1.予兆
この仕事が終われば、大金が貰える――。
全身を汗と粉塵にまみれさせ、顎に無精ひげを生やした坑夫は、手に持ったつるはしで眼前の岩と硬い土をひたすら掘り進めていた。坑夫が腕を振り上げる度に、粉塵の混じった灰色の汗が無精ひげから滴り落ちる。
彼が仕事を始めたのは早朝。今はもう日が落ちる寸前だというのに、その動作はきびきびと軽やかだ。
半月ほど前に彼が受けた仕事は、まさかの王直々の依頼であった。
曰く、とある山を掘り『あるモノ』を探し当てて欲しい――と。
場所は大体は特定しているが、精細な場所は不明なので見つかるまでかなり掘ってもらうかもしれない。その分、報酬は出し惜しみしない――。
王の使者と名乗る小太りの男から受け取った書簡には、そのような事が書かれてあった。もっとも坑夫は字が読めなかったので、その使者に読んでもらったわけだが。
依頼人が王ということで、抗夫は最初は警戒した。本当にその依頼は本物なのだろうかと。抗夫がこれまでに仕事を請け負ってきたのは、田舎の権力者ばかりだ。しかし小太りの使者が身に着けていた今まで目にしたことのない上質な生地の服や、指を彩るごてごてとした装飾品を見て、彼は信じることにした。王がわざわざ彼に頼んだのも、地元の抗夫を雇った方が効率が良いからだと、そのような説明を受けて納得した。確かにこの近辺の山がどのような性質なのか、彼はよく知っている。
しかし王は何を探しているのか。それに関しては全く不明だった。
とにかく、掘り当てたらすぐにわかる――。
使者はそれだけを繰り返した。抗夫は、あらかた秘密の財宝でも探しているのだろうと予想した。情報を洩らさないようにするということは、おそらく金絡みだ。もしかしたら坑夫も知らない、金脈が眠っている可能性もある。
まあ何を掘り当てても、報酬さえきちんと貰えれば関係ない。
既に前金は貰ってあった。前にとある小さな町でトンネルを掘ったことがあるのだが、前金だけでその時の報酬と同等の金額であった。さらに使者はこう告げたのだ。
「この前金は、全報酬の十分の一です」と。
つまり仕事を終えることができたなら、追加でこの十倍の金(正確には十分の九であるが、坑夫には理解できていなかった)が入ってくるということだ。さらには大量のタバコまで報酬の前払いと共に渡されていたのだ。単調な坑道での仕事にタバコは欠かせない。抗夫が張り切らないわけがなかった。
抗夫は坑道内で作業をしている他の男たちに向けて、声を張り上げる。
「どうだ! 何か見つけたか?」
「まだ、何も!」
もう何度目になるかわからない指揮官の抗夫の問いかけにも、彼の部下たちは面倒臭さを匂わすことなく答える。彼らにも既に前金は支払われている。彼らも今までに請けてきたどんな依頼よりも、心が弾んでいたのだ。
「親方。そろそろ日が沈みます」
ランタンを手にした若い抗夫が、入り口のあるほうからやって来た。時間を知らせに来たのだ。入り口近くに拠点を造り、二交代制で夜通し掘り進めるのが彼らのスタイルだった。
「む、そうか。そろそろ交代するとするか」
抗夫が腕で汗を拭った直後だった。
「お、親方!」
それは別の場所を掘り進めていた抗夫の声だ。皆が一斉にその声の主へ顔を向ける。
「どうした!? 見つけたか!?」
坑夫は小走りで駆け寄った。他の坑夫たちも黒くなった顔に期待を滲ませ、ぞくぞくと集まってくる。
「こ……これ……」
最初に見つけた坑夫は、そこで言葉を失ってしまう。しかしわざわざ説明を受けなくとも、ひと目見ただけで他の坑夫らも『これ』を理解することができた。
彼らの眼前に広がっていたのは、見飽きた硬い土ではない。そこには小さな穴が空いていたのだ。坑道に突如出現した、不自然にぽっかりと空いた空間。その穴からは、ランタンの光が不必要になるほどの光が洩れてきていた。
眩しい。
なぜ、ここに光があるのだろうか。ここは文字通り山の『中』だというのに。
信じられない光景を前に、抗夫たちは絶句する。
しばらく放心したあと、ようやく無精ひげの指揮官は声を発した。
「……広げよう」
ごくりと喉を鳴らし、各々手に持った道具で穴を広げていく。
少しずつ、慎重に。
彼らが掘り進める度に、穴の中からの光が坑道内を照らす面積が増えていく。
そして――。
目が合った。
こつこつ、と窓を叩く音がした。
一羽の白い鳩の姿を窓の外に確認すると、書類の束に印を押す作業を黙々とこなしていた壮年の男は即座に立ち上がり、窓を開けた。すぐさま鳩は室内に入ってくる。男が小さな笑みを浮かべると、目元に刻まれた皺が少しだけ深くなった。鳩は喜びを表すかのように室内を一周したあと、男の肩に降り立った。
ねぎらうように鳩をひと撫でした男は、鳩の細い脚に括り付けられていた書簡を慣れた手付きで外す。小さく丸められた紙を広げ、そこに書かれてある文字に目を通したあと、男は碧い目を瞼で覆い隠した。
――軍部に動きあり。物資の運搬を開始。
右に跳ねる癖のある字は、信頼を置く密偵の者の字で間違いなかった。
「もう、猶予はない……か」
低く押さえた声で呟き金の髪をかき上げると、男は窓の外に視線を送る。
窓の外一面に広がるのは、整備された町並み。チェスの盤上のように網目状に張り巡らされた通りを、人々が行き交っている。男がいる場所は四階、加えて町まではほんの少し距離があるので喧噪までは届いてこないが、それでも人々の出す生のエネルギーが、男の耳や全身を撫でていくのが感じ取れる。
この光景を守るためにも、ここを戦場にしないためにも、早急に何とかしなければならない。
男が切迫した感情を眉宇に漂わせた時だった。
外からまた一羽、今度は灰色の鳩が既に開かれていた窓から室内に入ってきた。男の肩に先客がいることを確認した鳩は、部屋の隅にある本棚の上に着地する。男は申し訳なさそうに鳩を見やりながら、小さく笑みをこぼした。
「お前は、実にタイミングが良いな」
灰色の鳩はつぶらな瞳を壮年の男に向けたまま、首を傾げた。