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宝石の目と海の翅 ~ムシの国の物語~  作者: 福山陽士
最終章 戦火の孤島編
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20.終焉

 風が吹き抜ける城の屋上。

 フライアもラディムも、ヴェリスの一連の実験記録を見て放心していた。

『記録』を見れば、元の姿に戻る手掛かりを得る事ができるかもしれない――。

 今までに多くの混蟲(メクス)たちがずっと抱いていたその希望は、いとも簡単に打ち砕かれてしまった。逆に、もうどうしようもないのだと、悟らざるをえなかった。

 そんな中、ペルヴォだけが満面の笑みを浮かべていた。


「はは……。まさか、記録を『記憶共有型』にしているとは……。僕には考えもつかなかったよ。ヴェリス、君は本当に僕を翻弄してくれる。最高に面白いよ!」


 ペルヴォは既にいない同僚に向けて、笑い声をあげた。

 床に転がる、真っ二つに断たれた紅色の宝石。それは、ペルヴォがこの国に来た目的そのものだった。

 フライアは彼にこれを渡すくらいなら――と、身を切る思いでラディムに破壊を頼んだ。だが、それは最悪の選択だったのではないか。

 フライアは体を掻き抱き、震える。

 目の前でヴェリスの『形見』を破壊されたペルヴォが、激昂して襲いかかってきてもおかしくないと思っていた。その覚悟はできていた。

 たとえ彼に命を絶たれようと……争いの元凶が消滅するのならば、それでも良いとさえ。

 だが、現実は想像を遥かに凌いでいた。魔道士という存在は、自分たちの常識に当てはめることなどできないのだと改めて思い知らされた。

 これからペルヴォは、どうするのだろう。

 ヴェリスの記録を頭に焼き付け、新たな存在を作るのだろうか。自分たちのような思いをする人間が、増えてしまうのだろうか。

 フライアはおそるおそるペルヴォを見やる。

 震えるフライアを見下ろすペルヴォの顔は、先ほどラディムと交戦していた時とは、まったくの別人のように穏やかであった。その変化に、フライアは思わず目を見開く。


「お姫様を殺しても、僕の気持ちは未来永劫晴れることはなかっただろう。だが、ヴェリスが僕に最高のものを見せてくれた。もう、満足だ。今はとても、満ち足りた気分だ」


 疑問で満ちるフライアの心を読んだかのように、フッとペルヴォは息を吐いた。


「さすがに、もう疲れたんだよ」


 呟くペルヴォの顔は、みるみるうちに青年から中年のものへと変貌を遂げる。

 突如変化した彼の顔が信じられず、フライアは口を開けて呆け、ラディムは目を擦っていた。

 これまでペルヴォは自身に魔法をかけ、命の期限を騙し続けてきていた。だが、既に彼の魔法力は尽きる寸前だった。フライアがペルヴォと地下との接触を断った時以降、補充をしていなかったからだ。その状態でアルージェの船を動かし、ラディムと交戦までした。

