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宝石の目と海の翅 ~ムシの国の物語~  作者: 福山陽士
第3章 戎具の婚姻編
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16.衣装替え

 スィネルは長い前髪をかき上げた。手のポーズが無駄に格好良く決まっていて、ラディムは少しだけイラッとしてしまった。


「それではフライア様、早速ですが着替えていただきます。その格好も大変美味し……いえ、麗しいのでこちらも後ろ髪を引かれる思いなのですが……! やはりそのまま外に出ると目立ってしまいますゆえっ」

「着替えるって、まさかここでか」


 ラディムは思わず眉間に皺を作る。

 確かにスィネルの言う通りなのだが、それとこれとは別だ。発言者がスィネルというだけで、どうしても不安が拭えない。


「私の寝室に案内するから大丈夫だよ。ほら、そこにドアがあるだろう?」

「あんたの寝室ってだけで大丈夫な気がしないんだが……。まぁ別の部屋があるんなら、今は目を瞑ってやる」

「ではフライア様、こちらにどうぞ。この日のために、はりきって服をたくさん用意させていただきました! そうそう、全て(はね)が出せるデザインですのでそこはご安心を! どうぞお好きなのをお召しになられてください!」


 用意周到すぎるスィネルに、さすがにラディムも少し引いた。

 まさか、フライア専用の服まで用意してあるとは。自分の寝室に、それもたくさん――。

 冷静に考えれば、この場をやり過ごす一着だけで良いはずなのだが。彼はフライアをこのままここに住まわせるつもりなのか――と思わずにはいられない。

 だが当のフライアの顔はキラキラと輝き、頬も紅潮していた。

 混蟲(メクス)になってから自由に服を選ぶということができなくなってしまったので、純粋に嬉しいのだろう。そんな彼女の顔を見てしまっては、ラディムも何も言うことはできない。


「何から何まで、本当にありがとうございます」


 丁寧にお辞儀をして、寝室へと姿を消したフライア。スィネルはフライアの礼に歓喜し、しばらくの間部屋の中をウロウロと徘徊していた。

 ラディムは壁に背を預け、落ち着きのない茶髪の領主を呆れながら見つめる。

 先代が急逝したのでスィネルに急遽代替わりしたらしいが、東領はこんな領主で本当に大丈夫なのだろうか……と、ラディムはつい思ってしまうのだった。


「そうだ、君も何か着るかい?」


 ウロウロと徘徊しながら、唐突にスィネルがラディムに聞いた。

 確かに、現在ラディムは上半身裸である。翅を出すために、また自ら服を切り刻んでしまった。もう少しその当たりはどうにかしたいとは思っているが、現状良い案はない。


「いや、気持ちだけもらっとく……」


 ラディムは困惑しながら頬を掻いた。この後また、すぐに翅を使用することになるのだ。


「そういえば、スィネルの屋敷で働いている奴らは今は何をしているんだ? 前に来た時は昼寝休憩だったみたいだが」


 誤魔化すように、ラディムは話題を振る。


「今日は休暇を与えたんだ。警備はガティスがいるから問題ないと告げたら、みんな嬉々として城下町へと繰り出して行ったよ」

「そうか……」


 その屋敷の主がこのような計画に荷担しているなどとは、彼らは考えてもいないだろう。

 自分たちは国中の人間を騙している――。

 わかってはいても、ラディムの胸に発生した小さな痛みは消えない。







 さすがに、多勢に無勢だった。

 攻撃を仕掛け始めた頃はぎこちなかった兵士たちの動きも、この場の空気に慣れてきたのか、次第に鋭さを増してきていた。

 多くの兵士に押され、フェンはじりじりと後退している。元より、フェンの目的は彼らを傷つけることではないので、尚さらだった。

 フェンの張っていた光の魔法障壁は、既に消えていた。新たにかけ直す隙を、兵士らが与えてくれないのだ。

 挑発はするのに防戦一方のフェンを見て、兵士らの中に、フェンの目的に気付き始める者が出てきた。そんな中、一人の兵士が声を上げた。


「第一部隊から第四部隊は姫様とラディムを追え! 第五から第八はオデル王子とエドヴァルドだ! 伝令は直ちに城へ伝えに行くんだ!」


 その声に短い返事で答え、一斉に動き出す他の兵士たち。城下町に散り散りに去って行く兵士の姿を、観衆は固唾を呑んで見送った。


「おぉ。次の兵士長候補、なかなか絞れたな」


 状況は不利。それでも、駆けて行く兵士らの後ろ姿を眺めるフェンの顔には、笑みが広がっていた。







 オデルを背負ったまま、地下坑道を駆け抜けるエドヴァルド。

 オデルは彼女の背に揺られながら、周囲に気を配っていた。この国に着いた時も港から地下へ入ったのだが、流れる景色が逆になると印象が随分と違う。

 そのオデルの警戒も、結局は徒労に終わることになる。地下に入ってから、人とすれ違うことがなかったのだ。地下に住まう者たちも、ほとんどがパレードを見るために城下町へと出向いていたのだった。

 やがてエドヴァルドは、とある袋小路で足を止めた。ようやく彼女の背から解放されたオデルは、ホッと小さく息を吐いた。

 目の前の壁には、木製の看板がぶら下がっている。


『酒場☆キャシー』


 看板の文字を読んだオデルは眉を寄せた。エドヴァルドの出自を簡単に聞いていたオデルは、彼女が女王蟻の元へ行くものだとばかり思っていたのだ。

 疑問を口に出す前に、エドヴァルドは既に酒場の扉を押し開けていた。

 カランカランと、入り口に付けられた鐘の音が鳴る。

 店の中には誰もいなかった。明かりも付けられておらず、しんとした空気が広がっている。


「アウダークス、オレだ」


 静まり返る店の中に向けエドヴァルドが声を投げると、すぐさま店の奥にある扉が開いた。

 出てきた人物を見たオデルは、思わず息を飲み込んでしまった。

 燃えるような赤い髪を持つ立派な体躯のその人は、どう見ても男性だ。しかし、身に着けている服は何故か女性のもの。おまけに、唇には紅も塗られている。膝の下から露わになっている逞しい脚はきちんとケアしているのか、ムダ毛はない。


