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宝石の目と海の翅 ~ムシの国の物語~  作者: 福山陽士
第2章 密謀の地下編
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9.地下を統べる者

 何本も枝分かれした狭い道を縫うように、ラディムたちは走り続ける。

 坑道内は本当に複雑な構造をしていた。仮に一人で帰れと言われても、出口に辿り着ける自信は既にラディムからはなくなっていた。

 二人組はあれから追って来なかった。元々あの場所を調査するために来たと言っていたので、素直に諦めたのだろう。だがラディムたちの心象は最悪なものになってしまったということは、想像に(かた)くない。


(できればもう会いたくねえな……)


 ラディムがそんなことを考えている内に、また袋小路に来た。エドヴァルドの両親の『仕事部屋』よりもずっと狭く、本当にただの行き止まりという感じだった。ただ先ほどと同じように、その先には木製のドアがある。エドヴァルドは躊躇することなくそのドアを開け、中へと入る。ラディムはフライアを下ろし、警戒しながら後に続いた。

 ドアをくぐってまずラディムの視界に飛び込んできたのは、四角いダイニングテーブルと椅子だった。続けて左右の複眼が、小さな本棚や調理場、ベッドや流し台を映し出す。


「なあ、どう見てもこれ、誰かの家じゃん……」

「エドヴァルド、勝手に入ってもいいの?」


 フライアがエドヴァルドに尋ねると、彼女は音もなく振り返った。


「問題ないです。オレの家ですから」


 エドヴァルドは何食わぬ顔で言いながらドアに鍵をかける。


「お前の家だったのか……」


 確かにエドヴァルドは何を考えているのかはよくわからないが、他所(よそ)の家に勝手に入るような非常識な人間ではなかったらしい。エドヴァルドの返答に、脱力感と安堵が同時にラディムを襲ったのだった。

 ラディムは改めて彼女の家を見回す。

 かなり庶民的な家だ。ラディムがかつて住んでいた『元の家』と広さは大差ない。エドヴァルドの性格からして、大理石がそこらに使用されている邸宅に住んでいたのではと勝手に想像していたラディムにとっては、少し意外であった。

 エドヴァルドはしばらくラディム達を放ったまま、家の中を歩いて回る。何かを確認しているようにラディムには見えた。


「ほとんど荒らされてはいないな」


 そしてポツリと呟きながら、ラディム達の所へと戻ってくる。


「どうした? 何かなくなってる物があるとか? 泥棒?」

「いや……。さっき会った二人組」

「あの金髪女と銀髪男か。あの二人がどうしたんだ?」

「『家の方は調べた』と言っていた。つまり、既にここに来たわけだ。物の位置は少し変わってはいるが、ザッと見た限りなくなっている物はない。金もそのままだ」


 そういえば、金髪の女が確かにそのようなことを言っていた。


「それはそうとエドヴァルド、そろそろ説明してくれ。わからないことだらけで頭が痛い」

「お前の場合、その(ひたい)のたんこぶが痛みの原因だろう」

「うっ!? 今まで忘れてたのに思い出させるなよ!」


 意識した瞬間、ラディムの額はまたジンジンと痛みだしてきたのだった。エドヴァルドは軽く肩を竦めると、ラディムに背を向けた。


「とりあえず、氷(のう)を用意するからそこに座っとけ。王女様、狭い所ではありますが遠慮なくお寛ぎください」


 エドヴァルドはフライアを椅子まで丁寧にエスコートする。ラディムに対しては冷たい視線を椅子に動かすだけだった。あからさまに違いすぎる態度が、いっそ清々しく感じてしまうほどだった。せめてもの反抗で、ラディムは露骨に嫌な顔をしてみせた。もっとも、エドヴァルドには何の効果もないだろうが。


「ありがとう。エドヴァルドのおうちの中に入ることができるなんて思ってもいなかったから、何だか嬉しいな」


 マイペースに高揚する主君の言葉に、ラディムは脱力しながら彼女の隣の椅子に腰掛けることしかできなかったのだった。

 ほどなくして、エドヴァルドが無言のままラディムに氷嚢を渡す。同じく無言で受け取ったラディムは、それをすぐに額に当てた。冷たくて痛い。でも、その冷たさと痛さが少し心地良かった。

 エドヴァルドも混蟲(メクス)だ。おそらく氷系の魔法を使ってこの氷嚢を用意したのだろうとラディムは考えた。

 テムスノー国には冬というものが存在しない。気温が下がっても、水が凍るような温度になることはない。混蟲の中には魔法で氷を作りだし、それを売って生計を立てている者も存在する。混蟲や魔法に対して良い感情を抱いていない人間達だが、それについては嫌々ながらも目を瞑っている状況だ。混蟲と人間とを隔てている感情は、複雑に絡み合っているのが実状だった。

