混蟲たちの宴(下)
皆は一斉にイアラへと目を向ける。イアラは両手を激しく顔の前で振った。珍しく、焦っている。
「まさか。お酒なんて入れていないわよ!」
「でも確かに、フライア様は『酔っている』という言葉がしっくりくる様子でいらっしゃる」
エドヴァルドにまで言われ、イアラの眉がさらに下がる。
「本当に入れていないわよ。甘みを引き出すのと香り付けのために、お花の蜜は少しだけ入れたけれど……」
「花の蜜?」
「そう。でもその蜜にアルコール成分なんて含まれていないわ」
皆は一様に首を捻る。イアラが嘘を言っているようには思えなかった。彼女は雰囲気こそ周りを巻き込むマイペースっぷりであるが、誰かにイタズラを仕掛けるような性格ではない。何より、同じ物を飲んだ自分達には何も変化がないのだ。
「もしかしてだけど……。フライアが蝶だから……か?」
呆然としたラディムの呟きに、皆が目を見開いた。
「そんなわけが――と言いたいところだけど、可能性あるかも……」
神妙な面持ちで、名探偵よろしく顎に手を当てるイアラ。フェンもエドヴァルドもうんうんと頷いている。しかし発言者である当のラディムは、彼らの反応に手をパタパタと横に振った。
「いやいやいや、冗談だって。自分で言っておいてなんだけど、花の蜜で酔ってしまう蝶の混蟲ってなんだよ」
「でも、姫様だしねえ」
「そうだな。姫様だからな」
「確かに、フライア様ならありえる」
「あんたらのフライアに対する認識ってどんなんだよ!?」
口を揃えて納得する彼らに、ラディムは思わずツッコんでしまうのだった。その一方で「でもフライアだからあるかもしれないな……」と納得してしまいそうな自分がいるあたり、ラディムもまた彼らと同類ではあるのだが。
「だって姫様ってこう、存在も雰囲気もメルヘンというか? ほわわんって感じじゃない。だからお花の蜜で酔ってしまうようなメルヘンさもありかなって」
「確かにしっかりしておられる反面、ほんわかもしておられるしな。きっと体内もメルヘンでいらっしゃるに違いない。」
「……癒し系というやつだ」
各々、本人を前にして好き放題を言っている。フライアの酔っぱらい状態とは関係のないことのような気もするが、確かに彼らの言う通りなのでラディムも否定はできない。
「まあ、今さら何を言っても仕方がない……。水を飲ませたら酔いも覚めるか?」
ラディムの言葉にイアラは素早く反応し、すぐに水を用意する。それを受け取ったラディムは早速フライアに水を飲ませようとしたのだが、彼の眼に映るフライアは先ほどよりも深い寝息を立て始めていた。試しに肩を叩きながら声をかけてみるが、ピクリとも反応がない。これでは水を飲ませることは不可能だ。
眉間に皺を寄せるラディムの手から、エドヴァルドが水を奪い、彼に付き出した。
「なんだ? もったいないからって俺はいらねえぞ。酔ってなんかいねえし」
「いや、こうなれば口移しかないなと」
「くっ――!?」
顔を真っ赤に染め上げ、一本後退するラディム。イアラとフェンも彼に期待の眼差しを向けていた。嫌な予感しかしない。
「た、例えそれをやったとしてもだな。そもそも意識がないやつに水を飲み込ませるのは無理だろうが!」
「わからんぞ。お前がやったら王女様も嚥下してくださるかもしれん」
「どんな根拠!?」
「というわけでさあ、やってみようか」
「やらねえし! ていうか、こんな時だけ表情豊かになるなお前!」
にっこりと笑うエドヴァルドに、ラディムはビシリと指を突き出して拒否をする。
「まぁ口移しは冗談だとしても、姫様はしばらくお目覚めにならないことは確実だろう。ラディム、お前がフライア様をお部屋まで運んで差し上げろ」
真面目な顔でフェンにそう言われてしまっては、従うしかない。
ラディムは一縷の望みをかけて「代わってくれ」という意思を込めた目でエドヴァルドへチラリと視線を送る。しかし彼女は親指を立て、微笑した。
「いいか? この前言ったことを思い出せ。お前は肉食系のエリートだ」
「その言い方はやめろ……」
彼女に期待すること自体が間違いであった。
フェンに、イアラまでもがラディムに親指を立ててウインクをしていた。自身の内に渦巻く気持ちを彼らに吐露した事はないのだが、やはり保護者に誤魔化せるものではなかったらしい。大人達もラディムとフライアの微妙な距離感に勘付いていたのだ。
「あんたらなぁ……」
こんなに恥ずかしい激励を受けるくらいなら、いっそあからさまに囃し立てられたほうがまだマシである。
ラディムは皆からのキラキラした視線を受け、脱力することしかできなかった。
逃げるように医務室を後にしたラディムは、誰かに遭遇しない事を切に祈りながらフライアを抱えて彼女の部屋へと戻る。この姿を見られて変な噂を立てられたくはなかったのだ。彼の祈りが通じたのか、幸いにも誰とも遭遇することなく部屋まで辿り着くことができた。
フライアの寝室まで戻ったラディムは、彼女をそっとベッドに下ろす。軽いせいか、彼女の体はそこまでベッドに沈まない。
寝返りで落ちないよう、フライアの体がベッドの中央にくるように微調整するラディム。体を動かされてもフライアが目覚める気配はない。眠りはなかなかに深いらしい。
