席亭
「ごめんくださーい、一局お願いしまーす」
ああくそ、うるさい野郎め、さっき眠りについたばかりだというのに。
湿っぽい布団から何とか這い出して、扉に手をかけ力を込める。
ごどんと鈍い音、一瞬の後に勢いよく光が差し込んでくる。
ひょろくて青白い男が一人、立っていた。
ひょろ男は、賭け碁をしたいと言ってきた。しかも青天井で構わんだと。
馬鹿かこいつは。
仕事柄、何人か真剣士は知っているが、みんな慎重で臆病な奴らばかりだ。そうじゃない奴は逃げたか死んだ。が、こいつはどちらでもない、ただの馬鹿だ。
背丈だけはそこそこあるが、日にろくに当たったことがないような白い顔に、猫のような傷の無い指。
府抜けた表情しやがって、この年までどうやって食って来た?
経験上、こういう奴はたいていお行儀の良い碁を打ちやがる。喧嘩は弱いくせしやがって。まあ、たまにくそ強い奴もいるが、こいつはたぶん、青臭いわがままで家を飛び出した世間知らずだ。
その時の俺の評価は、そんなもんだった。
「いいぜ、一局打ってやるから負けて帰りな」
「あの、いくらで?」
「いらねえよ。聞いてなかったのか? 実力知って出直せって言ってんだ」
なんだかんだで打ってやる俺は、結構優しいと思うんだがな。
律儀に俺にニギらせようとするひょろ男に、押し付けるように黒石を渡す。奴はお願いしますと行儀よく礼をすると、星から打ち始めた。
ため息をついていると、次も、その次も星ばかり打ちやがる。
「おい、碁を知らないならもう帰りな。おおかた、親に置き碁で遊んでもらってただけだろ。世間知らずの坊ちゃんが、いい気になって親の金を賭けてんじゃねえよ」
さすがにうんざりして文句が出た瞬間、奴が星に鉄柱を打ち込む。
――なるほど。
左辺の厚みを利用し、俺のカカリを潰しに来られた。体をひねり軽く飛びのくように回避する。刹那、今度は左下に矢が放たれる。
舌打ちをして、まずはコスミツケる。
いい加減に目を覚ませ、ここで先手を取らねばそのままつぶされるぞ。今更ながら頭の中で警鐘ががんがん鳴り響く。
「冷静に対処するんですね。まあ始まったばかりですし、ゆっくり行きましょうか」
「ゆっくりか。ちと固すぎるんじゃねえか、おい」
左辺の黒は二間にヒラキ、俺の厚みはあっさりとぼかされた。
こいつの腕なら、固く打たれたほうが困るのはどうせばれている、皮肉くらい吐かないと気が済まん。普通ならここで下辺の黒を制限しないとまずいのだが、上辺の体勢が悪すぎる。
生かしてもらったところで碁は終わりだ。
選ぶ余地は無い。
「くそ、仕方ねえか。いいぜ、下辺は打たせてやるさ」
「では遠慮なく」
殴りたくなる笑みを浮かべながら、またも星を占めやがる。置き碁云々と舐めていた自分も殺したくなる。
碁盤全体を絡めて打ってくる奴ってのは、どうしてこうも、いけ好かない男ばかりなのか。
いいさ、本気でやってやる。
まずはここだ。左上にびしりと小太刀で切り込みを入れる。隅を受けたのを見て、次に右下。三三に突きを繰り出す。
やはり定石通りか、お坊ちゃんめ。
そして、ここから反撃だ。上段に構えた太刀を一気に振り下ろす。
「さあ、斬り合いを始めようぜ」
そう、碁は斬り合いだ。布石だ定石だと御託を並べても、結局もつれ合いに強くなけりゃあ勝てねえのさ。
俺の一太刀目を、奴は半身で躱す。それくらいは予想の範囲内だ。
じゃあ、これはどうだ。
ツケノビからもつれ合うような戦いが始まる。体ごとぶつけていく俺に対し、奴は奴で強引に正面からデギってくる。
「ごりごり来やがるな、いい度胸だ。じゃあ根元も切ってやるよ」
「驚いた。かなり厳しいですね。怖い手だと思いますよ」
「くそ、これじゃあ形を作っただけだ。削りたりねえ」
こちらも血まみれになりながらキリ返すが、奴は涼しい顔で躱していく。三子にして捨てたが、取ったのか取られたのかを判断する暇もない。
すぐに戦いは上辺へと波及した。カラミにされ守らされた上から、強引になだれ込んできやがる。
くそっ、何とか反撃を。
左辺は、駄目だ、固すぎる。それでも、無理をしてでもどこかと絡めていくしか無い。
必死の抵抗も虚しく、じりじりと押し込まれていく。
序盤が響いているのは確かだが、それも奴自身の自力があってのものだ。一度地べたに押し付けられた俺に、相手を跳ねのける力など残っていなかった。
「これで終いか。なんだかんだで細かくはなったが、まさか合わせたのか」
「え、あ、いや、その」
嫌な予感は当たった。こいつ、ぴったり持碁にしやがった。
「一文でいいのか、おい」
ぴんと投げた一文銭を物珍しそうに見てやがる。
なんだこいつ、まさか本当に、どこかの金持ちの若旦那か。でかいため息が自然と出てくるが、思ったほど悔しくはない。
「いいぜ、ここで好きに打つといい。ただし、客の質は保証せんぞ。もう少し演技くらいは学んでから打つんだな」
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