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混蟲たちの宴(上)

 切れ切れの雲が層をなして、太陽を覆っている朝だった。滲んだインクのような陽光がテムスノー城を照らす中、フライアの部屋の扉を控えめに叩く者がいた。

 金髪よりも深い色の髪を持つ、フライアの護衛ラディムだった。


「はーい」


 すぐさま中からフライアの明るい声が返ってくる。ラディムが名乗らなくとも、フライアはノックの音でラディムを識別することができる。それほど、二人は同じ時を過ごしてきたのだ。ラディムも慣れたもので、名乗ることもせずにフライアの部屋に足を踏み入れた。

 先に口を開いたのは、フライアだ。


「ラディム、おはよう」

「ん、おはよう。早速だがフライア。イアラ先生が医務室に来て欲しいって呼んでいる。何かをするらしいんだ」

「何か?」


 首を捻るフライアだが、ラディムも答えることができない。知らなかったからだ。

 ラディムにその情報を伝えてきたのは、実はフェンだった。

 早朝、いつものように外でぼんやりと海を眺めた後、フライアの部屋に向かうラディムにフェンから声をかけてきたのだ。しかしフェンからはそれ以上の情報は知らされていなかった。


「まぁ、行ったらわかるだろ」


 イアラのことなので、そこまで変な用事ではないだろう。以前のハラビナの採取も、たまたまハラビナに異変が起きただけで頼み自体は至って普通のものだった。

 そういうわけで、ラディムもフライアも特に疑問を抱かずにイアラの居る医務室へと向かうのだった。






 医務室の前には、既にエドヴァルドとフェンが到着していた。フェンが彼女を直接呼びに行っていたのだ。フライアに丁寧に挨拶をしたエドヴァルド。その後、四人は揃って医務室の中に入る。彼らの姿を見た瞬間、イアラは両手を広げて皆を迎えた。

 いったいどのような用事なのかと尋ねる前に、イアラのテーブルに刺繍入りの白いクロスが掛けられていることにラディムは気付いた。

 いつもテーブルに乱雑に置かれてあったカルテ等の書類は、部屋の隅にまとめて置かれている。その置き方も決してキレイとは言えない。むしろ雑だ。あれですぐに目当ての書類を見つけられるのだから凄いよな、と複眼でそれらを見つめながらラディムはぼんやりと思った。


「イアラ先生、連れてきましたよ。そろそろ説明してくれてもいいんじゃないですか?」


 フェンの声は少しだけ疲れていた。朝から振り回されたからだろう。イアラは全く悪びれる様子もなく、喜々とした顔で続ける。


「ありがとうフェンさん。実はね、たまには混蟲(メクス)だけのお茶会を――と思いついたの。ラディム君とフェンさんの快気祝いがまだだったし、エドヴァルド君の歓迎会もやっていなかったから、この際兼ねてしまおうかなって」


 ちなみにエドヴァルドは相変わらず『男』として生活しているので、イアラやフェンは彼女の本当の性別をまだ知らない。エドヴァルドの命が脅かされることはもうなくなったので性別を偽る必要も消えたのだが、「大きな声で主張するようなことでもない」とエドヴァルドはこれまで通りに過ごすことを望んだのだ。気付いた者だけが気付けば良いというスタンスらしい。

 ラディムは改めて集まった面々を流し見る。確かに気兼ねなく話せる者ばかりだ。たまにはこういう混蟲だけの集まりも悪くないなと思った。

 しかしイアラが混蟲ということは知っているのだが、彼女が何の『昆虫』なのかは、ラディムを含め実は誰も知らなかった。治療の魔法を扱うことができるので、混蟲であることは疑いようもない。だが彼女の真の正体を、密かに皆は気にしていた。

 そのような皆の気持ちなど知る由もなく、イアラは鼻歌を歌いながら医務室内を動き回り、準備の最終調整に入っていた。


「これはイアラ先生が何の混蟲であるのか知る、絶好の機会かもしれないな」


 イアラに聞こえないように声を(ひそ)め、フェンは皆を流し見る。


「別に何でも良いんじゃねえの? イアラ先生が何の混蟲であっても、イアラ先生なのには変わらないんだし」

「じゃあラディムは気にならないというのか」

「いや、前からすっげー気になってたけど」

「気にしてたのか」


 最後のツッコミはエドヴァルドだ。ラディムは罰が悪そうに指で首筋を掻く。


「ということで、皆の心は一つ。良いか? 警戒されないよう、さり気なく聞き出すんだぞ」


『さり気なく』の部分だけ語気を強め、フェンは拳を握る。

 あっという間に『イアラの正体を聞き出す会』を結成した彼らに、フライアはおろおろとするばかりであった。

 そんな彼らの様子に気付くことなく、イアラは準備の最終調整のため医務室内をくるくると動き回っていた。そしてさほど時間を置かず、イアラは皆に振り返った。


「お待たせー。みんな席に着いてね」


 イアラの号令で全員が一斉にぞろぞろと動き出し、おとなしく着席する。

 イアラの正体はともかく、このような集まりは初めてなので、ラディムもフライアも内心楽しみで仕方がなかった。

 飾られた医務室のテーブルに着いた彼らの前に、イアラは手際よく飲み物を置いて回る。甘く、それでいて爽やかな香りが室内に広がっていく。しかしラディムは眉間に皺を寄せるばかりであった。匂いが気に入らなかった――という理由ではない。


