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宝石の目と海の翅 ~ムシの国の物語~  作者: 福山陽士
第1章 古の魔道士編
7/103

7.宝石の目(1)

   ※ ※ ※



 混蟲(メクス)と会ってはいけない。混蟲は魂が汚れた者だから。

 前世で酷いことをしたから、混蟲などになってしまうのだ。 

 混蟲と話してはいけない。その罪深さが移るから。

 人間は選ばれた者、混蟲はそうでない者。

 混蟲とは汚らわしい者。人ではない者。



 まるで唄のように、まるで呪文のように。

 ラディムは毎日毎日、母親から混蟲(メクス)のことについて聞かされてきた。だが当のラディムは、あまり混蟲のことに関心はなかったので特に何も思わなかった。

 近所に混蟲の人がいないのでそんなことを言われても実感ができないし、それに大昔は、この国のみんなは混蟲だったと耳にしたことがある。

 でもそのことを言うと、母親は怒った。

 なぜ、母親はそこまで混蟲を嫌うのか。理由はわからなかったが、母を怒らせるとヒステリックで面倒なので、それ以来、混蟲のことについては適当に聞き流すことにした。






 カーテンの隙間から覗く朝を背中に浴びながら。ベッドに腰掛けたまま、ラディムは手を顔に這わせ、戸惑っていた。目覚めたら左右のこめかみ付近に、小さな突起が現れていたのだ。

 着替えもせずに部屋を出たラディムは、食卓の用意をする母親に、突起を見せながらこれは何かと尋ねた。


「あぁ、にきびね。思春期になるとたまに出てくるのよ。顔をよく洗いなさい」


 母親は笑顔を浮かべながらそう言った。

 これが、にきびというのか――。

 ラディムは納得して、今日からもう少し顔を丁寧に洗おう、と心に決めた。自分が肉体的に成長したように思えて、少し嬉しかった。





 次の日の朝も、ラディムは手を顔に這わせていた。何だか昨日より、にきびが大きくなっている気がしたのだ。


「これくらいの大きさなら普通よ」


 母親に聞いてみたが、優しく(さと)されて終わる。ラディムは、昨日より入念に顔を洗うことにした。 





 にきびができてから五日目の朝。ラディムはこめかみに走り続ける、鈍い痛みで目が覚めた。にきびに触れると、じんじんとした痛みが茨のように顔中に這う。

 ラディムは母親に痛みを訴えた。ラディムのそれを見た母親は、怪訝な顔をしたまま口を開く。


「今日、お医者様に見てもらいましょう……」


 朝食を済ませると、二人はすぐに街の小さな医院へと駆け込んだ。





 眼鏡をかけた灰髪の医者は、人当たりも良く、この辺りでは評判の医者だ。中年の医者は、ラディムのこめかみをひどく驚いた顔で凝視していた。

 パールほどの大きさの透明な物体が、彼のにきびの下から覗いていたのだ。

 母親は、不安げな表情のままラディムの側に立っていた。その彼女に顔を向けた医者は、低く、それでいてはっきりとした口調で告げる。


「これは『目』ですね」


 母親は、何を言っているのかわからない、という表情になる。ラディムも、医者の言葉が瞬時に理解できなかった。

 医者は再度ラディムへと顔を近付ける。そして様々な角度から入念にそれを見ながら続けた。


蜻蛉(とんぼ)の目。『複眼』と呼ばれる物で間違いないでしょう」


 噛んで含めるように、医者はゆっくりと告げる。


「お母さん。息子さんは『混蟲(メクス)』です」


 その言葉を聞いた母親は、まるで死刑宣告を受けた罪人の如く、愕然としたまま足元から崩れ落ちた。




 医者に行ったその日の内から、母親の態度はあからさまに変わった。

 目を逸らす。会話も一言、二言で終わらせる。母親の口から出る言葉は、「極力外へ出るな」と、それのみ。

 ラディムは母親の態度の急変に戸惑ったが、何も言うことはできなかった。

 小さな頃から聞かされていた、混蟲に対する偏見の言葉を思い出す。母親は、混蟲が心から嫌いなようだった。なのに、自分が混蟲になってしまったから。

 だが、それでも。わかっていても――。

 少年の心は傷ついた。

 ガラスの破片で、引っ掻かれたかのように。





 数日後、パールほどの大きさだった『複眼』は、オリーブの実ほどの大きさにまで「成長」していた。

 ラディムが朝食を食べ終えた時、さらに異変は起こる。

 朝食の後片付けをする母親を、椅子に座ってぼんやりと見ていたラディム。その顔が突如困惑で染まる。

 突然、右手に設置された食器棚、そして左手にあるドアも彼の視界に入ってきたのだ。しかも普通の見え方ではない。まるで反射しない万華鏡を通して見ているかのような、変な見え方だったのだ。わけがわからなかった。

 見えないはずの範囲が急激に見えるようになった途端、ラディムは強烈な吐き気に襲われた。目から脳に送られる情報が、一気に増えたせいだ。

 突然えずき出したラディムを、母親は冷ややかな眼差しで見つめるだけで、介抱するどころか近付こうともしない。ラディムはぐらつく視界のまま、洗面台へ這うようにして向かった。





