大番狂わせ
訓練場につくと、ライラはロゼの手をギュッと握り――。
「ロゼ、私があなたに出来ることは一つだけ。この身体でお礼をすることです」
「は、はい……」
「思う存分、あなたのものをぶつけてきてください」
「で、でも、僕達まだお互いのことを良く知らないし!?」
「それもそうですね。私だけ知っているのは確かに不公平。私はAクラス魔法使い、氷を操るのが得意です」
「え? あれ? えっと、もしかして?」
「ロゼが全力をぶつけられる相手になれるかどうか分かりませんが、手合わせの相手になりましょう」
「だよねやっぱり!? 何でそうなったの!?」
「あら? あなたの身体を見れば、厳しい訓練を自分に課している一人前の魔法使いだと簡単に見抜けますよ?」
傷だらけなのは師匠たちのかわいがりのせいで、決して名誉の傷ではない。
全力をぶつけたら全力以上でボコボコにされただけという格好悪い傷跡だと、ロゼは思っている。
だから、ロゼは、ライラが何か盛大な勘違いをしている、と思って顔が青くなった。
彼女と近い雰囲気をもつ人を、ロゼは三人知っている。
「い、いや、それがお礼って言われても困るっていうか……。ただ単にライラさんが戦いたいだけだよね?」
「クス、ばれちゃったみたいだね。なら、ネコはもう被らなくて良いね。うん、本気で戦える相手が欲しかったのは私の方。だからどうかな? 私に勝てたら、本当にお礼に私をあげるよ」
「……えっと、特訓相手ならもう間に合ってます。勘弁して下さい」
これ以上特訓相手が増えたら死ぬ。
ライラが本当にA級魔法使いなら、伝説の師匠たちには及ばないもののかなり強い力を秘めているのは間違い無い。
そんな相手と特訓なんかしたら、人間が猛獣とじゃれつくようなもので、無事でいられる保証は全くないのだ。
ロゼはそう思って断固拒否するつもりだった。
「それじゃあ、何でも言うことを聞いてあげるっていうのは? キスもしてあげるし、料理も作ってあげるし、望むのならえっちなこともしてあげるよ。皇女に二言は無いわ」
「えっちなこと!?」
「私に勝てたらの話しだけどね! 抜剣!」
ライラが杖剣を解き放つ。
「ま、そもそも、私に立ち向かえるのならって話しだけど」
ライラの言葉は大げさなものではなかった。訓練場が一瞬にして雪に飲み込まれ、雪が吹き荒れる雪原のようになってしまったのだ。
その中央でライラが青い宝石で出来たような美しい剣を持っている。
肌を刺すような寒さと環境を変えてしまう圧倒的な力と、ライラの美しさは存在するだけで他者を圧倒する迫力があった。
「な、なんだこれ!? 何で吹雪きが!?」
「教科書に載ってただろ!? A級の魔法使いは抜剣すると強大過ぎる魔力で環境と地形を変えるって」
クラスメイトがライラの抜剣に驚きおのめく。
もちろん、ロゼもライラの抜剣に驚いていた。
けれど、それは単に魔力が強かったからという訳ではない。
「……すごい魔力密度」
空間そのものにライラの魔力が満ちていて、まるで全身の至る所から刃を突きつけられているような感覚がしたからだ。
ただ魔力が強いだけでは到底できない、殺気による圧殺。
今、ロゼがいるのは吹雪の中ではない。既に氷の檻の中に閉じ込められて全身に剣を突きつけられているようなものだ。
もし、ロゼが伝説の三人の放つ殺気を知らなければ、この時点で心折れ、立ちすくんでいるか、許しを請うていたはずだ。
立ち向かえることが出来れば、と言ったライラの言葉は言葉の通りの意味だった。
立ち向かうことが出来るだけで、強者であると証明出来るほどの絶対的な力と自信の表れだったのだ。
けれど、絶対的な弱者であったロゼは、この力の差に屈することはなかった。
何故ならそれ以上の殺気と圧力を毎日受けているのだから。
「ライラさん、どれだけの魔力制御訓練をしたんだい? これほどの魔力密度を操るなんて、並大抵の努力じゃ出来ないよ」
「へぇ、私の魔力で押し潰れないなんてやるじゃない。答えは私の剣から見つけたら?」
「……分かった。僕もその努力に応えるよ。抜剣!」
ロゼも剣を顕現させる。
「綺麗な剣ね」
「ライラさんの方が綺麗だと思うよ」
「あなたは本当に面白い人ね。ロゼ」
