18.告白
ラディムの一撃を受け、ペルヴォはたまらず体を二つに折った。しかし、上昇は止まらない。苦悶に満ちた顔のまま、屋上までたどり着く。
紫の炎に焼かれながら、ラディムもまた屋上へと足を着けた。その瞬間、水の魔法で自分の全身を『消火』する。
「ぐっ……!」
しゅううぅ、と音を立て、ラディムの体から白い煙が上がる。その瞬間、突き刺すような痛みが彼を襲った。
既にラディムの体はボロボロであった。一部は炭化したかのように黒ずんでいる。
全身から送られてくる『痛い』という感覚に、正直なところ気が狂いそうだった。それでも彼は、複眼でフライアの居場所をすぐに確認する。
フライアは、屋上の端でへたりこんでいた。その胸には、紅色の宝石を抱えている。体から取り出した反動で、体が動かなくなっているのだろう。
ラディムとしてはもっと遠くに逃げていてほしかったのだが、フライアが飛ぶことに慣れていないのを知っているので、ある程度予想はしていた。
ペルヴォもフライアの存在に気付いたのだろう。その口角が不気味に上がった。
(やばい――)
ペルヴォは魔法で光の剣を作り出す。それを手に、一目散にそのフライアの元へ向かう。そうはさせまいと、ラディムもすぐに彼女の元へ飛んだ。
「顔から斬り刻んでやろう!」
ペルヴォの魔法で作られた剣が、フライアを捉える寸前。
ラディムがフライアの前に立ち、腕の刃と魔法でそれを受け止めた。衝突の瞬間、ヴン、と低い音が鳴った。
ラディムは歯を食い縛り、足に力を込める。
細身の体のどこにそんな力があるというのか、ペルヴォの押し込む力は強力だった。
血走ったその目は、ラディムの後ろのフライアだけに注がれている。
激しい執着を感じた。
自分が少しでも引いたら、間違いなくフライアは切り刻まれる――。
「猛る炎よ。刃となり闇をも焼き切れ!」
ラディムはさらに魔法を重ねた。
ペルヴォとの正面から押し合いは続く。
魔道士の魔法にも負けていない――。
ペルヴォと真っ向から対抗できていることに、当のラディムが一番驚いていた。
自分の魔法は、今この時のためにあったのだ――。刹那の間に確信した。
しかし、ペルヴォも引かない。
「目障りだ」
小さく呟き、ラディムに向けて片手をかざし――。
その瞬間、ラディムは腕の炎を解き放った。
衝突する両者の魔法。
それは、凄まじい風を生み出した。
衝撃派に似た強い風は、屋上を駆け抜けた。
フライアの小さな体を、容易く外壁に叩きつけるほどの威力だった。
「――っ! フライア!」
だが、ラディムは彼女に駆け寄ることができない。
たたみかけるように、ペルヴォが次から次へと魔法を放つ。
「うおああああああああッ!」
雄叫びを上げながら、ペルヴォは魔法の雨をラディムへと注いだ。
炎、氷、刃、雷、光、闇――。
節操なく、そして見境なく、ペルヴォは魔法を撃ち放った。
対するラディムは、腕に纏わせた魔法で、ペルヴォの魔法を叩き潰していく。
だが、全ての魔法は潰せない。
ラディムの顔を、腕を、体を、ペルヴォの魔法が傷付けていく。
それでも、ラディムの目は鋭い光を帯びたままだった。負けじと、ラディムも魔法を繰り出していく。
激しい魔法の撃ち合いは続いた。
魔法の衝突がさらに風を、煙を、火花を生み、城の屋上は混沌と化していた。
「馬鹿な……。なぜ、倒れない!? 魔道士である私と、対等にやり合うなど――!」
――今にも倒れそうなんだがな……。
ラディムは心の中で苦笑した。
絶対に、ここで倒れるわけにはいかない。
その心のみでラディムは立っていたのだ。
やがて、ペルヴォの魔法の手がやんだ。