 その日は、ラディムの父親の命日だった。ラディムが四歳の時、林業を生業としていた父親は、同僚のミスで倒れて来た大木の下敷きになり、命を落としたのだ。

 当時の母親は、憔悴しきっていた。だが、一人で子どもを育てていかないといけない、という現実に奮起したのか、以来ラディムを懸命に育ててきたのだ。

 ……あの日までは。


 街外れにある共同墓地の一角で、父親の墓に花を手向け、祈りを捧げる母親とラディム。

 先日の件以来、少年と母親の関係は歪なままだった。

 ラディムは祈りを終えたが、母親はまだ熱心に祈り続けている。ラディムは母親の後ろに少し離れて立ち、待ち続けた。


「どう……して……」


 墓に向けて、母親が小さく声を漏らす。


「どうして……混蟲なの……」


 母親の口から出てきた単語に、ラディムの表情がピクリと強張った。


「どうして、どうして、どうして!?」


 母親の声は、怒気を含めて徐々に大きくなっていく。


「私もあなたも、父も母も、義父様も義母様も、祖父も祖母も! みんな! みんな人間だったのに! なのになぜ、この子は混蟲なの!? どうして!? ねぇ、答えてよあなた!」


 髪を振り乱し、目に幾ばくかの狂気を湛えながら、母親は墓に向かって叫んだ。


「どうして。ねぇあなた。どうして……」


 そして目から溢れる涙で地面を湿らせながら、墓に縋り付く。


「そんなに、そんなに混蟲が嫌なのかよ……」


 墓に縋り、故人の名を呼び続ける母親の姿を見ながら、ラディムは声を震わせ、初めて(あらが)った。


「そんなに俺が嫌なのかよ!?」


 母親にぶつけたその怒号は、悲哀に満ちたものだった。


「嫌よ!」


 だが母親は容赦なく言い放ち、鋭い眼光でラディムを睨みつけた。


「嫌に決まっているでしょう!? だって、私の最愛の人を殺した奴と同じ、混蟲なのよ!?」


 母親の言葉に、ラディムは大きく息を呑む。なぜそれほどまでに混蟲を嫌うのか、ようやく合点がついた。

 父親が木の下敷きになった原因――。その同僚が、混蟲だったのだ。母親は目を剥き、さらに続ける。


「それに蟲、蟲なのよ! 気色悪い! 汚らわしい! 怖ろしい! それが自分が一生懸命育ててきた子供だなんて! あなたに私のこの気持ちがわかる!?」


 その言葉は、ラディムの心をいとも簡単に絶望で染めた。そして彼の心の底から湧いてくるのは、憎悪に満ちた黒い、黒い感情。


(ダメだ、殴ったら。それは、ダメだ)


 ラディムは、自分の内側から湧き出てくる黒い部分を必死に押さえ込む。強く握られた彼の拳は、震えが止まらなかった。

 だが唐突に――。両腕に感じる、違和感。

 ラディムは拳から力を抜き、違和感の正体を確かめるべく、腕を見る。


「……あ……? な……んだよ……これ……」


『それ』を見たラディムは、擦れた声を上げるので精一杯だった。

 彼の腕から、鋭利な刃物のような突起が五本生えてきていたのだ。驚愕するラディムを置いて、突起は見る見るうちに伸びて行く。それは手首に近いほど長く、肘に近づくほど短い物だった。そう、まるで蟷螂(かまきり)の腕のような――。


「い、いやああああ! 来ないで! 来ないで!」


 ラディムの腕の変化を見た母親は、目を血走らせながら錯乱し、絶叫した。母親の反応を見たラディムは、即座に走り出し墓地を抜け出した。ただひたすら、方向も考えず、とにかく彼は走った。


「ちくしょう……。何でだよ! 何なんだよ一体!?」


 ラディムはただ、悔しくて哀しくて仕方がなかった。


「俺だって、なりたくてなったわけじゃない!」


 目から溢れる水を拭いながら、ラディムはただ走り続けることしかできなかった。





 月の明かりが静かに降り注ぐ森の中。月の光しか照らすものがない森の中。ラディムは虚ろな目をしながら、ふらふらと歩いていた。

 あれからしばらく走り続けたのだが、さすがに息も切れ、その後はただ黙々と歩き続けていたのだ。人目のある街中や街道を避け、道なき森を、ただひたすらに。

 ラディムは今自分がどこにいるのか、場所をまったく把握していなかった。唯一わかっていたのは、海がそう遠くない場所にあるということ。遠くの方から、波の音がわずかに聞こえていたのと、潮の匂いが風に乗りやってきていたからだ。

 自分は母親の前に、二度と姿を見せてはいけない、とにかく遠くへ行かなければならない――。

 その決意のみが、彼の足を動かし続けていた。

 無心で森を歩き続けていると、少し拓けた場所に出た。月を映す、小さな湖が控え目に存在している。湖を見た少年は、飲まず食わずだったことをふと思い出す。引き寄せられるようにふらふらと湖に近付き、淵に膝を着いた。

