第二章
魔人たちの里、ガイアは巨大な浮島の上にあった。その島は普通の人間は住んでおらず、完全に魔人たちだけの土地。だが大きな山や深い森、谷などもあり、そこには世にも恐ろしいモンスターなども生息している。魔人としての修業施設としてはうってつけの土地というわけだ。
島は完全に横も下も陸地から切り離されており、潮の流れに乗って海の上を移動していく。ガイアのある場所はその日によって変わるため、地図上にこの島は存在しない。だが通信は行え、レーダーで発見することも可能なため、魔人たちの超人的な力を頼って、人間の力では手に負えないような事件の相談へ訪れる者が世界各地から存在する。
その依頼内容はモンスター・異魔人などの討伐、未開の地の調査、新薬や新兵器、エネルギーの開発など多岐にわたる。ただしここで修業した全ての魔人が里に住んでいるわけではなく、修業を終えて一人前と認められると外の世界で暮らすことが許される。
レオンのように普通の人間たちに混ざり暮らす者も大勢おり、そのまま何らかの理由で里との交流を絶つ者も少なくはない。事実、レオンも干されるような形でガイアとの繋がりをなくしかけていた。グランの断腸の決断により今回、召集されることとなったが。
そして今、レオンはガイアに戻ってきた。実に二年ぶり。長くを生きる他の魔人たちにとっては大した時間ではないが、まだ17のレオンにとっては懐かしく感じる。
「うおー、相変わらず殺風景な場所だなー、全く」
ガイアは浮島であり、修業施設である。したがって商店もなければレジャー施設もない。娯楽らしい娯楽は一切排除されている。あるのは寝泊り用の小さな民家が立ち並ぶくらい。そして丘の上にはどんと偉そうな神殿が建っている。
神殿へ向かい、グランへ会いに行くレオンとリコ、アクアの三人。ナキとトライも連れてきたのだが、とりあえず外で待たせておく。
グランのいる大広間の前に着き、やや緊張の面持ちのアクア。ゴクッと息を飲み、髪を整えなおす。
「何だ、緊張してんのか?」
「誰のせいだと思ってるの? あんたと一緒だと大波乱確実だからよ」
リコはそれを聞いてつくづくレオンがどうしてそこまでグランに忌み嫌われているのかますます気になってくる。事情を知るガイアの誰に聞いても口を閉ざすため、よほど全員をトラウマにするような何かがあったのだろうが……聞いたら聞いたで後悔しそうな気もした。
アクアはカーテンで閉じられた入口の前で、よく通る声で挨拶する。
「失礼いたします、グラン様! アクア・エレティック、ただいま戻りました!」
そしてカーテンをくぐると、目の前の光景に三人は絶句する。
「「「!」」」
「ひょおおおおおおー! 来たぞ、お泊り展開!」
大広間では大スクリーンに繋いだ最新のゲーム機で、何やら美少女ゲームをプレイ中の老人の姿があった。この男こそ、ガイア最高責任者、グラン・ギャラクシアであった。
「ぐ、グラン様……?」
「むはぁ! 可愛いよぉ、レモンちゃん! ワシの心のオアシス! むううう、ブチュッ、ブチュッ! 今夜は離さないからねええええん。
ん……? うおお、何じゃ、お主ら!? 来たなら来たと言わんか!」
そう言うグランの耳にはヘッドホンがつけられており、大声で挨拶したアクアの声も聞こえるはずがなかった。
「な、何をやっておるのだ、グラン……?」
「ち、違うぞい! 聞け、ワシは決して邪な気持ちでこんなげえむというものを始めたわけではなくて!」
あたふたするグランのつけていたヘッドホンのコードがスクリーンから外れ、ゲームの音声が漏れる。
スクリーンではベッドに寝そべった可愛らしい女の子が、顔を赤らめて言う。
『いいよ、グランくんなら……。初めてをあげちゃうから♪』
「どぅわあああああ、見るな見るな、お主ら! 出てけ、散れええええ!」
激昂するグランは魔法で雷を作り出し、三人を追い出すために神殿内で容赦なくぶちかましてくる。
「「「わあああああああ!」」」
たまらずいったん外へ避難するレオンたち。あまりにも信じられない光景に、しばらく三人とも目が点になったままだった。
「うむ、よくぞ無事で戻った、アクアよ」