「待っていたわよエドヴァルド。そちらが例の王子様ね。なかなか良い男じゃない」

「王子、紹介します。オレの両親の知り合いのアウダークスです。彼には幼少期より世話になっているのです」


 エドヴァルドの紹介を、オデルは意識の半分で聞いていた。アウダークスが舐め回すような視線をオデルに送ってきていたからだ。


「あらぁ。こういうお店は初めてだから緊張しているのかしら? 大丈夫、ただの酒場よ。といっても、今日は休業日だけれど」

「たぶん、違う。アウダークスに怯えているんだろう」

「失礼ねえ。人を見かけで判断したらダメなんだから」

「それはその通りだが、アウダークスは下心が顔に出ているから王子もこういう反応になるんだ。とりあえず、中を借りるぞ」


 店の奥にズンズンと歩いて行くエドヴァルド。彼女の後をオデルは慌てて追いかけた。この赤髪の主人と二人で取り残されることに、不安以上のものを抱いてしまったからだ。


「そんなに怖がらなくてもいいのに。本当に失礼ねえ」


 笑顔で文句を吐きながら、アウダークスも店の奥へと向かうのだった。






 部屋の中はピンク一色だった。部屋に入るなり、オデルは再び石像のように固まってしまった。


「この国には、個性的な人しかいないのかな……」

「安心してください。見た目だけでなく家の中までここまで個性的なのは、たぶんアウダークスだけです」

「君も十分個性的だけどね……」


 苦笑しながらのオデルの言葉は、エドヴァルドにしてみれば魚に水を浴びせたのと同義だったのだろう。表情一つ変えることなく、彼女はようやく入ってきた部屋の主に振り返る。


「とりあえずは上手くいったみたいね」


 ドアを後ろ手で閉めながらアウダークスが言うと、二人は同時に頷いた。


「そうだな。でもむしろこれからの方が大事だ」

「その計画が少しでも上手くいくように、私からプレゼントがあるの」

「プレゼント?」

「そう。ちょっと待ってて」


 アウダークスが向かったのはクローゼットの前だ。部屋と同色のピンク色は、まるで部屋に擬態しているようにも見える。

 目の錯覚を誘発するクローゼットからアウダークスが取り出したのは、フライアが着ていたような純白の衣装だった。だが眩しい輝きを放つウェディングドレスは、普通のそれより随分と丈が短い。ヴェールも用意されてあったが、そちらも腰の長さほどだ。


「アウダークス……それは……」

「あなた達から『計画』を聞いてから用意したのよ。どうせなら、ちゃんとした格好で皆の前に出て行きなさい。あなたの機動力を殺さないために丈は短くしちゃったけれど、そこは我慢してね」


 アウダークスはドレスをエドヴァルドの前に突き出し、白い歯を覗かせた。

 エドヴァルドはしばらく、漆黒の目を見開いたまま固まっていた。


「ありが……とう……。ありがとうアウダークス」


 ようやく顔と感情を揺らめかせたエドヴァルドに、アウダークスは微笑みで答えた。


「さて、お着替えの時間よ。ちょっと悪いけれど、王子様は店の方で待機してもらえるかしら? 誰かが来ても無視しといていいから」

「……わかりました」


 元より女性の着替えを見学するつもりなどなかったオデルは、素直に頷いたのだった。






 アウダークスと二人きりになった瞬間、エドヴァルドは躊躇(ためら)いもなく服を脱ぎ捨てた。下一枚だけを残したその姿は随分と細く、これまで男性として生きてきたようにはとても見えない。引き締まった筋肉もほとんど主張をしておらず、仮にラディムやフライアがこの姿を見ても、岩壁を一撃で破壊するような体には到底思えないだろう。彼女の力は混蟲であるこそがゆえだった。


「もう少し恥じらいなさいよ……」


 エドヴァルドにしてみれば、アウダークスは赤子の時からの付き合いだ。彼女に羞恥心はなかった。


「時間が惜しい。それよりアウダークス。これは着けなければならないのか……?」


 エドヴァルドが言ったのは、ドレス用の補正下着のことだ。彼女は今まで、このような物を身に付けたことがない。珍しく動揺が顔に広がっていた。


「当たり前でしょ。……ていうか私今気付いたんだけれど。あなた、あの王子様に背負われてやって来たのよね?」

「あぁ、まぁ」


 途中で入れ替わったのだが、なぜか言い難い雰囲気を感じたのでエドヴァルドは咄嗟に誤魔化してしまった。


「つまり……押しつけてたのね?」

「え?」

「無自覚か……。これはそういう教育をしてこれなかった私たちの責任だわ……。後で王子様に厳重に注意しておかなくちゃ」

「何を言っているのか理解できないんだが……」

「男はみんな狼なのよ。豹変するのよ。きっかけなんてたくさんあるんだからっ。肝に銘じておきなさいっ」


 拳を握り、眉を開いて力説するアウダークス。

 しかしエドヴァルドは、『豹変ということは、何かのきっかけであの王子もアウダークスのようになってしまうのか……』と少しずれた解釈をしてしまったのだった。

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