6.複雑な再会
港から、ぽっかりと空いた断崖絶壁の『中』へと入ったオデル一行。
彼らを迎えに来た案内の者は、金と銀の髪を持つ男女だった。パルヴィとヘルマンだ。
地上と地下が交流を始めた今も、彼らは女王蟻の右腕として働き続けていた。オデルの迎えと案内という重大な任務を負った二人の顔は、緊張のせいか幾ばくか固い。
先頭にパルヴィが着き、続いてエニーナズ、その後ろにオデル、ヘルマンが続いた。そして数人の従者達がヘルマンの後ろにぞろぞろと続く。
パルヴィは迷路のような坑道内を、迷うことなく進み続ける。外の世界から来た花婿を歓迎する人々で溢れる坑道内は、いつもにも増して狭く、進み辛くなっていた。
オデルが前回来た時は、地下のことは全く知らなかった。興味深く周囲を観察しながらオデルは歩き続ける。
手紙で、ある程度は地下の情報を彼は知っていた。その事前情報の通り、混蟲だと思われる人達をちらほらと見かける。彼らは外の国からやって来た王子に、複雑な視線を送ってきていた。
そうだよな、とオデルは内心苦笑する。
前回訪れた時に、人間と混蟲を隔てる感情はオデルも目の当たりにしていた。混蟲からしてみれば、オデルの存在は面白くないだろう。
「どうかされましたか?」
後ろを歩くヘルマンがオデルの感情の変化を敏感に察知し、声をかけた。
「これほど多くの人たちに出迎えてもらえるとは思っていなかったから、少し緊張しているんだ」
前回は突然の訪問だったこともあり、このような出迎えはなかった。崖をよじ登り、皆が疲労困憊で城まで辿り着いたことを思い出したオデルは、小さな笑みを浮かべた。
「左様ですか。皆、王子を心待ちにしていたのでしょう」
ヘルマンはそれ以上深く聞いてくることはなかった。
パルヴィとヘルマンも混蟲であるが、オデルに対してはどちらかと言うと良い感情を抱いていた。
以前ラディムらと血を流す闘いを繰り広げた二人は、女王蟻が地上との交流を始めてから何度も彼女に付き添い、地上に赴いていた。その時にラディムらとは和解していたのだ。最初こそ互いにぎこちなかったものの、混蟲同士ということもあり、彼らが打ち解けるのにそう時間はかからなかった。地上と地下が一つになったことで、かつて敵対していた者とも肩を並べられるようになったのだ。
そのようなパルヴィとヘルマンの事情を知る由もないオデルは、土の匂い漂う坑道内を進み続ける。歓迎の声をかけてくる人達に、時おり笑顔で手を振りながら。
地下を出たオデルを待っていたのは、爽やかな新緑の匂いと、鈍色の胸当てを身に着けた大勢の兵士、そして懐かしい顔だった。
相変わらず見事だと溜息をつきたくなる彼女の青い翅は、森の隙間から覗く陽光を受け、淡く輝いている。オデルは彼女の姿を確認した瞬間、破顔せずにはいられなかった。
「お久しぶりです、フライア姫」
「オデル王子。お元気そうで何よりです」
しかし彼女の隣に、あの複眼を持つ少年の姿がないことがかなり気掛かりだった。軽く首を回して周囲を見回すが、やはりその姿を確認することができない。
どのような顔をしてラディムと会えば良いのか、国を出た時からずっと悩んでいたオデル。会えなかった落胆とまだ会わずに済んだという安堵とが、同時に彼を襲ってきたのだった。
「フライア王女。こちらは父のエニーナズです」
一歩引き、オデルはフライアに父を紹介する。積もる話より先に、王族としての形式的な挨拶を交わさなければならない。
「お初お目にかかります、姫君。レクブリックの王、エニーナズ・アレニウスと申します。これから倅がお世話になります。姫君自らお出迎えくださるとは、光栄の至り」
「こちらこそお目にかかれて光栄です、エニーナズ王。遠方よりわざわざお越しくださったことに、感謝の意を表敬致します」
エニーナズとフライアが挨拶を交わすのを、オデルは黙したまま見守る。
混蟲のフライアを見ても、エニーナズの整った凛々しい顔に変化は見られない。この父は自身の感情を隠すのが本当に上手いなと、オデルは心の中で苦笑する。そのおかげで、今日この状況があるわけだが。
「二人とも、ここまで王たちを誘導をしてくださってありがとうございました」
パルヴィとヘルマンを笑顔で労うフライア。二人は膝を折り、深々と頭を下げた。大役を終えた安心感からか、二人の肩から少し力が抜ける。