気を取り直して入った大広間はすっかり綺麗に片付いており、さっきの謎の光景は完全になかったことにされていた。グランも威厳あるガイアの長としての顔になっており、アクアとリコはどうにも腑に落ちないが、下手に触れない方がいいと思い、スルーすることを心に決める。
「して……そちらの……ぬぐっ……!」
冷静さを取り戻したかに見えたグランだったが、レオンの顔を見るとまた一変。青ざめ、体中に発心が出来始める。苦しそうで心なしか嘔吐感を堪えているようにも見える。
「ぐ、ぐ……れ、レオンよ、それにリコフォスも、ご苦労であった」
「いや~、お久しぶりです、グラン様。ところでさっきのゲームはどこへしまったんですか?」
「「!」」
「な、何のことじゃな……?」
「何のことって、たった今プレイしていた美少女ゲームですよ。グラン様も人が悪い、あれにハマってるなら俺にも声かけてくれればいいのに~。俺も結構好きなんです」
急速にリコとアクアの体温が下がっていく。よせ、レオン……。
もうお分かりの通り、レオンはグランを精神的に追い詰めようとしてわざと言っているわけではない。単純に興味津々で、グランがスルーしてほしいことだと気付いていないのだ。究極に空気が読めなくて、上司を怒らせてしまう。それがレオン・シェルシエール。
「そそ、それでどうじゃった? デジデーリョ山での成果は?」
「どこに隠したんですか? さっきのゲーム。この辺ですか?」
「やめんかああああああああ!」
グランが話を逸らそうとするのを華麗にスルーし、大広間内を探し始めるレオン。すると壁に不自然なボタンがあるのを発見し、ポチッとな、と押してみる。
ボタンを押すと天井から大型スクリーンが、床からゲーム機が、壁からは何と大量の美少女ゲームと、ゲームのキャラクターの抱き枕が大量にしまってある小部屋が現れる。
「「……!」」
「うおおおお、すげえ! 娯楽の一切ないガイアによくもまあこれだけの美少女ゲームを」
「……レオンよ。貴様に新たな指令を与えよう。今すぐ死ぬがよい」
「はい?」
「れ、レオン、逃げた方が……」
「駄目だ、奴は本気で、今グランが怒っていることに気付いていない」
グランは再び強力な雷を呼び起こし、レオンに対しぶっ放す。何のためらいもなく、清々しいくらいの殺意をもって。
「うひゃあああああああああ!」
レオンは神殿を飛び出して逃げ回り、追いかけるグランとの鬼ごっこは一時間続いた。その間、外で待機しているナキとトライは何事かと驚いていたが、レオンの帰還を知っていた魔人たちは「ああ、やっぱりか」と口を揃えて静観する者がほとんどだった。皆、レオンが来たからには一波乱あると確信していたのである。
二人とも逃げ疲れてヘトヘトになり、一時休戦ということで仕方なく神殿へ戻る。待ちくたびれたリコとアクアが呆れ返っていた。
「そ、そんな……怒らなくても……ゼーゼー……グラン様……」
「やかましい! ゴホッ、ゴホッ。そもそもこのようなゲームに、オエッ、ハマるきっかけとなったのは、ハァ……ハァ……お前へのストレスが原因じゃぞ! 血尿は出るわ、頭は禿げるわ!」
「頭は昔から禿げだったではありませんか」
「うっさいボケェ! ああ言えばこう言う、何で素直に反省できんのだ、貴様は!」
「出世できない部下の典型だな……」
「あ、あの、グラン様……お気持ちはわかりますが、そろそろ報告の方を……」
「む、むう、そうじゃったな。外界の者も待たせておることじゃし……」
散々ドタバタ劇を繰り広げた後、ようやく本題に入ることができる。アクアとリコは、それぞれ見てきたことを事細かに報告する。
「なんと……エアガイツが」
「デボレとバナーレが殺された理由がわからず、奴らが何を企んでいるのかまではわからなんだが」
「サタンはもともとならず者の多い里です。彼ら全体で何か魔人界を揺るがす、大きな陰謀を計画しているのかもしれません」
「むう……そなたはどう思う、レオン?」
レオンに話を振るが、さっきまでいた場所にはおらず、いつの間にかグランのゲーム機で遊んでいた。スクリーンではレモンちゃんという美少女の入浴シーンが映っている。
『いや~ん、グラン君のえっちぃ』
「おお、適当なセーブデータから再開したらいきなり入浴シーンが!」
「何をしとるんじゃあ、貴様ああああああああ!」
「グラン様、いつでもこのシーンが見られるようにセーブデータ残しておいたんですね。なかなか考えますね、このスケベ」
