8.追い付いた先
「エドヴァルド!」
前を走るエドヴァルドの背中に、フライアが声を投げる。だがエドヴァルドはその声に一切振り向くことなく、走り続ける。
右へ、左へ、そしてまた右へ――。
壁に埋め込まれているランタンの光がぼんやりと照らすのは、迷路のように入り組んだ坑道。その中を、エドヴァルドとフライアを抱えたラディムが走り続けていた。
「エドヴァルド! 聞こえてるんなら止まれ!」
張り上げたラディムの声も、薄暗く狭い坑道内に虚しく響くだけに終わった。
フライアの駿足の魔法のおかげか、あれからさほど時間をかけずラディムたちはエドヴァルドに追い付いていた。地下への入り口がある森の中で、エドヴァルドの後ろ姿を捉えたのだ。
エドヴァルドは追いかけてきたラディムたちに少しだけ驚いた顔を見せたが、即座に魔法で地下の入り口に張られた結界を破り――そして突然、駆け出したのだ。話をしてもラディムたちが簡単に帰らないだろうと踏んだのだろう。
「強引に撒く方法を取りやがったなあいつ」
離されまいと何とか追いかけるラディムだったが、既にフライアの魔法は消えかかっていて距離を縮められない。それどころか、少しずつ離されている。かといって新たに魔法を掛けなおしてスピードを上げたとしても、この狭くて入り組んだ地形では逆に走りにくくなってしまうだろう。
エドヴァルドが分岐の右に曲がるのを、何とか視界の端に捕える。ラディムも当然、その後を追って曲がり――。
「あだっ!?」
突然ラディムは呻き声を上げ、止まった。
いきなり天井が低くなっていたのだ。かなりのスピードで突っ込んだので、彼は額を痛烈に強打してしまっていた。ラディムは堪らずフライアを降ろし、額に手を当ててうずくまる。
「だ、大丈夫?」
フライアが心配そうに声を掛けるが、悶絶中なのでラディムは返事ができない。痛さのあまり、ラディムの目の前はチカチカと光が点滅していた。
「くそー……。こんな所で俺の身長が仇となるなんて……」
「私が治癒の魔法使えたら良かったのだけれど……。ごめんね。役に立てなくて……」
「い、いや……」
彼女が謝る必要は微塵もないのに、涙目で謝罪をするフライア。その様子に、ラディムの胸のあたりが小さく締め付けられる。
「これは絶対たんこぶができるな……」
これ以上フライアに心配をかけないため、ラディムは彼女に聞こえないように口の中だけで呟いた。
なかなか起き上がれないラディムを本気で案じているのか、額を押さえる彼の手の上から、フライアが遠慮がちになでなでと優しく擦ってきた。彼女の唐突すぎる行動に、思わずラディムの全身に熱が走る。
「い、痛いの痛いの、とんでいけー」
そして子供に対してはある意味魔法と同じ効果が得られる、痛みを和らげる言葉を呟いた。しかしやった後で恥ずかしさに襲われたのか、その頬は夕日のように赤く染まり、目も泳いでいる。
(なんだそれ……。自分でやっておきながら照れるとか……)
思わず胸がきゅんとなり彼女を抱き締めたい衝動に駆られてしまったが、「お前、エドヴァルドを追っていた最中だっただろ」と頭の中の『冷静なラディム』が進言したことで何とかそれを自制することに成功したのだった。
ラディムは改めて低い天井の通路に目をやるが、既にエドヴァルドの背中は見えなくなってしまっていた。
「くそ、見失ったか……」
だがここで引き返すわけにもいかない。痛みを堪え、ラディムはようやくゆっくりと起きあがる。
「悪い、待たせた。行こう」
頭を低くした状態で、天井の低い通路の奥へと足を踏み出した。フライアもその後ろに続く。フライアならこの高さでも余裕で走ることができるだろうが、一人で追いかけさせるわけにもいかない。しかし中腰のままでは、早く歩くことがラディムには精一杯だった。
しばらく中腰のまま通路を歩き続けると、今度は急に天井が高くなり、視界が開けた。思わず息を吐きながら腰を伸ばすラディムの横に、そっとフライアがつく。そして二人して天井を仰ぎ見たまま、固まってしまった。
