地獄の特訓
伝説に弟子入りしたロゼに待ち受けていたのは地獄だった。
修行から逃げられないように四方を高い壁で囲まれた屋敷の庭で、まずはセルジュの魔法攻撃を避ける訓練が始まる。
「ぎゃあああ!? 死ぬ死ぬ死ぬ!?」
降り注ぐ火球の雨を、ロゼは走り回りながら避けていた。
「大丈夫だ。当たらなきゃ死なない。死にたくなきゃ、避け続けるのだ。それに安心すると良い。死にかけてもミーナが治す」
「だったら安心――ってんな訳ないでしょう! こんなん当たったら死にますって!?」
この特訓で回避力と瞬発力を高めるのだが、問題なのは飛んで来る火の玉にあたれば致命傷だったということだ。
「大丈夫だ。ちゃんと手加減してある」
「嘘だあああ!? さっき全身がこんがり焼けて死ぬかと思ったんですよ!? こんがり焼けましたーって幻聴が聞こえるくらいですよ!?」
「だから、手加減しているだろう? 普通に撃ったら当たれば死ぬぞ」
「もっと手加減してくださいよ!? これでも当たりどころが悪かったら絶対死にますって!」
「そうしたら特訓にならないだろう。だから、死にたくなければ死ぬ気で避けろ。そして、避ける時は、魔力も力も一瞬に必要な量を込めて逃げるんだ。入れすぎたら動き過ぎて隙が出来る。足りなかったら避けきれない。その感覚を掴め」
セルジュの言う理屈はとてもシンプルだ。
避ける瞬間だけ力を込めろ。
けれど、それを実際にすることはとても難しく、ロゼは何度も焼かれた。
そして、ロゼがこんがり焼けて動けなくなれば、ミーナによって回復させられて、また逃げ回る。
そんな特訓が続くと、段々セルジュも普通にするのに飽きてきたのか――。
「ふはは! ほうら避けろ避けろ! ナメクジみたいなトロトロした逃げ方してると焼け死ぬぞ! ふははは!」
「セルジュ師匠絶対楽しんでるでしょう!?」
そんな魔王プレイを始めたセルジュの魔法を避けるのが序の口。
次に待っていたのは、ミーナとのスパーリングという名の触れ合いだ。
ミーナがロゼに触れ、魔力を込めるからそれを防ぐという特訓だった。
「私のこの特訓を受ければ防御術式が強化されて、魔力の少ないロゼ君でも相手の攻撃を防げるようになるよ」
「僕に乱暴する気ですよね!? セルジュ師匠のように!」
「あはは、セルジュみたいに乱暴なんてしないよー。ただちょっとロゼ君の胸を触るだけよー。そんな心配しないでお姉さんに任せて」
セルジュの特訓でボロボロになったロゼは、そんな軽いスキンシップで防御術式が強化出来る特訓と聞かされ、魔王セルジュと違い優しい聖女ミーナの気遣いに涙した。
「あぁ、やっぱり聖女様なんですね。ミーナ師匠。ありがとうございます……」
「それじゃあ、始めましょうか。ほら、防御術式を意識して」
「はい! ん……? ぎゃああああ!?」
ロゼが胸に触れられたミーナの手に意識を向けた瞬間、ロゼはすさまじい衝撃とともに宙に吹き飛んだ。
「ほら、攻撃が避けられない時は、敵の攻撃がくる一点に魔力を集中しないと、こうなるのよ」
「僕の全力防御術式を触れられただけでぶち破られて、吹き飛ばされたんですけど!?」
「防ごうと思うからダメなの。防ぐんじゃなくて、防御術式で相手を殴り飛ばすイメージ。 ほら、触れたここに力を込めてー。ぱーんって感じで」
「そんなこと言われてもっ!? ぎゃああ!? ミーナ師匠の嘘つきぃぃぃい!」
「あらあら、嘘はついてないわよー。触っただけでしょー」
確かにミーナは嘘をついていない。ただ、触れられただけなのに身体が吹き飛び、とんでもない痛みが襲ってくるとは言っていないだけだった。
そんなミーナとの特訓は一撃一撃で骨が粉砕されては、治されるという地獄だった。
「うふふ、ロゼ君って良い声出すのね」
「僕さっきから悲鳴しかあげてないんですけど!?」
「うふふふ。素敵な声よ? ほうら、ここを触ったら、どんな綺麗な声で鳴いてくれるの?」