 エドヴァルドはラディムとフライアと向かい合うようにして席に着く。そして抑揚のない声で告げた。


「率直にお尋ね致します。なぜ、オレを追って来られたのですか」


 いつもはあまり感情を示さないその顔は、今は困惑に染まっていた。フライアはエドヴァルドを真っ直ぐと見据えながら答える。


「私、エドヴァルドの力になりたいの」

「……陛下から、全てお聞きになられたのですか?」

「ううん、エドヴァルドは地下の出身ということだけしか聞いていないの。だからエドヴァルド、何があったのかを説明してくれる?」

「でも……さすがに王女様にご迷惑をおかけするわけには――」

「迷惑じゃないよ」


 フライアは強い口調で言い切った。その顔は心なしか怒っているようにラディムには見えて、少し驚いた。


「エドヴァルド、私は迷惑だなんて思わない。だってここに来たのは、間違いなく私の意思だもの。その、逆にエドヴァルドが私のことを迷惑だと思ってしまうかもしれないけれど……。それでも、それでも私、エドヴァルドの力になりたいの」


 身を乗り出してまでエドヴァルドに訴えるフライアのその覚悟は鋼鉄で、そしてその想いも真実だろう。だからこそ、ラディムの心が少し痛んだ。自分以外の人にフライアが親身になっている姿を見るのが、苦しかった。


(だから、こんなんで嫉妬するとかだせぇって俺……)


 自身の気持ちを誤魔化すべく、痒くもないのに頭の後ろを掻くラディム。果たしてフライアの気持ちは、エドヴァルドに伝わるのか。

 エドヴァルドはしばし沈黙した後、静かに口を開いた。


「危険な目に、遭うかもしれません」

「覚悟の上です」


 フライアは凛とした声で答える。その目はラディムが見慣れたいつものフライアのものではなく、『姫』としてのものだった。初めて見るフライアの威厳溢れる佇まいに、ラディムは意図せず息を呑み込む。この少女は、いつの間にこんな顔ができるようになったのか。

 フライアの隣で共に育ってきたラディムにとって、彼女の成長は喜びと同時に焦燥感をもたらすものだった。自分は、置いていかれていないだろうかと。

 エドヴァルドは無言のままフライアを見つめていたが、やがてその口から小さな苦笑が洩れた。


「負けました、王女様。その、オレなんかを気に掛けてくださり、ありがとうございます」


 エドヴァルドは深く頭を下げる。その動作も言葉も虚言ではないと、二人は瞬時に察した。彼女の感謝の意が伝わってきたのだ。

 頭を上げたエドヴァルドはラディムの顔を見ると一転、その表情がまた無に戻る。


「お前が巨大化したハラビナを見たと言った時、何となくだが異常事態は察していた。さすがに捕まってしまったとは思っていなかったが……」

「そういやお前の両親、ハラビナを管理しているって言っていたが、その説明が途中だったな」


 ラディムは氷嚢が額に当たる面を変えながら言った。エドヴァルドはラディムの言葉に頷きながら続ける。


「そうだったな。まずはそれから説明しよう。ハラビナは、一つの親となる大きな物が存在し、その周囲に小さなハラビナが群生するという生態をしている、魔法植物だ」

「魔法植物? 何だそれ?」

「ああ。薬の調合のために、かなり昔に作られた人工の植物のことだ」

「人工の植物、か……。そんな物が存在しているなんて知らなかったな」


 テムスノー国は、無人の島に混蟲達が移り住んでできた国だ。魔法を使うことができた彼らは、その力を使い様々な物を生み出してきた。昔は混蟲しか存在していなかったので、魔法を使うことに躊躇することがなかったのだ。しかし時が経つにつれて人間の方が多くなり、次第に魔法は公に使用されなくなってしまった。それでも、魔法を使った道具まで完全になくなったわけではない。以前、ノルベルトがフライアの身体の中に封印している『紅の宝石』を取り出す際に身に着けていたローブや杖は、過去の時代の混蟲達が作った魔法道具だ。


「地上では魔法を使う混蟲に対しての人間達の目が厳しい。今ではそういった魔法に関する物は、地下で暮らす混蟲が中心となって作っているのが現状だ」


 フライアはエドヴァルドの説明に熱心に耳を傾けている。確かに地上で暮らす混蟲達の中で、魔法の力が必須な職に就いている者はほぼいない。城の専属医イアラも、治癒魔法は人間に対してはほとんど施さない。彼女の正体を知っていて、なおかつ親しい間柄でもあるラディムやフェンに対しては別であるが。


「――ってちょっと待て。その言い方だと何かハラビナって割と貴重な植物のように聞こえるんだが、思いっきり燃やしちまったぞ俺……」


 公園でのことを思い出し、ラディムの顔が青ざめる。あのありえないほど巨大な赤い花は、やはりハラビナだったらしい。だがエドヴァルドは顔色ひとつ変えることなく答えた。


「いや、大丈夫だ。部屋には根がまだ残っていた。すぐに再生するだろう」

「あ……。お前の両親の職場に行った時、確かに天井から茶色の紐みたいなのがたくさんぶら下がっていたな。あれってハラビナの根っこだったのか……」


 さすがに地中の根まで引っこ抜いて燃やし尽くす気力は、あの時のラディムには残っていなかった。それが幸いした形になり、ラディムは「貴重な物を俺の手で抹消せずにすんだ」と安堵の息を吐く。