その隙を見逃さず、ラディムはすぐにフライアの元へと飛んでいく。
ペルヴォはラディムを追いかけない。追いかけるほどの余裕がなくなっていたのだ。
彼の手から魔法の剣も消える。大きく肩で息を繰り返し、鋭い眼光をフライアへと向けるばかり。
ラディムは、フライアの体を静かに抱き起こす。壁に激しく叩きつけられても尚、フライアは紅色の宝石をしっかりと胸に抱いていた。
フライアはラディムの姿を見た瞬間、泣きそうな顔になってしまった。触れるのも躊躇ってしまうほど、彼の全身は酷い有様だったのだ。
「フライア、大丈夫か?」
「ラディム……」
フライアよりよっぽどラディムの方が酷い傷であるのに、それでも彼はフライアの身を案じる。
フライアは薄紅色の瞳で彼をまっすぐに見据えると、とても小さな笑みを作った。
「あのね。私ラディムのこと、大好き……だよ」
それは、あまりにも唐突で、場違いな告白だった。ラディムは驚愕のあまり、目を見開くことしかできない。
力のない笑みを浮かべていたフライアの目に、みるみるうちに涙がたまっていく。
「なのに私、とてもひどいこと、頼もうとしてる。ラディムのこと好きなのに、とても大切なのに。今、こんなに傷ついているのに」
「フライア……?」
「でも、ダメなの。私の力じゃ、どうしても無理なの。私も混蟲なのに、どうしてラディムやエドヴァルドみたいな力がないんだろう……」
ごめんね、ごめんねと、フライアはまるで子供のように泣きじゃくった。
ラディムは、フライアがこれから自分に何を頼もうとしているのか、察することができてしまった。
だが、非難することなどできない。元より、する気もない。彼女は優しい。だからこそ、今こんなにも苦しんでいる。
ラディムはフライアの頭に、優しく手を置いた。
「言っただろ。何があっても守るって」
今にして思えば、あれは命を賭しても――という意味であって、これからの状況までは想定していなかった言葉である。
だが、それがどうした――。
ラディムは心の中で笑い飛ばした。死ぬより、ずっといい。
「……俺はやっぱり、お前の扱える魔法が少なくて良かったと思ってるよ」
フライアは首を横に振る。その仕草がさらに子供っぽくて、ラディムは小さな笑みを浮かべた。彼女の本質は初めて会った時から変わっていないのだと、改めてわかったからだ。
自分に『混蟲』という新たな道を示してくれた少女。
荒んでいた心に、優しい風を運んできてくれた少女。
今こそ、恩を返す時がきたのだ。ラディムはそのように思った。
「千五百年分の混蟲の想いと、これからの罪……。全部、俺が背負うから」
ラディムはフライアの腕から紅色の宝石を取ると、静かに立ち上がった。
風が、吹く。フライアの涙を撫で、紫紺の髪を舞い上げる。
「だから、泣くな」
そして、ラディムは笑った。コバルトブルーの瞳は、どこまでも優しい色をしていた。
「大気よ。我が身に宿りて鋭い刃と成せ」
ラディムはいつもより落ち着いた口調で、魔法の詠唱を終える。
彼の腕を、風の刃が覆った。それは、どこか厳かな光景だった。
『壊すことなら得意なんだがな』と、ラディムはふとエドヴァルドの言葉を思い出してしまった。今、彼女がこの場にいなくて良かったと、ラディムは心の底から思った。こんなもの、彼女に背負わすことなどできない。
ふっ――と、自嘲のような諦観のような、複雑な笑みをこぼしたあと。
ラディムは紅色の宝石を――ヴェリスの遺した『研究データ』を、腕の刃で真っ二つに断ち切った。
「――――――――!」
ペルヴォが声にならない悲鳴を上げる。
だがその声は、宝石から発せられた激しい光によって、すぐに遠ざかっていった。