「おい……ワシを怒らせたくてわざとやっておるじゃろ? おお!?」
「俺も一個自分用のデータ作っていいですか?」
「駄目に決まっとるじゃろ! レモンちゃんはワシ以外の男と付き合わないんじゃ!」
「グラン……怒りが頂点に達して、ツッコミがおかしな方向へ……」
「レオン! あんた、あたしの話聞いてなかったの!?」
「いや、聞いてたよ、一応」
「じゃあちゃんと話に参加しなさいよ! いてもいなくても変わらないけど、駄目もとで意見ぐらい出しなさい!」
「う~ん、サタンの奴ら全員が黒幕ってことはないんじゃないか? そもそも陰謀ってなんだよ? 何するつもりなんだ?」
「えっ? う、う~ん……ベタに世界征服とか……?」
「あり得ない話じゃないけど、そしたらまず残り四つの里を敵に回すことになるんだぜ? 奴らも馬鹿じゃないし、俺らを過小評価もしない。よほどの勝算でもない限り、そんな手には打って出ないだろ」
あまりにも淡々と話すレオンの言葉に、思わずアクアは反論の言葉を失う。
「まあ……確かにな。レオンの言う通り」
「まず奴らが何をしようとしているのかを探ることが先決。その手掛かりは今のところただ一つ」
「浮遊都市パラディ……じゃな。むう……」
すっかりゲームをプレイしながら話すレオンに慣れてしまったグランもそこで考え込む。
「リコよ、引き続き調査を進めてはくれんか?」
「パラディへ向かえということか。了解した」
「あの、グラン様。俺は?」
「お主はいい。相変わらず無茶苦茶やったそうじゃからな。町を一個半壊させたり、疑わしいというだけで作業員に躊躇なく斬りつけたり、工場を爆破したり……」
「最後のはリコさんがやったことですけど」
「とにかくお前は用済みじゃ。もう結構じゃからその辺で遊んどれ」
「マジっすか! じゃあグラン様と二人でこのゲームを攻略……!」
「やっぱお主も行けええええええええい!」
今日のところはひとまず休んで、朝一番に出発することになる。リコはガイアの資料館へ、ナキとトライは来客用の宿泊施設に泊まることとなる。
施設は町の旅館さながらの豪華さで、正直自分の家よりも広くてナキは驚いていた。成り行きとはいえ、こんなところにタダで泊めてもらえることに感謝する。
夜中になり、眠れずに外の空気を吸いに行く。建物よりは自然が多く、海岸の方へ出て海を見るナキ。胸元にしまっているペンダントを取り出し、じっと見つめる。
「綺麗な石だな」
声をかけてきたのはレオンだった。ナキのペンダントについている赤い石を見て言った。
「眠れねえのか?」
「はい……何か目がさえちゃって」
「ま、色々あったもんな」
「すみません、トライが失礼な態度取ったりして」
「ん? ああ、気にしてねえよ。そもそも俺が悪いからな。レオーネがお前らの馬食っちまったから」
「はは……凄いですよね、あんな大きなライオン従えるなんて」
「昔、任務の最中に出会ってな。やらかすこともあるけど、親のいない俺にとっちゃ大事な家族みたいなもんだ」
「親が……? そうなんですか……」
「おいおい、しんみりすんなよ。そういう感じで話したんじゃないからさ」
「いえ……私も親がいませんから」
「そうなのか?」
「母は私が生まれてすぐに亡くなって、父も六年前に……」
「苦労してんだな、お前も」
「……この石、昔、私が拾ったのを二つに割って、片割れを父にプレゼントしたんです。死ぬ直前まで持っていてくれて……ただの石なのに……」
「ほぉ、嬉しかったんだろうな、娘からのプレゼントが」
「ここはいいところですよね。自然がいっぱいで」
「なーんもねえところだぜ? ゲームショップもないから美少女ゲームもできねえ」
「私の町は、建物ばっかりで自然が全くありません。昔はそんなことなかったらしいですけど……。一部の人間が豊かな暮らしをするために、生き物に大事な自然を消してしまったんです。愚かですよね……」
「……」
「……もう寝ますね。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
ナキは宿泊施設へと戻っていく。レオンはしばらくの間、ナキがそうしていたように海を眺めていた。
翌日。