ロゼの手の中に薄く透明な刃が現れ、降りかかった雪の結晶をスッと真っ二つに切り裂く。
二人だけにしか分からないほんの僅かな魔力のぶつかり合いと空気の揺らぎ。
それが戦闘開始の合図だった。
「動かないと絶対に勝てない!」
まず動いたのはロゼだった。
遠距離攻撃の手段を持たないロゼは、どうしても接近しなければ勝ち目が無い。
そのため、ロゼは雪原を猛スピードで走り出した。
「はっ、はやい!? ロゼってあんな早かったのか!?」
「ってか、なんでロゼの足跡に氷の柱が!? あいつ氷の魔法なんて使えたか!?」
ギャラリーがどよめいた通り、ロゼが駆け抜けた後には氷の塊が生まれている。
けれど、それは決してロゼが発生させたものではない。
むしろ、ロゼはその氷の手から逃げ出すように走り抜けていた。
その勢いのまま、ロゼは一瞬にしてライラの懐に飛び込み剣を振る。
けれど、ライラの剣は重く、その重みにたまらずロゼの足が止まった。
「ロゼ、どこまで気付いたのかしら?」
「全部だよ。雪を積もらせたのは、足下からの攻撃を読ませないためだね。魔法で魔法使いは倒せないけど、足を凍らせて動けなくして、一方的に杖剣で攻撃することはできるから」
「それが上手く行かなかったタネを明かしてくれないかしら? 私、本気であなたを倒そうとしたのよ? 何で尽く避けられたのかしら?」
「ただの防御術式だよ」
「知りたいならあなたを倒せっていう挑発ね。受けてたつわ!」
ロゼは嘘をついていない。
けれど、ライラにとってみればはぐらかされ、挑発されたと受け止められた。
なんで倒せないのかと聞かれて、防いだからと言われても何の説明にもならないだろう。
それぐらい ロゼの答えはあまりにもシンプルだった。
ただ、そのシンプルな防御技術があまりにも高度過ぎたのだ。
普通の防御術式は敵の魔法を受け止める盾でしかない。
魔法という雨に対する傘みたいなようなものだ。
けれど、ロゼは特訓で手に入れた魔力コントロールの技術で防御術式の形状を変えていた。
まるで閉じた傘を開いて水滴を飛ばすかのように、防御術式を膨らませ勢いよく爆破させ、魔力が氷に変化する前に弾き飛ばしていた。
だから、ロゼの動きからワンテンポ遅れて、氷が生み出されていたのだ。
そして、その要領でロゼはライラの重い剣戟を受けても、細い剣を折られることなく、はじき返すことが出来ていた。
「クスッ、ロゼ、やっぱりあなたの剣は面白いわ。こんなにスカスカなのに私の剣を受けても全く折れる気がしないなんて、一体どんな細工をしているの? 私の国にあなたみたいな人は一人もいなかったわ。一種の天才かしら?」
「僕は無才だよ。ライラさんと違って!」
剣が高速でぶつかり合い、ぶつかる度に氷の破片が宙に舞う。
「だから、僕はある物を全て使って強くなるしかなかったんだ!」
そして、ロゼの剣戟速度がさらに速まり、ライラを圧倒し始める。
「ロゼの動きがさらに速くなった!?」
「お、おい! あれ本当にロゼか!?」
「ロゼが勝っちまうのか!?」
どよめくギャラリーはロゼの動きに魅入られていた。
最弱だと思っていた魔法使いが自分達を圧倒したライラを押している。
まるで夢でも見ているかのような光景に、誰もが瞬きすら忘れている。
○
そして、そんなロゼを見守る影がまた別の場所にいた。
「ふむ。ロゼは防御を捨てたようじゃの。ミーナ、セルジュ、この勝負どう見る?」
「ロゼ君の勝ちって言いたい所だけど、このままだと勝てないね」
「俺もこのままのロゼなら勝ち目はないと思っています。あの女、昼間のどでかいだけの男とは才能も鍛え方も段違いで上だ」
ウルスたちもまたロゼの試合を訓練場の影でこっそりのぞいていた。
そして、彼らの下した判断は生徒たちとは違って、ロゼの負けだった。
「今のロゼの杖剣じゃ、あの女の防御術式は破れない。力を一つの行動に集中させるだけじゃ足りない。力を集めて研ぎ澄ませるだけじゃ足りない。全力を一点に集める集の極致にロゼが達して初めて勝機が生まれる」
セルジュの言葉に、ウルスとミーナは無言で肯定した。
○
師匠たちが防御を捨てたと言った通り、ロゼは高速戦闘をするために防御術式を解いていた。