 湖面に浮かぶのは満月と、複眼の付いた自分の顔。


「――っ!」


 忌々しげに自分の顔を手で割り、水を掬う。その瞬間、ラディムの体はがくりとバランスを崩し、音を立てて湖へ転がり落ちた。そこで初めて、ラディムは自分の体が疲弊しきっていることに気付いたのだ。

 ラディムの喉を、鼻を、水は容赦なく覆い続ける。ラディムは必死で岸に上がろうともがくが、当に限界を超えていた体と水分を含んで重くなった衣服が(まと)わりつき、体は思うように動かなかった。


(あぁ、ここで死ぬのか)


 苦しさと共に彼の中で急激に肥大するのは、死という概念。しかし、不思議と怖くはなかった。


(これで、いいのかもしれない)


 薄れゆく意識の中、ラディムは母親の絶叫する顔を思い出す。自分のせいで、母親は壊れてしまったのだから。


「――――」


 何かが聞こえた気がしたが、ラディムは確認する余裕もなく、そのまま水の中で意識を失った。






「あら、気が付いたようね」


 ラディムが目を開けると、状況を認識する間もなく、誰かに声をかけられた。声のした方に顔を向けると、白衣を着た金髪の女性がこちらに近付いてくるところだった。女性のアーモンド型の目は、ラディムを真っ直ぐと捉えている。ラディムの目に映る彼女は九十度に傾いていて、自分は今寝かされているのだと、ようやく彼は理解した。


「――ここは?」


 様変わりした景色に、ラディムは戸惑いの表情を浮かべ女性に尋ねる。

 直後、少しツンとした匂いがラディムの鼻を通り抜けた。頭を反対方向に捻ると、清潔な白のシーツが敷かれたベッドが二つ並んでいた。壁一面に置かれた戸棚の中には、小瓶が所狭しと並んでいる。


「俺は確か、湖に落ちたはずじゃ……。もしかして、ここはあの世? あなたは神様?」


 ラディムの言葉を聞いた白衣の女性は、翡翠色の目を丸くし、硬直する。しばしの間、室内に張る沈黙。そして女性は、糸が切れたかのように笑い始めた。女性の反応に、ラディムは眉間に皺を寄せ暗に非難する。彼は本気で聞いたらしい。


「あら、ごめんなさい。でもここはあの世でもないし、私は神様でもないわ」


 笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭きながら、女性は答える。


「ここはね、城の医務室。そして私は、城の専属医師イアラよ」

「城……!? え、何で城に!? あなたが俺を助けてくれたのか?」


 想像すらしていなかった場所の名前を告げられ、ラディムは勢い良く毛布を剥がしながらベッドから半身を起こした。が、自分が服を身に着けていないことにそこで初めて気付き、慌てて毛布を掛け直す。イアラはラディムの反応にもまったく気にする素振りを見せず、続けて彼に言った。


「服は今乾かしているわ。あなた、城の墓地近くにある湖で溺れていたそうじゃない。あなたを助けたのは、私じゃないわ。この城の兵士よ。今呼んでくるわね」


 イアラが入り口へ向きを変えたところで、ちょうど扉が勢い良く開いた。


「あらあら。タイミング良いわね」


 (にび)色の鉄の胸当てを身に着けた黒髪の兵士が、医務室へ入ってきた。年齢は三十前後だろうか、とラディムは男を見て漠然と思った。


「イアラ先生、様子は?」


 イアラは無言のまま、顎でラディムを指す。ラディムの姿を捉えた兵士は、満面の笑みを浮かべながら彼の元へと近付いた。


「おお、気が付いたんだな少年! 良かった良かった。俺が見回りで気付かなかったら、お前間違いなく死んでいたぞ。飲んだ水は全部出たか?」


 兵士はラディムの背中を豪快に叩きながら笑った。あまりにも強く叩かれたせいで、ラディムは少しむせてしまう。もっと手加減をしてくれとラディムは思ったが、助けてくれたのは彼らしいので、その言葉は飲み込んだ。


「おっさんが俺を助けてくれたんだな。ありがとう」


 息が整うのを待ってから礼を言ったラディムだったが、兵士はそこで犬歯を剥き出しにした。


「なっ!? 誰がおっさんだ誰が! 俺はまだ二十五だぞ! お兄さんと呼べ!」


 二人のやり取りに、イアラは再び大笑いする。ラディムは素直に礼を言ったつもりだったのだが、思いがけない兵士の反応に目を丸くした。


(二十五なのか……。もっとおっさんに見えるんだけど)


 率直な意見を口に出そうとしたが、また背中を強く叩かれそうな気がしたので堪えることにする。

 兵士はラディムとイアラの顔を交互に見やり、軽く咳払いをすると佇まいを正した。瞬時に兵士の顔が真剣なものになり、ラディムの心に否応なく緊張が走った。


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