宿泊施設のロビーに集まるナキとトライ。リコ、レオンと合流し、浮遊都市パラディへ向かう準備をする。
「では行くか。また貴様と一緒に行動することになるとはな。心労で昨日はほとんど眠れなかったぞ」
「嬉しそうですね、リコさん」
「これが遺憾の言葉に聞こえんとは、どういう神経しているのだ……?」
「あ、あの……昨日は何か、色々大変そうでしたけど、レオンさん。大丈夫でしたか?」
「ああ、平気平気。予定通りさ」
「予定通り……?」
「グラン様に任務を外されそうになったけど、ちょいとあの人のウイークポイントを突っついてやったから」
「……! まさか、お主、わざと……?」
「まだ仕事の途中ですからね。こんな続きが気になる状態でお預けにされたんじゃ嫌ですから」
そう微笑んで話すレオン。意外にしたたかな男だとリコは思う。
「さて、行きましょうか。レオーネ!」
レオンの声で森の方から飛んでくるレオーネ。
「待て、レオン。こやつ一人に四人乗りはさすがに可哀そうであろう」
「でもここまで来るときはアクアも入れて五人乗りでしたよ?」
「しかしパラディまでの距離はあれと比べ物にならん。さすがのレオーネでもバテてしまうだろう。私もしもべを呼ぼう」
するとリコの足元に魔方陣が出現し、竜巻が巻き起こる。やがてその竜巻が鳥の形に姿を変える。
「おお、風の鳥ですか」
「私の能力、『魔界桃太郎』だ。昨日見せた火の鳥、吹雪を操る猿、そしてこの風の鳥を召喚できる。こやつとレオーネ、二つに分かれて乗るとしよう」
「お、俺じゃあそっちの風の鳥がいいです」
真っ先にトライが名乗りを上げる。そういえば昨日、ガイアへ飛んでくる際もレオーネの背で終始怯えていたのをリコは思い出した。
「私はレオーネちゃんにしようかな」
「お、おい、お前もこっちにしとけって、ナキ」
「なんで?」
「なんでって、お前……」
「だって可愛いよ、レオーネちゃん」
そう言ってレオーネの頭を撫でるナキ。レオーネは嬉しそうに喉をゴロゴロ鳴らす。
「どこが可愛いんだ、どこが……俺らの馬、食ったんだぞ、そいつ……」
結局、レオーネにレオンとナキ、風の鳥にリコとトライが乗ることとなった。
レオーネの背にまたがって大空を羽ばたき、気持ちよさそうに風を受けるナキ。
「うわ~、凄い! 昨日も思いましたけど、やっぱり空を飛ぶって気持ちいいですね」
「あんまり飛空艇とかジェット機に乗ったこととかないのか?」
「私、スラムの出身なんで、そんな高価な乗り物はあまり……。せいぜいパラディと地上を繋ぐ直送便ロケットくらいです」
「あれはほとんど上へ飛ぶだけだもんな。風を感じることもできないし」
すると強風が吹き、バランスを崩して落ちそうになるナキ。慌ててレオンにしがみつく。
「きゃっ!」
「おっと、しっかりつかまってろよ。落ちないようにな」
「はい、すみません」
舌を出して笑うナキ。そんなレオンとナキの様子を見て、その斜め後ろを飛ぶ風の鳥に乗るトライが歯ぎしりしている。
「んにゃろ……あんな男にくっつきやがって、ナキの奴……」
「何だ、妬いておるのか? 小さい男よな。それなりに長い付き合いなのだろう? 自分の女がそう簡単に他の男にとられるかもと心配か?」
「お、俺とナキは別に、恋人とかじゃねえし……! ただ同じ町で育って、家族みたいな付き合いがあったから、そのままナキの親父さんの運び屋に入れてもらって……」
「ナキの父が?」
「ああ……六年前に死んじまったけどな。親父さんのあとを受け継いで、親父さんの仲間二人と、俺と、ナキも今年で16になって、一緒に仕事するようになって」
「なるほど、父の代から受け継ぐ大事な仕事か。それは命を懸けて職務を全うしようとするはずだな」
「俺は小さい頃、よくスラムで同い年の悪ガキたちに絡まれて殴られていた。そんな時に助けてくれたのが……ナキだった」
「何だ、お主? 女に助けられるとは」
「俺より5つも年下のくせに、何かやたら喧嘩に強かったんだ、ナキの奴。情けねえ話だけど……ナキがいなけりゃ、俺はもっと荒んだ暗い人生送ってただろうよ」
恋心もあるのだろう……。だがそれ以上に、トライのナキに対する特別な思いがあるようだとリコは感じる。
「……ところでよぉ、あの巻物の文字は解読できたのかよ?」