「何だ、ここ……?」
そこは、天井が球状にカーブしている部屋だった。天井からは、ひょろりとした茶色の紐のような物が何本もぶら下がっている。紐の長さは揃っていないが、どれも先にいくほど細い。
ラディムは視線を少し下にずらす。今まで通ってきた通路と同じ色をした岩壁には、筒状の穴がいくつも空いていた。どれも穴は深いらしく、中は黒が続いている。
「もぐらさんたちのお部屋……なのかな?」
細い眉を寄せながら、フライアがポツリと洩らす。ラディムは思わず頬をひくつかせてしまった。そのようなほのぼのとした部屋にエドヴァルドが来たとは、ラディムには到底思えない。
部屋の中央には木製の小さな丸いテーブルと、椅子が二脚置いてある。
天井の紐、壁の穴、そしてテーブルセット。
一見して何をする部屋なのか、二人には見当も付かなかった。
それらから一度視線を逸らすと、今度は二人の目に一枚の扉が飛び込んでくる。
隅の方にひっそりと存在しているその扉は木製。二人は顔を見合わせると頷き合い、ドアノブに手をかけた。鍵はかかっておらず、扉は静かに開く。
扉の向こうには、またしても部屋が広がっていた。その部屋の隅でラディムらに背を向けて佇んでいる人物に、彼らの目は釘付けになる。
「……エドヴァルド」
ラディムはエドヴァルドを見据えたまま複眼で部屋全体を見渡すが、他に扉や通路らしき物はない。生活に必要な家具類が最低限並んでいるだけ。完全な袋小路だ。もしかしてエドヴァルドは進む道を間違えたのだろうか? ラディムがそう考えた時、エドヴァルドが呟いた。
「やはり……か……」
背を向けているのでラディムから表情は見えないが、その声はわずかに掠れていた。後ろからでも、エドヴァルドの頭がうな垂れたのがはっきりとわかった。いつもと明らかに違うその様子に、ラディムは戸惑いを浮かべる。
「あの、エドヴァルド……」
遠慮がちにフライアが声をかけると、エドヴァルドは勢い良く振り返った。漆黒の瞳が驚愕に染まっている。どうやら最初のラディムの呼びかけは、完全に聞こえていなかったらしい。
「追いつかれたか。本気で走ったんだが」
エドヴァルドは苦笑した。その言葉と表情に覇気が全く篭っていないことにラディムもフライアも気付き、眉を寄せる。
「なあ、お前。もしかして最初からここに来るつもりだったのか?」
ラディムはふと頭に浮かんだことを、そのまま口に出した。
追いかけている間、エドヴァルドは迷路のような坑道内を一切迷うことなく進み続けていた。その様子から、彼女はこの地下坑道の全容を完全に把握しているのは間違いないとラディムは感じていた。にも関わらずわざわざこの部屋に来たということは、元々ここを目指していたからという理由以外思い浮かばない。
ラディムの質問に、エドヴァルドは視線を落としたまま答えた。
「そうだ。ここはオレの両親の仕事場なんだ……。正確に言えばこっちは休憩室なのだが」
「どうしてここに? ちょっと職場見学してみたかったとか、そんな呑気な理由ではないんだろ」
ラディムはドアの後ろの仕事場を振り返りながら言う。肝心のその両親の姿が見えないのが、単純に気になった。下を向いていたエドヴァルドは、今度は天井を仰ぎ見る。無の表情ではあったが、どこか諦観したような雰囲気であった。
「オレの両親は、ここでハラビナを管理している」
「――!?」
エドヴァルドの口から出た言葉に、ラディムもフライアも目を見開いた。
「ハラビナの管理? 昨日私たちが採りに行ったお花を管理しているの?」
「……さっぱり意味がわからない。もっと詳しく説明してくれ」
さらなる説明をエドヴァルドに促すが、そこで彼女は表情を険しくして隣の部屋に駆けていく。『それ』に気付いたラディムも慌ててその後を追う。一人取り残されそうになったフライアも、戸惑いながら続いた。
足音が、この部屋に近付いて来ていた。ラディムとエドヴァルドは、いち早くその音に気付いたのだ。
(音から推測するに、二人か。エドヴァルドの両親が戻ってきたのか?)