「ぎゃあああああ!? この人のどこが聖女だぁぁぁぁ!? ただのS女だあああ!」
そして、地獄の最後はウルスとの特訓だった。
内容自体は基礎体力をつける訓練なのだが――。
「ほれ、走れ走れ!」
「ひぃっ!?」
「魔力を肉体の補助に使え。魔力量が足りなければ、常にじゃない。必要な時に使うのじゃ」
ランニングではロゼの後ろにピッタリ張り付き、少しでも送れればウルスの振り回す剣に身体が切られるというデスロード・ランニング。
そんな初日から繰り広げられる地獄の特訓に、ロゼはあっさりズタボロになり、ベッドの上に倒れ込んだ。
「僕はここで死ぬかも知れない……」
強くなる云々の前に、身体が壊れる。
いっそのこと逃げ出してしまおうかとも思えるほどに、見えない色々な傷が身体に刻まれていた。
「明日、絶対に逃げてやる……」
けれど、今は逃げようにも動くだけの体力が無い。
結局、ロゼはそのまま眠りに落ちてしまった。
○
しかし、翌日、変化は早速現れた。
ロゼがセルジュの魔法攻撃を初めて避けたのだ。
「……瞬間的に魔力を込めて跳躍。瞬間的に魔力を込めて跳躍」
「ほぉ、上手く避けたな。今のは良い動きだった」
片足だけの跳躍や、空中に飛んでいる最中に、手で地面を押し返して跳躍の向きを変える動きが自然と出来るようになっていたのだ。
「あれ? もしかして、僕少し強くなった?」
「よーし、それじゃあ、難易度上げるぞー」
「え!? ちょっと待っ――ぎゃああ!? あちちっ!?」
そして、あっさりと火ダルマになりながら、ロゼは必死に逃げ回った。
そして、黒焦げになったロゼは身体を癒やしてもらうついでに、ミーナの修行に移行させられたせいで、屋敷から抜け出す機会を失ってしまった。
だが、ここで心折れて集中しなければ死ぬ。
そんな理由で、ロゼは生き延びるために、必死の集中力を発揮させた。
余計な思考は全て捨て、全力で生き延びることを選んだのだ。
「殴り飛ばす……殴り飛ばす……」
「さて、それじゃ、ロゼ君、触れるよ」
「一点に力を込めて、殴り飛ばす!」
ミーナが触れた所で、バキッと音が鳴り、ロゼとミーナが同時に弾き飛ばされる。
けれど、ロゼの方は吹き飛ばされるような衝撃ではなく、ちょっと後ずさりする程度の衝撃しか来なかった。
少しバランスを崩したのは、もっと大きい衝撃が来ると思って身構えていたせいだ。
「おー、すごいじゃんロゼ君。お姉さんの魔力を弾くなんて」
「そ、そうか。これが防御術式の正しい使い方なんだ」
「そうそう。相手の魔力の塊を砕いて、力を分散させて、防ぎきる。それが基本。魔力が少なくても、今みたいに一点に集めることが出来れば、固い盾は作れるよ」
「な、なるほど」
「それじゃあ、次は私も動くから、動きに合わせて盾を作るんだよ」
「え!? ちょっ!? 待って下さい! まだ術式の組み立て速度が!? ぎゃあああ!?」
そうして、ミーナのパンチを食らったロゼは屋根まで吹き飛んだ。
○
そんなとんでも特訓をロゼはウルスに涙目になりながら語った。
「死ぬかと思いました……」
「ハッハッハ、ちゃんと成長しておるようで何よりじゃ。魔力コントロールはコツを掴んで来たようじゃな」
「……笑い事じゃないですよ」
「では、ワシも特訓を始めるとしよう。今からワシを切ってみよ」
「は?」
「ハッハッハ。ワシを切れと言ったのじゃ」
「いや、笑い事じゃないですよ!? ウルス師匠を切れってそんなこと出来ませんよ!」
「ハッハッハ、お主のなまくら杖剣に切られるほど、ワシは弱くないわい。ほれ、抜けい!」
「分かりました。抜剣!」
ロゼは杖を武器化すると、反りの無い白い直剣が現れた。
飾り気の無いシンプルな剣は、ただの鉄の剣と大して変わらない性能で、魔法で生み出す意味がほとんど無い物だった。
「ハハハ、酷い杖剣じゃな。魔力で作り出している意味がほとんどないぞ。まさに無垢の剣じゃ」
「……うぐ」