「むう、それが昨日、ガイアの図書室の古代文字全集から探してみたが、載っておらんのだ。世に存在する全ての文字が書かれているわけではないが、相当古い文字らしいな」
「そうか……」
「あっ、見えました、あれです!」
ナキが指さす先には、空中に浮かぶ巨大な都市……雲と共に風の流れに任せて空を飛び続ける浮遊都市パラディが見えてきた。
「相変わらずスゲエな、あんなでっかい町が空に浮かんでるなんてよ」
「全て銀竜ガルディアン様のお力です」
「ガルディアン……パラディの守り神だっけか? ほとんどの奴が見たことないって話だけど、本当にそんな奴いるのかね?」
「でもパラディ市長は毎日謁見しているそうですし、人間にあんな都市を空に浮かべる科学力はないですよ?」
「まあ……な。うっし、レオーネ、もうちょい高く飛んでくれ。落ちるなよ、ナキ」
「あ、はい」
ナキはまたレオンにしっかりとしがみつく。それを見て、またギリギリと歯ぎしりをしているトライ。
「男の嫉妬とはみっともないものだな」
「べ、別に嫉妬なんてしてないっすよ!」
浮遊都市パラディ……人口約1000万人。機械産業の発達した大都市で、地上との貿易もロケットを通じて積極的に行っており、娯楽も盛んである。高層ビルも多く立ち並び、夜でもネオンが煌めいて遊び続ける人も多い。正に夢の町……。
というのは表向きのイメージであり、実際のところはイメージ通りの生活をしているものは総人口の一割程度。残りの九割は働き尽くめ、スラム街で逼迫した毎日の生活を送る者も多い。
だが仕事は多く、失業者も少ないために町を出て行こうとする者はあまりいない。ただし最低賃金が非常に安いために、生活が不安定な者が絶えないのである。
町にやってきた者はまず空港へと向かわなければならない。無闇に侵入すれば不法入国者と見なされ、即刻逮捕される。都市の中央部には『調和の塔』と呼ばれる監視塔があり、そこからレーダーで都市内への侵入者をアリ一匹として見逃さない。
魔人であるレオンたちももちろん例外ではなく、パラディ圏内へ入ると空を飛ぶ探査ボールが飛んできて、音声ガイドで空港まで案内される。
空港では観光客や貿易商たちがレオーネを見て、例のごとく驚いたり悲鳴を上げたりしていた。空港スタッフがやってきて、レオンたちの持っているバッジを確認する。
「魔人様ですか……。申し訳ありませんが、そちらのライオンは預からせていただきます」
「むう……仕方ないだろうな。田舎町以上に、これが歩き回ると大騒ぎだ。すでに怯えている者もおるし……」
「レオーネ、大人しくしてるんだぞ? 間違ってもスタッフさんは食べちゃダメだぞ?」
レオンにそう言われ、やや怯えがちなスタッフと共に空港奥にあるオリへ連れて行かれるレオーネ。何もモンスターに乗ってやってくる客が珍しいわけではなく、魔人が存在する世界、こういった事態があるために対応は慣れていた。ただここまで強暴そうなモンスターを連れてくる者は少ないため、万が一、暴れるようなことでもあれば対応できるかスタッフたちも心配だった。
荷物検査も受けた後、空港を出て街中へ。その圧倒的に豪華な町の風景に初めてパラディを訪れるレオンは感激する。
「どわああああああ……! やっぱ噂に聞いていただけあるなぁ人、人、人、店、店、店だらけじゃねえか! なあ、あの建物は何だ?」
「カジノです」
「カジノってあれだろ? ギャンブルとかできるとこだろ? よし、行こう、ナキ!」
「コラ、レオン!」
「だ、駄目です。私たちは入れないんですよ。貴族の人でないと……」
「入れる奴が決まってるのか?」
「そういう町さ、このパラディはな。夢の町なんて言われてるけど、結局どこの世界でも同じように、金がモノを言うだけの場所だよ」
トライがそっけなくそう言う。トライもナキの幼馴染ということは、スラム街の出身。貧富の差の現実を嫌というほど見てきたのだろうと、リコは心中を察する。
タクシーをつかまえ、乗り込むレオンたち。
「スラム104までお願いします」
リコが行き先を告げ、タクシーが走り出す。どうやらスラムの町へ向かうらしい。
「そういえば届け先を詳しくは聞いていなかったな。誰に渡すのだ?」
「スラム104警察署勤務の、タスカー警部って方に渡せばいいそうです。顔写真も渡されたので」