ラディムは考えるが、それにしてはエドヴァルドの顔は険しいままだ。
ほどなくして、その足音の主たちが無言のまま『仕事部屋』に入ってきた。二十歳前後と思われる一組の男女だった。
男は筋肉の隆起激しい、屈強な体をしていた。短く刈り上げた髪は銀色に輝いている。ラディムよりもさらに長身だ。部屋に入った瞬間、老人宜しく腰を大げさにトントンと叩いた。彼の気持ちはラディムにも容易に理解できた。中腰で歩き続けるというのは、思いのほかつらい。
女の方は長い金髪をポニーテールにまとめた、色白の美人だった。部屋に入るなり腕を組んで仁王立ちをする。表情だけでなく、態度からしてかなりツンとした雰囲気を醸し出していた。
「人がいるなんて聞いていないわよ」
金髪の女が、ラディム達を見ながら不機嫌そうに言った。
「……俺も聞いてない」
銀髪の男も、その体の雰囲気と違わぬ低くて渋い声で言う。
突然現れたこの二人組は、一体何者だろうか。ラディムとフライアは一瞬顔を見合わせる。
「お前たち、ここに何の用だ」
鋭い声を二人に投げ掛けたのはエドヴァルドだった。少なくともエドヴァルドの知り合いではないらしい。
「あなたたちこそ何なの? 私たちは仕事でここに来ただけなんだけど?」
金髪の女は露骨に嫌そうな顔を作る。女の言葉で、エドヴァルドの無の表情が怪訝なものへと変わる。
「仕事、だと?」
「そうよ。ここを調査しないといけないの。わかったならさっさとどこかに行ってくれる? 邪魔だから」
野良犬を追い払うかのように「シッシッ」と金髪女はラディム達に手を振った。少しムカッときたラディムだったが、いきなり喧嘩をふっかけるわけにもいかない。拳を握ってグッと堪えた。
「調査? 何のために調査をするんだ」
金髪女は銀髪の男と顔を見合わせお互いに頷いたあと、再びエドヴァルドへと顔を向けた。
「あなた、もしかしてここの職場の人の関係者? 知らないの? 昨日ここの人たち、捕まったのよ」
「捕まった!?」
「そう、捕まったの。反逆を企てていたってことで。さっき家の方は調べて来たから、後はここだけなのよねー。ってことで早くどいたどいた」
――反逆……?
金髪女の言葉にラディムは心の中で首を傾げた。
地下は王宮の力が届いていないとノルベルトは言っていた。それは地下を束ねる組織があるからだが、フライアもラディムもどういうものなのかは知らない。二人の顔には疑問が浮かんでいる。
「反逆、だと? どういう意味だ?」
問うエドヴァルドの声は、わずかだが震えていた。ラディム達と同様に、エドヴァルドも何が起こったのか理解していないらしい。
「んー、私たちもまだ詳しくは知らないんだけどね。誰かを殺していなかったとか何とか……」
金髪女は本当に詳しく知らないのか、語尾がうにゃうにゃとあやふやなものになる。しかし、それを聞いたエドヴァルドの顔が瞬時に青ざめた。
それまで沈黙を貫いていた銀髪男が、ラディムとフライアを交互に見ながら口を開く。
「ところで、お前達こそ何者だ。もし反逆者の関係者だった場合、お前達にも詳しい話を聞かねばならんわけだが」
その言葉にラディム達は動揺した。ラディムとフライアは関係者ではないが、ここに来た経緯を彼らに説明すると、芋蔓式にフライアが王族ということまで言わなければならなくなるだろう。
『地下には王族という身分は通用しない』
ノルベルトが言っていた言葉が、ラディムの頭の中で再生される。
どう答えるべきか。
悩むラディムにエドヴァルドが視線を送る。その口がほんの僅かだが動いた。
(逃げるぞ)
別にやましいことは一切ない。が、今はエドヴァルドの言うことに従った方がいいとラディムは判断した。しかし、どうやって逃げるというのだろうか。出入り口はあの二人組の後ろにあるというのに。
ラディムが疑問に思っている間に、エドヴァルドは懐から白い飴玉のような物体を一つ取り出し、指で挟む。それをすかさず二人組の足元に投げつけた。飴玉は音を立てて破裂し、白い煙が瞬く間に部屋中に蔓延した。
「なっ――!?」
突如出現した煙に、金髪女が驚愕の声を上げる。銀髪の男も声こそ上げていないが、その目は動揺に染まっていた。
(煙幕か! こんなもんを常に持ち歩いていたとは、なかなか用心深い奴だな)
この隙にラディムは素早くフライアの身体を抱き上げ、複眼でエドヴァルドを注視する。
「こっちだ」
エドヴァルドは通路と反対側の壁にラディム達を誘導すると――。
「はあっ!」
気合の声と共に、右の拳を壁に叩きつけた。
頑丈そうな岩壁が呆気なくボロボロと崩れ去り、人間一人が悠に通り抜けられる穴がそこに出現した。空いた穴の向こうには、来た時と同じような入り組んだ坑道が広がっていた。
「いや、いくら蟻族でも馬鹿力すぎんだろ? この壁かなり厚いじゃん。それを積み木みたいに一瞬で壊すとかお前」
「どうでもいいから急げ」
ラディムの台詞はエドヴァルドの冷たい声に遮られた。確かに、今は彼女の馬鹿力にツッコんでいる場合ではない。
「ちょっと、あんたたち!?」
金髪女の怒声に、慌てて穴をくぐるラディム。
(こいつを怒らせるのはもうやめた方がいいかもしれん……)
前を走るエドヴァルドの後を追いかけながら、ラディムは少しだけ震えるのだった。