「では、ここからは私が城まで案内致します」
そして今度はフライア自らがオデルらを城へと誘導するのだった。
「なるほど。確かに見事な翅だな……」
フライアの後ろ姿を見つめながら呟いたエニーナズの言葉に、オデルは自身が誉められたわけでもないのに少し嬉しくなるのだった。
かつては立ち入り禁止区域に指定されていた、地下の入り口。鬱蒼と茂る森の中にひっそりと存在していた入り口だが、地下との交流を始めてから、その周辺は見違えるほど綺麗に整備されていた。
入り口の両脇には、テムスノー城の中にあるような黄みがかった白い円柱が立てられた。そして森から街道まで繋がる新たな道も造られたのだ。
まだそれほど人の足に踏まれていない新道の上を歩き、王族達はテムスノー城へと向かった。
ラディムは城の門の前に立ち、沸き上がってくる欠伸をかみ殺していた。
フライアの護衛である彼であるが、このように人が大勢集まる式典などでは、一時的にその任務を解かれることが多かった。その間の仕事は、他の兵士達と変わらない。
フライアほどではないが、やはり彼の複眼も目立つことに変わりはない。人間の前に堂々と姿を現すと後々面倒なことになる――という空気を彼は敏感に察し、おとなしくフライアの側から離れていたのだった。兵士は城に大勢いる。ラディムだけが彼女を守れるわけではない。
だが以前とは違い、地下との交流を始めてから――そして港が完成してから――人間達の混蟲に対する感情も、少しずつだが変わってきているのをラディムは肌で感じていた。創立祭の時に、フライアと共に堂々と城のテラスに立てる日が来るのは、そう遠くはないだろう。
何より、今回の婚約の件もあるしな――。
ラディムが自嘲気味に口の端を上げた時だった。陽の光に照らされ、いつもより一際眩しく輝く、青の翅が彼の視界に入ったのは。
フライアの後ろには見たことのない金髪の中年の男性と、見たことのある金髪の青年がいた。
オデルもラディムの存在に気付いたらしい。
離れていた『友』との再会。
だが今は互いに駆け寄り、再会を喜ぶことはできない。大切な『儀式』の最中なのだから。
「ラディム……」
通り過ぎざま、悲痛な顔を向けてくるオデル。ラディムは彼の心情が手に取るようにわかってしまった。
やはり今回の婚約の話に、オデルは噛んでいない。むしろ利用された側なのだと、その一瞬で確信した。ラディムは心の隅で安堵する。
「久々に会えたんだから、そんな泣きそうな顔すんなよ。せっかくの美形が台無しだぞ」
通り過ぎる金髪王子に向け、ラディムは小声で明るい声をかけた。
確かに、未だに胸は誤魔化せないほど痛くて苦しい。それでも彼ならば、フライアを任せられる。他の兄弟や得体の知れないどこぞの馬の骨ではなく、むしろオデルで良かったと、ラディムは無理やり思考を良い方向に変えた。
オデルは微笑のような苦笑のような複雑な笑顔をラディムに見せた後、フライアに続き城の中へと姿を消した。
オデルが案内されたのは、以前と同じ客室だった。ちなみにエニーナズは別室だ。
前に訪れた時と同様に、埃一つ落ちていない部屋の中。シックな色合いの丸テーブルも、円形の細工が施された背もたれがある椅子も、記憶にある物と変わっていない。違うのは、テーブルの上の花瓶に生けられた花だけだった。
オデルは従者達を部屋から下げさせると、一人小窓に近寄り、窓を開け放す。
妖精が囁いているかのような風が、オデルの顔を優しく撫でていく。オデルは瞼を閉じ、しばらく窓辺に佇んだ。
『私も上手くいく気がするわ。何もかも』
以前ここで、同じように窓の外を眺めながらヴェリスは言った。
今なら、彼女の言葉の意味が理解できる。あれはオデルに向けた言葉ではなかった。ようやく見つけた『実験体』達を前に、胸が高鳴っていたのだろう。あの時の彼女は、一体どのような顔でいたのだろうか。
――考えるのはよそう。
国に帰ってからは彼女のことを極力考えないようにしていたのに。この場所にいると、どうしてもヴェリスの姿を思い浮かべてしまう。オデルは軽く頭を振る。
――どうか、上手く事が進んでほしい。
しかしオデルはヴェリスの幻と重なるように、心の中で祈るのだった。
彼を慰めるかのように、再び風がオデルの顔を撫でた。