「警察に……? どうしてまた?」
「やはり相当ヤバい品なんでしょうね、おそらく」
そんな話をしていると、タクシーのラジオから流れるニュースがレオンたちの耳に入る。
『続いてのニュースです。アインシティ在住の考古学者、コネサンス・グノスィ教授が何者かに殺害されました』
「「!」」
「コネサンス? どっかで聞いたなぁ……」
「物騒な事件が多いですよねぇ、お客さん」
運転手と和やかに話すレオンを尻目に、ナキとトライは真っ青な顔をしていた。
「そうだ、お主らに運び屋の仕事を依頼したという男……!」
『コネサンス氏の遺体は自宅近くの川へと捨てられており、正確な死亡推定時刻までは割り出せませんでしたが、警察の見解では死後三日は経っているとのことで……』
「三日……? そんな……!」
「どうした?」
「わ、私たちが依頼を引き受けたのが、三日前のことで……じゃあ……!?」
「……お主らに依頼をして間もなく、殺されたということか。あの連中か? お主らから巻物を奪おうとした」
「雇われだったってことは、黒幕がいるってことですしね。正確にはあいつらの雇い主じゃないですか、多分」
レオンの読みは正確だった。リコも同じことを考えていた。ナイフを見せて脅しつけはしたものの、おそらくあのチンピラたちには本当に人を殺すつもりはなかったように見えたからだ。金のために人殺しまでするほどの度胸があったように思えない。ということは殺したのは少なくともあの二人組ではなく……。
タクシーを降りたレオンたちはスラム街に到着する。繁華街の煌びやかな雰囲気とは対照的に、こちらは寂れてとても荒んだ空気が流れていた。町ゆく人々の身に着けているものもみすぼらしく、薄汚れている。格差がハッキリと伝わってくる町の様子だった。
「帰ってきたね、トライ」
「だな」
「帰ってきた?」
「私たち、パラディの出身なんです」
「じゃあ届け先が故郷だったってのか? そりゃ随分な偶然だな」
「ですから、もうここまで送っていただければ大丈夫です。あとは警察署に巻物を届ければ、歩いてでも自分の家に帰れますから」
「そうか。ならばここいらで別れるとするか」
「本当にありがとうございました。わざわざここまで送っていただいて」
「なあに、もとはと言えばこやつのせいだからな」
「そうそう、気にしなくていいんだぜ。はっはっは」
「貴様は気にせい!」
「ほら、トライもお礼言って」
そっぽを向いたままのトライ。馬を食べたレオーネの飼い主、レオンをまだ恨んでいるのか。それとも魔人全体が根本的に嫌いなのか……? リコはずっとトライからあからさまな〝敵意〟らしきものを感じていた。
「も~、トライってば」
「ああ、構わん構わん。私たちを好まない連中は大勢いる。慣れているから、気にするな」
「すみません。では……」
ぺこりと頭を下げ、行ってしまうナキとトライ。
「まあコネサンス教授の死は気になるが、ここまで来ればもう大丈夫だろうからな。私たちは私たちの任務に戻ろう。おい、聞いておるか、レオン?」
レオンはナキたちが完全に去らないうちから挨拶そっちのけでしゃがみ込み、地面の土を抉ってその人差し指で少しすくい上げる。
その土は……異様に黒かった。もともと土は黒寄りの茶色だが、ここのは本当に漆黒という表現がピッタリなくらい真っ黒だった。嗅ぐと、やや酸っぱい臭いがした。さっきから気になっていた独特の鼻をつく臭いは、どうもこの地面から漂っているものらしい。
「こんな土、初めて見ましたよ」
「ああ、確かに繁華街の方はアスファルトだったから気付かなかったな。しかし妙だな……二十年ほど前に訪れた時は、こんな色はしていなかったように記憶しているが……」
「その土……死んでるの」
レオンたちに話しかけてきたのはスラムの小さな子供だった。灰色のボロボロのワンピースを着た女の子。
「土が……死んでる?」
「いくら種を植えても、お花も野菜も育たないの。どんどん町中に、黒い土が広がっていく……」
「……」
ナキとトライは警察署へ行くと、タスカー警部は非番だとわかり、彼の家へ向かう。予めコネサンス教授から自宅の住所の方も教えてもらっていたため、一刻も早く古文書を届けたいので、家まで足を運ぶ。
「ここだ、タスカー警部の家」