 地下で気まぐれをおこさず、蟻たちに魔法力を分けてもらえていれば、状況はまた違っていただろう。

 だがペルヴォはもう、『もし』を求めて過去を振り返らない。先ほど言葉にした通り、ペルヴォは既に満ち足りていたのだ。


「さて……。これで君たちとの会話も最後にするとしよう。ヴェリスはどこにいるんだい?」


 フライアはラディムに目配せをすると、彼は小さく頷いた。それを見たフライアも、彼に頷き返した。

 二人は、ペルヴォから敵意が消えたことを感じ取ったのだ。


「あそこの森の……一番大きな木の根元です……」


 立ち上がれないフライアは、首だけを動かして城を囲む森の一角へと視線を送る。

 崖の近く、海を望むように立つ巨木は、離れていても容易に見分けがついた。

 アルージェの船が一斉に砲撃したことで、その周囲も被害を受け、(えぐ)れている。だがまるで、何かの力に守られているかのように、巨木は傷つくことなく佇んでいた。

 ペルヴォはそちらに目をやった後、ラディムの前に転がる、二つに断たれた紅色の宝石を笑顔で見た。


「それはもう、好きにしていいよ。どうせ既に中身は『(から)』だ」


 言い終えると、ペルヴォは二人を振り返ることなく、屋上から飛び降りた。







 城門の前で死闘を繰り広げていた面々は、突如として頭の中に流れ始めた映像に、言葉を失い立ち尽くしていた。


「これ……は……?」


 幻にしては、あまりにも鮮明な一連の映像。しかも自分だけが見えているのではないと、皆それぞれ周囲の反応から少しずつ察していく。

 剣を振り下ろそうとしても、脳内で見える『実験体』がまるで目の前にいるようで、現実の距離感がまったくわからない。あらゆる武力が、無効化した瞬間でもあった。

 異様なほど、周囲は静まり返っていた。混乱状態にあった民衆の声も聞こえない。

 脳内に響くのは、実験体の状態を『こちら』に向けて語りかける、淡々とした女性魔道士の声。


「あなた方が得ようとしているオレたち混蟲(メクス)の力は、今見ている者たちの末路。オレたちにしてみれば、呪われた力なのです……」


 そんな中、同じく立ち竦んでいたエドヴァルドが、静かに呟いた。

 皆が一斉に、彼女の頭部から伸びる触覚に目を向けていた。エドヴァルドの言葉は異様な説得力を持って、この場の者の胸に刻まれる。


「呪われた力、か……」


 大剣の切っ先を地に付け、ワスタティオは目を閉じる。


「どうやら混蟲の力というものは、我の趣味ではないようだな……」


 虫の力を体に宿し、魔法が扱える混蟲。その力の源の正体を、こうもまざまざと見せつけられては。

 これを見たうえで混蟲を求める者は、既に心の何かが欠けた狂人のみであろう。ワスタティオは力を求めてはいるが、根底にあるのは国を想う心である。力が国を脅かすものであれば、即座に切り捨てることを(いと)わない人物だった。


「よかろう……。我らは手を引くことにしよう、テムスノーの姫よ。一人で何十人もの我が国の精鋭を相手にできる、主の力は非常に惜しいのだがな」


 満身創痍のアルージェの兵たちは俯きながらも、何も言うことはなかった。

 戦場の獅子。

 いつからかワスタティオに付けられた二つ名は、自ら戦いの場に赴くという意味だけのものではない。必要なものを瞬時に見極め、切り捨てていく『王』としての器を表したものでもあるのだ。

 例え多くの犠牲が出た後であれど、ワスタティオの判断に異論を唱える者は誰もいなかった。それほどヴェリスの実験記録は、彼らの心に多大な影響を与えていたのだ。


「……一つだけ、訂正させてください。オレはテムスノーの姫ではない。本物の姫様は、もっと清楚で可憐です」

「ふむ。では主は東洋の国で言うところの、『影武者』というやつか?」

「それともちょっと違うのですが……」


 困惑気味に頬を掻くエドヴァルドに近付く人物がいた。オデルだ。

 慣れない槍を振り回したせいか顔には疲労の色が濃く浮かんでいるが、碧い目はしっかりと前を見据えていた。

 オデルはエドヴァルドの横に立つと、彼女の肩に手を回した。突然密着してきたオデルに、しかしエドヴァルドは振り払うどころか、目を丸くすることしかできないでいた。


「立っているのもやっとなのだろう?」と、オデルは小声でエドヴァルドに言う。

 その通りだった。既に倒れている者を除けば、この場で一番疲労しているのは、間違いなくエドヴァルドだった。

 オデルの気遣いを素直に受け入れたものの、エドヴァルドの心拍数は急激に上昇を始めていた。オデルの体の線はどちらかというと細いのだが、頭の位置は自分よりも上だ。


「彼女は確かに王女ではない。だが、この国では王女に次ぐほどの地位を持つ御方です。そして僕は、彼女の夫となる」

「なるほど。レクブリックに手を出すと、この者たち――混蟲たちの力が我らの前に立ちはだかると。そう言いたいのだな? たとえ、混蟲たちがそれを望まずとも」


 ワスタティオはオデルを見やりながら、鋭さの残った笑みを浮かべた。オデルは真っ直ぐとワスタティオを見据えたままだ。

 頭上で交わされる言葉を、エドヴァルドは固唾を呑んで見守る。

 今この瞬間、二つの国の行方を決めるやり取りが行われているのだ。緊張しないわけがなかった。

 何より、レクブリックがオデルを差し出してまで混蟲の力を求めた理由。それは目の前にいる、戦場の獅子と呼ばれる王にあるのだから。


「レクブリックの『知』は、アルージェとしては是非とも手に入れたいところであるのだが……」


 顎髭を撫でながら、ワスタティオは(しば)し逡巡する。やがて、火を消すような長いため息を吐いた。


「よかろう。ひとまずレクブリックからも手を引こう」


 思わず安堵の表情を浮かべるオデル。しかし、ワスタティオは険しい顔のまま彼を見据えて続ける。


「だが、約束できるのは我の代だけだ。次のアルージェの王がどう判断するのかは、我の知るところではない。既に我も引退を視野に入れている年齢であるとだけ、伝えてはおくがな」


 それでも、オデルにしてみれば十分すぎる返答であった。

 未来に先送りしたと言えなくもない。だが、未来がどう転ぶのかなど、誰にも知り得ないことなのだ。

 オデルはワスタティオに対し、深く頭を下げた。


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