というのも、ロゼの高速戦闘は、言うなれば一瞬の瞬発力を利用した見かけだけの高速戦闘でしかないからだ。
攻撃の初動の際、身体の中に魔力を込めて、魔力を爆発させた勢いを活かして腕や足を動かす。
そして、次の動作に入った時にまた同じ要領で身体を瞬時に加速させる。
そのサイクルを短くしようとすればするほど、魔力消費は大きくなり、防御に回せる魔力がなくなっていく。
素早くなればなるほど、一撃で切り捨てられる確率が高まる捨て身の戦い方なのだ。
けれど、師匠たちのもとで回避技術は徹底的に仕込まれているおかげで、ロゼはライラの攻撃を全て避けていた。
「当たらない! でも、これなら!」
全く攻撃が当たらないことに苛立ちを覚えたライラが大振りの一撃を放ち、僅かな隙を作る。
その隙をロゼは見逃さなかった。
「とった!」
「あっ!?」
ロゼが振り下ろす刃がライラの肩に触れ、ガキィンと音を立てた。
だが、その音はライラを切った音では無かった。
ロゼの剣がライラの防御術式に受け止められた音だ。
研ぎ澄ませたはずのロゼの剣は、A級という最強の魔力の前には無力。
ロゼの戦いは、無才では強者に勝てない。魔力の弱い魔法使いではどれだけ上手く立ち回ろうが、ランクが上の魔法使いには勝てないことを証明してしまっただけだった。
「え?」
ライラが困惑した目でロゼの目を見つめる。
こんな結末でも勝負は既に付いていたのだから。
「僕の――勝ちだ」
ロゼがそう宣言すると、ライラの服からはらりと袖が落ちる。
ロゼの刃はちゃんと防御術式を切り裂き、その先にあったライラの服まで届いていた。
これは、もし剣を振り下ろせたのならライラを確実に仕留めていたという証であり、寸止め出来るほどの技術と強さの違いを示す証でもあった。
「私が……負けた?」
ライラは茫然自失になったのか、杖剣がもとの杖に戻り、呆けた顔でロゼの顔を見つめた。
そして、目に涙を一杯溜めて――。
「負けたああああ!? うわああああ!? うそだああああ!? くやしいいいい!? 勝負! もう一回勝負! 約束は守ってあげるからもう一度勝負!」
子供のように駄々をこねた。
その様子にロゼはポカンとすると、ライラの約束という言葉であることを思い出した。
「えっと、約束の件だけど……」
「うぅ、分かってるわ。私に二言は無いわよ。奴隷になれでも愛人になれでも何でも好きに言えば良いわ」
無才と呼ばれた男が最強クラスのA級魔法使いを倒してしまった。
ありえない大番狂わせに、誰もが言葉を失い、ロゼの言葉を待っている。
ロゼ自身はというと、勝った実感が湧かないまま、駄々をこねるお嬢様を見て。
「その……恋人とか奴隷とか、いきなりそんなにぶっ飛んだ関係じゃなくて……まずは友達になって欲しいな……。その……僕、友達いないから……」
ロゼのお願いにライラが駄々を忘れてきょとんとした表情を向ける。
「え? それでいいの?」
「うん、それがいいんだ」
ロゼは微笑みながら手を差しのばす。
返事は無い。代わりに、ライラは真っ赤な顔でロゼの手を握り返して静かに頷いた。
「あ……ごめん。ライラ……早速友達としてお願いがあるんだけど……」
「な、なに?」
「看護室に連れて行ってくれると嬉しい……全力出し切ったせいで……倒れる」
そうつぶやいてロゼはライラの胸元に頭からダイブした。
「あ、ありえねえ!? ロゼが勝った!?」
「無才のロゼがA級魔法使いに勝った!? 何なんだ!? 一体何が起きたんだ!?」
クラスメイトの驚く声をロゼはうまく認識でいないまま、ライラに運ばれていった。
○
そんな一部始終を見ていたウルスたちも安堵の表情を浮かべていた。
「ロゼは集の極致に至ったようじゃな」
「みたいだね。狙ってやったのか、無意識にやったのかは分からないけど、全身の魔力を全て杖剣の一点に注ぎ込めていた」
「俺たちから見ればまだまだだが、集と瞬は使える程度に育ったみたいだな」
そして、顔を見合わせ弟子の勝利をたたえてニヤリと笑う。
「修行を次のステップにするのじゃ!」
「修行を次のステップにするよ!」
「修行を次のステップにするぞ!」
そしてまたろくでもない修行の準備にとりかかった。