「はいラディム君のお茶ね」

「あの……イアラ先生。なんで俺だけこの容器?」


 ラディムに出されたお茶は、カップではなく何故か三角フラスコに入っていたのだ。皆に出されたお茶とは違い、湯気がないので温かいものではなさそうだ。三角フラスコが耐熱性ではないのだろう。


「足りなかったのよ。基本ここには私の物しかないし。かといって厨房に借りに行くのも気が引けるし。まあ、たまにはこういうのも面白いでしょ?」


 面白いとかそういう問題ではなく、ものすごく不安を煽られる。ラディムは試しに顔を近付け、匂いを嗅いでみた。なんとなく、薬品のようなつんとした匂いが混ざっているような気がする。


「飲んでも大丈夫なのか、これ……」


 彼の呟きは誰にも拾われることなく、医務室内に虚しく響く。皆とばっちりを受けないよう、ラディムからあえて目を逸らしていたのだった。

 そんな皆の様子に気付いていないのか、それともわざと流したのか。イアラは嬉々とした表情で告げる。


「それでは新たに加わったエドヴァルドくんと、ラディムくんとフェンさんの回復と、ついでに姫様の愛らしさに、乾ぱーい!」


 イアラの号令で、皆は一斉にグラスを掲げた。三角フラスコを持ったラディムと、ついでに口上に足されたフライアは少し苦笑いも混ざっていたが。

 こうして、混蟲達だけのささやかなお茶会が開始されたのだった。




「いやあ、ラディムくんもフェンさんもちゃんと動けるようになって良かったわー」

「あの時は本当にありがとうございました」


 フェンは深々と頭を下げる。ラディムも一拍遅れてフェンに倣った。


「ラディムくんは体に穴が空いちゃってたし、フェンさんは瀕死も瀕死だったものねえ」


 イアラは頬に手を当ててしみじみと言う。

 古の魔道士ヴェリスと相対した彼ら。当然無傷で済むわけもなく、治療を施したイアラの魔法力が尽きるほどの容体にされてしまったのであった。イアラの言葉を聞き、エドヴァルドが目を見開く。


「そこまで酷かったのか」


 エドヴァルドは先の魔道士との死闘を知らない。一応ラディムはざっくりと彼女に説明はしたのだが、自分らが瀕死になったことは避けて説明していた。あまり格好良い事でもないし、言い難かったのだ。


「まあ、俺達は先生には足を向けて寝られないってことだ」


 これ以上詳しく追求されないよう、ラディムは強引にこの話題を締め切った。


「そして。改めてようこそエドヴァルドくん。こうやってゆっくりとお話をするのは初めてよね?」

「はい。その、ちゃんとご挨拶に伺わずにすみませんでした」

「そんな挨拶だなんて。別に私は王様じゃないんだから」


 その王さえも自分のペースに引き込んでしまうのがイアラであるが、本人は全くの無自覚である。


「怪我をしたらいつでも来てね。もちろん、病気の時も」


 裏のないイアラの笑顔に、エドヴァルドの緊張も解れたのだろう。幾分か柔らかな表情でこくりと頷いた。

 その間、フェンは紅茶を啜りながらイアラに『訊く』機会をじっと伺っていた。昆虫というより肉食動物のような目をイアラに向けるフェンをラディムはヒヤヒヤとしながら見守るが、当のイアラは全く気付いていないのか、自身が用意したブラウニーをちびちびと口に運び始めている。

 さて、一体フェンはどう切り出すのか――。


(ん――?)


 それまでフェンに注意が向いていたラディムだったが、複眼に映るフライアの姿を見て違和感を覚える。

 なんだかフライアの様子がおかしい。そういえば先ほどから一言も喋っていない。頬に赤みが差し、目をとろんとさせたまま俯いている。そう、まるで酔いが回ってしまったかのような――。


(酔い……?)


 ラディムは顔を青くしながらイアラに振り返る。


「イアラ先生、一つ聞きたいんだが……。まさか、お酒が入っていたってことはない――よな? 」

「え?」


 エドヴァルドもフライアの様子に気付いたらしい。イアラに怪訝な視線を送っている。


「おいフライア。大丈夫か?」

「うー……?」


 かたつむりがツノを持ち上げるようにのったりと顔を上げたフライアの目元は、妬けたような……熟れた果実のような、妙な柔らかさがあった。見たことのない艶っぽい表情に、しかしラディムはドキリとするより不安の気持ちの方が先に立ってしまった。


「……大丈夫か?」


 再度同じ言葉をかけるが、フライアからの返事はない。首を傾げた後、腕を枕にして眠りについてしまった。


「大丈夫ではなさそうだな……」


 フェンは思わず乾いた笑いを洩らすが、その顔はこの上もなく引きつっていた。


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