、逆にこちらも黒をシボルことに成功する。

 驚かされたが、このワカレなら白が良いだろう。キズをうまく補えたら、という条件付きだが。

 僕は左辺の黒をハサミに行く。一本キリが入ることは覚悟の上、ここで先手を渡すわけにはいかない。


 白が三間に挟んだ瞬間、因碩の目がギラリと光る。


 来た。大ゲイマガケ。

 汗が自然に引いていくのがわかる。バックの白が厚いこの状況でしかけるとは、いい度胸をしている。

 当然、こちらのキズと絡めてのことだろう。ここからは一手のミスが致命傷になる。


 激しい殺陣が始まる。相手の横なぎを躱し、返し際に浮いた小手を斬り返す。相手もわかっていて、半歩下がることで事なきを得る。

 観客からはその危なっかしさから驚嘆の声があがるが、お互いにケガをしないギリギリを見極めての応酬だ。

 さなかに黒がカケを打つが、これも様子見なのはわかっている。軽くかわし、再び正面から対峙する。


 さて、どうする。白黒逆だが、奇しくも吐血と似たような形になっている。

「驚きましたよ、よく研究されている。相当お強い」

「いえ、こちらこそ、井上家の大斜を実際に拝めるなんて幸運です。さて、どう打つか。一番の敵が自分の中にいるなんて、思いませんでした」

「それはどういう……」


 彼の言葉をさえぎるように、僕は目をつぶってナラビを打つ。これ以上話していたら誘惑に負けてしまいそうだから。

 それは、勝ち負けとは全く違う、単純な怖いもの見たさ。

 そう、秘伝とされた手を当の井上家相手に打ったら、相手はどんな返しをするのかという誘惑だ。

 今はまだ、その時じゃない。慎重にゆっくり打ち進める。


 そんな僕の気苦労も知らず、因碩は狭いところに、ねじ込むような打ち込みを放つ。

 一瞬だが、既視感が僕の手を止める。そうだ、これは吐血の局での因碩の一打と同じ位置。

 大斜で先制した後、手を緩めずに放った二の矢だ。


 相手はやはり大物らしい。もしかして、こいつ因徹か? いや、因徹って因碩を名乗ったことあるのか?


 本の端の解説にいくらでも書いてありそうなものだが、もう少しきちんと読んでおくべきだった。

 今になって自分の勉強不足を後悔する。


 さあ、ここからは本当に真剣での斬り合いが始まる。

 僕らはもつれ合いながら、さらに激しい戦いへと進んでいく。


挿絵(By みてみん)

(;GM[1]FF[4]CA[UTF-8]AP[CGoban:3]ST[2]

RU[Japanese]SZ[19]KM[0.00]

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