それにしても、本当に無防備だ。
彼女の寝顔を見ながら、ラディムは小さく息を吐く。
ラディムが城に来たばかりの頃は、もう少しフライアと触れ合っていた気がする。とはいってもラディムからではなく、常にフライアからであった。ラディムよりも幼かったフライアは、彼の腰元に平気で抱きついたり、顔もペタペタと触ってきていたのだ。
いつからだろう。そのような触れ合いがなくなったのは。
おそるおそる、フライアの唇をそっと指でなぞってみる。ふわりとした柔らかい感触がラディムの指先に走った。血色の良いピンク色は、まるで新種の果実のようだ。以前、ラディムはこの唇に――。
「んぎいいいい!」
奇声を発し、ラディムはバッタのようにベッドから飛び退いた。何となく、場の流れで触れてしまった自分の行動に身悶えする。
いっそう動悸が激しくなった彼を、さらに視界から新たな『刺客』が襲いかかった。
背中の翅を出すために、大きく背が開かれたフライアの服。仰向けに寝ているフライアだが、横の隙間から彼女の白い素肌が見えている。
……ダメだ。これ以上フライアを見ていたら、自身の中の何かが崩壊する。
ラディムは頭を抱えながらフライアに背を向けた。
瞬間。
ラディムの複眼は、僅かに開かれた部屋の扉を映し出す。その隙間から三組の目が部屋の中を覗き見ていた。
翡翠色と、黄土色と、漆黒の目。それらは好奇心旺盛な子供のように、爛々と輝いている。
「…………」
見られていた。
どこから見られていたというのか。彼らの事だから、もしかしなくても最初からの可能性が高い。ミミズがはっているかのような、ムズムズとした感覚がラディムの全身を襲った。
「あら、見つかっちゃった」
「いやあ、今のはキスくらいはいけただろう」
「……ヘタレ」
「ヘタレで悪かったな!」
見られていたという羞恥と、自身に対するやるせなさと。ラディムは身を掻きむしりたくなる衝動を必死で抑えるのだった。
「そもそも快気祝いと歓迎会じゃなかったのかよ!? 何だよこの流れ!?」
「快気祝いと歓迎会は『いつまでも行動を起こさないラディムを応援しながら観察する会』に変わったってことだ」
「そんな会いらんわ! 即刻解散しろ!」
ありがた迷惑も甚だしい。いや、この場合ありがたくもないから単なる余計なお世話でしかない。
「そんなに大きな声を出すと、姫様が起きてしまわれるわよー」
声を顰めて忠告するイアラ。ラディムは慌ててフライアに振り返る。
フライアはこの騒ぎをものともせず、穏やかな寝息を立て続けている。安心すると同時にどこか残念な気持ちも生まれるが、それは気のせいだと無理やり思うことにする。
「フライアが起きたら伝えに行くから、とにかく戻っててくれ……」
ラディムの心からのお願いを察したのか、ようやく野次馬達はその場から離れてくれたのだった。
「あのなぁ……。俺が本当に手を出したらヤバイだろ。色々と……」
静かになった部屋で、ラディムは脱力することしかできない。何だかどっと疲れてしまった。
「うー……」
フライアが小さな呻き声を上げる。
起きたのか。
意図せずラディムの心臓が跳ね上がる。
見ると、彼女は幸せそうな寝顔を晒し続けていた。穏やかに笑う口の端からは僅かに涎が垂れていて、ラディムは思わず噴き出してしまった。姫としてあるまじき姿である。
「なんだよその顔。美味いもんでも食ってる夢でも見てんのか」
ラディムは笑いを堪えながら、無防備な寝顔を晒すフライアの頭を乱暴にならない程度にわしわしと撫で回した。
フライアとは兄妹のように共に成長してきたが、兄妹ではない。
友達と表現するには物足りない。けれど、親友と呼ぶのも何か違う。
好意はある。かといって、恋人という関係をすぐに築きたいわけでもない。
奇妙で、複雑で、それでいて心地良い彼女との関係。
もうしばらくの間、フライアとはこの距離感のままでいいのだ。
……きっと。
絹のように滑らかなフライアの髪を梳きながら、ラディムは口の端に笑みを浮かべる。エドヴァルドが見たら「肉食系より草食系だな」と言われていたであろう、穏やかな顔だった。
フライアの私室がある、城の三階の端。イアラは廊下の壁に背を預けて佇んでいた。
フェンとエドヴァルドの姿はない。彼らには先に医務室へ戻るように言っていたのだ。
「あらあら。何だか予想外の方向にいっちゃったけれど、これはこれで今後も楽しそうだから良いかな」
イアラは耳に当てていた糸を離し、軽く引っ張る。弦楽器を弾いたような小さく高い音が鳴ると、フライアの部屋の壁に付いていた糸がプツリと切れた。同時に今まで彼女の中に流れ込んでいた『音』は跡形もなく姿を消す。イアラは小さく笑みをこぼしながら、糸を手繰り寄せて回収する。
「それにしてもフェンさん、私の事を知りたがっていたみたいだけれど……私、正確には虫とは呼ばないのよねえ。イレギュラーって意味では、私もラディム君と同じかな」
白衣を翻しその場を離れたイアラの指先からは、非常に視認し難い透明な糸が伸びていた。それを体内に引っ込め、お茶会の続きをするべく彼女は再び医務室へと戻るのだった。