スラムに住む人間ではあるが、警察関係者だけにそこそこ立派な家に住んでいる。貧民宅にはまずあり得ない庭や門もあり、他の国であれば普通の一軒家だが、パラディ市民にとっては羨ましいレベルである。
インターホンを鳴らすが、応答がない。玄関のドアがわずかに開いているのが見え、物騒なことに泥棒も多いこのスラムで施錠もしていないのかと心配する。
「留守みたいだな、タスカー警部」
そう言って出直すかと言おうとするトライだが、ナキは門をくぐって中へ入ろうとする。
「お、おい」
「だって、気になるじゃん。開けっ放しだなんて」
いなければいないでせめてドアをちゃんと閉めてあげたいと思って入っていくナキ。トライも周りに近所の人の目がないか確認してから後を追う。
「すみませーん、タスカーさーん? いらっしゃいませんかー?」
返事がない。家の中を覗くが、明かりがつけっぱなしになっている。留守には見えない。
そして……何やら血生臭い臭いに気付くナキ。先ほどタクシーで聞いたコネサンス教授の殺害事件を思い出す。
「なあ、出直そうって、ナキ」
「……!」
ナキは構わず家に上がり込み、廊下を進んでリビングに出る。
「お、おい、ナキ」
「! タスカーさん!」
「えっ……? う、うわあああああ!?」
それはここへ来るまで、全く予想だにしていなかった展開だった。リビングにて血まみれになって横たわる中年の男性……写真で見たからよく知っている顔。コネサンス教授が古文書の配達を依頼した宛先、タスカー警部その人だった。
腸をぶちまけ、無残な死体と化していた……。その眼はパッチリ見開かれ、無念の様子が嫌でも伝わってくる。
「そ、そんな……どうして……?」
「キヒッ、ご苦労ご苦労、運び屋さん」
「「!」」
聞き覚えのある声……天井を見ると、エアガイツが蜘蛛のように張り付いて待ち受けていた。
「て、てめえ!」
「キヒッ、古文書を渡してもらおうか」
「逃げて、トライ!」
天井から飛び降り、瞬時にナキの背後へ回り、その爪を首筋に当てるエアガイツ。
「……!」
「さあ、渡せ」
「わ、わかった。渡す」
「トライ!」
「も、もういいだろ、ナキ……。コネサンスもタスカー警部も死んじまったんだ。今更俺らがこいつに拘る理由もないんだ」
そう言って古文書の入った木箱を開け、中身の巻物を渡すトライ。
「キヒヒッ、素直でよろしい」
「早くナキを離せ!」
「慌てるな。古臭い悪党と違うんだよ、僕は。確認が取れたらちゃんと離してやる」
巻物を広げ、中を物色するエアガイツ。ナキの首に腕を回しながらのため、ナキも一緒に中を見ることになるが……二人してその表情がみるみる変わっていく。ナキは驚き、エアガイツは冷静ながらも怒っているような様子だった。
「……僕をおちょっくてるのかい、君ぃ?」
「えっ……?」
エアガイツはトライに巻物に書かれているものを見せてやる。そこにはどこかで見たことのある美少女の裸が描かれていた。そうだ……思い出した。最近流行っている美少女ゲームのメインヒロイン・レモンちゃんとかいうキャラだ、あれは。だがそれを思い出せたはいいものの、何でこんなものが書かれているのかはトライにもわからなかった。
「偽物ぉ!? ナキたちが持って行った古文書が!?」
「そうです。隙をみてすり替えさせてもらいました」
繁華街の方へ戻ったレオンたちは、ファーストフード店で食事をしていると、急にレオンがとんでもないことをカミングアウトし始め、リコは思わず食べていたハンバーガーを盛大に吹き出してしまう。
「な、なななななな……ぬわんだとおおおおおおおおお!? 何を考えとるんだ、貴様は!?」
「いや、コネサンス教授が殺されたのがやっぱり気になりましてね。俺が持っているのが一番安全じゃないかと思いまして。殺しまでして奪おうとしてくる連中ですよ? 警察に届けたくらいじゃ不安ですし、下手すりゃそのタスカー警部って人まで殺されかねないって思うんです」
「か……考えられん。何を貴様の直感だけで勝手なことをしくさってくれてるんだ! あれほど言っただろう、私の指示なしで余計なことを……!」
「まあまあ、多分向こうは今頃、開けてびっくり玉手箱でしょうけど、あいつらもこれ以上関わらない方がいいんですよ、この巻物には。ヤバい臭いがプンプンしますからね」