ウルスの指摘にロゼは内心腹が立っていたが、事実のせいで言い返せない。
魔法使いの生み出す武器として、ロゼの杖剣は全くの無価値なのは証明済みなのだ。
それが悔しくて仕方が無い。
そして、強い魔力を持つ師匠たちが羨ましくて仕方無かった。
「良いかロゼ。杖剣とは己自身だ。己の炎で剣を打て、己の心で剣を研げ。さすれば剣はこのように変わる。抜剣!」
そう言ってウルスの手の中に現れたのは、ロゼと同じ白い直剣だった。
「剣聖と謳われるワシとて、お主と同じ魔力量を込めて、何も考えずに作ればこんな剣になる」
ウルスは笑いながら剣を杖に戻し、もう一度構え直す。
「じゃが、研ぎ澄ませば、このような剣が生まれる。抜剣!」
剣聖が本気で生み出した一刀はロゼの無垢の剣以上に歪な物だった。
向こう側の景色が透けて見えるほどの薄い半透明の刀。
幻のように見えるその剣は酷く頼りなく、簡単に折れてしまいそうな見た目をしている。
しかも、一切の属性の力も感じられないのだ。
ロゼですら、最初に出した白く鈍い剣の方が幾分か使い物になると思ってしまった。
もしや、ウルスは自分をバカにしているのではないかと、ロゼは疑いの眼差しを向けてしまった。
「ハッハッハ、これなら自分の剣の方がマシ。そういった顔をしておるな」
「は、はい、正直、頼りないです」
「ふむ、どれ、ならば見せてやろう」
そう言ってウルスは近くにあった岩に向けて剣を振り下ろした。
音も無く刃が振り下ろされるが、岩を切るのでは無く、すり抜けたように何も起きなかった。
やはり失敗作なのではないか。そうロゼがクビを傾げる。
「ロゼ、岩を押してみよ」
ロゼがウルスに言われた通り岩に軽く触れた途端、岩が突然パカッと真っ二つに割れた。
「えっ!?」
「ちゃんと斬れておったのさ。こんな薄い剣でな。斬れていないように見えたのはあまりにもこの刃が鋭いためじゃ」
すり抜けたように見えたのは、切れ味が鋭すぎて、切られていないように見えただけだったのだ。
ただ、最大の驚きは剣の鋭さではない。
「これを僕と同じ魔力量で作り出したんですか!?」
ありえない。
これほどの切れ味を生み出すためには、最低でもC級の魔力が必要となる。
F級の最低魔力で作り出せる代物では無いはずなのだ。
ロゼは何度もそう自分に言い聞かせた。けれど、確かに剣聖ウルスの持つ剣から魔力はほとんど感じられなかった。
つまり、ウルスは本当にロゼと同じ魔力だけで、百倍近い魔力が必要な杖剣を呼び出したのだ。
「それ、僕にも出来るんですか?」
「そうじゃ。研ぎ澄ませ。お主の剣を」
「はいっ!」
ロゼは魔力を杖の一点に集め、薄く研ぎ澄ませる。剣聖の見せた透明な刃を思い浮かべて叫ぶ。
「抜剣!」
声に応えて杖が輝き、中から剣が現れる。
薄く羽根のように軽い白い刀。しかし、まだ向こう側が見えるほど薄くは無い。
ウルスの剣に比べれば、随分と鈍く見える。
だが、今までの鈍い剣とは全く違う。確実に変化し、鋭くなっている。
成長見込みがないと言われたロゼが、確実に成長している証だった。
「ま、初めてでこの変化なら上々じゃ。さぁ、打ち込んでくると良い」
「ちょっと待って下さい! 何でウルスさんも抜剣しっぱなしなんですか?」
「もちろん、甘い攻撃を全て切り落とすためじゃ。腕までは切り落とさぬから安心せい」
「待ってください!? 抜剣って魔力消費が大きいんですよ!? そんな気楽に作り直せないですって!?」
「問答無用!」
こうして、ロゼの剣は何度も切り落とされて、何度も作り直すハメになる。
その苦行のせいで、ロゼは途中からの記憶を無くし、十回以上倒れたことも覚えていなかった。
○
そんな地獄のような夏休みを過ごしたロゼは――。
「ふぅ……逃げ切った……。あんなところにいたら、命がいくつあっても足りないって」
何十回目の脱走チャレンジに成功し、初めて屋敷を抜け出した。
実はこれも成長の一つだとは知らずに。