「親ハラビナは放っておくと周囲の大地から養分を奪い、全て自分のものにしてしまう。それを抑える役目がオレの両親の仕事なんだ。根から養分を搾り出し、それを結晶にする。結晶は主に薬の材料や調味料として利用されることになる」

「なるほど。エドヴァルドの両親が捕まったことで親ハラビナを抑える者がいなくなり、周りの森の養分を吸いまくってあんなに巨大化しちまった、というわけか。……ちょっと聞きたいんだが、その親ハラビナが養分を吸う時に、その……思いもよらない効果を花粉に付随させる事はあるか?」

「思いもよらない効果?」

「あぁ、いや……。ほら、お前たちもあの花粉で意識を失っただろ?」


 二人には媚薬効果のことは言っていないので、ラディムはぼかしながら尋ねる。仮にエドヴァルドがラディムに抱きついてきたことを教えたら、彼女に羞恥と八つ当たりで半殺しにされそうだ――とラディムは小さく震える。


「確かに、ハラビナの花粉に人の意識を失わせるような効能はない。周囲の植物の影響だったのだろうな。あの時はオレも不甲斐なかった。……すまない」


 まさか素直に謝られるとは思ってもいなかったラディムの心は、激しいムズ痒さに襲われた。


「それは気にすんな。しかし薬のためとは言え、冷静に考えるとかなり迷惑な植物だな……」

「今さらハラビナの製作者に文句を言っても何にもならないので、それについてはひとまずは忘れろ」


 確かにエドヴァルドの言うことはもっともなのだが、ラディムにはその言い方に少しカチンときてしまった。彼女の淡々とした話し方に、何故か圧力を感じてしまうのだ。しかしそれに文句をつけると話が進まない。ラディムは顔を引きつらせながらも言葉をぐっと堪えた。

 エドヴァルドは相変わらず無の表情のまま、視線を下に落とす。


「オレは、今から両親を助けに行く」

「さっきの奴らは反逆を企ててたとか言っていたが――」

「そんなことは断じてありえない!」


 表情が無かったエドヴァルドの顔に瞬時に赤みが射す。強く握られた拳は震えていた。


「そんな、反逆だなんて……。そんなことを考える人たちでは決してないんだ……」


 最後の方はまるで自分に言い聞かせるような呟きだった。ラディムとフライアは見たことのない彼女の態度に、一瞬顔を見合わせる。


「私はエドヴァルドを信じるよ。お父さんとお母さんを助けてあげよう?」

「王女様……」

「まぁ、表情の乏しいお前がそんなに激昂するくらいだから、本当なんだろうよ」

「…………」


 エドヴァルドはそこで瞼を閉じると、落ち着きを取り戻した声で続けた。


「地下一帯を治めているのは、女王蟻の一族だ。オレの両親は間違いなくそいつらに連れて行かれたのだろう」

「女王蟻……」


 フライアが小さく呟く。『蟻』ということは混蟲で間違いないだろう。この地下がどれほどの広さなのかは不明だが、地下一体を統率しているのが混蟲ということに、二人は驚愕を禁じえない。王族であるフライアは、地上で形見の狭い思いをしながら過ごしているというのに。


「ともかく、わかってるんならさっさと行こうぜ」

「闇雲に突撃してもだめだ。逆にオレらも捕らえられてしまうだろう」


 エドヴァルドの返答に、ラディムはわずかに口元を歪める。女王蟻とはそれほど面倒な混蟲なのだろうか。混蟲同士で話をすればすぐに解決するのでは――というラディムの楽観的な考えはすぐに霧散してしまった。


「まぁ、確かにひと通りの情報は知っておきたいな。一体どういう奴らなんだ。その女王蟻の一族とやらは」

「そうだな。一言で言うなれば、どんなことでも力で従わせる」

「お前みたいな馬鹿力で、か?」

「それもある。だが奴らが一番頼っているのは、魔法の力だ」

「つまり、周囲に混蟲ばかりを侍らせているってことか……」


 地上では人間に忌み嫌われている混蟲。それは混蟲が魔法の力を振りかざし、人間の上に立つことを恐れているというのもある。だがここではその人間達の『恐れ』が、既に現実のものとなってしまっているらしい。ラディムは思わず苦虫を噛み潰したような顔を作ってしまうのだった。

 地上からの介入を頑なに拒んでいたのは、この女王蟻の一族だったのか。


「ん……? あれ?」


 そこで、何かがラディムの心に引っかかった。


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