そう言って笑顔で本物の巻物を見せびらかすレオン。全く反省していないその様子に、ついにはリコも頭痛がしてくる。
「グランよ……恨むぞ、こんな奴を私に押し付けたことを。貸せ! 今からでも遅くない、ナキたちを追いかけて渡してくる!」
「ああ、ちょっと!」
巻物を奪おうと手を伸ばすリコ。とられまいともう一方の手を伸ばして遮るレオン。それから巻物を巡っての攻防が繰り広げられ、両者手をジタバタ動きまわす。するとそのドサクサで、レオンの手がリコの胸にタッチしてしまう。
「「あっ……」」
一瞬、時が止まる。
「いやああああああああ、エッチいいいいいいい!」
「ぶげらっ!」
リコのビンタがレオンの頬に炸裂する。実に古臭いお色気ラブコメの見本みたいな光景だった。店内でさっきから騒いでいる二人に注目していた他の客たちも思わず呆れる。
「ななな、き、貴様……触ったな……!? 生まれてこの方、誰にも触らせたことないのに!」
「いつつ……あ、そうなんですか? すみません」
「何でそんなあっけらかんとしていられるのだああああああ!? 女子の胸を触ったのだぞ! もう少しラッキースケベらしいリアクションをしたらどうなんだ、ええ!?」
「〝女子〟って歳でもないでしょう」
「ま、また言うか、それを! 殺す……もう許さん、殺す!」
「あれ? 誰にも触らせたことないって、その歳で処女だったりします? まさか」
「ギクッ! な、なななな、何を言う!? そんな関係ない話を……!」
「うわ……色気のない85年間だったんですね。色恋沙汰の一つもできなくて」
レオンは馬鹿にするわけでもなく、本当に心の底から同情し、憐れんだ目でリコを見つめる。その潤んだ瞳が余計にリコの心を傷つけた。
「や、やめええええい! そんな目で見るなあああああ! わ、私だって、こ、恋の一つくらいなぁ……!」
「お、お客様、他のお客様のご迷惑になりますので、あまり騒がれないように……」
「うるさあああああい! そういう貴様もどうせ嘲笑っているのだろう、私のことを!?」
「ひいい!?」
ついには恐る恐る注意に来た女性店員にまで八つ当たりし始めるリコ。
「私は男なんて腐るほど付き合ってるから、全く男に相手にされないこの人はかわいそうねぇなんて、優越感に浸っているのだろう、違うか!? 貧乳のちびっ子のくせに年寄り臭くて、スタイルもいい私とは大違いねぇとか思っているのだろう!? そうだと言え、そうだと認めて謝れええええええ!」
「ひいいいいいいいいいいいいい!?」
「おお、リコさんが壊れた……」
ついには店を追い出され、メインストリートをとぼとぼと歩くレオンとリコ。
「駄目じゃないですか、関係ない店員さんにまで八つ当たりするなんて」
「……よく真顔で注意できるものだな。誰が私をあんなに怒らせたと思っている?」
どうせ伝わらないだろうが、一応皮肉をたっぷり込めて返す。そこでリコは、ようやく何故揉めることになったのか、その経緯を思い出す。
「そうだ、巻物! 返さんか、馬鹿者!」
「いいじゃないですか。本当に必要だったら向こうから取りに来ますよ」
「恐ろしい開き直り方だな……ほとんど窃盗に近いすり替え工作を行ったというのに。いいから返せ!」
「ああ、ちょっと!」
レオンから巻物を奪い取るリコ。するとストリートの向こうからトライが走ってくるのが見える。
「トライ! トライではないか、ちょうどよかった!」
「ありゃ? ナキはどうしたんだよ?」
「あ、あんた! よくも古文書をすり替えてくれたなぁ!」
「り、リコさん、トライの奴、何かスゲー怒ってますよ……?」
「それがどうしてなのかわからんようなら、お主、一度医者へ行くといいぞ」
「あいつが……あの魔人が、タスカー警部を殺しやがったんだ!」
「あの魔人とは……エアガイツか!? まさか、ナキは……!?」
「さらわれた……本物の古文書を持ってくるようにって、そのために人質に!」
「「……!」」
トライは自分の携帯電話に着信が来たことに気付き、衣服のポケットから取り出して出る。そして相手の会話を少し聞いてから、電話をレオンに渡す。
「もしもし、僕だけど」
「どこのオレオレ詐欺だよ? ちゃんと名を名乗れ」
「エアガイツだよ。女を助けてほしければ、巻物をよこすんだね」